本の中にも書いていますが、「机に向かう前」の問題というのは本当に大きいです。
特に、「進路」についてそれが言えます。
これ、すごく面白いのですが、経験上、進路を「自分で選ぶ」ことができればそれだけで成績が上がっていくケースも多いです。
来年以降に受験する人によく考えて欲しいのですが、今勉強することができない、やる気が出ないのであれば、もしかしたらその進路は「選ばされた」ものであるかもしれません。
今までの予備校や塾では、ひたすらに「偏差値至上主義」なところがあって、偏差値の高いところであればあるほど良いという風潮がありました。今もありますかね。
実際、偏差値の高い大学に行くことによるメリットはあります。人であったり図書館であったり、社会的信用、だんだん価値が廃れて来ている就職活動における利点、などです。
そういった「メリット」を追い求める受験の姿もあると思います。良い悪いは別にして。
ただ、いずれにせよ、一番苦しいのは『自分自身が行きたくもない大学に行くための受験勉強』です。
これほど苦しいものはありません。
で、そういうケースの場合には、いくら受験テクニックを使おうが、勉強法を学ぼうが、優れた授業があろうが、成績は上がりません。
自分の無意識がそれを拒否しているからです。どうしても勉強できない、体が動かないということが起こってくる。
私のプログラムに入って、志望校を変える子が結構います。
それはなぜかというと、今までの志望校選びが親や社会の洗脳であったことに気づくからです。
医学部志望の方でも多いですね。高校のときに成績が良かったので、そのままなぜか医学部を目指したとか、
医者は良い、エリートだというイメージだけで選んだとか。
お医者さんになれば、ハードスケジュールですし、人の命を預かることになります。
本来、相当な使命感、人への思いやりなどある人が目指すもの。
お金とか社会的地位とかそんなものがあっても、日々の仕事のハードさ、責任の重さに比べてみると全く割が合わない。
仕事のハードさと責任の重さに比べて、得られるものが少なすぎる(メリットという意味で)。
それよりも今は、自分で好きな仕事をする方がいい、という風潮も出て来ています。
であるにも関わらずお医者さんを目指すとなれば、そこには使命感しかないはずなんですね。
で、話を戻して、自分の本心から来る気持ちが元になっていなければ、なかなか受験勉強に手をつけることはできないし、成績も上がりません。
また、仮に合格したとしても幸せにはなりません。
幸せになれると思ってした勉強は、自分を幸せにしなかったということが起こるわけです。
自分がその未来を描いたときにワクワクするか、心がウズウズするか。
頭で考えるよりも心で感じる。
心で「ああしたい!」と感じるのは、自分が本当にそれがしたいと思っているから。
頭で考えていることには、社会や親、他人の洗脳がたくさん入っています。
「こうでなければならない」にがんじがらめになっています。
で、大して行きたくもない大学を目指しているから根本的なエネルギーが足りないのに、勉強できない自分を責めたりとか。
本来人は誰だって、やりたいことのための行動は自然とやります。
どれだけ怠け者の人間だって、やりたいことのための行動ならするんですよね。
重要なのは「本当はどうしたい?」という問い。
この受験という機会を通じて、自らの人生について考えてみる。それが大事だと思うんですね。
受験と、就職。
この二つの機会は、自分の人生を考える良い機会です。そこで何も考えなければ、流されるままに人生を送り、気がつけば年を取っていた、ということにもなりかねない。
この機会があるからこそ、自らについて考えることができる。
だからこそ、この機会を上手く活用して欲しいな、と思います。