◆清水俊雄『ジョージ・ケナン回顧録3』を読み解く



清水俊雄、翻訳。



★要旨、解説。



・ジョージ・ケナンは、

20世紀アメリカを代表する外交官である。



・プリンストン大学卒業後、

1926年に外交官となり、

ベルリンでロシア語とロシア史を学んだ。

ラトビア、モスクワ、プラハ、ベルリンなどに駐在。



・1947年、国務省本省の勤務を経て、

1952年、駐ソ大使として赴任。

1961年から63年にかけて、

ユーゴスラビア大使をつとめ、外交官を引退。

学究生活に入った。



・ケナンが、

生涯にわたって残した著作は膨大である。



・ケナンの『回顧録』を際立たせているのは、

その表現力豊かな文章である。



・ドイツ文学やロシア文学に親しみ、

チェーホフの伝記を書きたいと考えていたケナンは、

文筆家としての腕前をここで遺憾なく発揮している。



・ケナンを最も有名にしたのは、

1946年2月、当時、駐ソ代理大使であったケナンが、

国務省に宛てて送った「長文の電報」(ロング・テレグラム)と、

1947年7月に外交専門誌「フォーリン・アフェアーズ」に

匿名で発表した、いわゆる「X論文」である。



・X論文で使われた「封じ込め」という言葉が、

長きにわたり、アメリカ冷戦政策の柱となった。



・ケナンは、駐ソ時代に、長文の電報をしたため、

クレムリンが西側諸国を敵視する背景には、

外部世界に対するロシアの伝統的・本能的な不安感がある、

と記した。



・ケナンは、

資本主義世界との共存は不可能だとするマルクス主義イデオロギーは、

ロシアの民衆に権力の正当性を信じさせるために

ソビエト指導者にとって不可欠なものとなった、

と断言した。



・1946年、ワシントンに呼び戻されたケナンは、

新設の国務省政策企画室の室長として

外交政策形成の中枢を担うことになる。



・また、Xという匿名で、

「ソビエトの行動の源泉」

と題された論文を発表した。



・あらためて西側世界に対する敵意は、

ソビエト指導部の権力維持に不可欠な要素であり、

彼らが外からの論理や説得に

耳を傾けることはありえない、と断言した。



・ただし、

彼らは力の論理には敏感であり、

あえて危険を冒そうとはしない。



・したがって、アメリカが取るべき政策は、

ソ連の拡張主義的行動に対して、

持続的に忍耐強く、油断なくこれを

「封じ込める」ことである、

と結論づけた。



・この時期、政策企画室の主導のもと成立した、

欧州復興計画、いわゆるマーシャル・プランは、

ケナンが提唱した「封じ込め」政策の具体化であった。



★コメント

過去の歴史は、現代の国際情勢につながっている。

学びたい。






◆まぐまぐメルマガ『国際インテリジェンス機密ファイル』ご案内。

ご登録はこちら。


http://www.mag2.com/m/0000258752.html