今日は、な〜にもしたくない日があるものだ。

ご飯も食べたくない。。。けど、結局、食べる。

 

朝は、基本、食べない。

オフィスについて、コーヒーかほうじ茶、チョコなどをつまむ。

そんな食生活、ダメです。習慣化されています。。。。

 

昼食は、限りある時間を使うことに集中しているため、さらにおろそかになる。

 

蔵米にある【結わえる】さんの提唱している寝かせ玄米を参考にゆるゆる六号食玄米をしてみる。七号食は、寝かせ玄米とほうじ茶などで10日間それだけを食べて、体質を改善させるというもの。私は、冷え性のため、味噌汁で暖をとるため、七号食の一段下の、六号食ならと始めてみる。寝かせ玄米とノリで、おにぎらずのさらにゆるゆるした、ゆるおにぎらず。具は、お塩だけでつけた梅干しと、古漬けの大根の漬物。

相当な勢いで美味い。

 

玄米は、毎週末に行われる表参道のファーマーズマートで無農薬の青森県産のもの、ナチュラルハウスにて、岩手県産の有機小豆、そして、赤米は、自然と暮らしと平和の研究所beartさんで購入したもの。(意外と凝っているのか。。。)ミネラルウォーターは温泉水99。

 

普段は、お菓子などばかり、食べているだめなアラフィーですが。。。

 

時々、ストイックに、何にも考えることなく、ノリに寝かせ玄米をのせ、ノリで巻いて、カメカメ、ノリノリ。

 

具材に塩だけでつけた梅干しや、2週間くらい、かき混ぜないのよくできた大根の古漬け。(冬場なので、カビも生えず、元気にしております)使い方を少し間違えていますが、ぬかも洗い流すことなく頂ける京都ばんやさんのぬか床です。

 

古漬けの酸味は、絶品です。女も古い女好みの男性が増える世界にシフトできたらな〜と思います(笑)

 

 

今日は、日曜日、思いっきりのんびり、ダラダラ、ゆるゆるな日になりますように。

 

Have a nice day!

 

 

 

晩年のシャネルは、ホテルで暮らし、洋服は、シャネルスーツを2着。

そのスーツで毎日、違うコーディネートをしていたらしい。

どんなコーディネートだったのか。白のブラウスにスカーフで色付けたり、帽子をあしらったり。アクセサリーや、靴や毛皮や。。。2着のスーツを着回せるなんて、たくさん、服を持っているより。。。テクニックが必要。シンプルで、新しくて、かっこいい。。。想像できないけど、想像するだけで、ワクワクするぅ〜

ウール素材のシャネルのスーツを丁寧に手洗いして、大切に着ていたことが容易に想像できる。自由な女傑。人は、誰でも、自分の感情に正直に生きられる。

生きられないと決めているのは、自分の意識なのだから。

 

山形県と宮城県の県境のまちにカシミヤのセーターを創っている工場があるという。ものづくりにかける情熱。

機織りする様な手編み機で創られるカシミヤのセーター。そのひとつ、ひとつに魂が宿り、メンテナンスをして、長く着続ける。

手編みのセーターに想いがこめられる。それにかかる時間〜それにかかわる情熱、それを受け取る時の喜び。それを使う喜び。

そのかかわる全てがどれも愛おしく、新しい。

 

手編み機は、製造中止となっているらしく、修理をしながら、大切に使っているそう。

 

昭和という時代がもう、終わる。

古いものと新しいものが融合されているいい時代になって来たと思う。

 

時間をかけて、大切に育むことが苦手だったけれど、しばし、時間を止めて、何もかもを止めて、ゆったりと悠久の時を過ごすのもいいかもしれない。

 

東日本大震災から6年。

あの時、自分の意識の分離に初めて、気づいた。自分の感情がどこにあるかもわからず、混乱した。混沌の中で、もがきながら、生きることが、感情を感じるということを少しづつ、思い出しながら、漕ぎ続けて、良かったと思える。

 

良かったと思える様になった。6年かけて、ようやく、そう、思える様になった。

 

有難うとは、

 

有ることが無い、それは、奇跡。

生きていることが奇跡。毎日が奇跡。

 

怠惰な私は、生きることに鈍感で、49年間生きて来て。

 

父が亡くなったのが、49歳。何事もなく平穏に(というわけでは無いけれど)当たり前の様に父の年齢を越えて生きていることは、鈍感力を身につけることが処世術の一つではなかったかと思う。

 

人は、死ぬために生まれる。

 

シャネルみたいになれなくても、そういう生き方に魅力を感じるのだから、その生き方のかけらを活かしてみたいと思う。

 

丁寧に創られたカシミヤのセーターの着心地を夢見る。

 

ものづくり。古くて、新しい、日本の文化。

 

東北からの発信を目にするたび、耳にするたびに、ココロが温まる。

 

本当に、本当に、有難うございます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

20代の頃、働いていたオフィスにマッキントッシュのコンピューターがあった。

フロッピーディスクが20センチ四方くらいあった時代です(笑)改めて、すごい技術革新。マッキントッシュは当時からおしゃれなものだってけれど、今と比べ物にならないくらい大きかった(笑)14型よりやや小さいブラウン管のテレビくらいの大きさだった。

 

この世界に無いものを創れる人って、すごい!と思いながら、ぼんやり、人の眺めを見ている間に人生は、あっという間に終わってしまう。恐れなんて、感じているヒマなどない。

 

経営者が熱く自分のストーリーを語れるのは、情熱を注げるくらいそのことが好きだからで、全てのことができるわけではない。

 

誰かのために何かを創る。ワクワクするような何かを創る。

 

誰かの喜ぶ顔をみるために。

 

この世界に無いもの。

pcを持ち運ぶのは、重くて、大変。普段持ち歩く、スマフォに入力するのは、技術がいるし、何より、ストレスを感じる。自分の文章が活字になるのをみるのが好きだし、無いよりも早い。早さだけを求めているわけでは無いけれど、キーボードを打つのは好きだし、キーボードを打っている音が好き。かといって、キーボードに対して、どのメーカーが好みだとかのこだわりを持っているわけでは無いけれど。

 

『この世界に無いものなんて、無い』と教えてくれたモンゴル人のお友達。

そう、視えていないだけ、視ようとしていないだけで、人類は、この地球を創造し、大いなる魂たちのワンダーランドなのだ。

 

この世界を創るのは、自分への問いかけだけ。

 

『これができるとしたら?』

 

潜在意識は、脳は、その答えを探し出す。

 

気持ちがギューと締め付けられるほどの緊張感とワクワクする熱量。

 

情熱が必要。

何を成し遂げるために、無いものを創るのに必要なのは、情熱。

 

それを持ち続けることが壁となって、現れたなら、そのサインを見逃すことなく、その壁を乗り越えていかなければならない。乗り越えられない壁など、無い。

 

その熱量が少し、足りない。。。

 

そんな時もあるよね。と、自分を慰める。

 

今、在るもの感謝して、のほほんと、ほんわかしていられることに感謝して。

熱い熱量が蓄えられるまで、ゆっくりするのもいいのかもね。

 

現実は、点と点が繋がり、今が、創られる。

 

今日も有難う、ございます。

 

 

 

友人が持っていたアロマ精油、ネロリ純度3%(T.T)

ネロリには、罪悪感を出すという効能があるらしい。

心理学では、不安、怒り、悲しみなどとは異なる、困惑、プライド、恥などは自己意識感情にカテゴライズされるという。

罪悪感って、なんだんだろう。それが、罪悪感ともわからずに、その罪と意識を感じているとしたら、そのストレスは、じわじわと感情を蝕んでくるであろう。

罪悪感。。。人との関係において日々、感じている、その依存性に気づくことはそれが巨大な怪物になってからなのであろう。

欧米ではセラピストを持つことがカルチャーとして、受け入れられているそう。

日本もそのように友人ではなく、専門のセラピストをステイタスとして、位置付けられたらいいな〜と思う。

人との関係において、利害関係が生じた場合に罪悪感を持ったとする。それの罪悪感を持つこと自体、悪いことではなく、むしろ罪悪感を持つことで、そのことを考えることによって、人としての深みがでる。罪悪感を知り、受け入れて、そして、意識的に出す。そのプロセスは日々、繰り返えされる。そのことが当たり前になればなるほど、人はシンプルになれるし、シンプルに生きられる。

 

人は、美しい。そして、汚れている。

その汚れている自分を受け入れてこその美しさなのである。

 

年を重ねるということは、それほどまでに崇高な営みであると思えるようになってきた

 

 

 

 

子供の頃に大好きだったTVドラマの

【大草原の小さな家】NHKで放映されていて、シリーズも多く、何度も再放送されていたので、ヒマな時は、なんともなしによく観ていました。もちろん、大好きだったから、飽きもせず、再放送を観るたびに新たな発見もありました。

ご存知でない方はスルーしていただければと思います。

 

アメリカが建国された何年ごなのかは、幼心にわかりませんでしたが、インディアンの姿をそのままに登場させたり、それが、何を意味するのかも理解できずに観ていました。主人公のローラは、好奇心旺盛で、何に対しても、誰に対しても、自分の感情に正直で、聡明であり、正義感に溢れる(おてんばさん)少女の代表だったように思います。いつも白いエプロンをして、日曜日に教会に行く時は、姉妹でお揃いの水色の花柄のワンピースを着て行く。もちろん、母さんお手製。そんなありきたりな、質素な暮らしに憧れを抱いていたのです。小さなログハウスの屋根裏部屋にも憧れを持っていました。

物があることよりも、その暮らしの中から生まれる小さな喜びを羨ましく思っていたもんです。現実に置き換えるには、少々、無理があり、無い物ねだりをしていたものです。そもそも、子供の頃から物欲などあまりなく、人と同じこともしたくなかったのですが、物語への憧れはありました。どうしたら、クリエイティブな発想ができるのか。。。クリエイティブなんて言葉を知らない時代でしたが。

 

どうしたら、ローラみたいに自由に自分の思うままの言葉を発し、それを否定しない絶対的な存在(父さん)がいるのか。私の父も私に対しては、ほとんどの場合、否定することもなく、あ・うんの呼吸のように会話がなかったけれど、私を大事にしてくれていたと思う。

 

父を失ってから、随分経ちますが、父のことを思い出すことは、ほとんどなかった。父の誕生日が4日前だったからかしら。。。父の風貌からひな祭りがとても似合わない(笑)そうか。。。思い出して欲しかったのね。お父さん。お誕生日は、いつもチラシ寿司だったね。来年は、作ってみようかしら(笑)

 

忘れていて、ごめんなさい。

時々、夢で会えるし、夢の中で、まるで、生きているかのような錯覚をしてしまうようなストーリー。

お父さん、ありがとう。

 

また、夢で会おうね。

 

 

 

 

お金に裏、表があるように意識にも、目に視えている意識(顕在意識)と言われるものと、目に視えない潜在意識があります。潜在意識については、きいたことはあるかもしれません。どんなものなのか、どういう風に使いこなせるのか?

マーフィの法則で、寝ている間に成功のイメージを植え付けて、現実に変化を起こすという夢のような願望実現を、謳われているところが、有名なところではないかと思います。

マーフィの法則を知らなかった時にとある冊子を、手にして、寝る前に楽しいワクワクしたイメージをして、なりたい状況にフォーカスする願望実現ワークをしていました。その時は、切実に彼氏が欲しかったので、アファメーションを作成して、その状況を思い描き、眠りにつきました。

まだ、表に現れる現実の変化だけを求めていたお年頃でした。

数ヶ月後に理想の彼氏が現れました。とても、楽しい時間を過ごしましたが、そのあまりにも幸せな状況になれることができず、数年後に、彼を手放すことになりました。そのような成功体験は、私だけではなく、多くの人にあるかと思います。

若かりし頃は、現実を、生きることが何より大事なことであり、人と違った生き方をするつもりなど、なかったのだけれど、気がつくと、家庭も持たず、今もひとりで生きていて、どこへ行きたいのだろう(笑)自問する日々。

2011.3.11の東日本大震災によって、人の意識が地球に及ぼす影響が計り知れないのではないか。。。ということを考え始めました。

東京のオフィスにいながら、テレビで未曾有の震災の映像を傍観している私は、誰なんだろう。。。と。そして、人の潜在意識が、自分に違和感を与えていることに気づいたのです。嫌いな人がますます、苦手になり、自分を見失っていきました。

 

私は、生きることに自信がなかった。それでも、生きてきて、まるで、傍観者のように、自分をみていることに気づき、自分の感情が、よくわからなくなっていました。

本を読み、瞑想をし、ワークショップなどに参加し始めました。

自分を見失っている自分にとって、聴くのも視るもの全てが違和感であり、言葉を理解することもできず、それでも、求めて、求めて、疲れ果てて。。。

 

自分を知ることが前提にあったのだということに気づきました。

 

遠くに在る、ここには無いものを在ると思い込み、怒り、嫉妬、憎悪の塊で生きていました。『自分を認める』ということを理解するのに6年も時間が必要だったのです。

その時間は、決して、短いものではなく、そして、長いものでもなかった。

 

そして、時間の大切さを身にしみて思うのです。

 

大手町のオフィス近くにある大手森ビルの森の樹木の影の美しさ。地面に映し出される樹木の美しさが計算されていたとは思えないけれど、影がこんなに美しいなんて、影を美しいと感じることができる感情があったことを美しいと感じる。

小さな感情を拡大鏡で視ることの美しさを気付けずに、無いものばかりを探していた頃を思い出しながら、その一瞬の影の美しさが永遠ではなく、変わりゆく世界がこの地球を楽しむことなのかもしれない。

 

 

残り少ない大手町のオフィス生活を楽しもう♬

 

 

 

ねこ好きな私は、ねこ動画をみるのが日課である。。。というより、ねこをみて、どんなことをしても愛されているねこをみて、眠りにつきたいのだ。

おそらく、ねこを飼うことは二度とないと思う。

元々、動物は好きではなかったけれど、愛情はたっぷり、どっぷりねこに依存して生きていたのです。何をしても許せたし、(私自身、あれこれダメと言われて、育ったわけではないので、そのようなことを思いつくこともなく)

あれこれダメと言われて、育ったわけではないれど。

子供の頃の母の印象は、真面目で革新的な人だったように思います。美容師をしていて、休日は、講習会に出かけたり、田舎の人で、亡くなった師匠を大事に慕っていて、慈悲と謙遜がある人。私は、そんな母をみていながら、あまちゃんのまま、今日まで来てしまった。。。という感じ。

話しは、大幅に逸れてしまいましたが、モフモフをねこのふあふあ感だという認識で、特に定義づけなど、必要と思っていなかったのですが、モフモフがわからない男性が私の周りに多くいました。

ねこ好きの女性は、何の定義もなく、モフモフを理解し、犬好きの女性は、モフモフをブルドックちゃんの鼻のシワシワ感だと思ったらしく。暗黙の了解のように、ねこ(など毛を纏った衝動動物)を抱っこした時の感覚をモフモフというのかなというのかな〜となんとなく思っていました。

モフモフがわからないある男性が検索したモフモフ画像のグロテスクなこと。。。(笑)ないでしょ。それ、おでき(笑)普段、どんな検索をしているんだか。。。私が検索したモフモフ画像の一番目は、後ろ姿のパンダでした。まるまるのニャンコやワンコやインコなど。モフモフが止まらない可愛い画像でした。

人は、ないをみて、現実をつくているのか。

自分にとって、深く関わりを持つ人、あるいは持たない人。どの人にも、それぞれの定義があり、認識があり、そのひとつ、ひとつがユニークで、愛すべき存在。

 

人間嫌いで、人と関わることが苦手だった私が、人に興味を持ち、その関係性に距離感を保ちながら、愛を感じ始めている今日この頃です。

 

 

今日は、日曜日です。

 

愛する人と、愛を感じている人と、やんわりとした時間を育めるそんな日で在りますように👩‍❤️‍👩

 

 

 

好きな仕事ができると思って生きてこなかったから、ストレスを感じながら、生きるのが当たり前だと思っていた。

 

すごく、頑張って働いて、すごくもない成果のために一生懸命な自分を終わらせようとある日、決意した。

その決意は、小さくもあり、壮大でもあった。

 

派遣で経理の仕事をしてきた。始めた頃は、経理が好きで、楽しかった。これで、食べていけることが誇らしかった。けれど、何十年もこの仕事をしていると、その選択に疑問を持ち始めるようになっていった。

 

そして、好きなことで食べていける方法は何かないかと考え始めた。

それを打ち消そうと働く自分をなだめながら。

 

2017.6.30 ○○社退職。とポストイットにかき、貼っておく。

書いことを忘れた、2016.6.30に私は、その会社から契約終了を言い渡される。

そして、その会社の別ロケーションで、2016.7月から、新たな契約をする。管理部門以外でする仕事は、20年ぶりくらいで、戸惑いの連続だった。仕事は、総括系の仕事で、勤怠業務が主だった。各部署の業務の平準化はされておらず、上長によって、その業務の不公平感はあった。慣れない業務で、ストレスがかかるというより、その仕事を好きになれないでいる自分を騙し続けて生きることが、ストレスであると早々に気づいた。すると、現実は、私の知らないところで、動き始め、業務のミスを細かく指摘され、改善していたものの、その仕事をさせてもらえなくなった。私は、正直安堵した。そして、2017.4.30。再び、その会社の契約終了を言い渡される。

 

経理の契約終了の時の会社の状況、社長の交代など、自分が心地良い世界へいくためのプロセスだったのかもしれない。

『退路を断つ』

大義を持てず、一年近くかかったけれど、柔らかくて、強かな生き方にシフトしているようで、気がつけば、豊かさは、いつもそこに有る。

  

恐れとは、                                                                    自分の望まない世界を肯定して生きることであり、まだ、みぬ自分を受け入れないこと変わろうとしなければ、リスクを負うこともなく、潜在意識は、あなたを守ってくれるのです。まだ、みぬ自分を受け入れることで、現実に起こる弊害を潜在意識は知っているのです。

 

焦りもなく、出会った人たちに感謝の気持ちと、これから変化していくであろう現実を楽しんでいこうと思います。

 

与えたものが帰ってくる宇宙の法則。


ないものばかりを探して、みたくない側面ばかりをオーダーしていた、ほんの少し前の私。

 

自分のココロが現実を創っているのです。

豊かになりたければ、豊かなココロを与えれば良いのです。

 

書くことで、理解が深まります。

それは、私が、書きたい。書きたい。と子供の頃から、ただ、それだけを望んでいたから。

 

平易な言葉と潜在意識からのメッセージを少しでも多くの方に届けることができたら、それが、私のシアワセです。

 

今日も読んでくださって、ありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人間が本来持っている能力。

 

共感し、潜在意識の無尽蔵の情報からなる人生へと歩き始める。

 

いわゆる視えると言われている人に出会って、自分だと思っていた生きた方ではない生き方の情報を耳にし、目に視えるようになり始める。新しさ、新鮮さ、驚き、楽しみ、ワクワクというプラスの情報と、変化を嫌う潜在意識は、その情報を不快、負荷、不安、恐怖心を与え、マイナスと捉え、行動を起こさせないようなストレスを与え始める。頭で理解しようとすると、今まで、押さえ込まれていた感情が、表層意識に現れ始めるのだ。

 

身体が冷えると、免疫力が低下するように感情が冷え性になると免疫力が低下し、自分の感情を感じとれなくなってしまう。いくらココロが病気だと叫んでみても、その声は、自分に届かない。

病気になった自分を性格の悪い自分に例えてみると。。。

自分を愛するというメッセージが届きにくい。女子的なキラキラ感が良いとは思わないけれど、冷えたココロに、メッセージを届けるには、思いっきり、体温を熱くしたメッセージとさらに強烈した現実を突きつけなければ、気づけないこともあるのかもしれない。

 

スティーブ・ジョブズの名言の中のひとつ

『将来を見据えて点と点を繋ぐことはできない。できるのは後から繋ぐだけ。だから、いつか点が繋がることを信じなければならない。』

 

生前、スティーブ・ジョブズが死と向き合いながら、新作のプレゼンを熱く語っているのをみて、体温が上昇していくのを感じていた。クリエィティブな生き方と仕事への情熱を語る人のエネルギーは、体温を上昇させた。私の体温は、それほどまでに冷え切っていたのだ。

 

自分の中にある違和感は、怒り、嫉妬、憎悪、これらの激しい感情は、ドロドロではあるけれど、熱を帯びた『生きる』ことへの扉だったのかもしれない。

スティーブ・ジョブズの情熱は、私の憧れだ。

 

私は、病気になりはしたけれど、仕事の量は減らさず、自分の限界を視てみたいと思い始めた。熱く自分の人生を語れる環境は、どこにあるのだろうと。

 

少しずつではあるけれど、自分の好きな色、自分の好きな事、自分の好きな人たち、自分を向上させる学び。自分の記憶を思い出し、そして、人生の脚本を見直し、ゆっくり丁寧に書き起こしながら、書き換え作業を始めたのです。50目前にして、まだまだ、旅の途中です。

 

自分の人生なのだから、クリエィティブな熱さで、時に感情的に。時に冷徹な振る舞いのできるかっこよさを持った女性でありたいですね。

 

 

一夜で変わることもあるけれど、それは、熱く長い夜があったからなのです。

 

 

今日も一日、コツコツと精一杯、熱く生きて生きましょうね♫

 

 

 

 

【傲慢】…おごり高ぶって、人を見下すさま

【おごり】…いい気になる。思い上がる。

 

上記は、辞書で調べた意味合いにおいてである。

 

【傲慢を定義づける】するならば、おそらく、謙遜の類も傲慢になってしまのだ。

自分の人生を生きないその姿勢ことこそが、傲慢なのである。

 

深層心理の奥底に潜んでいる、自分でも気づかない自分。または、記憶の奥底に沈め込んだ自分。顕在意識での、振る舞いは、傲慢とはおおよそ、かけ離れているけれど、自分と分離した意識は、死に体。

 

死に体で生きるのは、辛い。人生が思い通りにいかない。死に体は、何かを訴えるための何らかのインパクトを与えて、自分の人生に意を唱え始める。

 

傲慢な私は、そのインパクトに時に怒りを覚える。興奮している自分の姿は、映らない。時にその感情は嫉妬だと映る。できるだけ熱をおび、体温で訴え始める。分離した心と身体に血液が流れ始め、体温が上昇する。

 

〜自堕落な快楽に意を唱える〜

考えが変われば、行動が変わる

行動が変われば、習慣が変わる

習慣が変われば、性格が変わる

性格が変われば、人格が変わる

人格が変われば、人生が変わる

 

毎朝、寝ぼけ眼で、カーテンをかけた瞬間、「よし」と言ってみる。

 

『今日一日、素直な心で、いさせてください』

 

ぼんやり、意識に語りかける。

 

※今日一日なら、素直な心で、視て、聴いて、感じたままに過ごせる気がする。

 

 

今日も、よい一日を♬