晩年のシャネルは、ホテルで暮らし、洋服は、シャネルスーツを2着。

そのスーツで毎日、違うコーディネートをしていたらしい。

どんなコーディネートだったのか。白のブラウスにスカーフで色付けたり、帽子をあしらったり。アクセサリーや、靴や毛皮や。。。2着のスーツを着回せるなんて、たくさん、服を持っているより。。。テクニックが必要。シンプルで、新しくて、かっこいい。。。想像できないけど、想像するだけで、ワクワクするぅ〜

ウール素材のシャネルのスーツを丁寧に手洗いして、大切に着ていたことが容易に想像できる。自由な女傑。人は、誰でも、自分の感情に正直に生きられる。

生きられないと決めているのは、自分の意識なのだから。

 

山形県と宮城県の県境のまちにカシミヤのセーターを創っている工場があるという。ものづくりにかける情熱。

機織りする様な手編み機で創られるカシミヤのセーター。そのひとつ、ひとつに魂が宿り、メンテナンスをして、長く着続ける。

手編みのセーターに想いがこめられる。それにかかる時間〜それにかかわる情熱、それを受け取る時の喜び。それを使う喜び。

そのかかわる全てがどれも愛おしく、新しい。

 

手編み機は、製造中止となっているらしく、修理をしながら、大切に使っているそう。

 

昭和という時代がもう、終わる。

古いものと新しいものが融合されているいい時代になって来たと思う。

 

時間をかけて、大切に育むことが苦手だったけれど、しばし、時間を止めて、何もかもを止めて、ゆったりと悠久の時を過ごすのもいいかもしれない。

 

東日本大震災から6年。

あの時、自分の意識の分離に初めて、気づいた。自分の感情がどこにあるかもわからず、混乱した。混沌の中で、もがきながら、生きることが、感情を感じるということを少しづつ、思い出しながら、漕ぎ続けて、良かったと思える。

 

良かったと思える様になった。6年かけて、ようやく、そう、思える様になった。

 

有難うとは、

 

有ることが無い、それは、奇跡。

生きていることが奇跡。毎日が奇跡。

 

怠惰な私は、生きることに鈍感で、49年間生きて来て。

 

父が亡くなったのが、49歳。何事もなく平穏に(というわけでは無いけれど)当たり前の様に父の年齢を越えて生きていることは、鈍感力を身につけることが処世術の一つではなかったかと思う。

 

人は、死ぬために生まれる。

 

シャネルみたいになれなくても、そういう生き方に魅力を感じるのだから、その生き方のかけらを活かしてみたいと思う。

 

丁寧に創られたカシミヤのセーターの着心地を夢見る。

 

ものづくり。古くて、新しい、日本の文化。

 

東北からの発信を目にするたび、耳にするたびに、ココロが温まる。

 

本当に、本当に、有難うございます。