◆竹田恒泰『日本人が一生使える勉強法』を読み解く(その3)


 


※要旨



・「楽しそう」と感じる範囲を増やしていく。



・「役に立てるつもり」で勉強している時点で、

それは大した勉強ではない。

勉強しはじめたら面白くて仕方がなくなり、

知りたくてたまらくなって、

むさぼるように知識と知恵を求めていくのが、

知る喜びに満ちた本当の勉強だと私は思う。



・自分を磨いて、自分を高めるのが学問である。



・「脳がちぎれるほど考えよ」(孫正義)



・自分が抜擢されるかもしれないときに備え、

勉強している人と、そうでない人では差が出る。

いつ出番や役割が回ってくるかわからない。

しかし勉強していれば、その出番に応えることができる。

むしろ、勉強していない者に役割が回ってくることはない。



・勉強のやり方で重要なことは、

まず何か一つの専門の得意分野を持つこと。

そうすれば、その過程で、

知識のみならず「学問の方法論」も

同時に身に着けることができる。



・私が徹底的に掘り下げたのは

幕末の宮中にいかに精通するか、

ということだった。

これが私とほかの皇室評論家の

決定的な違いとなった。



・ちまたの皇室評論家は、

戦後の皇室や皇室儀式については

舌を巻くほどの知識を持っている。

しかし彼らの多くは戦前や江戸以前の知識がないため

たとえば戦後の

「大嘗祭(だいじょうさい)」の解説ができても

二千年余に及ぶ大嘗祭の歴史を遡ってその意義を

解説することはできない。



・150年前の「幕末の宮中」に精通していても

二千年は遡れないだろう、

と思われるかもしれない。

しかし、宮中文化が頂点を極めたのは幕末だった。


・そのため幕末の宮中を知れば

二千年の長きにわたって積み上げてきた

最終の宮中の文化体系を知ることができるのだ。




※コメント

学びとは何か、

あらためて考えさせてくれる一冊だ。

凄まじいまでの勉強力が、

己の向上につながる。


 





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◆三浦元博『経済兵器。現代戦の手段としての経済制裁』を読む



ニコラス・シュルデル著

三浦元博、訳。



★要旨



・経済兵器によって

断ち切られる可能性があるのは、

物品貿易、資金の流れ、外貨準備、

エネルギー供給、戦略的インフラ、そして海運である。



・制裁は、欧米が経済的・帝国的支配の時代に、

欧米によって開発されたものである。



・その他の世界は、

通商ルートを迂回する目的地としての役割を

果たすほど豊かではなかった。

こうした状況は今日、もはや存在しない。



・制裁によって、国際政治に利用できる手段は広がったが、

同時に政治的成果は、明らかに限られている。



・現在の世界が、

戦間期の不安定な秩序に似てきたもっとも顕著な点の一つは、

2022年2月以降の大規模な対ロシア制裁が

世界市場に与えた影響である。



・これほどの経済規模の国が、

国際的な制裁の標的になったのは、

当時世界7位の経済大国であったファシスト・イタリアの

エチオピア侵略を罰しようとした、

国際連盟の試み以来である。



・かつて、燃料管理をグローバルな懲罰手段に

変える唯一の方法は、

米英がオランダと協力することだった。



・オランダは、ロイヤルダッチシェルを通して

中東および東南アジアの石油生産の重要なシェア、

特に、東アジアの主要石油産地である、

オランダ領東インドを支配していたのだ。



・世界石油市場における米英蘭の優勢は、

世界の鉱物生産のより幅広い集中を象徴していた。



・1938年には、

10ヶ国が世界の鉱物の71%を支配していた。



・そして米国は、

単独で世界の鉱物の29%を自由にできた。



・英国とフランスは、本土には石炭と鉄のほかは、

多くの鉱物を蔵していないが、植民地帝国で、

そして海外で活動する私営企業を通して

非公式で大量の鉱物を支配していた。



・これらの隠れた法人保有資産を国の総計に含めると、

鉱物の実際の集中は、さらにいっそう極端になる。

英米が、51%を支配し、

米英仏独ソによる寡占が、

世界の供給の74%を占める結果になった。



★コメント

あらためて、世界経済の凄さを知った。

学び続けたい。





◆春日太一『役者は一日にしてならず』を読み解く



★要旨



・三國連太郎へのインタビューは、わずか6分だった。

しかし、この6分で天才といわれた名優の芝居の原点を知り、

痛感した。



・その芸が磨かれていく裏側には、

映画に負けないドラマが息づいていて、

その言葉に込められた想いは、

胸に突き刺さってくるものなのだ、と。



・役者の世界とは、

我々から遠い煌びやかなファンタジーの世界では

決してなく

同じ地続きにある生々しく泥臭い世界。

三國から、そう教えられた気がした。



・映画は、ギブアンドテイクの世界。

いいスタッフといい監督、

そして役者がかみ合った時に、

最高に面白くなる。



●夏八木勲



・肉体というのは、俳優の基本中の基本なり。



●林与一



・仕事のない時こそ、芸に差がつく。

どんな仕事が来ても、

「はい、できます」

と答えられる下準備ができるのは、

仕事がないときだけ。



・長くやっていく上で必要なのは、

下地と引き出しだ。

休みがあっても家で、ぼうっとするな。



●近藤正臣



・長い下積み。



・「時代の妖怪」であればいい。



●前田吟



・切磋琢磨は、死ぬまで続く。



●平泉成



・スターになりたきゃ、ベンツに乗れ。

役者になりたきゃ、電車に乗れ。



・つまり、役者になりたければ、

電車やバスで一緒に乗っている人を

よく観察しておけ、と。



●田村亮



・日本には古い名作がたくさんあるんだから、

それを観て、学べばいいと思う。



・今は古い芝居をやったら、新しいものになる。

みんな知らないから。



・古い作品から盗んで芝居をすると、

今の人には、新鮮に見える。



★コメント

役者さんから生き方と、仕事術を学んだ。





◆田崎史郎『梶山静六。死に顔に笑みをたたえて』を読む



★要旨



・入院して手術後、

梶山静六が日々の思いをつづった大学ノートが残っている。

ノートには、こんな言葉が書かれていた。


「経済をもって興り、経済をもって衰退」


「国家観、人生観、武士道」



・梶山の人生を振り返るとき、

ほんとうに惚れ込んだ政治家は、

田中角栄ひとりである。



・梶山は、

「政治は道楽」

「政治こそ天職だ。生まれ変わっても政治家になる」

といって、

寝ても覚めても、政治に没頭した。



・「田中支配」を内側から突き崩した、

創政会結成につながる極秘会合が開かれ、

この国の政治を変える舞台となったのは、

東京・築地の料亭だった。



・金丸信は、無頓着に見えながら、

金品や政治に関する会話をじつに事細かに覚えていた。


「修身の教科書を丸暗記した」

という金丸の記憶力は、

元来、並はずれて良かった。



・権力の象徴は、大臣である。

それに梶山が就任したときは、61歳だった。



・国対委員長は、政治のプロとして

ある種の資質がないと務まらない。

梶山は、国対委員長就任を受諾した。



・権謀術数の極致。

「自社さ」の人間ドラマあり。



・梶山静六の人生は、じつに起伏に富み、

山あり谷あり、その山は高く、谷は深かった。



・橋本内閣の官房長官として

復活するまでの約2年半は、

梶山の谷底の時期に当たる。



・派閥の求心力が衰え、

派閥単位で総裁選を占うことの誤りに、

もっとも早く気が付いたのが梶山だった。



・梶山は、B4判の模造紙に

鉛筆で書いた政界の図面を作っている。

この一枚紙には、

各党、各派閥の人脈図が描かれている。


これと思った人物の名前を書き加え、

以前と変わっていれば、

消しゴムで消して新しい線を引く。


まるで図上演習をしているかのように、

図面を眺めおろし、

作戦の想を練った。



・政治家の会談が行われる料亭の場所は、

永田町、赤坂、築地、向島、神楽坂と、

相場が決まっている。

だが、小沢一郎は、都心からやや離れた、

東京・大塚の料亭「富王」を好み、

梶山や公明党幹部との密会に、よく使った。



・竹下登から私が教えられたこと、

それは、政治の動きを把握するには

まず日程を調べるということだ。



・政治史には、

衆院解散としか記されていない事象でも、

多くの人間ドラマが潜んでいる。



・歴史を作るのは、あくまで人間であり、

そこに知略や葛藤、非情な打算が息づいているがゆえに、

興味が尽きないのである。



★コメント

田崎さんのディープな取材力は、

多くの学びあり。






 


◆正田圭『サクッと起業してサクッと売却する』を読む



正田氏は、15歳から起業を経験されている。


 



※要旨 


 


・起業に崇高な理念など必要ない。


 


・僕は、

「トマトを作って売るような感じで会社を作って売ればよいのに」と思う。



・トマトを作るのに、崇高な理想など必要ない。

トマトで世界を変革させる必要はないのだ。

決してトマトをバカにしているのではない。

起業するのに、崇高な理念や。

世界を変革するような志は、とりあえず必要ないと言いたいのだ。



・僕は15年以上の時間をかけて、

どうしたら起業に成功し、

売却まで持っていけるのか、をずっと実践してきた。

むしろ、それだけを意識してきた。



・初めて起業する起業家の理念も、

そんなもんだと思う。

そもそも社会に出たことがないのに、

社会に対して問題提起ができるわけもなければ、

課題を発見できるわけもない。



・経営理念やミッションは、

起業して、幾度もの経営の危機を乗り越えながら作り上げ、

練り上げることによって出来上がっていくものだ。



・ここまでの話をまとめると、

お金と時間の両方を手に入れるには、

起業して会社を売却するという戦略が最も近道であるということだ。



・実は、起業は「数を重ねるごとに有利になっていくゲーム」なのだ。

若い人でも、一度会社経営に成功した人は、再起業する。

初めて起業するときよりも、

2回目の起業のほうが、ダントツで有利に進められる。



・人生は「変える」のではない、「買える」のだ



・会社を作り、それを大きくして売るという経験があると、

とにかく人生の選択肢が増えるのだ。



・人生が変わるというか、

変えることができるようになるのだ。

もっと生々しい表現をすると、人生「買える」のだ。



・最初の会社経営において、

ファイナンスや資本政策の知識の足りなさを

痛感する場面が多々あったため、

独学で勉強を始めたのだ。



・本を数千冊買って、

ホテルの一室で数カ月間読みふけることなんて、

金がなきゃできない。



・僕は公認会計士試験に必要な勉強を独学で行ったが

(資格は取っていないし、試験も受けていない)、

その教材は、近所の書店で参考書を数冊といったものではない。

資格専門学校でしか買えない、

約70万円もする高額なものである。



・公認会計士の勉強をしたとはいえ、

僕の目的は資格取得ではなかった。

会社経営に役立つ知識を得たいだけで、

公認会計士の事務所を開きたいわけではない。



・だから、テキストを買い、

学校へは行かずに講義の動画をオンラインで見て、

財務会計論、管理会計論、監査論、

租税法、企業法、民法、統計学、

経営学、経済学をひと通り学ぶことにした。



・事業計画は必ず言語化しろ



・後々、会社を売りたいのであれば、

事業計画は必ず作ろう。

そして、必ず言語化しよう。

事業計画は事業の設計図であり、地図である。



・経営に必要な知識をどうやって身につけるか



・起業家にはファイナンス周りの勉強が欠かせない。

起業したら、

まずはファイナンスの知識をつけることをおすすめする。

もっと言えば、起業家の必須科目は、ファイナンス、会計、法務、税務だ。



・勉強の方法としては、

本を読むとか、

セミナーを受けるとか、いろいろな手段があるだろうが、

僕がおすすめするのは、

自分の会社の外注先に教えてもらうことだ。


 


 


※コメント

正田氏の豊富な経験と情報力は、

読む人を引き込んでいく。

平易な言葉遣いのため

ファイナンスに関する興味が俄然に沸いてくる。


 





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◆国谷裕子『キャスターという仕事』を読む(その2)



★要旨


→続き。



・キャスターという仕事に偶然めぐり会い、

抜擢されて総合テレビに出たものの、

経験と能力不足が露呈し、わずか1年で外された。



・自分にとって初めて経験した大きな挫折。

しかし、そのことでむしろ、私のなかで

キャスターという仕事に対するこだわりが

生まれてきていた。



・毎日、大勢の視聴者の前で

不甲斐ない仕事ぶりを見せ、

時に外を歩けないような恥ずかしい気持ちで

過ごさざるをえなくなった一年間を経て、

私は、キャスターとして成功したと評価されなければ、

この先も、顔をあげて歩いていけないと

思うようになっていた。



・キャスターとして認められたい。

なりたい自分がはっきりと見えた。



・その後、編集を前提にしないインタビュー番組を任された。

無我夢中で仕事をした。

キャスターとして認められたかった私は、

体の具合が悪く、熱があっても、

吐き気を催しても決して休まなかった。

バケツを席の下に置きながら放送したこともあった。



・リベンジの時。

衛星放送で体験した、

インタビューのいわば「1000本ノック」。



・そして4年が経ち、1993年、

総合テレビで夜9時半から

新しく始まる報道番組のキャスターを

私に担当してほしいと依頼が来た。



・苦い思いを経験した総合テレビで、

もう一度自分を試せる。

自分へのリベンジが出来るチャンスを

与えられたと思った私は、

すぐに「やらせてもらいます」と答えた。



・衛星放送のワールドニュースでは、

多くの修羅場を否応なしに体験させられ、

その結果として、

私はどんな事態でも向き合える度胸がついたと思う。



・自分を鍛えられる場所を与えられたことが、

キャスターとして認められたいという

強い気持ちが生まれていた私には、

なによりありがたかった。



・数々のインタビューを通して、

たとえニュースになる発言を引き出せなくても、

言葉の重みや表情が語ることも

テレビの大きな魅力であることを学んだ。



・インタビューでは聞き手が

どんな質問をするのかが

問われていることも実感した。

そして生放送では、

最後は自分しか頼れないという覚悟が

必要であることも身に染みてわかった。



・視聴者への問題提起としての「クローズアップ現代」。

その番組の性格上、

番組の冒頭に「前説」というものが置かれていた。



・コメントは、短くて1分半、長くて2分半。

私はこの前説の作成に

2時間から3時間かけることもあった。

書いては消して、消しては書きの連続。



・前説の語りに、

放送に至るまでの制作者たちの様々な思い、

全体試写での議論や多くの資料などを通して

私が感じた思いを全力投入し、

文脈として浮かび上がるようにした。



・良いインタビューは、

次の質問を忘れて相手の話を聞けたときに

初めて行えるものなのだ。



・聞き手であるキャスターが、

しっかりとインタビューの準備をしてきたかどうか

ということは、

相手の方はたぶん会って数分で気づく。



★コメント

キャスターという仕事の凄まじい舞台裏を垣間見た。







◆国谷裕子『キャスターという仕事』を読む(その1)



★要旨



・英語放送からのスタート。



・NHKとの出会いは、

父にかかってきた一本の電話がきっかけだった。


「お宅には英語が堪能なお嬢さんがいらっしゃいましたよね?」



・電話の主は、香港に住んでいたころ、

近所にいたNHKの元特派員の方から。

1981年、夜のニュースを二か国語放送することに向けて、

英語でニュースを読むアナウンサーを探していた。



・私はすぐに誘いのあった英語ニュースの試験を受けて合格、

英語放送のアナウンサーとして雇われることになった。



・帰国子女で小学校の数年を除いて、

海外の大学やインターナショナルスクールで

教育を受けてきた私は、日本のことをきちんと

理解できていないことがコンプレックスになっていた。



・英語放送の仕事は、週2、3回、

午後3時半から8時までの4時間半。

担当の日は、朝から日本語の新聞と

英語の新聞を丹念に読み、

その日の放送に出てきそうなニュースを

理解できるようにし、

英語での言い回しを勉強した。



・同時通訳の学校にも通った。



・耳で聞いたことを正確に言葉にする訓練、

リピーティングの授業があった。

その訓練を繰り返していくうちに、

私は苦手だと感じていた日本語が、

口の中で定着していくように感じ始めた。



・読んだり書いたりしていても、

自分で使うとなると敷居の高い表現がある。

しかし、自分で聞きながら、

その言葉を実際に使うことで、

遠かったボキャブラリーが

自分の中で使えるものに変わっていく。

これは不思議な体験だった。



・ニューヨーク発のワールドニュースを担当しているとき、

1988年、日本での総合テレビの仕事をオファーされた。

このとき、コロンビア大学の大学院にいくのか、

日本に帰国してテレビの仕事を選ぶのか。



・迷った私は大学へ相談に行った。

入学担当の学部長は、

「学校は待てます。

しかし、仕事がめぐってくるチャンスは、そう多くありませんよ」

とアドバイスしてくれた。


「School can wait」


私の迷いを吹き飛ばしてくれる言葉だった。



・挫折。

東京の放送センターにキャスターとして

初めて足を踏み入れた瞬間、

私はその雰囲気に圧倒された。



・私の緊張している様子は、

毎日の放送を通してすぐに視聴者に伝わり、

こわばった表情だけでなく言葉につまったり、

日本語の「てにをは」がおかしかった。



・自信なさげなキャスターに対して、

視聴者から多くのお叱りが届いた。

抜擢されたものの、期待に応えられない不甲斐なさから

私は肩身が狭かった。

自分自身にも失望し、NHKからの帰り道、

涙があふれることも少なくなかった。



★コメント

国谷さんの挫折から、多くのことを学べる。






◆岩田明子『安倍晋三・秘録』を読み解く



★要旨



・NHKの政治部記者だった私が、

安倍の担当になったのは、2002年、

小泉政権の官房副長官時代からである。

以来、20年にわたり取材を続けている。



・ここ数年、コロナ禍では、

電話でのやりとりが日課と化していた。

取材のために電話をかけるときもあれば、

安倍が、情報収集や雑談するために

かけてくることもある。



・時間帯は決まって、

午後10時半から深夜零時の間だった。



・2002年の最初の頃、

当時の安倍は対峙しても

こちらを一瞥するだけで多くを語らず。

掴みどころのない政治家という印象だった。



・取材先から核心情報を入手できるようになることを、

業界用語で「刺さる」と表現するが、

当時の私には、

安倍に「刺さる」ことは到底難しく、

取りつく島のない状況だった。



・ただ、坂井議員への捜査の読み筋などで

知見を得ていたことに

安倍は興味を示し始めた。



・結局、20年にわたり

取材を続けることになるわけだが、

膨大な回数の重ねてきた。



・安倍は、一度懐に飛び込むと

気さくな素顔を見せる。



・2021年3月17日の夜のことだ。

安倍は富ヶ谷の自宅に、麻生太郎を招き、

2人で酒を酌み交わしていた。



・政治観を微妙に異にしながらも、

長年の盟友である麻生とは、

肝胆相照らす仲だ。



・実はその晩、2人は、

「台湾海峡の有事は、5年以内に起こるのではないか」

と話している。



・台湾有事が起きた場合、

全世界の首脳と交渉し、

陣頭指揮を執ることができるのは、自分しかいない。

そんな自負が安倍にはあった。



・安倍が、総理時代に採った外交戦略が、

「地球儀俯瞰外交」であり、

具体的な手法が「テタテの最大活用」だった。

これが、

安倍外交の真骨頂だと私は見ている。



・テタテとは、フランス語で

「頭と頭をつきあわせる」

「内緒の話」

などの意味で、

外交の場面では、通訳のみを介した、

首脳2人だけの一対一会談をしめす。



・真の外交とは、

首脳自身が相手国の感触を掴むことから始まる。

安倍はそう強く意識していた。



・2019年の御代替りを無事に終えて、

上皇は周囲に、

「安倍総理にしかできないことだった」

と漏らされており、

安倍に信頼と感謝の念を抱かれていたことが窺われる。



・現天皇と安倍は、

世代が近いこともあったか、初めから話があった。

内奏の際には天皇が安倍に、

「またいつでも来てくださいね」

と歓迎したという。



・安倍から甘さが消え、

政治家としての凄みが出てくるようになったのは、

やはり第一次政権退陣後の

雌伏の5年を経てからだ。



・周囲への感謝を度々口にするようになり、

人情に厚く、それでいて政局を巡っては、

冷静かつ緻密な戦略性を持つ。

最後は天運に任せると、

達観した様子も窺えるようになった。



★コメント

長年、安倍さんの近くでみてきた、

岩田さんの文章表現は、深い。





◆内藤陽介先生の新刊『今日も世界は迷走中』 に注目します。



副題→「国際問題のまともな読み方」



★内容のポイント



・増税・規制から日本を救う落選運動のススメ



・目覚めろ左翼!

レジ袋規制こそ「戦前回帰」だ!



・いつまでも「GHQの洗脳工作」のせいにしてちゃダメ。



・知ってますか?

日本でトンデモ規制が生まれる構造



・北欧から学ぶべきは「福祉」よりも「軍事」と「外交」



・韓国の反日叩きは無意味!

歴史戦を仕掛けよう



・北欧2カ国のNATO加盟はトルコの一人勝ち?



・中国のサウジ・イラン仲介は朝貢国家の悪い癖?



・マジメな移民が激怒したスウェーデンの移民政策







◆服部正法『裏切りの王国。ルポ・英国のナショナリズム』を読む



★要旨



・世界の「辺境」で養ってきた見方が、

欧州の現場において、

とりわけナショナリズムの問題を考察することに役立った。



・途上国の紛争現場を這い回ることがなかったら、

英国のナショナリズムに

着目するようにはならなかった。



・ジョンソン首相の魅力(チャーム)がなければ、

ブレグジットは実現しなかったかもしれない。



・あの段階でブレグジット実現しなかったら、

ファラージに代表されるような、

右派ポピュリストが伸長して、

英国の混乱がより深まった可能性も否定できない。



・ブレグジットの完遂は、ジョンソン首相の功績だろう。



・ブレグジット自体が、

本当に英国にとってよかったかどうかは、

今の段階では明確にわからない。

評価は、歴史に委ねられる。



・ボリス・ジョンソンは、1964年生まれ。

イートン校から、オックスフォード大学へ進学。

ギリシャ古典を専攻した。



・ジョンソンは、舌禍や筆禍が絶えなかった。

批判にさらされるものの、

なぜか政治家としての致命傷にまで至らなかった。

インテリからは嫌われていたが、

ポリコレが嫌いな層から受け入れられていた。



・ジョンソンは、

チャーチルを尊敬し、チャーチルの評伝も書いている。



・ジョンソンは、

2019年7月、英国首相に就任した。



・「予言者」チャーチルの言葉は、

英国人に大きな影響を与えてきた。



・英国人は伝記が大好きで、

書店の棚のかなりのスペースを伝記が占有する。

チャーチルの伝記は、とくに数が多い。



★コメント

あらためて、英国とは何かを、調べなおしたい。