ジミ ヘンドリックス エクスペアリエンス | ビートルズやメンバーへのミュージシャンの発言集 The Beatles  影響 評価 

ビートルズやメンバーへのミュージシャンの発言集 The Beatles  影響 評価 

 ビートルズやビートルズのメンバーに対するミュージシャンの発言は今までたくさんありました 。おそらくこれから先もたくさん発言される事でしょう。ここはビートルズが与えた影響を記録していく場所です。

ビリー コックス部分を追記しました。

 

The Jimi Hendrix Experience

ジミ ヘンドリックス





◎ビートルズや彼らがしていることについてどう思う?


  いいと思うよ。彼らはあまりにも多くの内容を伴っていたから、君が放っておけないバンドの一つなのだろう。だってアメリカでは今、モンキーズが流れてるんだよ。アメリカが誰かにビートルズをやらせようとするのは愚かな事だ。かつて、アメリカにはブレイクに対する飢餓があり、それがビートルズを出現させたんだよ。


 サージェントペパーのカヴァーをしたのには2つの理由があった。一つはへヴィーなブルースだったからさ。流行の最先端でありながらトラディッショナルをおさえてた。もう一つの理由はマッカートニーが僕をアメリカのモントレーポップフェスティバルに出演出来る様に口添えしてくれたからなんだ。僕のお礼のやり方なんて限られた方法しかないいのさ。

 

 

 




◎ビートルズをどう思う?


 彼らはファンタスティックでエクセレントなソングライターでミュージシャンだよ。


◎ビートルズの影響を受けた?それともほかの影響があった?


 ミュージシャンは今日ではより音楽的に進歩し始めている。誰にとってもナンセンスなことをするのは簡単じゃない。ビートルズはそういったことをした。僕はビートルズが少し過去に向かっているような気がしていた。例えば彼らの過去のレコードがそうだったように思う。彼らは過去10年の音楽が好きなのだろう。同様に沢山の人々は今も何かを起こす他の誰かを待っている。


◎それは君じゃないのか?僕は君を見るとき動物みたいに見てる。だけどビートルズは動物じゃない。


 ビートルズは設立者だった。それは一つの時期だった。注意しないといけないのは僕は彼らの様にありたいとは思わない。ただ、今の彼らは以前の彼らよりいいと思う。前より人々と近くなったよね。彼らはハピネスイズアウオームガン バンバンシュシューみたいなちょっとした曲をやっている。





ノエルレディング(ベース)



◎ビートルズの事ををどのくらい知っていますか?


 ビートルズに初めて会ったのは1966年のロンドンのバッグオネイルズって呼ばれたパブでのプレスのレセプションだった。僕らがギグをした後の舞台裏のドレスルームで会った。ジョンレノンが入って来て、僕を熱狂させた。彼は(ファッキンな演奏じゃないか。)って言った。彼は僕らの演奏を愛してくれたみたいだった。当時、僕はまだ20歳ぐらいだった。彼は僕らのドレスルームに来て(君らはすごいな。)って言ってくれた。その後、マッカートニーもドレスルームに来てくれて僕はさらに熱狂した。


 1967年の終わりにブライアンエプスタインが所有していたサヴィルシアターで僕らは演奏し、同様な事が起きた。僕らは演奏した後にパーティーに招待されました。僕は自分の車を持っていたので、ミッチミッチェル(ドラム)とヘンドリクスを乗せてアイルランド大使館の近くの会場に行った。僕がドアをノックするとマッカートニーが扉を開けた。僕はもう一度熱狂することになった。


 僕とマッカートニーには共通点があった。僕らは元々ギタリストだった。僕はエクスペアリエンスでベーシストになり、マッカートニーはビートルズでベーシストになった。僕はマッカートニーが好きだった。なぜなら彼は態度が大きくなく、演奏が上手かったから。僕は当時、態度が大きい人間や、演奏が下手な人間を軽蔑していた。おそらくバンドにいる若者ならみんなそうだろうが、その当時、僕は十分若かったんだ。ポールマッカートニーはビートルズの音楽の中にいて、その音楽の流れをよくつかんで、流れのあるプレイをした。彼は彼独自のグルーブを持っていて、それはビートルズのグルーブに価値を与えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ビリー コックス (ベース)

 

 

 

 

               ベースプレーヤー 2020

 

 

◎ウッドストックをどのように記憶していますか?


  音楽とウッドストック フェスティバルを切り離すことはできない。私は、千年に一度のパーティーで演奏できたこと、ジミ  ヘンドリックス エクスペリエンス、バンド オブ ジプシス、そしてジミと共にジプシスサンズ アンド レインボウズでウッドストックに出演した唯一の男であることを、自分では恵まれていると思っている。ウッドストックは事件であり、もう二度とあんなことは起こらないだろう。


◎ライブでのあなたのベースプレイは、何年経っても健在ですか?


  私のベースプレイは35年経っても健在だよ。今でもかなりいい音がするんだ! 今でも同じように聞こえるよ。私が影響を受けたのは、レイ ブラウン、ロン カーター、チャーリー ミンガスなど、あの時代のベースプレーヤーたちだよ。



◎同時代のジャック ブルースの演奏についてはどうですか?


  私はジャックは好きだった。彼は良かったよ。そしてジャック キャサディもね。同じ楽器を演奏している人がいると、なんとなくその人のことを聴いてしまうんだよね。そしてポール マッカートニーも素晴らしいベースプレーヤーで、彼のスタイルに憧れたよ。私は彼のユニークさが好きだった。(楽器を演奏するということ)は会話を続けることだと私は思っているんだけど、彼はそれが上手なんだよ。


◎あなたはジャコ パストリアスをどのように評価しますか?



  ジャコは素晴らしかった。彼を知るようになってから、天才だと思うようになった。彼がベースに対して行った多くのことで、完全に革新者だった。僕もフレットレス ベースを何本か持っているけど、ジャズのライブなどで使うことが多いね。なぜかというと主にアップライトと同じ効果が得られるからだよ。



◎アンプはどうですか?


 大きなライブではAmpeg SVTを、小さなライブでは250ワットを使っている。Band Of GypsysではMarshallsを使っていたんだけど、今は持っていない。実は昔はジミの古いアンプも持っていたんだ。彼とはフェンダー ジャズやフェンダープリシジョンを使っていたよ。スタジオに入って最初の数日はジャズを使い、それから違う音が欲しいからプレシジョンを手に取り、またジャズに戻るという具合にね。


◎ジミとはどのように一緒に作曲したのですか?


   ミュージシャンはエゴが多いから、普通一緒にいるとうまくロックオンできないんだ。でも、僕はジミをサポートするのが仕事だと思っていたし、その役割を楽しんでいたから、問題はなかったよ。ベース パートは、当時はパターンと呼ばれていたリフをベースに書かれていたんだ。24小節のリフをジャムって、それがすべて書き上がるまで各パートを絡めるんだ。それを3、4回繰り返すと、1曲完成する。あとは、それらを組み合わせていくだけだった。

 


◎そもそも、どうやって曲を作ったのでしょうか?

 

 

  単なる才能だと思う。創造主はある人々に天賦の才能を与え、それを一生懸命に掘り下げれば、それを生かすことができる。ジミと私はいつもジャムっていたし、彼は私が何をやったか知っていたから、一緒になったんだ。

 

◎ジミはベースも弾いていたんですよね?

 

 

   ジミは良いベーシストだった。実際、Foxy Lady、Purple Haze、The Wind Cries Maryで演奏しているのは彼だ。ミッチ ミッチェルの本には、ジミがベース パートを置くことで、スタジオから早く出られるようにしたと書いてあるんだ。でも、彼の最も素晴らしいベース プレイは『All Along the Watchtower』でのものだ。


◎ノエル レディングのベースラインを弾くとき、それをコピーしたのか、それとも自分のスタイルに合わせたのか?


  僕はいつも何にでも自分のスタイルを持ち込んでいた。何も変えなかったけど、少しは即興でやったよ。ノエルも良かったけど、僕はもう少しリズムとエッジをバンドに持ち込んだと思う。

 

 

 

◎ジミのようなギタリストとジャムるのは、さぞかし楽しかったことでしょう。


  ああ、そうだね。ジョニー B グッドみたいなクラシックな曲でジャムるのが好きだったんだ。一緒にやった曲は全部好きだった。エゴの塊のようなミュージシャンは、一緒にいてもうまくいかないんだ。私はジミをサポートするためにそこにいるのだとわかっていたし、その役割を楽しんでいたから、問題はなかった。


◎ジミはどんな人でしたか?


  まともで尊敬に値する、親切で寛大な、時には世間知らずな、そんな人間だった。

 

◎一般に言われているように、彼はドラッグと闘っていたのでしょうか?

 

  私の知る限りでは、彼はドラッグに手を出したことはない。いつもハイな状態で座っていて、もっとドラッグを手に入れろって言うような "ドラッギー "じゃなかったよ。私たちは天使じゃなかったけど、何人かが何を言おうと、スタジオに入って『Voodoo Chile』や『In From The Storm』のような曲を作るのに、ドラッギーでいることはできないんだ。あの手の曲は100パーセントの集中力が必要なんだ。私はこの点にもこだわりがあった。スタジオに入るということは、ビジネスに気を配ることだというのが私の姿勢だった。


◎もし生きていたら、ジミは何をやっていただろう?

 

  よく聞かれる質問だ。私は予言者ではない。わからないんだ。彼は多くの分野に進出できたはずだ。音楽は良かったし、時代の何光年も先を行っていたから、おそらくさらに何光年も先を行っている音楽を生み出していただろう。

 

 

 

           ゴールドマイン  2016

 


◎ベースを手にした最も有名な人物についてどう思いますか?つまりポール マッカートニーのベースプレイヤーとしてのスキル、そして文化的アイコンとしての彼についてどう思いますか。

 

 

  ポールマッカートニーの天才ぶりは、若い頃からよく耳にしていたし、家具の一部や家族の一員のように感じていた様な気がする。彼は良い曲を書くし、楽器が上手い。だから、音楽をよく知っている隣のお兄ちゃん、みたいな感じだったのかも知れない。年も近いしね。私たちの若い頃には今の様な教則本なんてなかったから、誰かのレコードを聴いて自分の演奏を考えるしかなかったんだよ。何よりもその理由でビートルズを良く聴いたんだよ。彼の影響力の大きさを考えると、太陽のようなもので、全部を直接見ることはできないよ。とにかく彼がいまだに感情的で知的で、実験的で、健全であるという事、そしてとにかく(彼がまだ生きている)という事が私を夜眠らせてくれるんだよね。
 

 

 

 

 

 

                                ロック セラー マガジン  2016

 

 

 

◎あなたはジミが有名になる前の時代に何年も一緒に演奏したことがありますが、一緒に演奏したときの音楽的な相性を説明してください。


 

 

  私たちは音楽的に兄弟だったんだ。最初から意気投合していたんだ。彼と出会ったのはフォート キャンベルで、まるでパイド パイパー(ハーメルンの笛吹き男)のように彼の演奏に引き込まれた。劇場の帰りに雨が降っていたので、サービス クラブのドアを開けたら、窓が2センチほど開いていたんだ。窓から聞こえてくるギターの音は、ちょっとアマチュアっぽいんだけど、何か感じるものがあったんだ。それで、隣の人に向かって、(なかなかユニークな演奏だね 。)と言ったら、(めちゃくちゃに聞こえるよ )と言われたんだ(笑)。


  つまり、彼は人間の耳で聴いていて、私はそうじゃなかったわけだ。私は店に入って彼に自己紹介をし、「高校の交響楽団でアップライトベースを弾いているが、それほどうまくはないんだ。」と言った。すると彼は、「それならエレクトリックベースがあるから、見てみたら?ところで、僕の名前はジミ ヘンドリックスだ。」と言った。で、「私はビリー コックスだ。」って言ったんだけど、それが最初の出会いだった。それで、エレクトリックベースとアンプをチェックして、ジェラシーを感じ始めたら、ドラマーが来て。。。そこからは歴史になるね。

 


◎お二人が共感したアーティストとは?
 

 

  そうだね。R&Bやその当時の音楽を演奏していた人たちだよ。ブッカーT&ザMG'sやエルビス プレスリーとかね。リトル  リチャードもそうだし、あの時代のすべてのグループがそうだ。


◎カーティス メイフィールドのバンド、インプレッションズはどうですか?
 

 

  そうだね。実はインプレッションズと一緒にツアーをしたことがあるんだよ。彼らは私たちの演奏を聴いて、マネージャーが「カーティスにはベースとギターが必要だ」と言い、私たちを2週間にわたるいわゆるチトリン サーキット ツアーに連れて行ってくれたんだ。

 

 

◎ジミと一緒にチトリン サーキットで演奏することで、彼はギタリストとして、またステージ パフォーマーとして、どのように形成されたのでしょうか?
 

 

  本当に役に立ったよ。彼は当時、世界に向かって練習していたんだ。私は何度もピックを落とし、何度もミスをしたが、彼は自分が何者でどこに向かっているのかを知っていた。運命とは、生まれたときに配られたカードなんだけど、そのカードを使って何をするかも運命なんだよ。


  でも、それと同時にグリット(やり抜く力)も必要で、それは情熱と忍耐の力のことだ。それを、彼は活かしていたんだ。私は彼のグリットを日常的に見ていた。楽器を使いこなすには2万4千時間かかると言われているが、彼はそれを5年近くかけて、昼も夜もなくこなしたんだよ。

 

 

◎初めてお会いしたときは「ややアマチュアっぽい」とおっしゃった演奏が、やがて楽器を弾くマジックのような存在になるのを目の当たりにされたのですね。
 

 

  そうだね。彼は生まれながらにしてギターを弾く運命にあったからね。

 


◎ジミのキャリアのアークという点では、このフィルモア イーストでの69年12月31日のライブは、彼が創造していた音楽と、彼が後に創造しようとしていた音楽の中で、どのような位置づけにあるのでしょうか?

 

  バンド オブ ジプシスは、他のバンドが追随し進化していくための青写真を描いたんだ。私たちのバンドは、ジャズ、ブルース、クラシック、R&Bを融合させたものでした。政治が邪魔をしたのは残念ですが、バンド オブ ジプシスとは、エゴや干渉を排して成長、進化するグループだったんだ。ただ、ミュージシャンとしてハーモニーを奏で、互いを愛し、音楽を愛し、音楽を表現することに意欲を燃やしていた。

 


◎1969年12月31日のフィルモア イースト公演についてお聞かせください。

 


   大晦日に2公演、元旦に2公演だった。私たちは観客から何を期待されているかわからなかったし、観客も私たちから何を期待されるかわからなかった。でも、私たちが最初の音を出したときから、観客は畏敬の念を抱いたんだ。すでにリリースされている曲はできないと決めていたんだ。何か違うものを提供したかった。だから、楽しくてクリエイティブな姿勢でプロジェクトに臨み、最終的にバンド オブ ジプシスのレパートリーを発展させたんだ。


◎ジミはライブの様子をどう感じていましたか?
 

 

    ライブが終わった後、ジミはとても安堵していたよ。私たちは、コンサートがうまくいったと思った。付け加えると、これまでのエクスペリエンスでのライブでは、ファズ フェイスとワウ ワウ ペダルを使い、ウッドストックではファズ フェイス、ワウ ワウ ペダル、ユニヴァイヴを使っていたが、フィルモア東地区ではファズ フェイス、ワウ ワウ ペダル、ユニヴァイヴ、オクタヴィアで、信じられないくらい素晴らしい演奏だった。実際、(Machine Gun )ではそのすべての音を聴くことができた。信じられないほどだった。観客の中には口を開けている人もいたよ。

 

 

◎「Machine Gun」はジミの後期の名曲のひとつで、新しいアルバム「Fillmore East '69」での演奏は見事ですが、その重要な曲について教えてください。

 


  時間をとって説明させてくれ。私はマイルス デイビスの個人的な考えにはあまり賛成できないかもしれないが、彼の音楽的知識についてはすべて賛成だ。なぜなら、私は彼を尊敬し、彼の音楽的卓越性に感服しているからだ。バンド オブ ジプシスと本作のタイトル曲であるジミ ヘンドリックスの「マシンガン」について、マイルス デイヴィスが語った言葉を紹介しよう。



  マイルスは、「あのGDMFの「Machine Gun」だ 。」と言った。それは、ジミヘンの音楽から何を聴いたか、という質問を受けたときに言った言葉だ。それからマイルスの自伝にも書いてあるんだけど、「私にとっての彼のベストサウンドは、ドラムにバディ マイルズ、ベースにビリー コックスを迎えたときだ。」と言ったんだ。だから、私達はグループとして、個人として融合し、さっきも言ったように成長するためのグループだったんだ。

 

 

 「Machine Gun 」は、私たちがジミと行った仕事のハイライトの1つだ。あの特別な曲には、他の音楽もたくさん含まれていたと思う。素晴らしい曲だった。多くのグループがやったことのないものを作ることに向かっていたんだ。"Machine Gun "はこのアルバムの中で一番よく聴く曲だ。バックで僕とバディのハーモニーが聴けるし、時には僕らが一つの声のように聞こえるほどタイトだった。ジミは絶頂期でとてもいい演奏をしていて、それが僕らにインスピレーションを与えてくれたんだ。だから、私にとって「Machine Gun」はこのアルバムの記念碑的な曲なんだ。

 

 

 

 

 

 

 



 

 

 

ジミヘンドリックスから送られたポールマッカートニーへの電報


 僕らは今週末、ニューヨークで一緒にLPをレコーディングする。ベースをプレイしに来ないか? 212-5812212 アラン ダグラスまで電話してくれ。ピース。   ジミ ヘンドリックス マイルス デイヴィス トニー ウィリアムス
 
 
 

          サムシングエルス 2013


〇ジミヘンドリックスからのマイルスデイヴィス トニーウィリアムスとの共演の依頼についてのポールマッカートニーのコメント



 セッションがもし出来たのならクールだったよね。でも僕はつい先日まで知らなかったんだ。その日に誰かが僕にその電報を見せてくれたんだよ。それは本物だった!ジミヘンドリックスは僕に個人的に接触できなかった。彼は僕の電話番号を知らなかったし、僕も彼の電話番号を知らなかったから。だから彼はあるオフィスの人間に連絡したんだ。そしてその人間は(すみません。彼はいません。)って言ったんだよ。





ポールマッカートニーのインタビュー


 ママス&パパスのジョンに「モントレーに、ビートルズも参加しないか?」と誘われたんだ。そのとき僕たちは『サージェントペパーズ ロンリー ハーツ クラヴ バンド』から『マジカル ミステリー ツアー』プロジェクトでずっとスタジオに缶詰だった時期だったから、出演できなかった。「でも、凄いヤツがいる」とジミを紹介したら、最初は「ジミって誰?」と戸惑っていたんだけど、「そいつは凄いの?」と聞くから「勿論さ」と答えたよ。そしたらジミの出演が決まったんだ。






ポールマッカートニーのインタビュー  ローリングストーン 1986年 


◎ごく取るに足らないことなのですが、新しいバイオグラフィによると、世界的に有名なこの左利きのベーシストは、実は右利きだったと書いてあります。本当なんですか?


  いや、僕は正真正銘の左利きだ。最初にギターを手にした時、何が変なのか理解できなかった。本当に理解出来なかった。全然リズムにのれなかったし、すごく白っぼく感じた。突然、以前よりずっと白人ぼくなってしまった。僕の手にはリズム感がまったくなかった。そしたらスリムホイットマンがギターを逆に持った写真が目にとまった。彼は僕が見た初めての左利きだった。それで思ったんだ、(なんてこった。これだよ。ギターを上下逆にすりやいいんだ) って。そしたらリズムを刻む僕の手は、また黒っぼくなったんだ。



◎ジミヘンドリックス(左利き)がロンドンのシーンに現われた時も、同じような安堵感を覚えましたか?

  
 そう、ジミは最高だった。彼とは知り合いだったし、大好きだった。最初に彼を見たのは確かバックオネイルズというクラブで、完璧にブッ飛ばされた。あんなにアンプの音量を上げた人物は見たことがなかった。ジミは100ワットのマーシャルをめいっぱい鳴らして、ギターを叩きつけて、こうビュイーン!とやるわけだ!お見事!!ピートタウンゼンドとエリッククラプトンも客席にいて、僕を含めてみんなジミを見に来てたんだけど、全員、あごが外れそうになったさ。彼は達人だった。ギターの使い方を誰よりも心得てた。それにジミはすごくスウィートで、物静かに話す、すごく熱意のある男だった。


 彼が僕にくれた最高の賛辞は、ビートルズが(Sgt Pepper)をやった時だった。そのアルバムが金曙日にリリースされて、日曜日にジミがブライアンエプスタインが経営してたサヴィルシアターでやった時、(Sgt Pepper)をオープニングで演奏してくれたんだ。ブィーンブィーンパパン!って。いやぁ、最高だったね。なんたってリリースされて2日しかたってなかったんだよ!そう、だからジミの思い出は、すごくいいものばかりだ。そりゃヴァンヘイレンのギターも素晴らしいよ。僕はエディ ヴァンヘイレンは好きだよ。でもやっぱり僕はジミのギターが最高だと思う。

 

 




ポール マッカートニーのジミヘンドリックスカヴァーとコメント

 

 

 

リンダ マッカートニーが撮影したジミ ヘンドリックスの写真