以前にこんなことがありました。ある受験生とのやり取りなのですが、
「潤さん、僕、なかなか勉強できてなくて悩んでいるんです…」
「へえ。勉強はどこでしているの?」
「家です」
「家ではできないんだ」
「はい」
「じゃあ、外で出よう。歩いて近くの図書館にでも行ったらいいよ。マクドで100円で粘ってみてもいい。とにかく、環境を変えて勉強してみよう」
「そうですねえ」
「ん?何か問題でも?」
「いやあ、家の方が勉強がはかどるし、集中できるんですよねえ」
「……」
この子はいたって真面目に言っている様子でした。
家で勉強できなくて困っているのに、家での勉強の方がはかどると言っているわけです。
おそらく、過去に家で勉強していた経験からそう言っているのだと思いますが、今現状できていないわけで、
何かしらの「変化」が必要なわけですよね。
もちろんそれは、外に出ることでは解決しないものかもしれません。外に出ることで絶対に解決すると言いたいわけじゃなくて、
何か「変化」を起こすことが必要でしょう、ということが言いたいのです。
その一つの分かりやすい方法として、「外に出て勉強する」というアクションプランを提示したということ。
しかし、人はどこまでも「自分の考え」「過去の体験」に縛られるもの。
とにかく変化を嫌がる。変わりたくないと思う。
人生がたとえ上手くいっていないとしても。変わるくらいなら不幸で居続けたいと思ったり。
不幸にしがみつく、上手くいかない現実にしがみつく。
だからこそ、周りの声もその子には届かない。
どれだけ学んでも、結局は自分の考え、自分の基準に固執し、最悪の場合「俺は悪くない」と言って問題を周りのせいにし始めます。
大事なのは、人間というものの性質を理解することです。
人は根本的に変わりたくないと思っている。変化を怖れる。
だからこそ、自分にとって必要な情報や行動すらもシャットアウトしてしまう可能性があるのだ、ということを知ることが大事なんです。
先の例で言えば、「家で勉強することに固執し、変化を怖れている自分」に気づくこと。
今現状上手くいっていないのであれば、何かしら変化を起こすことが大事なのだ気づくこと。
もちろん、根本的な人生の方向性や、生き方などは自分基準でOKです。
そこは自分基準です。
生き方論と受験論は別です。世界が違うから。
何か目標を自分基準で決めて、その目標を達成するときには、すでにその目標を達成している人の声も重要になってきます。
たとえば、ありとあらゆる一流のスポーツ選手にはコーチがいるし、チームには監督だっていますね。
彼らは、選手たちが「嫌だなあ」と思うことだってやらせます。
たとえば、10キロランニングとか。笑
そのとき、選手が「いやあ、俺はいつも2キロで走ってるんだよねえ」と言えば、どうなるか。
自分基準に固執すれば、成長しなくなってくるわけです。
そして、勝負に負けます。
「受験」だって勝ち負けがはっきりとする勝負の世界です。
そのことを忘れていないですか?
何度も言いますが、生き方論と受験論は別です。
人生という大きな枠組みで見れば、勝ち負けなどは存在しないし、人は好き勝手自由に生きればいい。やりたいことをやればいい。
ただ、そのやりたいことが大学に行くことによって成し遂げるられるものであるならば、大学に行かなければならない。
そのとき、「受験すること」が必要になります。
しかし、受験は『勝負』の世界。合格する者もいれば、不合格の者もいる。
本質的に言えば「合格最低点」を越えればいいわけですが、その年の合格最低点を作り出しているのは、その年の受験者であり、周りの人間です。
結局は、勝負なんです。
もちろん、できることは「自分にフォーカスする」こと。自分を成長させること。それしかできないし、勉強しているときに周りを意識する必要はありません。
やれることは、自分を成長させることしかないから。
良い悪いは別にして、自分を成長させることによって周囲の人間に「勝たなければならない」のが受験の本質です。
良い悪いは別にして、ね。そういうものだ、ということ。
そのときに、「自分基準」に固執すればどうなるか。
いつまでも成長できず、のろのろと勉強を続けることになるわけですよね。
そんなことで厳しい勝負に勝てるわけがありません。
受験とは、勝負の世界です。言うなれば、スポーツの世界。
当然、最初の頃は自分基準で勉強し、勉強する習慣、勉強を好きになることは重要。そこから始めます。
それは本にも書きました。
いきなり合格基準にいこうとすれば、挫折することは目に見えています。
だから、スタートは自分基準で。これは原則。
しかし、ずっとその段階ではダメで、いつかそこから卒業し、合格基準で勉強しなければならない。
自分に固執し、変化を怖れていては目標を達成することはなかなかできない。
当たり前ですが、今のこの時期は勉強しか毎日していないはず。受験生は。
それが当然であり、合格する者の「当たり前」です。
厳しいことを言いますが、勝負の世界で、きちんと準備をしていないなんてことはありえないことなんです。
亀田興毅が、世界チャンピオンを目指す練習をしているときに全く練習していないのと同じ状況です。
本田圭介が、W杯直前にゲームをしてネットサーフィンをしてぐうたらしているのと同じ状況です。
私自身も受験生のときは、家を出る用意をする時間ももったいないと感じていました。
ご飯を食べる時間ももったいないから、ずっと参考書を持っていた。
それが「当たり前」だった。
そのくらいの意識を持てるかどうか。
勝負なのだと理解し、本気になれるかどうか。
これは当たり前のことなのですが、その意識が薄い人がいるのかもしれないと思い、書かせていただきました。
今日は、以上です。