◆北村暁夫『イタリア史10講』を読み解く



★要旨



・ファシズム期の弾圧から

戦後に復活を遂げたマフィア組織は、

戦後の南部振興策による資金流入を背景に

建設業に進出し、成長を遂げた。



・その後、

麻薬取引の利権をめぐって、

1960年代と1970年代の2回にわたり、

「マフィア戦争」と呼ばれる、

激しい内部抗争を繰り広げた。



・1986年からは、

パレルモでマフィア大裁判と呼ばれる、

一連の裁判が行われ、

700人以上が有罪判決を受けた。



・これに対し、シチリアのマフィア組織は、

1980年代以降、政治家や裁判官、

ジャーナリストなどを標的としたテロ行為を行い、

取り締まりに対する露骨な威嚇を行った。



・あまりに露骨で凶暴な威嚇行為に対し、

国民の嫌悪感は高まり、

反マフィアの論調が高揚した。



・その結果、マフィア組織は

国家権力を攻撃する戦術をやめ、

シチリアにおけるマフィアの活動は

表向き沈静化した。



・しかし、彼らは、

拠点をミラノやローマに移し、

事業を産業廃棄物の処理(エコマフィア)や

移民の周旋などに変えながら、

今なおイタリア社会の中で棲息している。



・1994年、

ベルルスコーニが首相の座に就いた。

20年近くに及ぶベルルスコーニ時代の幕開けである。



・ベルルスコーニは、

ミラノ郊外の住宅開発で財を成し、

テレビ局や雑誌、広告代理店の傘下に

収める一大企業グループを築き上げた、

立志伝中の人物である。



・ベルルスコーニは、

地域に大幅な権限の委譲を求める北部同盟と、

国家権力の強大化を求める国民同盟という、

正反対のベクトルを持つ2つの政党の要求を

巧みにまとめる能力を発揮した。



・また臆面もなく本音を語る姿勢は、

気取った政治家とは異なり、

それを率直な物言いとして

好意的に受け取る国民が

それなりに多かったことも事実である。



★コメント

なんだかんだ言って、イタリアは魅力的でおもしろい。






◆渡辺克義『物語・ポーランドの歴史』を読み解く



副題→「東欧の大国の苦難と再生」



★要旨



・ポーランドは、

悲劇的な歴史を持つことで知られている。



・ロシア、プロイセン、オーストリアによる三国分割の結果、

1795年から1918年までに、123年間、独立を喪失していた。



・独立を謳歌したのも束の間、

第二次大戦勃発に伴い、

ヒトラーのナチスドイツとスターリンのソ連に

祖国を分断され、またしても苦難の歴史を歩むことになった。



・このようなポーランドの悲運は、

その地政学的位置ならびに

地理的形状に由来する。



・すなわち、天然の障壁といえるものを

持たない平坦な国土であることに加え、

周囲を超大国に囲まれていたことから、

国を蹂躙されることにつながったのである。



・ポーランド史は、

「抵抗と挫折」という言葉で語られることも多い。



・日本とポーランドの間には、

歴史的秘話にも事欠かない。

1920年と22年には、

シベリア残留ポーランド人孤児(765人)が

日本赤十字社などの協力により

本国に送還されるという出来事があった。

彼らの一部は、

その後、日本との親善を深めた。



・「六千人の命のビザ」で知られる外交官、

杉原千畝は、

ポーランド人を通じて、

多くの重要情報を入手していた。



・スウェーデン駐在武官の小野寺信もまた、

ポーランド人諜報員から得られる情報を

重視していた。



・13世紀以降に異民族の侵入が相次いだことも、

ポーランドの統一にとって不運であった。

侵入の一つは、

タタール(モンゴル軍)によるもので、

1241年、同軍はシロンスクのレグニツァにまで至り、

国土を荒廃させたのち、撤退した。



・13世紀に、ドイツ騎士団は、

ポーランドにとって最大の脅威となった。

1230年にやってきたドイツ騎士団は、

ヘウムノやトルンなど、

次々と都市を築き、ポーランドを圧迫した。



・10世紀に産声をあげたポーランド王国は、

14~16世紀に隆盛を極めるが、

王朝断絶後、衰退に向かう。



★コメント

ポーランドの独立へ向けた歴史から、

我々が学ぶことは、多い。





◆清水俊雄『ジョージ・ケナン回顧録3』を読み解く



清水俊雄、翻訳。



★要旨、解説。



・ジョージ・ケナンは、

20世紀アメリカを代表する外交官である。



・プリンストン大学卒業後、

1926年に外交官となり、

ベルリンでロシア語とロシア史を学んだ。

ラトビア、モスクワ、プラハ、ベルリンなどに駐在。



・1947年、国務省本省の勤務を経て、

1952年、駐ソ大使として赴任。

1961年から63年にかけて、

ユーゴスラビア大使をつとめ、外交官を引退。

学究生活に入った。



・ケナンが、

生涯にわたって残した著作は膨大である。



・ケナンの『回顧録』を際立たせているのは、

その表現力豊かな文章である。



・ドイツ文学やロシア文学に親しみ、

チェーホフの伝記を書きたいと考えていたケナンは、

文筆家としての腕前をここで遺憾なく発揮している。



・ケナンを最も有名にしたのは、

1946年2月、当時、駐ソ代理大使であったケナンが、

国務省に宛てて送った「長文の電報」(ロング・テレグラム)と、

1947年7月に外交専門誌「フォーリン・アフェアーズ」に

匿名で発表した、いわゆる「X論文」である。



・X論文で使われた「封じ込め」という言葉が、

長きにわたり、アメリカ冷戦政策の柱となった。



・ケナンは、駐ソ時代に、長文の電報をしたため、

クレムリンが西側諸国を敵視する背景には、

外部世界に対するロシアの伝統的・本能的な不安感がある、

と記した。



・ケナンは、

資本主義世界との共存は不可能だとするマルクス主義イデオロギーは、

ロシアの民衆に権力の正当性を信じさせるために

ソビエト指導者にとって不可欠なものとなった、

と断言した。



・1946年、ワシントンに呼び戻されたケナンは、

新設の国務省政策企画室の室長として

外交政策形成の中枢を担うことになる。



・また、Xという匿名で、

「ソビエトの行動の源泉」

と題された論文を発表した。



・あらためて西側世界に対する敵意は、

ソビエト指導部の権力維持に不可欠な要素であり、

彼らが外からの論理や説得に

耳を傾けることはありえない、と断言した。



・ただし、

彼らは力の論理には敏感であり、

あえて危険を冒そうとはしない。



・したがって、アメリカが取るべき政策は、

ソ連の拡張主義的行動に対して、

持続的に忍耐強く、油断なくこれを

「封じ込める」ことである、

と結論づけた。



・この時期、政策企画室の主導のもと成立した、

欧州復興計画、いわゆるマーシャル・プランは、

ケナンが提唱した「封じ込め」政策の具体化であった。



★コメント

過去の歴史は、現代の国際情勢につながっている。

学びたい。






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◆前間孝則『戦艦大和の遺産』を読み解く



★要旨



・西島亮二技術大佐は、

海軍始まって以来の「世紀の大事業」と呼ばれた、

「大和」の実質的な建造責任者だった。



・西島は、戦後、

ジャーナリズムに対して沈黙したが、

一千枚を超える未公開の『回想記録』を

残していたことがわかった。



・「大和」に関する文書や図面は、

ほとんどが焼却されたため、

『回想記録』はきわめて貴重な資料であった。



・「大和」を建造した呉海軍工廠は、

戦後、解体される予定であった。

しかし、巨大設備に目を付けたアメリカ資本のNBCが、

1950年、大和を作り上げた工員や技術者も含めて

そっくり借り受けた。



・すると、ただちに世界一のタンカーを

次々に建造していった。

工数も他の半分だった。



・未熟練の徴用工などが入ってこない時期の

太平洋戦争の直前に完成した「大和」は、

工員たちの水準がもっとも高かったころで、

「呉工廠の最高傑作」であった。



・「大和」に凝縮された英知や

技術的ノウハウは極めて密度が高く、

有形無形の遺産は、きわめて大きかった。



・技術分野における神髄ともいえる思考方法や

発想法、仕事の進め方や手法、

あるいは勘所の押さえ方や奥義といったものは、

人格と不可分であって、人を通して受け継がれ、

伝えられていくと認識している。



・それは決して、データベースやマニュアル、

コンピュータによっては、十分に伝えることはできない、

との認識を20年の技術者としての体験から

もち得ている。



・西島の一番弟子といわれるのが、

「造船界の異端児」真藤恒(しんどうひさし)である。



・真藤は、「海運王」ラドウィックと手を組み、

画期的な手法で数々の船舶を建造し、

戦後復興の先駆けとなった。



・80代半ばになった真藤は、

長年の経験と実績を知る、あちこちの造船所から

アドバイスを頼まれ、

各地を飛び回っていた。

そして、そんな視察について語るときの

真藤の表情がもっとも明るく、

楽しそうに見えた。



★コメント

今一度、戦艦大和について学びなおしたい。






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◆立花隆『政治と情念。権力、カネ、女』を読み解く



★要旨



・田中角栄は、「汚れ役」だった。



・汚れ役というのは、

表に出たら「汚い」と思われて、

世の指弾を浴びるに違いないすべてを、

それは自分の責任でございますと泥をかぶり、

親分は、真っ白のままにしておく役である。



・角栄の汚れ役は、カネ作りだけでなく、

カネを使っての政治工作とか、

スキャンダルの封じ込めとか、

多面的にやっていた。



・角栄は、

自分がそういう役回りを引き受けることによって、

自分の政治力を高めつつあるのだという、自覚があった。



・政治の本質は、利害の調整にある。



・政治力というのは、

妥協しがたい立場に立つ対立者間に、妥協を作り出す能力、

つまり合意形成能力ということ。



・それに必要なのは、

妥協点を見つけ出す能力であり、

当事者双方に、それを飲ませる能力だ。



・そういう能力において、角栄は特に優れていた。



・佐藤栄作首相は「沖縄返還」実現のため、

日米繊維交渉をまとめあげることが、

最大の急務と考え、田中角栄をその任にあてた。



・それまでの二代にわたる通産大臣である、

大平、宮沢でも問題は解決できなかった。



・角栄は、通産大臣に就任わずか3か月で

このどうしょうもなく難航していた日米繊維交渉を、

独特の手法で片づけてしまった。



・これが高く評価され、角栄は、

ポスト佐藤の有力候補として急浮上した。



・政治的勝負に勝つためには、

味方をたくさん作るより、

敵を少なくするほうが大事である。



・そのために角栄は選挙のときは、

自派に属さない、場合によっては敵となる政治家にも、

カネを渡し続けた。



・角栄のイメージは、

強気一辺倒で押しまくるタイプの政治家というところだが、

現実の角栄は、決してそうではない。



・角栄は、押してよく引いてもよい、

硬軟両様の戦術の使い手だった。

いくつもの予備プランをもっており、

あらかじめ手を打っておくという、

したたかさを持った戦略家だった。

田中真紀子には、そういう側面はまるでない。



・そのため、角栄は、

表面的には敵対者とされている陣営に対しても、

裏で秘かなよしみを通じておき、

必要とあれば、いつでも裏チャンネルを生かす、

ということができる人だった。



・角栄は、そういう隠れチャンネルを

多方面にたくさん持っていて、

それが角栄の比類ない政治取引能力の源泉になっていた。



★コメント

立花さんのほうから見る、

角栄論は、また別の面白さと学びがある。




 

 


◆牧本次生『日本半導体、復権への道』を読み解く



★要旨



・一国の盛衰は、半導体にあり。



・半導体は、1%産業にあらず。

多くの産業の基盤となるのが、半導体なり。



・日本の強みは、川上産業にあり。



・中国は世界最大の半導体消費国であるが、

これを国内で生産することは限定的であり、

大半を輸入に依存している。



・中国が国産化の比率を上げるために、

政府が巨額の資金を投入していることに

米国は警戒を強めている。



・日本における、

デバイス産業の川上に位置する半導体材料分野や、

製造装置分野は極めて健全であり、

強い国際競争力を維持している。



・逆に、弱体化しているのは、

デバイス産業と川下に位置する電子機器産業である。



・筆者は、スマホの次の主力市場は、

自動運転車を含むロボティクスの分野になるだろうと、

予想している。



・1980年代にジャパンアズナンバーワンと

言われた背景の一つは、

日本の家電製品が世界市場を制覇したことである。

縁の下でこれを支えていたのが、半導体である。



・そのルーツは、

真空管が使われていた1950年代に

いち早くトランジスタを使ってラジオを作り、

大きな成功を収めたことにある。



・歴史的背景により、

アメリカでは国民の間で広く、

「半導体は国防の要である」

という認識が共有されている。



・半導体は、大統領のマターなり。



・レーガン大統領を含め、

アメリカの歴代のトップは、

いずれも半導体に強い関心を持っている。



★コメント

あらためて、半導体について詳しく学びなおしたい。


 

 



 

 


◆安藤広大『とにかく仕組み化』を読み解く



副題→「人の上に立ち続けるための思考法」



★要旨



・「花形部署」だけが、会社のすべてではない。



・部署異動に文句を言って、

最初の配属先で頑張らない人には、

花形部署にいけるチャンスも巡ってこない。



・コツは、

「少し高めの目標をつねに設定する」

である。

満足した瞬間というのは、成長が止まるとき。



・「とりあえずやってみる。

まずはできる人から学ぼう」


このシンプルな素直さが、人を成長させる。



・「1つの業務しかしていない人」は、リスクなり。



・社内での「秘伝のタレ」をつくっていく。



・仕組み化が機能した組織は、

「伸び悩む人が、うまくいっている人に話を聞きに行く」

ということが、当たり前に起こる。



・人の上に立つ人が、

「聞かれたことは、隠さずにオープンにすること」

というルールを設けていくことが必要。



・「企業理念」の深い理解と深い腹落ちは、

遅れてやってくる。



・仕組みが変われば、会社は変わる。



・組織や個人が成長できる環境であれば、

優秀な人は辞めない。

いかなるときも「とにかく仕組み化」なり。



・「ゆるさ」は、新しいブラック企業なり。



・人の上に立つ人は、

「距離感を保つ」「制限時間をつくる」

という仕組みを実践してみてください。



・「平均」も突き詰めると、個性なり。

平凡な中にも、個性は滲み出る(にじみでる)。



・「任せる」とは、

「何をしなければいけないか」

「そのために何をやっていいか」

その線引きをすること。



・正しい情報は、

どんどん上にあげればいい。

そういう人は、いずれ人の上に立つようになる。



・組織は放っておくと、属人化していく。



・リーダーは、

決めたことを守り切るようにすること。



・属人化は、リスクなり。



・ポイントは、数字で管理する。

ルールを決める。



・プロフェッショナルは、

ルールを決め、線引きをして、仕組みを守り切る。



・締め切りを、徹底せよ。



・圧倒的多数の「できない人」に合わせて、

仕組みを作れ。

それを全員に活かすべし。



・マニュアルは、過去の苦労の結晶なり。



★コメント

組織マネジメントの本質を見つけたり。


 

 


 

 



 

 



 

 


◆森岡毅『確率思考の戦略論』を読み解く



副題→「USJでも実証された数学マーケティングの力」



★要旨



・ビジネスの神様は、シンプルな顔をしている。



・ビジネス戦略の成否は、「確率」で決まっている。

そしてその確率は、

ある程度まで操作することができる。



・客引きの兄ちゃんは、みんな同じ顔をしている。

アメリカでも、歌舞伎町でも。

つまり、人は仕事を選ぶけれど、

仕事も人を選んでいる、ということ。



・数学は、この世の中の「本質」を見極めて、

理解していくための欠かせない道具である。



・完璧な組織は、ない。

結局、現行戦力で勝つしかない。



・現実は、昆虫のように複眼でみる。



・確率の神様に、慈悲はない。



・どれだけ壁が高くても、

階段さえ作れば必ず登れる。



・戦略は、ゴールから考える。



・いかに到達地点の景色を

明瞭にできるかが、ポイントなり。



・企業リーダーにとって、その目的設定こそが、

最初の最重要な仕事になる。



・達成したい目的があるとき、

次になすべきことは、

その目的が達成できているときの状況を

想像力と数値を使って徹底的に考えること。



・市場構造の本質は、すべて同じである。



★コメント

今一度、ビジネスの本質に迫りたい。


 

 



 

 


◆森岡毅『USJを劇的に変えた、たった1つの考え方』を読む(その2)



副題→「成功を引き寄せるマーケティング入門」



★要旨



・USJは、マーケティングを重視する企業になって、

劇的に変わった。



・マーケティング思考は、

すべての仕事の成功確率をグンっと上げる。

変えたのは、1つだけ。



・USJが消費者視点の会社に変わったということが、

V字回復の最大の原動力だと思う。



・自分起点で周囲を説得して、

人を動かすことが重要なり。



・強力な「マーケティング力」さえ獲得できれば、

日本の誇る「技術力」が

再び輝きを放つと信じている。



・経営資源は、あなた次第で増えたり減ったりする。



・経営資源とは、

使う人が認識できていないと、使えない。



・6大経営資源とは、

「カネ、ヒト、モノ、情報、時間、知的財産」である。



・経営資源は、

認識することによって、増やすこともできる。



・武田信玄は「臆病者」をうまく使った。

戦国時代は勇者が尊重され、

「おくびょう者」は、軽蔑されていた。



・信玄は、言った。

「使えない人間などいない。

臆病者は、偵察部隊に使うとよい。

勇者は、敵を過小評価する。

偵察には、おくびょう者のほうが良い」



・目的の設定のポイントは、3つ。


1、実現可能性。

ギリギリ届く高さを狙う。


2、シンプルさ。


3、魅力的かどうか。

人が気持ちを入れられる、魅力的な目的設定は、

人的資源を激増させることができる。



・who、what、howがすべてうまくいくと、

ビジネスは爆発する。


誰に売るのか、何を売るのか、どうやって売るのか、

ということ。



・マーケティングが、日本を救う。



・恩返しは、できなくても、恩回しはできる。

上の世代から受けた恩を、下の世代に回すこと。



★コメント

多くの、人生とビジネスのヒントが詰まっている。

読み込みたい。