月刊『みすず』10月号・連載第12回の「「変身」において 翻訳の解釈が分かれている箇所」 | 「絶望名人カフカ」頭木ブログ

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文学紹介者です(文学を論じるのではなく、ただご紹介していきたいと思っています)。
本、映画、音楽、落語、昔話などについて書いていきます。

 

 

『変身』の翻訳で解釈が分かれる箇所について、

連載の校正をしてくださっている

岡上容士(おかのうえ・ひろし)さんが、

文章を書いてくださっています。

 

今回は第12回の分です。

 

 

「変身」において

翻訳の解釈が分かれている箇所

(連載の第12回で取り扱われている範囲で)

 

岡上容士(おかのうえ・ひろし)

 

「変身」において翻訳の解釈が分かれている箇所(連載の第12回で取り扱われている範囲で)

※詳しく見ていくと、このほかにもまだあるかもしれませんが、私が気がついたものにとどめています。

 

※多くの箇所で私なりの考えを記していますが、異論もあるかもしれませんし、それ以前に私の考えの誤りもあるかもしれません。ご意見がおありでしたら、頭木さんを通じてご連絡いただけましたら幸いです。

 

※最初にドイツ語の原文をあげ、次に邦訳(青空文庫の原田義人〔よしと〕訳)をあげ、そのあとに説明を入れています。なお邦訳に関しては、必要と思われる場合には、原田訳以外の訳もあげています。今回は項目が多かったこともあり、長くなることを避けるため、原田訳以外の訳は、あとの説明の中で、該当する部分だけをあげていることが多くなっています。

 

※ほかにも、文の一部分や、個々の単語に対して、邦訳の訳語をあげている場合があります。この場合には、『変身』の邦訳はたくさんありますので、同じ意味の事柄が訳によって違った形で表現されていることが少なくありません(たとえば「ふとん」「布団」「蒲団」)。ですが、説明を簡潔にするため、このような場合には全部の訳語をあげず、1つ(たとえば「ふとん」)か2つくらいで代表させるようにしています。

 

※邦訳に出ている語の中で読みにくいと思われるものには、ルビを入れています。

 

※高橋義孝訳と中井正文訳は何度か改訂されていますが、一番新しい訳のみを示しています。

 

※英訳に関しては、今回は、特に示す必要はないと思われた若干の箇所では省略してあります。

 

※ドイツ語の文法での専門用語が少し出てきますが、これらを1つ1つ説明していますと長くなりますし、ここのテーマからも外れてきます。ですから、これらに関してはご存知であることを前提とします。ご存知でない方でご興味がおありの方は、お手数ですが、ドイツ語の参考書などをご参照下さい。

 

○Drüben hatte die Mutter trotz des kühlen Wetters ein Fenster aufgerissen, und hinausgelehnt drückte sie ihr Gesicht weit außerhalb des Fensters in ihre Hände. Zwischen Gasse und Treppenhaus entstand eine starke Zugluft, die Fenstervorhänge flogen auf, die Zeitungen auf dem Tische rauschten, einzelne Blätter wehten über den Boden hin.

むこうでは母親が、寒い天候にもかかわらず窓を一つ開け放ち、身体をのり出して顔を窓からずっと外に出したまま、両手のなかに埋めている。通りと階段部とのあいだには強く吹き抜ける風が立って、窓のカーテンは吹きまくられ、テーブルの上の新聞はがさがさいうし、何枚かの新聞はばらばらになって床の上へ飛ばされた。

 

①はじめの文の後半でweitという副詞が使われています。邦訳・英訳ともに、訳出していないものもありますが、大体は訳出しています。邦訳では、「ずっと外に」としている訳もありますが、「ずっと」が時間的な意味にもとれますので、これはちょっと今一つかなと思われます。あとは、「身を」の前に「ぐっと(これが一番多いです)」「ぐいと」「ぐいっと」「大きく」「思い切り」「できるだけ」を入れたり、「上半身を外に出して」としたりしています。英訳では、文字通りfarとしているものが多いですが、as far as possibleと強調しているものも2つあります。そのほかには、いずれも意味を強める副詞としての、rightとしているものが1つ、way としているものが1つ、a long wayとしているものが2つあります。a long wayのこのような副詞的な使い方は、私は知りませんでしたが、辞書によりますとby a long wayのbyが省略されたもののようです。

②Zwischen Gasse und Treppenhaus entstand eine starke Zugluft,ですが、

これはもともと、原文自体もわかりにくいですね。実は私は、最初ここを読んだとき、こうなる前に支配人が逃げ出していますから、そのさいに開けた下の入口から、階段に風が吹き込んできたのかなと思ってしまいました。実際に英訳の中には、こう解したとしか思えない訳もあります。ですが、それでしたらもっと別の書き方をするでしょうし、だいぶ上の階なのにこれほど強い風が吹き込んでくるのも不自然ですね。

ついでながら、この家がだいぶ上の階にあることは、連載の第10回に関する拙稿で検討しました。「○Die Tür zum Vorzimmer war geöffnet, ...」で始まる箇所にあります。

月刊『みすず』6月号が刊行されました!「咬んだり刺したりするカフカの『変身』」10回目!

 

それで、邦訳のうちで、この点をある程度わかりやすく訳している訳は、次のとおりです。

通りから家にかけて強い風が吹きぬけ、...(片岡啓治訳)

通りから階段にかけて風が吹き抜け、...(池内紀〔おさむ〕訳)

窓の外の路地から吹きこんだ強い一陣の風が、家の中を吹き抜けの階段室にむけて抜け、...(山下肇〔はじめ〕・萬里〔ばんり〕訳)…この訳は非常に丁寧に説明していますね。

英訳では、いくつかの訳がbetween ... and ... とせずに、from ... to(またはtowards) ... としているほか、

A great rush of air swept the space between the room and the stairway; ... (A. L. Lloyd訳)

A strong wind blew through a space between the window and the staircase, ... (Mary Fox訳) 

なお、Treppenhausの訳語に関しては、前回(第11回)の連載に関する拙稿で検討しました。「○Gregor nahm einen Anlauf, ...」で始まる箇所にあります。

月刊『みすず』8月号・連載第11回の「「変身」において 翻訳の解釈が分かれている箇所」

③einzelne Blätter wehten über den Boden hin. は案外難しく、「床に落ちた」という感じにしている訳と、「床の上を飛んでいた(あるいは、漂っていた)」という感じにしている訳とがあります。邦訳では前者が多いのですが、英訳では後者が非常に多くなっています。文法的に分析しますと、次の3つの解釈が成り立つと思います。

(1)(hinを分離動詞hinwehenの前綴りと解して)「床の上を風に吹かれて飛んで行った」

この場合のüberは「...の上を通って」という意味と解されますね。辞書によっては、動くさいには必ず下の面と接触していなくてはいけないように書かれているものもありますが、それは誤りと言ってよく、接触はしていなくても構いません。逐語訳しますと、「床の上を通って吹き飛んで去って行った」のようになります。

... 、ばらばらになった新聞紙が何枚か床の上を吹き飛んだ。(高本研一訳)

そのうち何枚かはばらばらに吹きとばされ、床の上をとんで行った。(高安国世訳)

... 、そのなかの何枚かが床の上をとんでいった。(立川〔たつかわ〕洋三訳)

英訳は上記のように、ほとんどがこの解釈を採っており、述語の部分だけ抜粋しますと、おおむね次のようなパターンになります。blew across the floor、drifted across the floor、flew across the room、flew over the carpet、fluttered across(またはover) the floor、go floating across the floor、sailed across(またはover) the floor、scudded across the floor、wafted across(またはover) the floor、whisked over the floor

(2)(hinを分離動詞hinwehenの前綴りと解して)「風に吹き飛ばされて[去って行って]から床に落ちた」

ですが、この意味でしたらüberよりもaufを使うのが自然ではないかと、私は思います。

(3)(hinを前置詞überの補足語と解して)「風に吹き飛ばされてから床全体に広がって落ちた

über ... hinで、「...一面に」「...じゅうに」といった意味になります。原田義人〔よしと〕訳や以下の訳はこれに近い解釈をしています。

ばらばらになって紙面が何枚か床のうえに吹きやられた。(三原弟平〔おとひら〕訳)

... 、バラバラになって床に飛びちった。(池内訳)

... 、何枚かがバラバラになって床に飛ばされた。(丘沢静也〔しずや〕訳)

... 、ばらばらに床に飛ばされた。(田中一郎訳)

... 、何枚かがバラバラに吹き飛ばされて床に散った。(川島隆訳)

... , and individual sheets fluttered down over the floor. (Ian Johnston訳)

... as individual pages drifted down to the floor. (M. A. Roberts訳)

... , individual sheets fluttering down over the floor (C. Wade Nany訳)

文法的には(1)に解釈するのが一番自然かなと思われますが、前に出ているeinzelneと関連させて(3)のように解しても構わないようにも思われますので、どちらが正しいのかは私には断定できません。

 

○Unerbittlich drängte der Vater und stieß Zischlaute aus, wie ein Wilder. Nun hatte aber Gregor noch gar keine Übung im Rückwärtsgehen, es ging wirklich sehr langsam.

父親は容赦なく追い立て、野蛮人のようにしっしっというのだった。ところで、グレゴールはまだあとしざりの練習は全然していなかったし、また実際、ひどくのろのろとしか進めなかった。

 

①wie ein Wilder は、「野蛮人のように」という感じで訳している邦訳が多いですが、中には「狂人のように」という感じで訳している訳もあります。どちらの訳語も、今の時代にはちょっとという感じですね。wildには「気が狂った」という意味も確かにありますが、そこまでは至っていないように思われます。ですので、たとえば「荒々しく」などとしてもよいかもしれません。英訳ではほとんどが、like a wild manかlike a savageとしています。

②Nun hatte aber Gregor noch gar keine Übung im Rückwärtsgehen, es ging wirklich sehr langsam.

Nun ... aberの訳も案外難しいですね。邦訳では、aberは訳さずに冒頭のNunを「ところで」と訳したり、逆にNunは訳さずにaberを「けれども」「しかし」「だが」「ところが」と訳したりしています。浅井健二郎訳だけは両方を訳出して「さてしかし」としています。

英訳も邦訳と状況は似ており、aberは訳さずに冒頭のNunをNowと訳したり、逆にNunは訳さずにaberをButやhowever(文頭には置かずに、「Gregor」のあとに、前後にコンマを入れて挿入)と訳したりしています。

あくまでも私の考えなのですが、ここは話題を変えているわけではないと思いますので、「ところで」という意味にはちょっとならないのではないでしょうか。aberは文字通り「しかし」、Nunは(過去の話ですので「今は」というよりは)「そのときには」と、逐語的に考えてもよいのではないかと思います。

ただ、日本の辞書にはほとんど出ていないのですが、nunとaberが併用されますと、aberのニュアンスも残しつつも、eigentlichに近い意味(「実のところは」「そもそも」「もともと」など)になることがあります。

ところでグレーゴルは後ろむきに歩く練習などやったことがない。(丘沢訳)

Nunを「ところで」と訳していることは別として、また、丘沢先生がこの意味を意識なさったのかどうかはわかりませんが、この訳にはこうしたニュアンスが含まれているように思います。

 

それで、せっかくの機会ですので、ここで今お話ししたような意味合いが特に強く出ている文例を1つだけあげておきます。本来でしたら、この前の文章も原文で示しておいた方がよいでしょうが、長くなりますので、要点だけを記します。

この文章の筆者の知人の一人に、ロシア人の元Fürst――この語は身分を表わしていますが多数の訳語があり、ここではどれが最上なのかは私にもわかりませんので、仮に「侯爵」としておきます。彼らは決められた土地の「領主」でもありましたが――がいて、以前には外交官の仕事もしていました。彼はロシア語のみならず、英語、フランス語、ドイツ語も、自在に話すことができました。あるとき筆者は彼に、「あなたの母国語は何語なのですか。思考したり、夢の中で話したり、痛くて叫んだりするときには、母国語をお使いになると思いますが。それから、計算をするときには、何語でなさるのですか」と尋ねました。それに対して彼は、「小さいときから英語とフランス語とドイツ語を家庭教師たちに厳しく教えられ、いわば母国語を奪われました。政治のことはフランス語で、自分が特に関心がある世界観や宗教のことはドイツ語で、雑用やスポーツや旅行など、自分にはあまり重要ではないことは英語で考えますし、計算をするときにはその時々の状況に応じて、英語でもフランス語でもドイツ語でもします」と答えました。そしてこのあとに、次の文章が続きます。

注:筆者は自分の経験上、相手の母国語を知る一番良い方法は、相手に計算をさせてみることだと考えていました。

Da er nun aber ein Fürst aus Petersburg war, begehrte ich zu erfahren, wann er denn russisch denke. Er erwiderte spöttisch: »Ich habe keine Diener und Bauern mehr!« (Heinrich Zillich: Ärmer als ein Hirt)

だが彼はもともとはペテルブルク出身の侯爵(領主)であったのだから、私は彼がどんなときにロシア語で思考するのかを知りたくてたまらず、彼に尋ねた。すると彼は自嘲気味にこう答えた。「私にはもう、使用人も農民もいないのですからねえ!」(岡上試訳)

 

次に、hatte ... gar keine Übung im ... のÜbungの解釈ですが、邦訳はほぼ全部が「練習」と解しています。唯一、高安訳だけが、「ところがグレーゴルの方はまだあとずさりはまったく慣れていず」としています。英訳ではhad no practiceなどのようにpracticeを用いているものが非常に多いのですが、practiceには「練習」だけでなくさまざまな意味がありますから、訳者たちがどの意味で使ったのかは、私にもわかりません。ですが、practice以外の語を用いた訳もあり、そのうちの3つは高安訳と同じ意味に訳しています。

... , and Gregor, who was not used to walking backward, [progressed but slowly.] (Lloyd訳)

But Gregor was not accustomed to walking backwards. (Eugene Jolas訳)

Unused to moving backwards, Gregor beat a slow retreat. (Will Aaltonen訳)

それから、次のように訳している訳もあります。

But Gregor had as of then absolutely no experience backing up; ...(あとずさりをした経験がなかった;as of then はわかりにくいですが、thenとほぼ同じ意味〔その時には〕に解してよいと思います)(Charles Daudert訳)

But Gregor was not yet comfortable walking backwards and ...(あとずさりが楽にはできなかった)(C. Wade Naney訳)

But Gregor had no idea how to go backwards, ...(あとずさりのやり方がわからなかった)(Christopher Moncrieff訳)

Gregor, who did not yet mastered walking backwards, [was moving very slowly.](あとずさりをマスターしていなかった)(Fox訳)

このÜbungを「練習」と解しても、誤りとは勿論言えません。ですが、一部の辞書には、「練習をする」はÜbung machenと言うと記されていますし、Übung habenでは「練習する」という意味にはならないとは断言できないのですが、これも一部の辞書には、Übung habenは「習熟している」という意味と記されています。言葉の実際の使われ方は、辞書とは違っている場合も多々ありますから、これらを絶対的な根拠とすることはできないのですが、私としましては、このÜbungは「技術」とか「スキル」とかいった意味であり、ここは「後ずさりのスキルは持っていなかった」→「後ずさりがうまくできるまでには、まだなっていなかった」という感じの意味に解してはどうかなと思っています。

③es ging wirklich sehr langsam.は、er(=Gregor) ging wirklich sehr langsam.としても勿論よいのですが、こうして主語を消すような感じにして、動作を強調しています。ですから、原田訳のように主語を出さずに訳すのがよいと思います。

なお、同じような例を、連載の第7回に関する拙稿でも検討しました。「○Zuerst wollte er mit dem unteren Teil seines Körpers aus dem Bett hinauskommen,  ...」で始まる箇所にあります。

「咬んだり刺したりするカフカの『変身』」7回目!月刊『みすず』10月号が刊行されました

 

○Wenn sich Gregor nur hätte umdrehen dürfen, er wäre gleich in seinem Zimmer gewesen, aber er fürchtete sich, den Vater durch die zeitraubende Umdrehung ungeduldig zu machen, und jeden Augenblick drohte ihm doch von dem Stock in des Vaters Hand der tödliche Schlag auf den Rücken oder auf den Kopf. Endlich aber blieb Gregor doch nichts anderes übrig, denn er merkte mit Entsetzen, daß er im Rückwärtsgehen nicht einmal die Richtung einzuhalten verstand; ...

グレゴールが向きを変えることさえできたら、すぐにも自分の部屋へいけたことだろうが、手間のかかる方向転換をやって父親をいらいらさせることを恐れたのだった。それに、いつ父親の手ににぎられたステッキで背中か頭かに致命的な一撃をくらうかわからなかった。だが、結局のところ、向きを変えることのほかに残された手だてはなかった。というのは、びっくりしたことに、あとしざりしていくのではけっして方向をきちんと保つことができないとわかったのだった。

 

①Wenn sich Gregor nur hätte umdrehen dürfen, er wäre gleich in seinem Zimmer gewesen,を体験話法と解して、現在形に訳している邦訳が、わずかですがあります。しかし私は、ここは体験話法ではないと思います。確かに深刻な状況ではありますが、彼の切羽詰まった気持ちの表現と言うよりも、どちらかと言いますと作者による状況の説明という感じがしますから。体験話法と解しては絶対に間違いというわけでは、勿論ありませんが。

②最後にeinzuhalten verstandという表現が出ていますが、zu ... verstehen(verstandの不定形〔原形〕)はkönnenとほぼ同義と考えて構いませんし、そのように訳している訳が多いです。ただ、邦訳では「できない」のほかに「おぼつかない」「ままならない」としている訳もあります。英訳ではcould+否定を表わす語やwas unable toやwas incapable of などを使って訳していますが、中には「...するやり方がわからなかった」という感じで訳している訳もあります。

 

○Er war schon fast ganz umgedreht, als er sich, immer auf dieses Zischen horchend, sogar irrte und sich wieder ein Stück zurückdrehte. Als er aber endlich glücklich mit dem Kopf vor der Türöffnung war, zeigte es sich, daß sein Körper zu breit war, um ohne weiteres durchzukommen.

もうほとんど向きを変え終ったというのに、いつでもこのしっしっという声に気を取られて、おろおろしてしまい、またもや少しばかりもとの方向へもどってしまうのだ。だが、とうとううまい工合(ぐあい)に頭がドアの口まで達したが、ところが彼の身体の幅が広すぎて、すぐには通り抜けられないということがわかった。(原田訳)

ほとんど方向転換が終わっていたのに、ずっとシュッシュッが耳について勘違いをし、ちょっと逆戻りをすることさえあった。しかしようやく無事に頭をドアの開口部にむけたとき、そのままドアを通り抜けるには、胴体が大きすぎることがわかった。(丘沢訳)

 

①原田訳も含めて、wiederを「また」などと訳している訳もありますが、このwiederは「また」「再び」というよりも、「前の状態に戻って」というニュアンスで使われているのではないかと思われます。ドイツ語ではこのようなwiederはよく使われるのですが、あえて訳出しなくてもよいのではないかと、私は思っています。

②Als er aber endlich glücklich mit dem Kopf vor der Türöffnung war,は、私はこれまで、次のように解釈していました。すなわち、

(1)前置詞のmitは「...に関して」という意味で使われており、直訳すると「しかし彼はついに、うまいぐあいに頭に関してはドア口にいたとき」というふうになるのではないかと。ですが、文法的にはこの解釈で問題はないものの、直訳では日本語としてはあまりにも不自然ですから、訳文を作るさいにはそれなりに工夫しなくてはいけませんね。

ところが、これを書くに当たっていろいろ調べてみたところ、次のような解釈も成り立ちうることがわかりました。

(2)mitには、「...の状態で」という意味になって付帯状況を表わす用法があります(たとえば、mit einem Buch in der Hand〔本を手に持った状態で。普通は簡単に、「本を手に持って」などと訳しますが〕)。ここでのmitをこのように解して直訳しますと、「しかし彼がついに、頭をドア口の前にもってきた状態でうれしかったとき」のようになります。この場合、glücklichは「しあわせな」という感じの一般的な意味になります。こちらの方も直訳では日本語として不自然ですから、訳文を作るさいにはそれなりに工夫が必要になりますが。

なお、付帯状況を表わすmitが使われた句は、「...の状態で」と副詞句になり、述語にはなりませんから、「うまいぐあいに頭をドア口の前にもってきた状態であったとき」というふうには解釈できないと思います。

邦訳ではほとんどが(1)のように訳していますが、英訳では(2)のように訳しているものもかなりあります。私はやはり(1)に解した方が自然ではないかなと思いますが、こちらが絶対に正しいとは断定できません。それに、glücklichの解釈は異なっているものの、どちらの解釈でも「頭がドア口の所にきた」という基本的な意味は変わりませんから、読者の好みでよいのではないかと思います。

なお、邦訳の中には「運よく」「幸運にも」「幸いなことに」「めでたく」と訳しているものもあり、これらはちょっと微妙なのですが、(1)に近いと考えてもよいのではないかと思います。

実際のところ、ここに関しては、邦訳でも英訳でも多くのヴァリエーションがあります。これは別に付録として、一覧にしておきます。

 

○Vielmehr trieb er, als gäbe es kein Hindernis, Gregor jetzt unter besonderem Lärm vorwärts; es klang schon hinter Gregor gar nicht mehr wie die Stimme bloß eines einzigen Vaters; nun gab es wirklich keinen Spaß mehr, und Gregor drängte sich –geschehe was wolle – in die Tür.

おそらく、まるで障害などはないかのように、今は格別にさわぎ立ててグレゴールを追い立てているのだ。グレゴールのうしろで聞こえているのは、もうこの世でただ一人の父親の声のようには響かなかった。そして、ほんとうのところ、もう冗談ごとではなかった。そこでグレゴールは、どうとでもなれという気持になって、ドアに身体を押しこんだ。

 

①unter besonderem Lärm を「特別大きな音を立てて」という感じで訳している邦訳もありますが、父親の言葉も含めて言っていますから、ちょっとどうかと私は思います。原田訳のように訳した方がよいでしょう。ちなみにLärmという語は、必ずしも騒音だけを意味するとは限らず、「騒ぎ」という意味でも使われます。

②es klang schon hinter Gregor gar nicht mehr wie die Stimme bloß eines einzigen Vaters;を原田訳のように訳している邦訳はかなりあります。誤訳とまでは言えないかもしれませんが、ここは「父親が何人もいて声を出しているかのように、すごく大きく聞こえた」ということを言っているのではないかと、私は思います。実の父親と義理の父親がいたといったような話がこれまでに出てきたわけではありませんので、「この世でただ一人の父親」とわざわざ言う必然性が、あまり認められないからです。また、bloßという語がなければ、原田訳のような解釈になるかもしれませんが、ここではこのbloßが前のnichr mehrと結びついて、「もはや...だけではない」という意味になっているのではないかと思います。邦訳でこのように解していると思われるものは、次のとおりです。

その音はグレーゴルの背後で 、もはや単に父親ひとりの声とはとても信じられないほどになった。(高安訳)

後ろで響くその音は、すでに父一人だけのもののようではなかった。(三原訳)

グレーゴルの背後のその騒音は、もはや、父一人の声とはとてもきこえなかった。(川村二郎訳)

グレーゴルの背後で響いているのは、たったひとりの父親の声だけとは思えなかった。(丘沢訳)

グレーゴルの背後で、そのわめき方はすでに尋常ではなく、父親がただひとりで発しているだけの声のようにはもはや響かなかった。(浅井健二郎訳)

すでにグレーゴルの背後では、父親がたった一人で発している声とはとうてい思えないような音が鳴り響いていた。(野村廣之訳)

英訳は直訳的に訳しているものが多く、このような意味をはっきり打ち出している訳は少ないですが、ないわけではありません。

... ; it sounded to Gregor as if there was now more than one father behind him; ... (David Wyllie訳)

… , sounding now behind Gregor like the voices of multiple fathers. (C. Wade Naey訳)

... ; it appeared as if the sounds behind Gregor were produced not only by his father. (Fox訳)…この訳は、父親が複数いたようなという意味にではなく、父親のほかにも人がいたという意味に訳していますが、「ただ一人の父親の」という意味には解していないということで、ここに入れておきました。

③nun gab es wirklich keinen Spaß mehr,は、体験話法とも、そうでないとも解せますが、これに関しては、あとの「ドイツ語の体験話法に関しての補足」で取り上げます。

④geschehe was wolleは、gecheheもwolleも接続法第Ⅰ式になっており、「何が起ころうとも」という認容の意味を表わしています。wasの前には、コンマを入れても構いません。接続法第Ⅰ式はもともと、認容の意味を表わすことがありますから、この点では特別な用法ではありませんが、ここでのwollen(wolleの不定形〔原形〕)は、このような構文――このほかにたとえば、Er sei, wer er wolle, ...(彼が誰であれ)など――で慣用的に認容の意味で用いられるとしか言いようがなく、逐語訳的に厳密な説明をすることは困難です。この機会に辞書や文法書をいろいろ見てみましたが、そのような説明は見つけられませんでした。おわかりの方がおられましたら、ご教示いただけましたら幸いです。

それでこの部分の訳は、邦訳では実に多種多様です。訳者名はあげずに列挙にとどめますが、「運を天に任せて」「えい、何がおころうとままよ、とばかりに」「えい、なるようになれ」「えい、ままよ、とばかり」「がむしゃらに」「どうとでもなれと[いう気持になって]」「どうにでもなれ、と」「どうにでもなれと思って」「何が起ころうが構わないと」「なるようになれとばかり[に]」「なるようになれと目をつむり」「ままよとばかり」「もうどうなってもかまうものかと」「もうどうにでもなれ、とグレーゴルは思い」「やぶれかぶれ[の気持ち]で」となっています。「運を天に任せて」「やぶれかぶれ[の気持ち]で」のように、普通の文の一部のように訳している訳もありますが、多くの訳では体験話法的に、グレーゴルの心の中の思いであるかのように訳しています。この点は読者の好みでよいのではないかと私は思います。

英語でもきっといろいろに訳されていると思って見てみましたが、意外なことに、ほとんどがcome what mayかcome what mightと訳しており、これ以外の訳はわずかでした。それらの訳もご参考までにあげておきます(不適切と思われるものは除外)。

come hell or high water(Moncrieff訳)、regardless of the consequences(Daudert訳)、Throwing caution to the winds(Aaltonen訳)、with all his might(Philipp Strazny訳)、with no thought(Nina Wegner訳)、without regard for what might happen(Wyllie訳)

 

○まず、これは連載の第10回で取り扱われた箇所なのですが、今回のここでの考察と密接な関係がありますので、もう一度取り上げます。

Da er die Türe auf diese Weise öffnen mußte, war sie eigentlich schon recht weit geöffnet, und er selbst noch nicht zu sehen. Er mußte sich erst langsam um den einen Türflügel herumdrehen, und zwar sehr vorsichtig, wenn er nicht gerade vor dem Eintritt ins Zimmer plump auf den Rücken fallen wollte.

彼はこんなふうにしてドアを開けなければならなかったので、ほんとうはドアがもうかなり開いたのに、彼自身の姿はまだ外からは見えなかった。まずゆっくりとドア板のまわりを伝わって廻(まわ)っていかなければならなかった。しかも、部屋へ入る前にどさりと仰向(あおむ)けに落ちまいと思うならば、用心してやらなければならなかった。

 

当時のこのようなドアは両開きで、そのうちの一枚は通常、留め金で固定されていたようです(三原弟平『カフカ「変身」注釈』p.89)が、このときのグレーゴルはどちらのドアの後ろにいて、そこから隣の部屋に入るべく、回り込んだのかということを、第10回では考察しました。これを未読でご関心がおありの方は、こちらでご覧下さい。

月刊『みすず』6月号が刊行されました!「咬んだり刺したりするカフカの『変身』」10回目!

 

それで、このときは私も気がつきませんでしたが、このドアは外開きなのか内開きなのかということも、考えてみると気になりますね。このことを考えるうえでは、第1部の一番最後の文も参考になります。この文の前の状況も示しておいた方がわかりやすいと思われますので、少し前の方から、原文と原田訳をあげておきます。

ただし、ここで結論を先に言っておきますと、このドアが外開きなのか内開きなのかということは、明確に断定することはできません。

 

Die eine Seite seines Körpers hob sich, er lag schief in der Türöffnung, seine eine Flanke war ganz wundgerieben, an der weißen Tür blieben häßliche Flecken, bald steckte er fest und hätte sich allein nicht mehr rühren können, die Beinchen auf der einen Seite hingen zitternd oben in der Luft, die auf der anderen waren schmerzhaft zu Boden gedrückt – da gab ihm der Vater von hinten einen jetzt wahrhaftig erlösenden starken Stoß, und er flog, heftig blutend, weit in sein Zimmer hinein. Die Tür wurde noch mit dem Stock zugeschlagen, dann war es endlich still.

身体の片側がもち上がり、彼はドア口に斜めに取りついてしまった。一方のわき腹がすっかりすりむけ、白色のドアにいやらしいしみがのこった。やがて彼はすっかりはさまってしまい、ひとりではもう動くこともできなかった。身体の一方の側の脚(あし)はみな宙に浮かび上がってしまい、もう一方の側の脚は痛いほど床に押しつけられている。――そのとき、父親がうしろから今はほんとうに助かる強い一突きを彼の身体にくれた。そこで彼は、はげしく血を流しながら、部屋のなかの遠くのほうまですっ飛んでいった。そこでドアがステッキでばたんと閉じられ、やがて、ついにあたりは静かになった。

 

「ドアがステッキでばたんと閉じられ」たのであれば、外開きではないかとも考えられますが、実はそうとは断言できません。

諸訳では、外開きか内開きかを明示していない訳が多いですし、明示しているか、ほのめかしている訳もありますが、解釈が分かれています。外開きか内開きかを明示しているか、ほのめかしている訳は、私が気づいた範囲では、次のとおりです。前にあげた、第10回で取り扱われた箇所も含めて示します。

そのあとさらにステッキが、ドアを叩(たた)きつけるようにしめた。(川村訳)…外開きとみなしていると思われます。

こんなふうにしてドアを開けるしかなかったので、両開きドアの一枚がすでにかなり大きく外に開けられていても、まだ誰も彼自身の姿を見ることはできなかった。(山下肇・萬里訳)…外開きとみなしています。

ドアを開くのにもこんなふうにしなければならなかったので、ドアが内側にすっかり開かれても、彼の姿はドアのうしろになっていて最初は外からは見えなかった。(高橋義孝訳)…内開きとみなしています。

ドアを手前にひかなければならなかったので、すっかりドアが開いても、その蔭(かげ)になって彼の姿は見えなかった。(Vladimir Nabokov〔ウラジ-ミル・ナボコフ〕、野島秀勝訳)

父親はステッキをドアの把手(とって)にひっかけると、ばたんと後手(うしろで)に閉めた、...(同上)…内開きとみなしています。このNabokovに関しては、詳しくは英訳の該当箇所をご覧下さい。

The door was slammed by a thrust of the stick, ... (Lloyd訳)

The door was pushed to with the cane; ... (Jolas訳)

The door was battered shut with the cane, ... (Michael Hofmann訳)

The door was pushed shut with the tip of the cane, ... (Moncrieff訳)

以上の4つの訳は、押したり突いたり叩いたりして閉められたというように訳しており、外開きとみなしていると思われます。

①Since he had to pull the door towards him, he was still invisible when it was really wide open. (Willa & Edwin Muir訳、Vladimir Nabokov訳)

②The father caught at the handle of the door with the stick and slammed it behind him, ...(同上)

Nabokovは、「変身」についての彼の講義の中で、しばしば「変身」の一部分を英訳して引用しています。その英訳はほとんどがMuir訳を使っているのですが、中にはNabokovが自分の判断で変えている箇所もあります。ここでは、①はMuir訳と同じですが、②はMuir訳ではThe door was slammed behind him with the stick, ...となっているのを、Nabokovがこのように変えています。彼は明らかに内開きとみなしていますね。

But he remained hidden from view as the door swung toward him, even after it was wide open. (Susan Bernofsky訳)…内開きとみなしていると思われます。

繰り返しになりますが、「ステッキで閉めた」ということから普通に考えますと、外開きとみなした方が自然かなとも思われます。しかしながら、Nabokovのように考えますと、ドアが内開きであってもステッキで閉めることは可能ですから、結局のところは断定できないと言わざるをえません。

なお、この点につきましては、頭木さんも今回の連載で考察しておられます。

最後に余談的ですが、最後の文の中のnochは、「[この前のできごとに]加えてさらにまた」というニュアンスで使われているものと思われます。邦訳では、「さらに」「しかも」「そのあとさらに」「そのうえ」「それから」「つづいて」「なおも」などと訳されています。川崎芳隆訳はここを「おまけとばかり父がステッキでドアをしめた」と訳しており、上手だなと思いました。

 

○これはドアが外開きか内開きかとは関係がありませんし、順番も前後しますが、この次の項目とも関連がありますので、ここで取り上げておきます。

Die eine Seite seines Körpers hob sich, er lag schief in der Türöffnung, seine eine Flanke war ganz wundgerieben, an der weißen Tür blieben häßliche Flecken, bald steckte er fest und hätte sich allein nicht mehr rühren können, die Beinchen auf der einen Seite hingen zitternd oben in der Luft, die auf der anderen waren schmerzhaft zu Boden gedrückt – ...

身体の片側がもち上がり、彼はドア口に斜めに取りついてしまった。一方のわき腹がすっかりすりむけ、白色のドアにいやらしいしみがのこった。やがて彼はすっかりはさまってしまい、ひとりではもう動くこともできなかった。身体の一方の側の脚はみな宙に浮かび上がってしまい、もう一方の側の脚は痛いほど床に押しつけられている。―― ...

 

ここのhätte sich allein nicht mehr rühren könnenなのですが、原田訳を含むほとんどの邦訳では、単なる過去形のように訳しています。ですが、原文は接続法第Ⅱ式の過去形で書かれていますね。

接続法第Ⅱ式では、現在形ならば「...であれば/...すれば(あるいは、...であっても/...しても)...だろう」、過去形ならば「...であったら/...したら(あるいは、...であったとしても/...したとしても)...だっただろう」のように、前提と結論を仮定的に表現する場合がありますね(日本語訳のパターンはほかにもいろいろありうるでしょうが、代表的なものだけをあげています)。この場合、前提の部分はwennなどの接続詞を用いた副文で表わされることが多いですが、ときには文中の語句に前提の意味が含まれている場合があります。たとえば、eigentlich(本来なら)、ohne ...(...がなければ)、auch ohne ...(...がなくても)などのように。「変身」でも、これまでに次のような例が出てきています。

Nun, Herr Prokurist, Sie sehen, ich bin nicht starrköpfig und ich arbeite gern, das Reisen ist beschwerlich, aber ich könnte ohne das Reisen nicht leben.

ところで、支配人さん、ごらんのとおり、私は頑固じゃありませんし、仕事は好きなんです。商用旅行は楽じゃありませんが、旅行しないでは生きることはできないでしょうよ。

さてそれで、ここのhätte sich allein nicht mehr rühren können では、alleinに「彼一人だけだったら[もうこれ以上動くことはできなかっただろう。だが実際には、このあとで父親が突いてくれたので、部屋に入ることができた]」という前提の意味が含まれていると考えられます。この点では野村訳だけが、「もはや自分一人では動くこともできなかっただろう」と正確に訳しています。また、「自分ひとりではどうにも身動きができそうになかった」という浅井訳も、このようなニュアンスを含めていると思われます。英訳でも、この点を正確に訳している訳は案外少ない(全部で10くらい)です。少しだけあげておきます。

[... , soon he was stuck fast and], left to himself, could not have moved at all, ... (Muir訳)

[... , and soon he was stuck fast and], left to himself, could not have moved at all; ... (Daudert訳)

以上の英訳者は、alleinに前提の意味が含まれていると、はっきりみなしていますね。

[... , soon he got stuck and] could not have budged any more by himself, ... (Stanley Corngold訳)

[Soon he was stuck fast and] would have not been able to move any more on his own. (Johnston訳)

[Soon he was stuck fast and] would not have been able to move of his own accord; ... (Joyce Crick訳)

 

○Erst in der Abenddämmerung erwachte Gregor aus seinem schweren ohnmachtsähnlichen Schlaf. Er wäre gewiß nicht viel später auch ohne Störung erwacht, denn er fühlte sich genügend ausgeruht und ausgeschlafen, doch schien es ihm, als hätte ihn ein flüchtiger Schritt und ein vorsichtiges Schließen der zum Vorzimmer führenden Tür geweckt.

夕ぐれの薄明りのなかでグレゴールはやっと重苦しい失心したような眠りから目ざめた。きっと、別に妨げがなくともそれほど遅く目ざめるというようなことはなかったろう。というのは、十分に休んだし、眠りたりた感じであった。しかし、すばやい足音と玄関の間に通じるドアを用心深く閉める物音とで目をさまされたように思えるのだった。

 

①schwer[en]の訳は案外迷ってしまいますね。邦訳では「重苦しい」が特に多く、あとは「重い」か「深い」となっています。高安訳のみは「昏々(こんこん)とした」としています。英訳ではheavyかdeepとなっており、Fox訳のみはtroublesomeとしています。

「重苦しい」「重い」眠りというのはちょっとイメージが浮かびにくいですし、「深い」もschwerとはちょっとニュアンスが違うような気がします。ですが私も、今のところ、これはという訳語は思いつきません。高安訳もそれなりに良いとは思いますが。

②2番目の文のEr wäre gewiß nicht viel später auch ohne Störung erwacht,ですが、これも接続法第Ⅱ式で書かれています。それではこの場合には、どこに前提の意味が含まれているのでしょうか。

普通に考えますと当然、auch ohne Störung(「邪魔がなくても」。より正確には過去形で「邪魔がなかったとしても」)ですし、私が見たかぎりでは、邦訳も英訳もみな、そのように解しています。

しかしこれには、実は異説があります。諏訪田(すわだ)清先生が、「カフカ作『変身』の翻訳をめぐって」(「人文論集」60(2)、静岡大学人文社会科学部)という論文で唱えておられます。私なりに要点をご紹介しますと、次のようになります。

この箇所に関しては、従来の翻訳ではほぼすべてが、auch ohne Störung が前提部になっていて「邪魔がなくても」という仮定の意味を含んでおり、nicht viel später はひとまとまりになって「まもなく」という感じの意味になっていると考えて、「邪魔が入らなくても、彼はきっとまもなく目覚めていただろう」のように訳している。しかし自分は、ここの前提部は viel später であり、ここの逐語的な意味は「もっとずっと遅くなっていたら、邪魔が入らなくても目が覚めたなどということは、決してなかっただろう」となると思う。

ただ、これでは日本語としてわかりにくいので、訳としては次のようなものでどうだろうか。(以下の「」内は諏訪田先生の案をそのまま写しています)「彼はきっともうその同じ時にさえ、たとえ物音に邪魔されることがなかろうとも目を覚ますことだってできたであろう(岡上注:つまり、だいぶ時間が経ってからなら、邪魔がなくても目が覚めた、なとどいうことはありえないのだ、ということでしょうね)。充分に休み充分に眠ったと感じたからである。現実には、彼にはせかせかした足音と控えの間に通じるドアをそっと閉める音で目を覚まされたように思われたのである」

これに対する私の考えは、次のとおりです。

この見解も一理はあり、1つの解釈として成り立つと思います。ですが、auch ohne ... は前提部としては非常に強い表現であり、これを押しのけて viel später が前提部になっていると言い切れるかどうかはちょっと疑問で、このような意味で言いたいのでしたら、もっと別の表現をするのではないかとも思えます。同先生のお考えの内容を、逐語訳的にドイツ語で書いてみますと、Gewiß nicht, daß es viel später gewesen wäre, als er auch ohne Störung erwachte のようになろうかと思います。「このような意味で言いたいのなら、必ずこう言う」などと決めつけるわけには勿論行きませんが。それから、「これまでの訳は nicht は viel のみを否定していると考えている(からおかしい?)」ともおっしゃっていますが、この nicht は viel später をまとめて否定していると考えても、別におかしくはないように思います。ともあれ、結局のところは、前提部をどちらに設定するかだけの違いであり、全体的な意味は従来どおりの解釈と大きく変わるわけではありません。

邦訳も英訳も、viel später を前提部とみなして前に出して訳している訳は1つもありません。ただ、以下の訳は、いくぶんかはこの諏訪田案に近いと言ってよいのではないかと思います。

別に何ということがなくても、そろそろ目がさめるころになってはいたらしい。(片岡訳)

眠りを乱すものがなくても、目覚めがこれよりずっと遅くなるようなことはきっとなかったのだろう。(浅井訳)

たとえ邪魔が入らなくてもだいたい同じ頃に目が醒(さ)めたのだろうが、... (多和田葉子訳)

Probably he would have awoken around that time anyway, even if he hadn’t been roused, ... (Hofmann訳)

If he hadn’t been disturbed he would almost certainly have woken around this time anyway, ... (Moncrieff訳)

 

○Der Schein der elektrischen Straßenlampen lag bleich hier und da auf der Zimmerdecke und auf den höheren Teilen der Möbel, aber unten bei Gregor war es finster. Langsam schob er sich, noch ungeschickt mit seinen Fühlern tastend, die er erst jetzt schätzen lernte, zur Türe hin, um nachzusehen, was dort geschehen war.

電気の街燈の光が蒼白(あおじろ)く天井と家具の上部とに映っていたが、下にいるグレゴールのまわりは暗かった。今やっとありがたみがわかった。触角でまだ不器用げに探りながら、身体をのろのろとドアのほうへずらしていって、そこで起ったことを見ようとした。(原田訳)

電気の街灯がこの部屋の中へまで仄白(ほのじろ)い光をなげこんで、天井や家具の上辺(うわべ)などをあちこちぼんやり染めだしているのだが、下のほうのグレゴールが寝ているあたりはまっ暗だった。のっそりのっそり彼は這(は)いだして、いまはじめてそのありがた味がわかりだした触覚で不器用に周囲の物に触れまわしながら、いったいそこで何事が起こったのか、確かめてみようと思ってドアのほうへ進んだ。(中井正文訳)

 

ここのDer Schein ... auf den höheren Teilen der Möbelは、解釈が分かれています。

まず、これは頭木さんの連載の第1回でも述べられていますが、Straßenlampenは初版ではこうなっているのですが、第2版ではStraßenbahn(市街電車、路面電車)となっています。もっとも、私が諸訳を見てみたところでは、Straßenbahnとして訳している訳は、邦訳では1つもなく、英訳では4つだけです。

The reflection of the electric tramway lay dimly here and there about the ceiling and on the upper parts of the furniture, ... (Lloyd訳)

Here and there, the ceiling and furniture caught the muted play of light reflected from the electric tramway. (Aaltonen訳)…このmutedはわかりにくいですが、mute(ここでは「色調を弱める」という意味かと思われます)の過去分詞です。

The pale beam of the electric tram lit up the ceiling and the higher parts of the furniture. (Strazny訳)

The reflection of the tram projected stripes of light onto the ceiling of the room and the top of the furniture; ... (英語に問題が多いので『変身』の英訳リストには入れていませんが、某訳)

次に、hier und daですが、私の感じでは、煌々(こうこう)と照らされているのではなく、光の量や部屋の中での位置関係により、照らされている所といない所がある状況なのかなと思います。邦訳では、「あちこち」「あちらこちら」「ここかしこ」「そこかしこ」「そこここ」「ところどころ」となっています。英訳ではhere and thereとしている訳が非常に多いですが、in pale patches(Jolas訳、Donna Freed訳) や in pallid streaks(Corngold訳)としている訳や、動詞との組み合わせで cast pale, random patches of light [across the ceiling and...] (Moncrieff訳) やproduced pallid spots [on the ceiling and ...](Joachim Neugroschel訳) や projected stripes of light [onto the ceiling of the room and ...](上記の某訳)としている訳もあります。

ついでながら、邦訳でも英訳でも、hier und daがauf der Zimmerdeckeのみにかかっていると解している訳と、auf den höheren Teilen der Möbel にもかかっていると解している訳とがありますが、この2つの前置詞句は一体的に使われているような感じですので、後者ではないかなと私は思います。

ただ、hier und daには、「時々」という時間的な意味もあり、実は邦訳で1つだけと、英訳でも1つだけは、この意味に解しています。ですが、私は当時の街灯の詳しい仕組みなどは知りませんので断言はできませんが、これはちょっと考えにくいと思います。蛍光灯であったなら、寿命が近づくとこのようになりますが、この時代には、蛍光灯らしきものはできてはいたようですが、街灯などに広く使われたりはしていなかったようです。

いずれにしましても、「時々」と考えますと、街灯がついたり消えたりしていることになるわけですが、これは正常な状態ではありませんので、この意味で言いたいのでしたら何らかの記述をするのではないかと思われます。

もっとも、街灯ではなく電車の光と考えますと、電車は休みなく通ってはいませんから、「時々」ですっきりつじつまが合いますね。私でしたら思い切って、「電車の光が...時々...」と訳すかもしれません。とは言え、Straßenbahnとして訳している4つの英訳を見てみますと、上記のとおり、3つはhier und daをやはり場所的な意味に解しており――3つのうちの某訳はhier und da自体は訳出していませんが、stripesという語から判断してのことです――、1つはhier und daを訳出していませんから、私の考えと同じ訳はありませんでした。

 

○Seine linke Seite schien eine einzige lange, unangenehm spannende Narbe, und er mußte auf seinen zwei Beinreihen regelrecht hinken. Ein Beinchen war übrigens im Laufe der vormittägigen Vorfalle schwer verletzt worden – es war fast ein Wunder, daß nur eines verletzt worden war – und schleppte leblos nach.

身体の左側はただ一本の長い不愉快に引きつる傷口のように思えたが、両側に並んでいる小さな脚で本格的なびっこを引かなければならなかった。それに一本の脚は午前の事件のあいだに重傷を負っていた――ただ一本しか負傷していないことは、ほとんど奇蹟だった――。そして、その脚は死んでうしろへひきずられていた。

 

①Narbeのあとにはzu seinが省略されており、直訳しますと「彼の左側は...傷であるように見えた」となりますね。邦訳では「左側に傷があった」のように意訳しているものもかなりありますが、要するに「左側のほぼ全部が傷になっているように見えた」ということを言いたいのでしょう。

英訳――以下、...の部分には勿論、eine einzige lange, unangenehm spannende Narbeの英訳が入りますが、訳し方はさまざまでも解釈の違いがあるわけではありませんし、簡潔にするために省略しました――もいろいろあるかと思ったのですが、意外にもほとんどが His left side seemed ... か、His left side seemed to be ... か、His left side felt like ... かのいずれかでした。違っていたのは次の訳くらいです(意味が不分明な訳は除外)。The whole of his left side seemed like ... (Wyllie訳)、His whole left side was ... (Hofmann訳)、On his left side was ... (前出の某訳)

②最後にnachがありますね。原田訳を含む一部の邦訳では「うしろへ[引きずる]」としていますが、このような状況で「前に引きずる」ことはありえず、ことさら「うしろへ」と言うとはちょっと考えにくいかなとも思います。Hofmann訳(...―and it dragged after the rest inertly.)にあるように、「ほかの足のあとから」という感じかなと、私は思いました。ですが、ここではことさら訳出する必要まではないのではとも思います。

それから、leblosの訳も見てみましょう。邦訳では「動かない[脚をやっとの思いで引きずって]」「ぐったりしたまま」「元気なく」「ズルズルと」「生気なく」「生命のかよっていない[足をひきずって]」「死んだ[肢(あし)をずるずると引きずって]」「死んだように」「死んだようにぐったり」「死んで」「死んでしまったように」「ただずるずると」「だらりと」「だらりと生気を欠いて」「だらんと生気なく」「力なく」「まったく死んだように」となっています。英訳では多くがlifelesslyとしていますが、uselesslyとしている訳が3つ、inertlyとしている訳が2つ、limply、sluggishlyとしている訳が1つずつあります。 

 

○Erst bei der Tür merkte er, was ihn dorthin eigentlich gelockt hatte; es war der Geruch von etwas Eßbarem gewesen. Denn dort stand ein Napf mit süßer Milch gefüllt, in der kleine Schnitten von Weißbrot schwammen. Fast hätte er vor Freude gelacht, denn er hatte noch größeren Hunger als am Morgen, und gleich tauchte er seinen Kopf fast bis über die Augen in die Milch hinein.

ドアのところでやっと、なんでそこまでおびきよせられていったのか、わかった。それは何か食べものの匂(にお)いだった。というのは、そこには甘いミルクを容(い)れた鉢(はち)があり、ミルクのなかには白パンの小さな一切れが浮かんでいた。彼はよろこびのあまりほとんど笑い出すところだった。朝よりも空腹はひどく、すぐ眼の上まで頭をミルクのなかに突っこんだ。

 

bis über die Augen を「目(眼)の上まで」としている邦訳がかなり多いのですが、ここではちょっとどうでしょうか。「頭をミルクのなかに突っこんだ」というここの状況から言って、「目の上まで」という位置関係にはならないと私は思います。このüberは「...の上に」という意味と言うよりも、「...を覆って」という感じの意味と考えるべきではないでしょうか。「目もつかってしまうほどに(高橋訳)」「目もつかってしまうぐらい(立川訳)」「眼まですっぽりと(川村訳)」「目がつかりそうになるくらい(丘沢訳)」「目までつかるほど(真鍋宏史訳)」「目が浸(ひた)るくらい深く(多和田訳)」「両目が浸(つ)かりかけるほどの勢いで(川島訳)」のように訳した方がよいと思います。

 

○Aber bald zog er ihn enttäuscht wieder zurück; nicht nur, daß ihm das Essen wegen seiner heiklen linken Seite Schwierigkeiten machte – und er konnte nur essen, wenn der ganze Körper schnaufend mitarbeitete –, so schmeckte ihm überdies die Milch, die sonst sein Lieblingsgetränk war, und die ihm gewiß die Schwester deshalb hereingestellt hatte, gar nicht, ja er wandte sich fast mit Widerwillen von dem Napf ab und kroch in die Zimmermitte zurück.

だが、間もなく失望して頭を引っこめた。扱いにくい身体の左側のために食べることがむずかしいばかりでなく――そして、身体全体がふうふういいながら協力してやっと食べることができたのだ――、その上、ふだんは彼の好物の飲みものであり、きっと妹がそのために置いてくれたのだろうが、ミルクが全然うまくない。それどころか、ほとんど厭気(いやけ)をおぼえて鉢から身体をそむけ、部屋の中央へはってもどっていった。

 

これは解釈の違いとはちょっと異なりますが、und er konnte nur essen, wenn der ganze Körper schnaufend mitarbeiteteはいろいろに訳すことができ、邦訳でも英訳でも多くのヴァリエーションがあります。これも別に付録として、一覧にしておきます。

 

○Im Wohnzimmer war, wie Gregor durch die Türspalte sah, das Gas angezündet, aber während sonst zu dieser Tageszeit der Vater seine nachmittags erscheinende Zeitung der Mutter und manchmal auch der Schwester mit erhobener Stimme vorzulesen pflegte, hörte man jetzt keinen Laut. Nun vielleicht war dieses Vorlesen, von dem ihm die Schwester immer erzählte und schrieb, in der letzten Zeit überhaupt aus der Übung gekommen.

グレゴールがドアのすきまから見ると、居間にはガス燈がともっていた。ふだんはこの時刻には父親が午後に出た新聞を母親に、そしてときどきは妹にも声を張り上げて読んで聞かせるのをつねにしていたのだが、今はまったく物音が聞こえなかった。妹がいつも彼に語ったり、手紙に書いたりしていたこの朗読は、おそらく最近ではおよそすたれてしまっていたようだった。

 

①Nunは例によって難しいですが、ここでは(この意味は一部の辞書にしか出ていませんが)前の内容を受けて「そんな状況では」という感じの意味ではないかと、私は思います。もっとも、あえて訳出しなくても構わないとも思いますが。邦訳では、訳出されていないか、「実際のところ」「してみると」「すると」「それはまあ」「ところで」「とすると」のいずれかになっています。「してみると」と「とすると」が近いのではないかと思います。英訳では、訳出されていないか、Well(これが特に多いです)かNowかSo(Moncrieff訳のみ)となっています。Moncrieff訳は「そんな状況では」という意味をはっきり出していますね。

なお、本によっては、Nunのあとにコンマが入っています。初版も第2版もコンマは入っていませんが、次のブロート版では入っていますので、入っている本があれば、このブロート版によったためかと思われます。

②überhauptはこの場合、「まったく」というニュアンスで否定――ここではwar ... aus der Übung gekommenが否定的な意味を表わしています――の意味を強めていますが、一部の邦訳にありますように、「すっかり」と訳したら感じが出るのではないかと、私は思いました。原田訳の「およそ」でも、勿論構いませんが。

 

○›Was für ein stilles Leben die Familie doch führte‹, sagte sich Gregor und fühlte, während er starr vor sich ins Dunkle sah, einen großen Stolz darüber, daß er seinen Eltern und seiner Schwester ein solches Leben in einer so schönen Wohnung hatte verschaffen können. Wie aber, wenn jetzt alle Ruhe, aller Wohlstand, alle Zufriedenheit ein Ende mit Schrecken nehmen sollten? Um sich nicht in solche Gedanken zu verlieren, setzte sich Gregor lieber in Bewegung und kroch im Zimmer auf und ab.

「家族はなんと静かな生活を送っているんだろう」と、グレゴールは自分に言い聞かせ、暗闇のなかをじっと見つめながら、自分が両親と妹とにこんなりっぱな住居でこんな生活をさせることができることに大きな誇りをおぼえた。だが、もし今、あらゆる安静や幸福や満足が恐怖で終りを告げることになったらどうだろうか。こんな考えに迷いこんでしまわないように、グレゴールはむしろ動き出し、部屋のなかをあちこちはい廻った。

 

①schön[en]の訳はいろいろ考えられますし、邦訳でも英訳でもいろいろに訳されています。邦訳では「立派な」が一番多いですが、ほかには、「美しい」「快適な」「結構な」「すてきな」「素晴らしい」「高級[アパート](川島訳)」となっています。英訳では、beautiful、comfortable、cozy、fine、lovely、nice、pleasant、pleasing、wonderfulとなっています。邦訳も英訳も、それらしい形容詞の総動員という感じですね。

また、hatte verschaffen können は完了形になっていますから、正確には「...ことができた」と過去のこととして訳した方が適切です。

②Wie aber, wenn ... ? は体験話法ですが、これに関しては、あとの「ドイツ語の体験話法に関しての補足」で取り上げます。

③最後の文のlieberですが、lieberには、「むしろ...したい」という意味と、「...した方がよい」という意味とがあり、前者に解して「むしろ動き出したかった」という感じで訳しても、後者に解して「動き出した方がよかった」という感じで訳しても、意味は通りますね。ご参考までに、邦訳を2つだけあげておきます。

考えすぎてわけが分からなくならないように、身体を動かしたくなって、部屋の中を行ったり来たりして這いまわった。(多和田訳)

そんな考えにふけるようなら、いっそう動きまわるほうがよっぽどましだと、グレゴールは部屋のなかをあちこちはいずりまわった。(川崎訳)

これら以外の邦訳や英訳では、あえて訳出していないものもありますし、訳出しているものも訳し方はさまざまで、どちらとも受け取れるような感じのものも少なくありません。どちらが絶対に正しいとは私も断言できませんので、読者の好みでよろしいのではないかと思います。

 

 

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