受験コーチ池田潤が教える参考書学習法 -17ページ目

受験コーチ池田潤が教える参考書学習法

‐志望校に合格する勉強法と思考法‐

本の中にも書いていますが、「机に向かう前」の問題というのは本当に大きいです。


特に、「進路」についてそれが言えます。


これ、すごく面白いのですが、経験上、進路を「自分で選ぶ」ことができればそれだけで成績が上がっていくケースも多いです。


来年以降に受験する人によく考えて欲しいのですが、今勉強することができない、やる気が出ないのであれば、もしかしたらその進路は「選ばされた」ものであるかもしれません。


今までの予備校や塾では、ひたすらに「偏差値至上主義」なところがあって、偏差値の高いところであればあるほど良いという風潮がありました。今もありますかね。


実際、偏差値の高い大学に行くことによるメリットはあります。人であったり図書館であったり、社会的信用、だんだん価値が廃れて来ている就職活動における利点、などです。


そういった「メリット」を追い求める受験の姿もあると思います。良い悪いは別にして。


ただ、いずれにせよ、一番苦しいのは『自分自身が行きたくもない大学に行くための受験勉強』です。


これほど苦しいものはありません。


で、そういうケースの場合には、いくら受験テクニックを使おうが、勉強法を学ぼうが、優れた授業があろうが、成績は上がりません。


自分の無意識がそれを拒否しているからです。どうしても勉強できない、体が動かないということが起こってくる。


私のプログラムに入って、志望校を変える子が結構います。


それはなぜかというと、今までの志望校選びが親や社会の洗脳であったことに気づくからです。


医学部志望の方でも多いですね。高校のときに成績が良かったので、そのままなぜか医学部を目指したとか、


医者は良い、エリートだというイメージだけで選んだとか。


お医者さんになれば、ハードスケジュールですし、人の命を預かることになります。


本来、相当な使命感、人への思いやりなどある人が目指すもの。


お金とか社会的地位とかそんなものがあっても、日々の仕事のハードさ、責任の重さに比べてみると全く割が合わない。


仕事のハードさと責任の重さに比べて、得られるものが少なすぎる(メリットという意味で)。


それよりも今は、自分で好きな仕事をする方がいい、という風潮も出て来ています。


であるにも関わらずお医者さんを目指すとなれば、そこには使命感しかないはずなんですね。


で、話を戻して、自分の本心から来る気持ちが元になっていなければ、なかなか受験勉強に手をつけることはできないし、成績も上がりません。


また、仮に合格したとしても幸せにはなりません。


幸せになれると思ってした勉強は、自分を幸せにしなかったということが起こるわけです。


自分がその未来を描いたときにワクワクするか、心がウズウズするか。


頭で考えるよりも心で感じる。


心で「ああしたい!」と感じるのは、自分が本当にそれがしたいと思っているから。


頭で考えていることには、社会や親、他人の洗脳がたくさん入っています。


「こうでなければならない」にがんじがらめになっています。


で、大して行きたくもない大学を目指しているから根本的なエネルギーが足りないのに、勉強できない自分を責めたりとか。


本来人は誰だって、やりたいことのための行動は自然とやります。


どれだけ怠け者の人間だって、やりたいことのための行動ならするんですよね。


重要なのは「本当はどうしたい?」という問い。


この受験という機会を通じて、自らの人生について考えてみる。それが大事だと思うんですね。


受験と、就職。


この二つの機会は、自分の人生を考える良い機会です。そこで何も考えなければ、流されるままに人生を送り、気がつけば年を取っていた、ということにもなりかねない。


この機会があるからこそ、自らについて考えることができる。


だからこそ、この機会を上手く活用して欲しいな、と思います。

ただ今、iTunesにて私の著書『勉強の結果は「机に向かう前」決まる』が登場しています!


「今週のブック」という欄に出ています。


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そして何と、ランキングにも入ってきています!嬉しいですね。


今売れに売れまくっているホリエモンの「ゼロ」を追い越しました。


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ただ、上には実は「進撃の巨人」という漫画が選挙中。


巨人に人類がやられてしまっている状況です。これは何とかせねば…!笑


漫画はビジネス書とは段違いの売り上げ部数なのでなかなか厳しい戦いではありますが、人類代表として巨人と戦ってきます。笑


スマホなどでも見やすく、スマホに本があるといつでも読めて本の内容を自分のものにしやすいかもしれません。


もう電子書籍の時代が来てますね。


まだ電子書籍を体感したことのない人も、『勉強の結果は「机に向かう前」に決まる』を通じて体感してみてもらえると嬉しいです。


今は期間限定でかなりお安く手に入ります。良ければ。


巨人を一体でも多くやっつけたいところです!

メルマガでは言っていることですが、「合格できますか?」はナンセンスです。


そんなことは初めから決まっていることではないから。


もちろん、気持ちはよーく分かります!しかし。ここはあえて苦言を呈していきたいところなのです。


1年で合格出来ますか?とよく聞かれますが、自分を合格させるのは自分であって、客観的にできるできないは決まっていません。


さらに言えば、私が「無理ですねえ」と言ったらやめるのか?という話。


誰かが「無理」とか「できない」とか言ったら、やらないのか?という話。


何かを成し遂げてきた人はいつだって、「無理」と言われ続ける。「できない」と言われ続けてる。


それでもやっていく。自分がやりたいから。


できるできないじゃなくて、やりたい。だからやる。それだけ。


最初から「できますか?」となるのは「保証」を欲しがっているということ。


できるという保証が欲しい。


できないのだったらやりたくない。できることだけをやっていきたいというマインド。


それでは、挑戦というものができないし、どんどん人間は小さくなっていくばかり。


だって、できることしかやらないんだから。


できないことはやらないんだから。


そういうマインドでは目標を達成していくのは困難。


何が何でも達成してやる。周りが何と言おうがやる。


そのくらいの気持ちがないと。


本当は、人生に保証なんて一切ない。


保証ありますよ!と思わせているものがあるだけ。


どこに行ったって、何をしてたって、保証のあるものなんかない。それが人生の真実。


会社だっていつ潰れるか分からないし、国がどうなるのかも分からない。


そうでしょう?


その中で保証を求めたって、それは幻想でしかないし、保証を求めれば求めるほど、人間は弱くなっていく。


チャレンジができない。挑戦ができないから。


できないと思われることだから、やる意味があるわけ。


もう、保証を求めるのをやめよう。


できるかできないかは最初から決まっていない。


自分が「できる」と信じるだけでいい。


じゃあ、それが真実になるから。自分が信じるものが真実だから。


保証を求める生き方してたら、恋愛だって上手くいかない。


「ううん、自分のことを好きだったら、アタックしようかなあ…」


そんな草食系全開のこと言ってたら、今だに肉食系でいる男にその子を奪われるだけ。普通にいるからね、まだまだ。


「振り向かせてやる」


くらいの気持ちが必要なわけでしょう。


保証なんてないけどね。


保証を求めるから人は弱くなる。


保証のないものを全力で追い求めることで、人は強くなる。


と思います。

コメント欄にありましたが、「勉強法が分からない」という悩みが出てくることがあると思います。


そのときに大事なのは、受験の基本を忘れないことです。


受験の基本というのは、過去問で最低点以上を取ることであり、自分の志望校で必要な点数を取ればそれでいいということ。


一般論というよりも、「あなたの志望校」に必要な力を見極めることが必要になります。


適切な勉強法とは、ある意味一般化されたものの中から、自分に必要なものを抽出し、応用することで生まれます。


だからこそ、過去問を知ることはものすごく大事ですし、そのときに必ず自分の実力を明確化しておくことも大事になります。


受験勉強とは、要はそのギャップをいかに埋めるか、に尽きるわけですね。


であるならば、ゴールと現状を明確にしておくことは最低限必要なことです。


それすらやらずに受験勉強をしている人もいますが、それをやらないと効率的な勉強なんてできるわけがないのです。


この話は、ずーとずーとしてきていますが、実際にやる人は少ない。で、そういうことをやれている人が合格していくわけですね。やる人少ないから。


知識レベルで知っているだけじゃだめ。知識レベルで知っているけどやってない。結果が出ない。で、その知識が悪いと知識のせいにする。


これは不合格者の典型的な思考であり、もっと言えばどの分野でも結果を出すことができない人の思考パターンです。


上手くいかない人には共通の思考パターンというのがありますが、大抵は自分の問題ではなく自分の外側に問題の原因をすりかえていくことで自分の自尊心を守ろうとします。


ある意味、自分の弱さを認められない人とも言えますね。


話を戻して、まずはゴールと現状のギャップの明確化。


それが終われば、どういう手段で勉強していけば最短で受験をクリアできるかということを考えます。


もうこの時期に来て授業に頼るという人はいないと思います。授業を聞くだけでは時間がかかりすぎますし、すでにこの時期にそんなことをする必要はない。


ただ、授業を受ける=勉強している、という感覚が欲しくて、分けも分からずとりあえず授業を受けている人が多いですが、


今は演習の時期であり、どれだけ自力で問題が解けるか。そのための力をつける。そういうことを可能な限りたくさんやっていく。


本当に、可能な限りです。受験生は毎日勉強するのが当たり前で、それが仕事みたいなものです。


無駄な時間を過ごさず、生きている時間の可能な時間は全部勉強に捧げる。


それは特別なことではなく、普通のこと。


この時期大事なのは、反復と演習のバランスをどうしていくかということ。


コアとなる参考書の反復は最後の最後まで続けていくべきです。人間、絶対忘れます。忘れるという前提の元で記憶のメンテナンスを徹底的に行っていく。


しかし、それだけだと自力で問題を解く力がつきませんから、自力で時間内に問題を解く力をつけるために演習する。


「自分に適切なバランス」でこれをやっていく。


いつだって、自分にとって何が必要なのかを頭に置きながら勉強するし計画を立てる。


何となくで立てない。どこかの本に「こうすべし!」と書いたあったことをそのまま真似して勉強ノルマにするとかありえない。


自分にとって必要なことじゃないから、それは。参考にするのは良いけど。


受験コーチングプログラムでは、徹底的に自分で考えることをさせてきたので、いつでも「自分には何が必要か」と自分に問う習慣を身につけてもらうことができました。


質問とか、もう質問じゃなくなってる。だって自分で答えを出せているから。


「○○だと思うのですが、どうでしょうか?」


「うん、そだね。それでいこう」


終わり。


最終的に、こうなる。池田潤はいらなくなる。


それが本当でしょう。


「いくらでも質問聞きます!」と言って考えさせる力奪って、依存者を作ってるとこ多すぎです。依存者作った方が儲かるからそうするんです、そういうところは。


そういう子は大学入っても外側に答えを求めて自分で動けなくなります。


そういう大学生多いじゃないですか。一般的に「これやるとよい」ということしかみんなしない。


大学生がこれが読んでたら、共感する部分があるかと思います。


それは結局、塾とか予備校でも自分で考える力奪われちゃってるんですよね。「これをやりなさい!」とロボット化させられて、自分がこれからどうすべきってことを考える力がなくなる。


もちろん全部で自分でやれなんて言ってない。私のプログラムでもアドバイスはしますが、絶対に自分で考えさせる。


その重要性を認識させる。


で、自分の考えだけで間違った方向にいかないように個別にアドバイスする機会も作る。当たり前ですが、考えるために必要な情報は予め与えてある。そういう形になっています。


「考える力は科目の勉強でつきます!」とか言う人がいますが、それとこれとは話が違う。抽象的思考とかそういうものは身に付きます。科目の勉強が意味ないと言いたいわけではなくて、


結局、やるべきことを決められた中での考える力なんですよね。サラリーマン的思考。


しかも『答え探し』ですよ。


答えが予め決まっている中での答えを探し求める力。


人生には答えなんてない。仕事にも答えなんてない。答え探しの力だけをつけたって役に立たないばかりか、有害ですらある。


そんなのを「考える力」と真剣に言っている。やばい。てか、そういう指導者ばかりですけれど。


塾とか予備校とかの先生って、自分のやっていることを肯定したいんですよ。


だから、自分が教えている科目の勉強で「考える力がつく!」とか言わざるを得ないんですよね。だってそう言わないと自分が否定されちゃうから。


でも結局は「答え探しの枠の中」での考える力に過ぎない。そんな力はもう時代遅れも甚だしい。そんなことを真剣に信じている指導者に教わったら、時代に取り残されます。


私が言っているのは「目標を達成するための考える力」。ここに答えはない。


サラリーマンが悪いわけではないですが、サラリーマン的思考はまずい。


全部決めてもらった上でしか物事を考えられない。それは結構まずい。権威ある人の命令を聞いて、従順にその命令を「頭を使って」遂行する人が生まれるだけです。


受験で身につけるべき力って何なのかということを考えたときに、やはり一番大きいのは「問題解決能力」じゃないかと思うわけです。論理力とかも当然ありますが、それも結局は問題解決能力につながっていくわけで。


自分が抱えた課題を情報を集め、アドバイスももらいながら最終的には自分で考え解決していく力。


科目の知識がそれ自体役に立たないのは誰でも知っていることですし、受験制度変革の動きがあることからもそれは明らか。


じゃあ何を身につけるのかって、問題解決能力。課題を乗り越えていく力。じゃないかと思うんですね。


でも、その力をつける機会は奪われる一方。「これやりなさい!黙って!自分で考えなくていいから!」と。


で行き詰まったら「せんせー!どうしたらいいですかあ?」。


「こうしなさい」


「はい、分かりました」


ロボットのように言われたことをやっていく。何も自分の頭で考えない。


結局それが成績向上すら妨げている現実もある。だって、自分の頭で考えないと「自分の課題」「自分に必要なこと」は見えてこないから。


かなり長く熱くなりました。


今日はこのへんにしておこうと思います。


大事なのは、ゴールと現状のギャップを認識し、その「自分のギャップ」を埋めるために「自分にとって必要なこと」を実行することです。

仕事柄、「変わりたいです!」という人によく会います。


ただ、「変わりたい!」と言っているときに、なかなか変われなかったりすることがあります。


変わりたい自分が心地いいから。


人は基本的に現状維持して生きてる。で、「変わりたい!」っていう人は、変わりたい自分を維持し続けてしまうわけ。


変わりたいって願っている自分でずーと居続けてしまう。


不満を抱えたままの状態、自分に満足しない、自分に自信がない、一歩踏み出すことができない状態。


そんな自分で居続ける。


いつも「準備中」の人生。


だって、そんな自分でいる方が楽だから。


その自己イメージは維持され続ける。


変わりたいと言いつつ、本当に変わるためには色々と変化が起こる。それが嫌。実は。


変わりたい!って言い続けている自分でいたいと思っちゃってる。


本当に変わりたいんだったら、もう変わってる。


今の自分が嫌すぎて、行動してるから。その結果、何かしらの変化は起こってる。


そうじゃないのは、変わりたいと言っている自分でいたいからかもしれません。


そこから抜け出すためには、自分が本当はどうありたいかを考えることと、自己イメージを変えること、そして、えいや!と一歩踏み出してみること。


この「えいや!」はホントに大事。


自分の夢、望みに近づけると分かっていても踏み出せなかったりするものなのです。


変化であることには変わりないから。


だからこそ、「えいや!」の精神が重要になる。


ただ、えいや!と踏み出すためには自己イメージを変えないといけない。


自己イメージが変わるから、えいや!と飛び込もうと思える。


で、自己イメージはかなり他人の影響を受けます。


他人が持っている自己イメージ、他人が自分に期待している自己イメージ。


それらにモロに影響を受けます。


だから、「誰といるか」は大事なんですね。


「できる!」と言われればできると思うでしょうし、「できない」と言われればできないと思う。


そんなものだったりします。


もし今の人間関係、今の環境が現状で留めておこうとするものであるなら、そこから少しずつでも変えていかないと、ずっと同じことの繰り返しになってしまうかもしれません。


何かを変えることで何かが変わります。何も変えないのであれば、結果も何も変わらない。


しかし、想像以上に変化することに抵抗が起こったりする。


そういう意味でも「どうせ慣れる」の精神は大事です。どうせ慣れると思っていたら変化を怖れなくなるから。


まず変化したい自分を望んでしまっている自分に気づき、本当に変化したいなら自己イメージを変えること。


誰と一緒にいるかも大事にしき、「どうせ慣れる」の精神で生きてみること。


全部、受験生にも通じる話。


来年、本当に変わりたい人のためのプログラムもやるんで、お楽しみに。

今日もいつものカフェからブログをお届け。


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一昨日は、大阪でベストセラー記念オフ会をやっていました。


20名程集まり、飯を食いながら色々と話してきました。勉強相談から、親子関係にも突っ込む相当深い悩みまで。


前回の記事にも書いたのですが、今回初めて私に会った方も多くて、多分最初は緊張したはず。


居心地もそんなに良くなかったかもしれない。だって、周りも知らない人ばかりなんだから。


でも、今回のオフ会を通じて参加者同士のつながりから人生の方向性が見えてきた人もいました。


「これだ!私がやりたかったこと!」と言って、今すぐに始めてしまいそうな勢いでした。笑


ずーと探していたものが見つかった、と言っていました。


そういうことが、起こるかもしれないんですよね。


また、私のことを自分よりも年上だと思っていた男性もいました。笑 その人は私よりずっと年上。


実物を見たとき想像をあまりにも越える若さだったので、びっくりしたと。笑


でも、その方は最終的に二次会まで来てくれて、「貴重な経験でした」と言ってくれたわけ。


動いたら、何か起こる。


ホント、人生なんてどうなるか分からない。何が起こるか分からない。


行動していたら、ね。


一番やばいのは、毎日がルーティーンになって何もしないこと。これが一番やばい。


今までと同じことを続けていても何も変わらないし、自分の可能性も全く生かせないし気づけない。


行動すれば何かが起こるかもしれない、何かを学べるかもしれない。


恋愛でも同じ。


ずっと友達でいたって何も変わらない。どっかで踏み込む部分も必要で。現状維持をしている間に年を取り、他の人に奪われるとか。


今日もどこかでそんなことが起こってる。笑


踏み込むときは、勇気が必要。恋愛だけじゃなくて全ての場面で。


未知のこと、未体験のことだから、足がすくむ。


いつもと違うことをすることは大変なことではあります。


でも、そこを踏み越えれば、その先には新しい自分がいるし、結局、それが「自分」になっていくわけ。


どんどん自分は新しく、進化していく。


で、そうなったら「これが自分だ」「自分らしい」なんて言っているんですよ。


以前は、「そんなの自分じゃない」と思っていたことをやっている自分に対してね。


恋愛なんてできない、苦手。私は向いてない。


そんなことを言っていた人がひょんなことから恋人ができると、「恋愛最高!」とか言っているんですよ。笑


自分が今持っている自己イメージなんていくらでも変えられるってことです。


だから、どんどん動いていきましょう。


新しい自分に出会えるから。


で、これからそういう「場」をたくさん用意していきます。


変なこと、そんなのやるの!?ということもやっていきます。


メルマガなどでも告知していきますね。

人間は、「ここが安全」という無意識の安心領域を持ちながら生きています。


境もそうだし、人間関係もそうだし、行く場所、やること、何でもそう。


ある意味、自分自身で自分を枠にはめ、「俺はこんな人間」と決めているわけですね。


でも、実は「俺はこんな人間」と思っているその人間像って、すぐに変わったりするものなんです。


結局、ほとんどの人は過去に生きてしまっています。


過去出会った人、過去好きだったもの、過去聞いた話、過去抱いた自己イメージ、過去抱かされた自己イメージ。


そういったものに支配されながら生きてしまう。


でも、そんなものは実はすぐに変わってしまうものなんですよね。


例えば、今自分は「著者」としての顔を持っています。


今年の7月までは持っていなかった顔です。自分のアイデンティティの中に著者としての自分は昔はいなかった。


でも、今はすでにそれが『当たり前のもの』になっている。


もう、著者であることが安心領域になっている。著者であることにもう慣れました。それが普通です。


そう、そういう風に安心領域って変わってしまうものなんですよね。


昔だったら本を出すことにビビっていたかもしれない。怖かったかもしれない。


でも、今は全くそんなことはない。


自分は変わったし、その変わった自分が次は当たり前になっていくわけです。


どうせ、慣れるんです。


変化したら変化したで、どうせ慣れる。


それが自分になる。そこが安心領域になる。


だから、今の安心領域なんてある意味幻想でしかないわけですね。


人は変化を怖れるけれど、変化したら変化したで、次はその世界が当たり前になるんです。


どうせ、慣れるんです。


そういうことを考えて行くと、今の自分のままでいることってもったいないこと。


まだ見ぬ自分に出会うかもしれないのに。


「ああ、俺ってこんなことが好きだったんだ」


「案外、良いと思ってたけど良くないな」


「俺、これだったらずっと続けられるかも。面白い!」


そんなことがあるかもしれない。


例えば、今日大阪でオフ会をやります。


おそらく、参加者の中には今頃、ドキドキしている人もいるんですよ。


何かと理由をつけてドタキャンしようとしている人もいると思います。


だって、怖いからね。新しい世界に踏み出すのは。


どうなるか分からない、誰がいるか分からない、未知の世界なわけ。


上手く喋れるかな、とか思ったり。


でも、一旦来てみると、何てことはない。怖れていることは何も起こらない。


で、次はそこにいることが当たり前になる。


どうせ、慣れる。


そんなもんなんですよ。


だから、ガンガン新しい場所、新しい体験をしていけばいい。


そうやって安心領域を広げていけばいくほど、人生の幅は広がり、楽しくなっていきます。


それでは、今日はこのへんで。

勉強において重要なのは、理解すること、覚えること、解けるようになること、です。まあ、すごく当たり前のこと。


しかし、最近メルマガなんかでも言っていますが、理解にも暗記にも、全てのものには「レベル」が存在するわけです。


私が言う「理解する」というのは理解レベル8~10なわけですが(MAXが10だとして)、


受験生が言う「理解する」は理解レベル1~3だったりするわけです。


ここがホントに落とし穴なんですね。


というのは、受験生本人は「理解した!」と思っているんですよ。心の底から。


だって、実際に理解していますし。


でもそれはあくまでもレベル1~3の話であって、私が言っている基準とはかけ離れたもの。


なぜ思考や抽象化を使って理解したものと、表面的に理解したものとは、全く応用力が違いますし、再現性も違います。


私はずっと、「理解が大事だ」ということを言い続けてきましたが、それはレベル8~10での理解のこと。


なのに、「理解が大事なんて当たり前だ!」とかなんとか言って、その重要性を理解しない。


たまにそういう人がいたりするわけです。その人の理解は1~3なのに。


私が言っている基準からはかけ離れているのに、そのことに気づけない。言葉だけを見る。


その意味に目を向けない。


それって、言葉は悪いですが、ホントに愚かなことなんですね。


自分が分かっていないということを分かっていない。


これは、ホントに危険です。


分かったつもり。分かったフリ。


ホントは分かってないのに。


結果が出ていないんだったら、分かってないんですよ。分かってないということをまずは認めないといけない。


今まで自分は表面的な理解だった。甘かった。


その事実を受け止めないといけない。プライドなんか捨てて。


私はずーと、「本当に分かっている?」という問いかけを投げかけ続けてきました。


本の中でも「実質」の話をしています。


結果の出ていない人は、基準が低い。分かったつもりになっている。


そこを改善しない限り、どんなテクニックも無駄ですから。


基礎体力がない、土台がないんだから、何を学んだって多くを学べていないわけです。


1を知って10学べる人もいれば、1を知って1も学べない人もいます。


それは意識の違い、視点の違い、基準の違いです。


1を知って1すら学べない自分であったなら、無駄に大量の勉強時間をこなさないといけないし、こなしたところで結果は伴わない。


勉強効率が最悪になってしまっている。


で、自分にはできないと思うわけですよね。


自分の可能性を疑うようになってしまう。


でも、ホントはそんな必要はない。


意識を上げ、視点を増やし、基準を高める。


それができるようになれば、勉強の質は大きく改善されていくわけですから。

今日のメルマガをブログに転載します。


今日はちょっとガチンコで言いたい

ことを言っていきたいと思います。


なぜ、勉強で結果を出すことができ

ないか、勉強が上手くいかないか、

その根本的な原因について。


===========

一度絶望するしかない

===========


何年もどうすれば勉強で結果を

出すことができるのかを考え

続けてきました。


その結果分かったことは、

「絶望」の価値です。


分かりやすく言います。


私が勉強アドバイスをするとき、

本音を全部ぶちまければ、その

子を絶望させないといけないこ

とが多くあります。


つまり、全く勉強量も足りて

いないし、勉強の質も低い。


全ての「基準」が低いことを

目の当たりにさせる必要を感じる

のです。


一言で言えば、


「何を甘ったれとんねん!!!!」


です。


その現実と向き合ってもらわない

といけないことになる。


その子の状態に合わせてステップ

に分けて言うことが多いわけです

が、本音をぶちまけるとそうなる

わけです。


勉強で結果が出ない人は、とにかく


「基準が低い」。


全ての勉強が質の低いものに

なってしまっているわけ。


で、本人はそのことに気づいていない。


結果の出ない受験生は「自分基準」

に固執しています。


そして、固執していることに気づ

いていません。



これが、最もやっかいな点です。


私から見れば全く勉強になって

いないのに、本人は勉強している

と思っているわけです。


「俺、頑張ってる!」と思っている。


自覚症状がありません。


これが本当に本当にやっかいな点。


最悪の場合、不合格になるまで

その事実に気づかない人もいます。


というか、不合格になる子は

大抵そうです。


本当は見る人が見れば穴だらけの

勉強なのに、できていると思い

込んでいる。


思い込んでいるから改善にしよう

がない。


そのまま入試へ。


撃沈。


そういうことが起こっているのです。


===============

結果が出ないなら基準を上げろ

===============


大抵の場合、絶望しないままに

何となくいけそうな気がして、

フワフワした状態で入試本番。


そこで初めて、自分の基準が低か

ったことに気づきます。


思うのは、そうなる前に、一度

絶望した方が良いということ。


現実を見て、自分の基準の低さに

絶望し、高い基準での勉強に切り

変えることが必要。


ただ、その基準には自分ではなか

なか気づけない。


先ほども言った通り、自覚症状

がないからです。


しかし、勉強しているのに結果が

出ない場合は、基準の低い状態に

陥ってしまっています。


勉強量も、勉強の質も。


それが自分では分からない。


だからこそ、自分以外の外部の

人間の存在が必要になります。

東京遠征が終わり、大阪での日常に戻ってきました。車を走らせて、今はいつものカフェでモーニングを食べてこの記事を書いています。今日もカフェをいくつかはしごする予定です。


やっぱり落ち着きますね。


私の仕事って、文章書いたり教えたりっていう、頭使うものなわけですが、外界のノイズが少ない環境っていうのが結構大事で。


一人静かに考え事をして、本を読んで、文章を書いて、映画でも観て…


という日常が好きだったりするんですね。


今日も、仕事が終わったらゆっくり映画でも観ようと思ってます。


あと、温泉で一人執筆とかも好きで。作家的な生活が好きなんでしょうね。


実家には犬もいて、私は犬も好きなんでよく犬と遊んでいます。


逆に、六本木ヒルズとか、そーいうのには興味ない。


ネオヒルズ族とか、関わりたくないと思っています。怖いです。笑


話を戻して、日常だけでは刺激が少なかったりするので、たまに東京に遠征して人と会ったり講演したりして刺激を受ける。


そんな感じの日々を送っています。


周りの声ではなく自分の声。


これはいつも言っていることですが、大事なのはあなたがどういう日々を送りたいと思っているか。


私は私。あなたはあなた。


毎週旅行しているとかでもいいだろうし、仲間と共に過ごす日々もいいでしょうし。


ホント、何でもいい。


メルマガなどでもいつも言っていることですが、大事なのは「望む」こと。


そこから全ては始まる。望まないと、何も人生にはやってこないから。


望まないっていうのはホントにもったいないと思うんですよね。


それが執着になっちゃうと苦しくなってしまうのだろうけど、自分の心から出てくる望みっていうのは素直に認めてあげたらいい。


で、そのためだったら本気で頑張れると思うんです。


ホントに好きなこと、理想の毎日のために全力を尽くせると思う。


尽くす価値がある。


全力を尽くす価値のあるものを見出すこと。これが大事なのかもしれません。


例えば、好きなことを仕事にするとかって、簡単なことではないのかもしれません。簡単にできる人もいると思いますが。


勉強したり、失敗したり、試行錯誤の時期があるかもしれない。最初から全てが上手くいくことはないかもしれません。


これは、受験勉強でも同じです。


ただ、好きなことを仕事にすることができれば、毎日がホントに楽しくなります。


だからこそ、目指す価値はあるのでは、と思うのですね。


全力を尽くす価値がある。


自分の「好き」のために。自分が理想の人生を手に入れるために。


手軽な満足で自分をごまかすのではなくて。


今って、ホントに自分をごまかせちゃう時代なんですよ。だって、ネットも無料、テレビも無料、ゲームも無料じゃないですか。


Huluとか使えば、いくらでも映画観れるわけでね。ブックオフ行けば漫画だって安価で読めちゃう。ネカフェもある。


そうなるとどうなるかというと、自分の本当の望みと向き合わないで済んじゃうわけですよ。


何となく楽しい日々を送ることができる。


でも、そこから深い満足を得ることはできなかったりするわけで。


ずーとそうやって自分をごまかしながら生きてきて、気づいたら年とってて。


もう新しいことにもチャレンジできないとか。


それってすごくもったいないことなんじゃないかな、と思うんですね。


大事なのは、自分の「望み」を見失わないこと。


そして、まず、望むこと。


そこから全ては始まります。