Pファンク   パーラメント ファンカデリック ジョージクリントン ブーツィーコリンズ | ビートルズやメンバーへのミュージシャンの発言集 The Beatles  影響 評価 

ビートルズやメンバーへのミュージシャンの発言集 The Beatles  影響 評価 

 ビートルズやビートルズのメンバーに対するミュージシャンの発言は今までたくさんありました 。おそらくこれから先もたくさん発言される事でしょう。ここはビートルズが与えた影響を記録していく場所です。

 

追記しました。

 

ジョージクリントン(ソングライター シンガー プロデューサー)



           スピン 1985


◎ボブマーリーに起こったことをどう思う?


 彼が死ぬ2~3年前には、彼の死が望まれていたことなのは知っているよ。彼の身に何かが起こるのは必然だったんだ。彼は自分たちではコントロールできないような雰囲気を出していたからね。だから、彼に何かが起こるのは分かっていた。たとえ文字通りには起こらなかったとしても、例えばジョンレノンのように、愛の名の下に(誰か)を登場させて、自身を殺すことができるようになるまで、自身の周りに深いバイブを置くことができるようになるってことだ。


◎あの事件で一匹の猫がビートルズよりも大きくなって、他の3匹の猫がその重さを背負っていないことは恐ろしいことじゃない?

 ジョンレノンとポールマッカートニーが一緒になったとき、ジョンレノンは私にとっては5人目のビートルズのような存在だった。そんなコンセプトが好きだったんだ。ビートルズは私のオールタイムのフェイヴァリットだよ。彼らは適切な時期に適切な場所に存在して、それを最高のものにしたんだ。



 スライは私の次のお気に入りだったが、彼は一人しかいなかったし、誰も彼を相手にしてくれなかった。ジミもそうだったよね。

  でも、ビートルズには良い機会があったし、私たち全員に通じる雰囲気があったから、私にクソみたいな曲を書かせてくれたんだ。その(重さ)を利用することができれば、君はかなりいい仕事をが出来ると思うよ。ビートルズはそれを利用することができたんだ。

 

 

 

 

        

 

 

        ローリングストーン 2018

 

 

◎これまであった中で最もファンキーな人は誰ですか?


 ステープルシンガーズ、ポップステープルズだろうね。そしてレイ チャールズ。レイは「エリナー リグビー」をファンキーにする事ができた彼は結局、それを何にでもすることが出来るんだよね。俺にとってそれは生のファンクだった。そしてモータウンセッションベーシストのジェームスジャマーソン。それはミュージシャンだよ。

 

 

 

 

◎そして、生きている中で最もファンキーでない人は誰ですか?
 

 何てことだ!(笑)おそらくトランプ。トランプでファンクになることはできないよ!彼はそれが好きではないだろうね。

 

 

◎白人のアーティストが黒い音楽をやっているとどう思いますか?

 

  ビートルズでもなんでもいいから噛みちぎってやるよ。全ては一つの世界、一つの惑星、一つのグルーヴなんだ。お互いに学び合い、ブレンドすることになっていて、そんな風に動き回るんだよ。

 

 昨日ロケットが出て行ったの見た?この惑星から出られるかもしれない。すると俺たちはエイリアンを相手にするんだ。そこで白と黒が問題になると思うか?3、4本の性器を持ったクソ野郎に 遭遇するまで待てよ!虫の目のクソ野郎!彼らはパーティーの準備ができていて、俺たちを食べる準備ができてるのかもしれないな。わからないけど。お互いに仲良くしないというたわごとを乗り越えなければならないんだ。

 

 

◎あなたがいなくなったとき、あなたは人々にあなたについて何を言わせたいですか?

 

 彼は私を病気にしたが、彼は私に解毒剤をくれた。 



     
                13のフェイヴァリットアルバム   2015

ザ ビートルズ    (サージェントペパーズロンリーハーツクラブバンド)


 説明する必要なんてないだろ!くそったれ!そのレコードは僕が一番最初にレコードショップに行った理由だった。僕は一体何が起きているのか理解したかったんだ。(サイケデリック)っていうものはそのレコードまではただの概念だった。そのとき、ビートルズは(サイケデリック)というものが一体どういうものであるのかという絵を描いた。実際に。ストレートにポップミュージックのレヴェルでね。。彼らは僕らにそれを反芻させなかった。彼らはただ率直にそれを描いた。もちろんそのアルバムにはジョージ マーティンのアレンジメントもあったよね



 このアルバムが出たときに何かとても新しく感じて、僕の心は奪われた。(A Day In The Life)や(She's Leaving Home)といったそういった曲。。。。。。くそっ!今まで誰も書かなかったような感覚を書いたんだ! お前が学校に戻ったとしたらきっとお前が(くそ)みたいなことを聞くことになるだろうけど、そういった時の感覚だよ。このアルバムはまさに僕のためのアルバムだった。そして、同時にみんなのためのアルバムだった。そしてその感覚はアルバム(アビーロード)までは僕には戻らなかった。つまり、彼らはその後、僕が愛した楽曲やアルバムを手掛けたが、そういった感覚は(サージェントペパーズ)と(アビーロード)の時だけだった。ただその一瞬だけだった。そのとき、ビートルズは本当に自らが何者であるかについて表現していた。そう、彼らはその時まさにビートルズだった。



 ビートルズが現れたころに、ピート ベストがアメリカに来たんだ。そのころ、僕はビートルズの存在を知る前だった。彼が僕らのスタジオに居て、僕らに彼らがドイツで引き起こしたことを話したんだ。彼は言った。(君たちは⦅ビートルズ⦆の名前を耳にすることになるだろう)って。そしてまさにビートルズが出現したとき、小さな子供たちは窓の外に飛び出そうとしていた。そんなのエルヴィス以来、見てなかった事だよ。お前たちもそんなのを数人のロックンローラーでしか見たことがないだろう。だけどあんなに子供たちがヒステリックになったのを見たことはないだろう。彼らは宣伝にしたがってあらゆるところに現れた。



  その後、ビートルズは(サージェント ペパーズ)を作り始めた。なぜなら彼らはやるべきことをやってしまっていたから。その頃、人々はビートルズよりも、よりラウドな音楽を求め始めていたが、残念ながらビートルズの音楽にはそういった余地がなかった。彼らはマーシャルを使っていなかった。もしビートルズがヘンドリクスやクリームだったとしたなら、彼らはそういった人々の不満をかき消すことが出来ただろう。故にビートルズは変化しなければならなかった。そしてそれがまさに(サージェントペパーズ)の出現につながった。









 (サージェント ペパーズ)はPファンクと考え方が同じなんだ。わかってるよ。ビートルズは今のバンドにとってはただの一つのバンドかもしれない。初期のポップソングには退屈なものもあるけど、ビートルズが(サージェント ペパーズ)で表したものの中には、Pファンクと似通っているものがあるんだ。完全に理解してほしいとは思わないけどね。だって、僕らと君らとでは時代が違うんだから。。だけど時代に左右されない何かがあるはずだろ?









       ソウルアンドジャズアンドファンク  2013

◎あなたに奮起させ、インスピレーションを与え、楽曲を書く気にさせた特定の歌はありますか?



 楽曲はたくさんあるよ。(真っ先に)ビートルズの(イエローサブマリン)だよ。僕が演奏してる時にはいつでもインスピレーションを受けていた。スライ(ストーン)の楽曲、カーティス メイフィールドのすべて。



 君は僕がモータウンで働いていたことを知ってるだろ?だけど、僕がインスピレーションを得たいときには、僕はいつでもくそ最高なビートルズの楽曲を聴くんだ。そうすれば彼らの楽曲が僕のお尻を蹴り上げてくれるんだ。



◎貴方にとってファンクとは何を意味するんですか?


 僕がファンキーなのを意識したのは生まれた時だよ。どうしてかというと僕の母親は僕をトイレで産んだからなんだ。それを笑える姿勢、それもまたファンキーだよね。

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 


 
 
デュアン マクナイト(ギター ハービーハンコック ヘッドハンターズ ギター レッドホットチリペッパーズ ギター)
 
 
                               クラシックロック 2015
 

〇私の人生を変えた10枚のアルバム


  60年代初期から中期にかけて、私は音楽について知りたがっていた好奇心旺盛な若者だった。両親が聴いていた音楽をたくさん聴いたし、テレビもたくさん見た。ボ ディドリーとチャック ベリーを見たのを覚えている。当時、この2人は私にとって際立っていた。ボーのサウンドは他の追随を許さない。当時はカントリー ミュージックの番組もよく見ていた。彼らのピカピカ光るギターは私の心をくすぐった。音楽番組をたくさん見て、誰でもいいからみんなを見た。音楽は素晴らしかったし、R&B、ポップス、ジャズなどあらゆるジャンルが好きだった。どれも心に響くものばかりだった。



〇ハービー ハンコック、パーラメント ファンカデリック、レッド ホット チリ ペッパーズなど、マックナイトの作品を聴いたことがある人なら、間違いなく、そうした初期の影響をチェックしているはずだ。そして、そのような幼少期の思索から、50年以上に及ぶキャリアが花開いた。実際、マックナイトのようなソウルフルなチョップを持っているプレイヤーはほとんどいない。しかも、そのような革新性を、記憶に残る超スリックなトーンやシャッター ソロにつなげられる人はさらに少ない。また、彼の作品だけでは物足りないというのであれば、マックナイトはエディ ヘイゼルやヒレル スロヴァックのようなギタリストのフォローもそつなくこなすプレイヤーであることも忘れてはならない。実に印象的だ。




10位 - ジミ ヘンドリックス - バンド オブ ジプシス


   60年代半ばから後半にかけて、音楽は変わり始め、"サイケデリック "という言葉が出てきた。私はロックと新しいサイケデリックの時代、特にこの3枚のアルバムを楽しんでいた。ジミ ヘンドリックス エクスペリエンスというバンドの『Are You Experienced』、『Axis: Bold as Love』、『Electric Ladyland』だ。これらのアルバムは私の度肝を抜いた。この3枚の記念碑的アルバムの後、私たちは皆、このアーティストから次の大物が生まれるのを待っていた。


  そして、それはジミ ヘンドリックスのアルバム『バンド オブ ジプシス』によってもたらされた!このアルバムは、音楽界に変化をもたらした。『バンド オブ ジプシス』は、ジミ ヘンドリックス、バディ マイルズ、ビリー コックスからなるミュージシャンのラインナップで、前の3枚のアルバムよりもファンク ロック スタイルが強くなっている。ファンキーなものへの道を切り開いたスタイルへの真新しいアプローチであり、かつてないほど幅広い聴衆を惹きつけた。私は数え切れないほど何時間も起きて、すべてのパート、すべての楽器を分解し、それまで聴いたことのないこの新しい現象をただ楽しんでいた。
9位 - シュギー オーティス - フリーダム フライト


  シュギー オーティスとの出会いは中学生の時だった。ギターは私にとって真新しいものだった。私は飢えていて、情報を共有できる地元のワルギタリストを片っ端から探していた。初めて彼の家に親に送ってもらったときのことを覚えている。着いたとき、彼がギターを弾いていると聞いた。家に入るまで、車の中でずっと彼の演奏を聴いていた。


  その頃、彼がエピック レコードと契約したことを知った。彼は『Here Comes Shuggie Otis』というアルバムを作っていて、その後『Freedom Flight』、『Inspiration Information』と続いた。シュギーの音楽で人生を変えたのは、ギター演奏だけでなく、彼がすべての楽器を信じられないほど上手に演奏することだ。一人の人間がこれらすべての楽器を演奏し、良いレコードを作ることができることを発見したことで、私は他の楽器を演奏するようになった。私の音楽教育に対するシュギーの貢献は非常に大きい。


 彼は私にインスピレーションを与えてくれただけでなく、トニー ウィリアムス、フランク ザッパ、チャールズ ライト&ワッツ103rdストリート リズム バンド、ブルース、そしてもちろんクラシック音楽など、私が聴いていた以上に多くの音楽を聴かせてくれた。彼は私の音楽鑑賞のクラスにいる。これは、シュギー オーティスとの音楽的な努力のほんの表面をなぞったに過ぎない。特に彼が録音した他のレコードについて、また彼と私が一緒に過ごした初期の音楽的エピソードについて。それらを皆さんと分かち合う機会があることを願っている。


8位 - ビートルズ - サージェント ペパーズ ロンリー ハーツ クラブ バンド/マジカル ミステリー ツアー


  1963年、イングランド、アイルランド、スコットランド出身のバンドたちによる、アメリカへの音楽の侵略があった。それは新鮮なもので、もちろん私も飛びついた。その中でも特に目立っていたのがビートルズだった。リバプール出身の4人組が、新しいフレッシュなサウンドを携えてアメリカにやってきた。彼らのソングライティングの才能と、当時彼らが作っていた音楽に魅了されたが、彼らがレコーディングした曲のかなりの部分がアメリカのアーティストによって書かれたものだとは知らなかった。


  それでも私は彼らの音楽が大好きだ。イングリッシュ インベイジョンは、実は私がギターを弾き始める前に起こったことなんだけど、音楽をやりたいという気持ちを大きく駆り立てたもののひとつだった。ビートルズがやったことすべてが楽しかった。アルバムを1枚だけ選ぶとしたら、『サージェント ペパーズ ロンリー ハーツ クラブ バンド』と『マジカル ミステリー ツアー』の2枚を選ぶ。彼らはこの時期、スタジオ録音を徐々に強化していった。当時の編集や、曲の2つのセクションを時間内に融合させるようなソングライティングは天才的だった。この2枚のアルバムは、当時としては驚くほど新鮮で、1枚だけを選ぶのはあまりにも難しい。これらのアルバムが私のお気に入りだ。



 7位 フランク ザッパ - ホット ラッツ
 

 フランク ザッパの音楽を知ったのは、アルバム『Hot Rats』の「Peaches en Regalia」という曲でベースを弾いていたシュギーからだった。彼のベースは素晴らしかった。しかし、さらにこのアルバムを聴いて、私はフランク ザッパの音楽が大好きになった。フランク ザッパのアルバムを聴いたのはこのアルバムが初めてで、このアルバムによって私は新しいジャンルの作曲に目覚め、音楽の聴き方において人生が変わった。彼は明らかにブルース、ジャズ、クラシック、ロックなど様々なスタイルの音楽に影響を受けていて、私もそうだった。ホット ラッツにはそれらの要素がすべて詰まっていた。


  彼の音楽の柔軟性とエキセントリックな作風は、私の音楽のボキャブラリーを広げてくれた。忘れてはならないのは、彼はモンスター ギタリストでもあったということだ。『Waka/Jawaka』と『Zoot Allures』が次に私の心をつかんだ作品だ。Waka/Jawakaでのザッパのライティングは狂っている。Zoot Alluresは、それまで私がザッパから聴いていたものとは違うグルーヴがあり、それも気に入った。彼のギター プレイは言うまでもない。このアルバム以降、私はフランクのギター プレイにのめり込んでいった。さっきも言ったように、1枚だけ選ぶのはフェアじゃない。



 6位 - トニー ウィリアムス ライフタイム - Emergency/Ego


 60年代後半に私の心を捉えたもう1枚のアルバムが『Emergency』だ。トニー ウィリアムス ライフタイムは、トニー ウィリアムスのドラム、ラリー ヤングのオルガン、ジョン マクラフリンのギターで構成されていた。多くの人がバイブルと呼んだこのアルバムは、間違いなく最初のフュージョン アルバムとなった。音楽のラベルが何であれ、このアルバムは私を完全に打ちのめした。アヴァンギャルド、フュージョン、フリーフォーム ジャズ、呼び方は何でもいい。


  私はこの音楽とつながり、できる限りの情報を吸収した。また、ジョン マクラフリンが私のギターに大きな影響を与えたことも付け加えておきたい。読者の皆さん、私の人生を変えた『エゴ』の登場です。このアルバムは、ミュージシャンの選択は言うに及ばず、作曲や楽器の使い方など、これまでのレコードとは異なっていた。私がこのアルバムに魅了されたのは、即興演奏の中に織り込まれた彼の作曲技術のレベルの高さにあった。最初に聴いた後、聴くのを止めることができなかった。『Ego』は、トニー ウィリアムスのアルバムの中で最も好きなものの1つだが、やはり1枚を選ぶことはできない。


 5位 - マイルス デイヴィス - ビッチェズ ブリュー


  私は寝室でレコードを聴いていた。ドアを開けると、父が入ってきた。手にはアルバムを持っていた。マイルス デイヴィスの『ビッチェズ ブリュー』だった。父は私にそのレコードを聴かせてくれ、気に入ったらあげてもいいと言った。言うまでもなく、私はそれを気に入った。傑作というものがあるとすれば、このアルバムはその一つだろう。それに私はこのアルバムに参加しているほとんどのプレーヤーをよく知っていた。彼らの多くは私のお気に入りだった。


  これはモダンジャズにおけるまったく新しいステートメントだ。このアルバムの多くの演奏は前衛的で、私はそれが大好きだ。彼はファンク志向のグルーヴを演奏しているが、音楽性はジャズ志向のままだ。彼はジャズとファンクを融合させ、まったく新しいものを作り上げた。このアルバムとアーティストは私のお気に入りのひとつなので、私は今でも『ビッチェズ ブリュー』を聴いている。マイルス デイヴィスの好きなアルバムはまだまだあげられるが、今回はこの辺で。

 


第4位 ハービー ハンコック - ヘッド ハンターズ


私がミスター ハンコックを聴くようになった歴史の中で、そのアーティストがハービー ハンコックであることを知る前に、ラジオでポップスを聴いていた60年代初頭から好きだった曲が何曲かあった。70年代初頭、好奇心からハンコック氏の後期の録音、例えば『Mwandishi』、『Crossings』、『Sextant』を聴くようになった。これらのレコードの作曲を聴き、モダンジャズ音楽の構造についてできる限り学んだ。それは大変な作業だった。その後、ハービーのアルバム『Head Hunters』が出た。このアルバムでハービーは、よりジャズ ファンク フュージョン的でラジオ向きの新しい方向に進んでいた。


  新しいリズム セクションを加え、曲はよりファンキーでグルーブ志向になっていた。私は勉強の一環として、何度もこのアルバムの曲を演奏した。グルーヴはドープで、ソロやシンセサイザー ワークは素晴らしかったし、今でもそうだ。他のみんなと同じように、私もこのアルバムに飛びついた。当時、私が一緒に仕事をしたほとんどのバンドが、このアルバムから何かを演奏していた。そして今でも、多くのバンドがそうしている。「ヘッド ハンターズ』はハービーを次のレベルへと導いたアルバムであり、多くの人々がそれに続いた。



3位 - スライ&ザ ファミリー ストーン - スタンド


  さて、次は私の歴史の中で最も象徴的なバンドの一つである。もう一度言うが、これは公平ではない。スライ ストーンの音楽はどれも私に多大なインスピレーションを与えてくれた。1枚選ぶとしたら、おそらく『Stand!』 このバンドを初めて見たのは『ロイド サクストン タレント ショー』だった。彼らは本当に素晴らしかった。彼らのレコードを手に入れるのが待ちきれなかったし、やっと手に入れたときには、私の期待をはるかに超えていた。ソングライティング、歌唱力、音楽性、アレンジ、すべてが素晴らしかった。『Stand!』ではグループ参加もあり、私はそれがとても気に入った。言うまでもなく、私はこのアルバムで何時間も演奏した。記念碑的アルバムだよ。
 
2位 ファンカデリック - Maggot Brain


  このアルバムは、私が最も好きなアルバムのひとつである。ファンカデリックの『Maggot Brain』には、メッセージ、グルーヴ、ユーモア、音楽性、大仰なギター プレイなど、すべてが詰まっていて、私はこの傑作に引き込まれた。最初に聴いた2枚のアルバムには度肝を抜かれたが、『Maggot Brain』には、当時のどのファンク バンドにも真似できないエネルギーがあった。これこそが、私にとってのファンク ロックなのだ。あの頃のハードなグルーヴに出会いたいものだ。

  突然、LA中のバンドがアルバム『Maggot Brain』の曲を演奏し始めた。どのようなミュージシャンがラインナップされていたにせよ、最もハードで時代を超越したグルーヴの数々は、今日に至るまで聴き継がれている。私は何時間もギターと向き合い、これらの曲を分解し、できるだけ多くのことを吸収した。私にとって、このレッスンはかけがえのないものだった。控えめに言っても、音楽的に私の人生を変えたものだ。

 
1位 - カーティス メイフィールド - カーティス (1970)


  インプレッションズというグループの音楽は、我が家ではヘビーローテーションで流れていた。私は彼らのスタイルが大好きだった。R&Bとゴスペルがミックスされたような音楽だった。リズム セクションが大好きだった。リズム ギターを弾いていたのはカーティスだったと思うが、とてもソウルフルなテクニックを持っていた。しばらくしてインプレッションズは解散し、カーティスはソロになった。私は、カーティスが歌だけでなくギターも弾くようになったことに気づき、彼を追いかけるようになった。彼が発表したアルバム『Curtis』は、私に強く訴えかけてきた。彼のソングライティングとギター プレイは本当に素晴らしかった。アルバム『カーティス』は、時代に合った政治的な含みを持つ異なる方向性の作品だった。


  私は数え切れないほどの時間をかけて、彼の音楽が提供する情報を解剖し、まとめた。私にとって、彼はすべてを持っていた。リズム チョップ、クールなアレンジ、そして彼の音楽的発言は美しく、ファンキーで、政治的に正しい。もちろん、私が今まで見た中で最もクールなもみあげは言うまでもない。私はハード ロックのソロが大好きだが、カーティス メイフィールドを聴くときにソロを聴き逃すことはない。私が好きなカーティス メイフィールドのアルバムは、少なくともあと2枚ある。それは『カーティス/ライヴ!』と『スーパー フライ』だが、それはまた別の機会に。

 

 

 




ブーツィーコリンズ(ベース  ジェームズブラウンバンド  ベース)





         ベースプレイヤーマガジン 2001年

 僕は60年代にはジェームスジェマーソンとポールマッカートニーの演奏を愛していた一人だった。ジェームズ ジェマーソンはすべて正しい演奏をしたんだよ。ポールマッカートニーは主としてシンガーだったが、その枠にとどまらず、ベースプレイヤーとして素晴らしい演奏を聴かせたんだよ。この二人が見せた進取の姿勢は素晴らしいと思った。僕も今までのような只のベースプレイヤーという存在で終わるなんてまっぴらだった。








◎マッカートニーの好きな演奏はありますか?



 どれがいいかな?一曲なんて無理だよ。まずは(Something)だな。マッカートニーは(Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band)までには彼の演奏を完成させていた。あとは余興だった。その後、彼は自身の演奏の素晴らしさを再確認させる作業を繰り返していただけだった。(Something)では彼は演奏し続けるんだよ。きっとその中で気づくはずだ。彼は演奏で楽曲の次の展開を予想させていた。それはベースプレイヤーがやるべき仕事なんだと僕に教えてくれた。



 それから(You Won't See Me)だね。彼はコードに従ったが、彼なりのベース演奏をした。彼のベースのメロディーで彼は独自のグルーブをものにしたんだよ。あとは(Goodnight Tonight)だな 。ただあの演奏が好きなんだよ。ポールはベースプレイヤーが当然すべき仕事以外にたくさんのことを付け加えることが出来たんだ。
 
 
 
 
                            彼のフェイスブック  2018
 
  僕たちの宇宙で最も明るいスターの一人である友人&仲間のベーシストに誕生日おめでとう。サー ジェームズ ポール マッカートニーCH MBE(1942年6月18日生まれ)は、イギリスのシンガーソングライター、マルチインストゥルメンタリスト、作曲家。彼は、広くポップミュージックの歴史の中で最も人気があり、影響力のあるグループと考えられているロックバンド、ビートルズのベーシストと歌手として世界的な名声を得ました。ジョンレノンとの曲作りでは、戦後最も成功を収めました。1970年にビートルズが解散した後、ソロ活動を開始し、最初の妻リンダ、デニーレインとバンド「ウィングス」を結成した。さあ誕生日なのでSIR PAULへの愛を示して! ありがとう!
 
 
  僕はポールマッカートニーの演奏が好きだった。ビートルズのアルバムを聴いた時から、ビートルズのベースプレーヤーの名前を知る前からね。彼は変わった演奏をしていたからね。ずっと好きだったよ。今でもそうだ。結局、僕も演奏しながら歌ったよ。
 
 

 

ブーツィーさんとジェイムズブラウン