受験コーチ池田潤が教える参考書学習法 -18ページ目

受験コーチ池田潤が教える参考書学習法

‐志望校に合格する勉強法と思考法‐

昨日は、東京学芸大学で講義をしてきました。


ある先生の授業の1コマ分で講義してほしいとのことだったので、1コマ徹底的に熱く語ってきました。


そのときの様子。


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その後は、出口先生が主催する会に参加してきました。


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講義を聞いてくれた子の中には深く何かを感じてくれた子もいたようで、涙を流して聞いてくれる子もいました。facebookなんかで感想も書いてくれて、嬉しかったですね。


書いてもらった感想を転載したいと思います。

「今日は現在発売3ヶ月で6万5千部を売り上げているこの本『勉強の結果は机に向かう前に決まる』の著者、池田潤さんの講義を聞くことができました。


なんでそんな人の話を聞くコトができたか、それはある教育熱心な先生のおかげなんです!ありがたい!!


池田潤さんはいろいろなことを話してくださいましたがその話の中でも、“自分を好きになること”が最も大切なことであることを熱く語ってくれました。様々なワークを行いながら、だんだんと池田潤ワールドに引き込まれていたのは、終わった後に気づきました(^_^;)


受験生から社会人までコーチングしていて、様々な方法で情報発信している池田潤さん。この本はビジネス書でありながら、どの年代の人にでも役に立つ本だと思います。


余談ですが…笑


実は僕は、昨日の夜これを買って帰ったのですが、どんな感じのことが書いてあるのかを見るだけと思って読み始めました。


しかし、ノンストップで8割ほどまで読んでしまいました! そして気づいたら朝(・_・;電気もつけっぱなし(・_・;(・_・; そうです、この本を読みながら寝落ちしました(^^;; 2割は朝に笑 てことで読破してこの講義を聞きました^_^


自分にはやりたいことがあります。やっと見つかったやりたいことにむけて進もうとしています。周りの目を気にして、大学の友達に見捨てられるんじゃないかと思って、言えなかったことがありました。


今日の講義を聞いて、また友達にその夢を認めて応援してもらって、自分のしていることは間違っていないんだというコトを再確認できました。新たな一歩、小さいですが確実に一歩踏み出せたと感じています。


自分が本当にやりたいコトはなにか?


自分を好きになるのって凄い大事!


たくさんの発見と感動がありました。考えさせられるコトも多々ありました。多くのコトを学びました。


しかし、このことを知っているだけでは宝の持ち腐れになってしまいます。


せっかくいただいたお宝をどう使うか、それは自分次第ですよね。今日の話を生活レベルまで落とし込んでいけるか、そこまで僕はこだわりたい。そう思います。


最後に、こういった機会を与えてくださったモテサクさんに感謝です。この機会がなければおそらく僕が池田潤さんに興味を持つ事はなかったでしょう。最初は誰だこの人?って思ってましたし(^_^;)


たまたまモテサクさんの授業をとって、偶然今回池田潤さんの講義を授業でやっていただけることになった。出会いが人を変えるって言いますが、まさにそのことですね!!


この出会いに感謝して、これからも日々精進していきまーーす(*`へ´*)


あ、あと、本って素晴らしいですね!様々な人に影響を与えられる!いつか書いてみたいなぁ…笑


久々にマジメに長文書いてみました(・ω・)ノ

みなさん、まずはこの本、読んでみてくださいな(((o(*゚▽゚*)o))」


学芸大学の子からすると、私の存在なんか全然知らなかったわけです。


たまたま私が先生と仲良くなって今回の講義が実現したわけですが、学生からすると「誰?」みたいな。笑


その先生も気象学の先生で、ホント、よく分かんないでしょ。私が登場するの。笑


そこは先生の情熱です。大学にも情熱的な先生はいます。


「池田潤に話して欲しい!」と言っていただき、よく分からない状況になるのは分かった上で今回の講義を行えることになった。


ホントに、その先生のおかげなんですよね。


その先生はめちゃくちゃ熱いですから。


こんな先生ばかりになったら大学ももっと活気づくのだろうな、と思うくらいの。


学生たちは、最初は「誰?」と思ったと思うのですが、最後までちゃんと話を聞いてくれて、伝えたかったことも伝えることができました。


こちらが一方的に話すだけではなくて、ワークも交えながら「実感」してもらう形の講義。


これは今後も継続して色んな形でやっていきたいなーと思えるほどの手応えでした。


ホント楽しかったし、伝わっているのが分かったし。


良い時間となりました。


さー、今から大阪に帰ります!

自分の実力を直視する。


これは簡単なようで案外難しいものです。


なぜなら、受験生には「怖れ」や「不安」というものがあるから。


自分にではできないと思いたくない心があるので、自分はできるんだ、大丈夫なんだと信じたくなるわけです。


そう信じることは大事なこと。しかしそれは現実を直視した上で、という話。


現実を受け入れずしても「信じる」ではなく、現実を受け入れた上での信じる。


そうでなければ、技術的な対応をすることができません。


できると信じたくなるから、良い部分しか見ようとしなかったり、自分の実力を過大評価したがる。


問題が解けなかったとしても、今回はたまたまだ、と思いたがる。


もちろん、逆の人もいます。


自己評価が低い人にありがちですが、できているのに「できない」と思っていたり。


結局、自分の実力を直視することが大事だということです。


できていないのにできていると思ってもいけないし、できているのにできていないと思ってもいけません。


冷静に把握しようということ。


できているのかできていないのかを、客観的に把握していく。把握し続ける。


模試の結果を細かく検討してみたり、普段の問題演習の結果から判断していく。


私は「演習」を大事にするように指導していますが、なぜそうするかというと、演習をすることなしに自分の実力を把握することは難しいからです。


実力とは、試験で何点取ることができるのか、という結果主義で考えるべきもの。


結果を出せるかどうかが実力です。


普段の勉強量などは一切関係ないし、何を覚えているかどうかなども本質的には関係ない。


それで点が取れるのか、という部分が問われるわけですね。


実際、たくさん勉強しているのにそれが点数に反映されない人も多々います。


それは残念ですが、「実力がない」ということになります。


そして、その実力を把握するためには、実際に問題を問いてみないといけない。


これ、簡単なようですが実際にはできていない人が本当に多い。


なぜかと言えば、最初に言いましたが、みんな怖いからです。自分の実力を知ることが。


できていると思いたい。幻想の中で生きていたい。


これは勉強だけの話ではありません。


多くの人は幻想の中で生きたい。自分は良い方だ、と思いたい。


だから、自分の価値観の中で自分より「上」だと無意識の感じる人のことを嫌うし、攻撃する。


もしかすると、幻想の中で生きていたいのが人間なのかもしれません。一部の人だけかもしれませんが。


話を戻して、受験においては幻想の中で生きることは許されません。


幻想の中で生きていれば、待っているのは望まない結果です。


大事なのは、明確に、自分の実力を客観的に把握し続けること。


そして、適切な対応をし続けることです。


それができるかどうか。


それができる人は、適切な対応をすることができます。


適切な対応を取り続けることができるから、成績も上がっていくのです。


で、そういう「考え方」が身に付いているということは、人生が上手くいく可能性も高いですね。


受験におけるあり方というのは、その人の人間のあり方を映し出す鏡みたいなものです。


受験勉強への取り組み方を見ていると、その人がどういう人なのかということが分かったりもします。


これは、良い悪いではなくて。


昔から「受験を受験で終らせない」ということを言っています。


だって、学歴なんて今はそれだけでは意味のないものですから。


そこからが大事だし、これからさらに「人間」が問われていくようになる。そっちの方が大事になる。


ずーとそれは言い続けてきたこと。


そういうことでいうと、私が楽しみにしているのは、例えばプログラム生が大学生になってから。


現に、過去のプログラム生はすでに大学に入り活躍している人が多いです。


海外ボランティアやりまくってたり、1年生ながら団体の代表だったり、ビジネス始めてたり。出版に関わっていたり。


それぞれがそれぞれの分野で活躍してくれている。


ホント、大事なのはもうそこなんだ、という時代になっている。


受験勉強ノウハウを教える「だけ」の人とか、もういらないですからね。そういう人に興味を抱く時点でまずい、ということに気づかないといけない。


だって受験制度は大きく変わっていく。


今変わってないから、って言うかもしれませんが、変えようという動きがある時点で時代が求めるものが変わっているということで。


今の現行制度の教育のあり方で来た人間はもはやいらない、と産業界が「今」言っているわけで。

対応は何年も遅れるわけです。


だから一番まずいのは今の制度の中で育ってる人。これが一番まずい。


移行期にいるということは、時代が求めているものとズレたあり方の教育を受けながらも、その時代の中で生きて行かなきゃいけないということだから。


「センター対策はですねえ…」とか「だけ」言っている人もいらない。センター試験はなくなる方向で話が進んでいるし。


それは、社会が求めている人間が変わっているからです。


もうロボットのような学歴を誇りにしているだけ人はいらない。


形式の時代は終わった。大事なのは実質。


そういう時代です。


大事なのは、受験勉強を通じて自分を磨けるか。大学時代を通じて自分を磨けるか。


そこ。


これが、「きれいごとではなくなっている」ということにいち早く気づいた人が、受験を終えてからも上手くいくんじゃないかと思います。


昔からきれいごとではなかったのですが、昔いくら言っても理解されないことが多かったですからね。


今時代が追いついてきて、冷静に考えればそうなっているということが分かる時代になったな、と思います。


それでは、今日はこのへんで。

勉強するときには、結構「自分を疑う」ということが大事になってきます。


「ホントに分かってる?覚えてる?解ける?」そういう問いかけ。


その問いかけを持てるかどうかで勉強の質は全く違ったものになってくる。


現役生の頃、ホントに非効率な勉強を毎日していました。必死で。


必死になって結果の出ない方法で結果を出そうともがく毎日。


辛かった。


だって、やってもやっても結果は出ないわけだから。


そのとき、自分の中には上記の問いは全くなくて。


ただ、日々自分が決めたノルマをこなす。とりあえず、こなす。


こなしていれば、力はついてくるはずだから。


でも、実際にはそんなことはありませんでした。


勉強しても結果が出ないのは、結局のところ勉強していないから。勉強したつもりになっているから。


再三言ってきたことですが、ホントにそれを「実感」できているか?ということがポイント。


絶望したかどうか。自分は勉強したつもりになっていたんだ、という絶望を感じたか?ということ。


勉強しても結果が出ていないのなら。


一度絶望を感じることも良いことなんです。絶望すべき状況であるなら、という話ですが。


プログラムでもよく「実感」という言葉を使います。


自分に問いかけを持つことが本当に大事なのだと分かっているかどうか。実感してるか。


本当に大事なことは何なのかが感じられるほどに勉強と向き合い、自分の力と向き合っているかどうか。


そこが問われるのです。


過去問と向き合い、自分の力と向き合っていれば、自分の今の基準で勉強していて良いのかどうかも感じられてきます。


大抵の場合は、基準が低い。


合格基準ではなくて、自分基準。


「自分なりにやってます」というやつ。


これは、勉強の初期の頃は大事なあり方です。まずは自分のペースで、自分のできることからやっていく。


そうでないと挫折するから。挫折しちゃあ、始まらない。


しかし、それを続けていても合格には届かない。


結局は、自分なりのペースに留まるから。受験には相手がいるわけで、自分なりにやっていても間に合わなければ意味がないわけです。


プログラムの存在意義は、この基準を上げることでもあります。


普通の人から見たらありえない量の勉強をこなしていたりするのですが、彼らにとってはそれが当たり前。


私がありえない量を要求するから。


「え!?そんなにやるんですか?」となる。


それでいい。


自分の限界、自分のペースをぶっ壊す。


自分だけでやっていれば甘えが出るし、全然良くないのに「これでいい」なんて思ってしまうもの。


そこをぶっ壊していくのが私の役目。


このブログを読んでくれているあなたも、自分の限界を壊していってください。


理解も、暗記、演習も。


全ての基準を上げていく。


それが合格のカギです。

受験シーズンということで、『勉強の結果は「机に向かう前」に決まる』が赤本コーナーに大量に並んでいます。東京、丸善丸の内です。


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ちなみに、いまだにきちんと紀伊国屋全店を集計したビジネス書ランキングで、ベスト30にほぼ毎日入っています。紀伊国屋のHPで確認できます。


本当に、嬉しいことです。


で、関係ないのですが、昨日は運動をしたかったのでバッティングセンターに行ってきました。


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筋肉痛になるかなーと思ったのですが、案外大丈夫でした。


ただ、ちと頭が痛い。


まあ、「休め」ということなのでしょう。


あんまり頭使う記事を書く力がないので、今日の記事は手抜き感が出てると思います。笑


そーいうとき、あってもいいかなと。


ただ、昨日のFacebookの投稿載せときますね。


Facebookは断定口調なので、ブログで読むと少し違和感あるかもしれませんが。


池田潤のFacebookはこちら


<群れるより一人カフェ>


情報発信で身を立ててきた。ブログ書いたりYoutubeに動画アップしたり。それしかなかったし、それしかしたくなかったから。やり始めた当時、ただの大学生。群れないんだから人脈なんかないし、前例もなかった。


自分ができることをできるだけ。そうやって自分で道を切り開いてきた自負はある。時間があったら記事を書き、何を書くか考える。


自分がやることやってないのに群れたって何も生まれない。群れる時間があったら一人でカフェに行く。金のないときは100円マックで十分だった。

そうやって、使える時間を全部使う。やることをやる。自分を成長させる。そしてたまーに、ひょこっと集まりに顔を出してみる。


じゃあ、そこは自分の居場所じゃなくなっていることに気づいたり、今まで関われなかった人と関われたり。別れや出会いが起こるようになっている。自分の変化が、別れと出会いを引き起こす感覚。


孤独に一人でやることをやる。群れるよりカフェに行く。「あいつ、何やってんだろうな」と言われる。それでいい。そしてたまーにひょこっと顔を出して、「お前、なんかすげえな」と言われる。それでいい。

昨日のfacebookの投稿から。


<ソロとグループ>


基本的に、ソロ活動が好き。だって、文も書けるし本も読めるし映画も観れるし考え事もできる。一人でカフェにいる時間はすごく贅沢な時間だと思っている。ただ、かと言って集団が嫌いかというと、そうでもない。


高校のときに、なぜか体育祭で団長をやった。黄団。受験間近で、京大を目指してて、全然届いてなかったから、周りからバカだと思われた。でもやりたいからやった。全力で。


当時の担任の先生は、お堅い国語の先生で、きちんとしている人。メガネ。でも、その先生が、体育際が終わった後、てくてく自分のところにやって来て、泣いたんだ。感動したと言って、泣いてた。俺は別に先生のためにやったんじゃない。


自分が必死こいてやっただけ。団員が不足してたから、他のクラスに乗り込んで演説したりした。その必死こいてやってる姿っていうのは人を感動させるんだということを知った。で、自分もボロボロ泣いた。


何がしたいんだ、って自分に問うていく。すると最後出てくるのは、泣くくらいまで生きたいってこと。全力を尽くしたい。


でも、果たして今、それくらい熱く生きてんのかって問うと、まだ心からイエスとは言えない自分もいる。残念ながら。だから、もっと前のめりになっていく。


心からの感動や情熱。そういったものを感じていく。格好つけてないで、斜に構えてないで。踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損損。だ。


facebookもかなりの頻度で更新しているので、良ければ友達に。


最近は、冷めた態度でいる人が多いと聞く。特に、若い人で。


頑張ったって意味ないよ、とか、楽に生きようぜ、とか。


でも、それは多分、力を尽くしたときの充実感や感動をまだ知らないから。


知らないことを人は望むことはできない。


もしくは、本気を出して失敗することを怖れているか。


何かに挑戦したら、周りから注目される。そこで失敗したら、バカにされたり、批判されたり、あるかもしれない。


失敗が怖いのは、失敗自体が怖いというよりも、それを周りに見られるのが怖いだけだったり。


でも、ホントは「成長」しかない。


失敗というのは一時的にそう見えるだけであって、長期的に見れば失敗なんてものはないのかもしれない、とも思います。


だから、自分がやりたいようにやる。


生きたいように生きる。


私なんて、就職していません。なんでって、したくなかったから。


一般的な価値観で見れば、ダメ野郎。笑


でも、それは一般的な価値観でしかないから。私の価値観ではない。


自分がやりたいことがすでにあったから、それをやっただけ。


自分は自分の価値観で生きるだけ。それでいいと思うんですよ、人生なんて。


自分の価値観に従って生きたら、本だって出せた。多くの仲間に出会い、困ったことは何にも起きていない。


就職しなかったことで困ったこととか、ないんですよね。


これは別に就職するな、と言っているわけではありません。就職は全く否定しません。


ただ、やりたいようにやれ、ということ。生きたいように生きろ、ということ。


誰の許可もいらないわけです。自分が自分に許可を出せばいい。


絶対的に正しいものなんてないし、人生に答えもありません。


何をすべきとか、そういうこともホントはない。


ただ、常識が、周りの人間が、それを強要してくるだけ。


自分自身が自由に生きられず、縛られて生きてきたから、それが当たり前だと思って他人にもそう生きさせようとする。


ホントに、ただそれだけ。


そうやって縛られて生きた結果、幸せでないなら、何の為の人生なのかということになります。


誰のための人生なのか。


あなたの人生はあなたのためのものであって、誰かのものではありません。


誰のものでもなく、他でもないあなただけのもの。


それを大事にしましょう、ってことです。


誰に何を言われようが、関係ないから。ホントに。言いたい人には言わせておけばいい。それはその人の価値観でしかないわけだから。


他の人の価値観に、あなたが従う必要はない。


自分は自分の基準で。やりたいように。ありたいように。


そうやって生きるから、自然にやる気も出てくるし、自然に目標も達成されるのだろうと思います。


facebookもよろしく。

人はどうすれば「自分に戻れる」のか、ということを最近考えてます。


変わるというよりも、戻るって感覚。


というのは、「やりたいことが分からない」とかって、結局自分を見失ってしまっているから。


で、何で自分を見失ってしまったかというと、他人で自分の頭が一杯だから。


他人の目とか、批判されるのが怖いとか、親の期待に応えたいとか。


あと、「周りが期待する自分を演じてしまう」とか。


これが結構でかい問題で、周りの人間はいつでも「昔のままのあなた」を期待するわけ。


例えば、あなたが周りにとって都合の良い人間だったとします。


いつもイエスと言っていて、誘いも断れず、ホイホイとついていってしまう。あんまり気乗りもしないのに。


ホントは家で本を読みたいのに。


あ、これ、昔の私です。はい。笑


周りは自分を「そういう奴」と思うわけですよ。


だから、そこで「いや、今日はやめとく!」とか言うと、「何でだよ」という話になる。


「お前、最近ノリ悪いよな、そんなんじゃダメだよ」と言われる。


で、多くの人はそれをスルーすることができません。気にしちゃう。


だから、いつまでも変われない。都合の良い存在で居続けてしまう。


何かセミナーに行ってみようかな、とか思う。でも、周りはそんなことに関心がない。


行ったら変な奴だと思われないかな、とか。


私はそういうこと思ったこと一度もないのですが、そういう風に思う人もいるみたい。


多分、どこかで偏見を持って、先入観を持ちながら見てしまうからでしょう。先入観は、人を新しい経験から遠ざけます。


本当は行ってみたいと思っているのに。会ってみたい人がいるのに。


その自分の思いがあるのに行動できないっていうのは、もったいないんですよ。自分の人生にとって。


だって、周りの人間があなたに何をしてくれますか?


あなたを幸せにしてくれますか?


その人が「正しい」とか「良い」とか言っていることの全てに共感はできないでしょう?


もし、周りの人間の「正しい」とか「良い」に従っていたら、そりゃあ、自分が分からなくなりますよ。


自分が何をしたかったのか、何が好きなのか。


誰が好きなのか。


そういうことも、分からなくなってしまうんです。


だから、いつも言っています。


自分を大事にしよう、と。


スタートはどこまで行っても「自分」から。自分に立ち戻ることからしか、始まらない。


自分を十分に満たし、愛した人が、本当の意味で他人を愛すこともできる。


まずは「あなた」。誰かじゃなく、あなた。


そこから始める。


したいことをして、好きな人と一緒にいよう。


おっと、これは生き方論。受験生は勉強してね。笑。


書きたいこと、書きました。


12月7日、大阪でオフ会やります。ベストセラー感謝オフ会。


色んな人と語り合いたいと思ってます。


厳しいこと言われたい人、自分を見失ってしまった人、とりあえず池田潤に会ってみたい人、サインが欲しい人。


何でもいい。どんな理由でもいい。


会いたい人は、会いに来てくれい。


ただ、人数には制限があるんでご注意を。


先着です。


そんなにたくさんは無理なんで。


募集開始についてはまたブログやメルマガで言います。


では。

以前にこんなことがありました。ある受験生とのやり取りなのですが、


「潤さん、僕、なかなか勉強できてなくて悩んでいるんです…」


「へえ。勉強はどこでしているの?」


「家です」


「家ではできないんだ」


「はい」


「じゃあ、外で出よう。歩いて近くの図書館にでも行ったらいいよ。マクドで100円で粘ってみてもいい。とにかく、環境を変えて勉強してみよう」


「そうですねえ」


「ん?何か問題でも?」


「いやあ、家の方が勉強がはかどるし、集中できるんですよねえ」


「……」


この子はいたって真面目に言っている様子でした。


家で勉強できなくて困っているのに、家での勉強の方がはかどると言っているわけです。


おそらく、過去に家で勉強していた経験からそう言っているのだと思いますが、今現状できていないわけで、


何かしらの「変化」が必要なわけですよね。


もちろんそれは、外に出ることでは解決しないものかもしれません。外に出ることで絶対に解決すると言いたいわけじゃなくて、


何か「変化」を起こすことが必要でしょう、ということが言いたいのです。


その一つの分かりやすい方法として、「外に出て勉強する」というアクションプランを提示したということ。


しかし、人はどこまでも「自分の考え」「過去の体験」に縛られるもの。


とにかく変化を嫌がる。変わりたくないと思う。


人生がたとえ上手くいっていないとしても。変わるくらいなら不幸で居続けたいと思ったり。


不幸にしがみつく、上手くいかない現実にしがみつく。


だからこそ、周りの声もその子には届かない。


どれだけ学んでも、結局は自分の考え、自分の基準に固執し、最悪の場合「俺は悪くない」と言って問題を周りのせいにし始めます。


大事なのは、人間というものの性質を理解することです。


人は根本的に変わりたくないと思っている。変化を怖れる。


だからこそ、自分にとって必要な情報や行動すらもシャットアウトしてしまう可能性があるのだ、ということを知ることが大事なんです。


先の例で言えば、「家で勉強することに固執し、変化を怖れている自分」に気づくこと。


今現状上手くいっていないのであれば、何かしら変化を起こすことが大事なのだ気づくこと。


もちろん、根本的な人生の方向性や、生き方などは自分基準でOKです。


そこは自分基準です。


生き方論と受験論は別です。世界が違うから。


何か目標を自分基準で決めて、その目標を達成するときには、すでにその目標を達成している人の声も重要になってきます。


たとえば、ありとあらゆる一流のスポーツ選手にはコーチがいるし、チームには監督だっていますね。


彼らは、選手たちが「嫌だなあ」と思うことだってやらせます。


たとえば、10キロランニングとか。笑


そのとき、選手が「いやあ、俺はいつも2キロで走ってるんだよねえ」と言えば、どうなるか。


自分基準に固執すれば、成長しなくなってくるわけです。


そして、勝負に負けます。


「受験」だって勝ち負けがはっきりとする勝負の世界です。


そのことを忘れていないですか?


何度も言いますが、生き方論と受験論は別です。


人生という大きな枠組みで見れば、勝ち負けなどは存在しないし、人は好き勝手自由に生きればいい。やりたいことをやればいい。


ただ、そのやりたいことが大学に行くことによって成し遂げるられるものであるならば、大学に行かなければならない。


そのとき、「受験すること」が必要になります。


しかし、受験は『勝負』の世界。合格する者もいれば、不合格の者もいる。


本質的に言えば「合格最低点」を越えればいいわけですが、その年の合格最低点を作り出しているのは、その年の受験者であり、周りの人間です。


結局は、勝負なんです。


もちろん、できることは「自分にフォーカスする」こと。自分を成長させること。それしかできないし、勉強しているときに周りを意識する必要はありません。


やれることは、自分を成長させることしかないから。


良い悪いは別にして、自分を成長させることによって周囲の人間に「勝たなければならない」のが受験の本質です。


良い悪いは別にして、ね。そういうものだ、ということ。


そのときに、「自分基準」に固執すればどうなるか。


いつまでも成長できず、のろのろと勉強を続けることになるわけですよね。


そんなことで厳しい勝負に勝てるわけがありません。


受験とは、勝負の世界です。言うなれば、スポーツの世界。


当然、最初の頃は自分基準で勉強し、勉強する習慣、勉強を好きになることは重要。そこから始めます。


それは本にも書きました。


いきなり合格基準にいこうとすれば、挫折することは目に見えています。


だから、スタートは自分基準で。これは原則。


しかし、ずっとその段階ではダメで、いつかそこから卒業し、合格基準で勉強しなければならない。


自分に固執し、変化を怖れていては目標を達成することはなかなかできない。


当たり前ですが、今のこの時期は勉強しか毎日していないはず。受験生は。


それが当然であり、合格する者の「当たり前」です。


厳しいことを言いますが、勝負の世界で、きちんと準備をしていないなんてことはありえないことなんです。


亀田興毅が、世界チャンピオンを目指す練習をしているときに全く練習していないのと同じ状況です。


本田圭介が、W杯直前にゲームをしてネットサーフィンをしてぐうたらしているのと同じ状況です。


私自身も受験生のときは、家を出る用意をする時間ももったいないと感じていました。


ご飯を食べる時間ももったいないから、ずっと参考書を持っていた。


それが「当たり前」だった。


そのくらいの意識を持てるかどうか。


勝負なのだと理解し、本気になれるかどうか。


これは当たり前のことなのですが、その意識が薄い人がいるのかもしれないと思い、書かせていただきました。


今日は、以上です。

昨日のメルマガは超重要でした。届いていない人がいるといけないので、ブログに転載しておきます。


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当たり前レベル

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私がプログラム内で口を酸っぱくして

言っているのが、


基準を上げろ!意識を上げろ!


ということ。


これができないと絶対に成績は

上がらないし、志望校に届かないから。


本当に本当に重要なことなのに、

ほとんどの人は教えない、教え

られない部分です。


人には、「これくらいが当たり前」

というレベルが無意識に存在しています。


そのレベルは日々の勉強の全てに

影響を与えていて、当たり前

レベルが低ければ、全ての勉強の

質が低い状態になります。


例えば、


「理解する」ということにおいて

もレベルが存在するわけです。


分かりやすく10段階で考えて

みましょう。


理解レベル1でも一応は「理解した」

ことにはなります。


しかし、そのくらいのレベルだと

本質的な部分が分かっていない、

知識が抽象化されたものでもなか

ったりして、


「応用力に欠けた」理解レベルになります。


その場合、初見の問題に対応する

ことのできない力となってしまいます。


このレベルの理解に留まってる人に

起きる現象としては、


模試で結果が出ない


演習するとなぜか解けない


かけた時間の割に点数が取れない


などがあります。


単純に言えば、理解が「浅い」のです。


レベル10までいけば、その知識を

人に説明することまでできて、本質

を理解し、抽象化もされているので、


初見の問題にもその知識を応用する

ことができます。


私の場合はその人の理解レベルを

探るために、あえて説明させたり

します。


説明できないのであれば、理解度が

低いレベルで留まっているということ。


説明できるなら理解度レベル10だ

ということが分かる。


一目瞭然なのです。


レベル10の理解力を持つ人は、

1を学んで10を理解できる

イメージ。


1から10を得ることができる。


簡単に言えば、それが「要領が良い」

ということです。


要領が良いというと、あまりこれまで

言語化されない、なんとなくイメージ

で捉えていた概念だと思いますが、


簡単に言えば、1を学んで10を

理解する人が要領が良いと呼ばれます。


1を学んで10を理解するわけで

すから、当然そういう人は少ない

勉強時間で成果を出していきます。


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自覚症状がないがゆえに…

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話を戻して、多くの成績の上がらない

受験生は、自分の理解度が低いと

いうことに気づいていません。


『自覚症状』がないのです。


これが、危険なところです。


自覚できれば対処できますが、自覚

できないから対処の仕様がない。


結果、自分の能力を疑うことになり、

最悪のケースでは自分の人生を諦める

ようになってしまいます。


何が問題か分からなくなったとき、

人は自分の能力を疑ってしまうものです。


この話は理解度だけでなく、記憶に

ついても、解答力についてもそうです。


理解したつもり、覚えたつもり、

解けたつもりになっています。


理解度1でも、一応は理解したことに

なる。


しかし、イメージで言えば、理解度

レベル5あたりまでは本質的なこと

が分かっていない、表面的な理解

なのです。


だから、自分が理解したつもりに

なっていても、本当は分かっていない。


だから、成績も伸びない。


そういうことが実は起こっています。


勉強量においても同じことが言えます。


本人は勉強したつもりになっている。


しかし、私から見れば全く勉強した

うちに入らない。


全く勉強時間が足りない。量も足りない。


例えば、私はセンターが日本史。二次

が世界史という、超ヘビー級の科目選択

でした。


地理が苦手だったので。


しかし、その中でもセンター日本史は

100点満点を取りました。


それがなぜ可能になったかというと、

効率の良い勉強法を取っていたこと

は当然のことですが、


勉強量が圧倒的だったのです。


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基準を上げるしかない

===========


そこにあるのは、「当たり前レベル」

の高さです。


コアとなる参考書を、何十周も反復

しました。


世界史も同様に。何十周も反復。


それは、私にとっては「当たり前」

のことだったのです。


それくらいやらないと覚えられない

ことは明白だったから。


だから、「覚えるまで」やった。


ただそれだけなんです。


しかし、多くの人は「自分の」当たり前

レベルで物事を考えます。


合格するための、ではなく。


あくまで自分基準で考えてしまう。


それが、最大の問題。


私はこの1年間、自分のプログラム

の生徒に対して、


徹底的に上記の内容を含んだ「実質」

を重視する勉強指導を行ってきました。


だからこそ、偏差値が20上がったり

とかいうことが、普通に起こります。


その子の当たり前をぶち壊し、合格

基準で勉強することを求めてきました。


それをしない限りは、絶対に自分

の限界を壊すことはできないからです。


その限界が存在することにより、

あと一歩突き抜けることができない

のです。


自分の限界を壊すことは、自分で

はなかなか難しかったりします。


ただ、はっきり言えば、これさえで

きれば成績が自然に上がっていくと

言っても過言ではありません。


基準、当たり前レベルが上がるので、

勉強の根本的な質が高まるから。


意識も上がるので、生活の質も

高まります。


結果、勉強時間も伸びます。


私が受験コーチとしてやってきたのは

彼彼女らの限界を越えるお手伝い。


逆に言えば、それをしない限り、

「自分の」基準に固執したレベルの

低い勉強を繰り返してしまいます。


そうなっては、成績は上がらないし

志望校合格にも辿り着きません。


いくら授業を受けようが、優れた

参考書を学ぼうが、無駄です。


しかし、こういった「心」や「意識」

の部分を教える人は、今までほとんど

いませんでした。


おそらく、こんな話は初めて聞いた

という人がほとんどだと思います。


だからこそ私は受験コーチとして

活動してきたし、そこに存在意義

があると信じてやってきました。


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一生役立つチカラを受験で得る

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そして、この「意識」を上げると

いう方法は、半永久的にあなたを

助けます。


これからの人生にも「生き続ける」

ということです。


何かにおいて結果を出す人は、

とにかく基準が高い、当たり前

レベルが高い。


この当たり前レベルが上がることで

健康においても、人間関係において

も仕事においても、


全てにおいて行動の質が高まるのです。


私がプログラムで教えていること

は、受験だけで留まるチカラでは

ありません。


むしろ、受験後に生きるもの。


それは、メルマガやブログで発信して

いる内容も同様です。


一つ、それをポリシーとしてやって

きた部分もあります。


なぜなら、もう受験制度も変わります。


それは前々から分かっていたこと。


また、受験をクリアしました、だけ

では社会では全く役に立たない人間

になってしまうことは明白だからです。


受験が終わっても人生は続きます。


受験勉強をクリアする「スキル」

だけを身につけたって、今の世の中

を生き抜いていくことは難しい。


しかし、世の中には「受験スキル」

を教える人ばかり。しかも、本質的

ではないもの。


ただ、そういう人も残念ながら

時代の変化と共にこれからはい

なくなっていく。


大事なのは、「本質的な」力です。


それが、あればどんな変化にも対応

していくことができるでしょう。


話を戻して、


ではどうすれば基準や当たり前

レベルを上げていけるのか。


長くなったので、次回以降で紹介

していきますね。


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「不安」についての新作音声

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『不安を克服する方法』について

の新作音声を録りました。


かなり好評です。


試験が近づいてきている受験生

向け。


短い音声なので、一気に聴いて

日々の生活に取り入れてみて

ください。


:音声「不安を克服する方法」


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カリスマ現代文講師の再来

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現代文の大御所、出口汪先生と二度目

の対談を行いました。


参考書コーナーに行けば、出口先生

の参考書が山のように並んでいますよね。


今回は、「日本語」「論理」「勉強法」

「本質」「教育改革」などについて

熱く語っています。


こちらから、観てみてくださいね。


出口汪×池田潤対談


池田 潤