受験コーチ池田潤が教える参考書学習法

受験コーチ池田潤が教える参考書学習法

‐志望校に合格する勉強法と思考法‐

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友達に、「遊ぼうぜ!」と誘われる。


遊びの中身は魅力的なもので、誘われるがままに応じれば、「楽しい時間」を過ごせることは分かっていて。


だけど、そう簡単に応じることができない。


自分の心の何かが、それを許さない。


そして、「ごめん、今日はやめとくわ」とメッセージすることに。


特に理由は、つけない。


「そうか」という返事。


向こうの中では、色々と理由を想像しているのだろうけれど、多分、その想像のどれとも違う。


そして、遊びを蹴ってまでしたいと思った「それ」に向かう。


そんな感じの日々を、過ごして来ました。


もちろん、誘いに応じることもあって、それが全てではありません。


ただ、そもそも自分を何かに誘おうとする人も、そんなにいません。


本当に、ごくごく限られた人だけ。


だって、あんまり応じないから。笑 


みんな「もういいか」という感じになってくる。


で、残ったその限られた人の誘いすら、迷うという。そして、結構な頻度で断るという。笑


そこまでして何をしているのかというと、


仕事をしたり、物を書いたり、難しい本を読んだり、思索にふけっていたりします。


そういうことは、いくらだってできる。


なぜ、自分はこうなのか。


多分、もっと先にいけるということを自分が知っているからなんだろう、と思います。


まだまだ自分はこんなもんじゃない、ということを、知っている。


自分が一番それを、分かっている。


もちろん、遊びは楽しいもので、私も好きなんです。


好きだから、誘われたら結構悩みます。どうしようか、と思う。


そこで、実は葛藤する。


特に、予定はない。緊急の用もない。普通に、遊べる。


でも。


なぜか、悩む。


対外的には、何もない。でも、対内的にはある。


考えたいことがある。読んでみたい本がある。書きたいことがある。


だから、断る。


テレビも、観たいとは思わない。時間がもったいないから。


受験勉強のときだって、そうでした。遊びに行くことなんてしたいと思わないし、テレビを観たいという欲求が生まれない。


つまり、「我慢」という発想がない。


「我慢している時点で、我慢になっている時点で、少し違うと思うんだ」と、私はよく言います。


したいから、やっている。


そして、したいと思うのは、描いている到達点にいる自分こそが、自分自身であると知っているから。


それが分かっているから、楽しい世界に連れて行ってくれる誘いを断ってまで、地味な作業をするのでしょう。


想像力の限界が人間の限界だとよく言われます。


あなたは、自分がどういう人生を送るに値すると思っていますか。


あなたが「自分はこういう人生に値する」と信じているまさにその人生を、あなたは送るようになります。


自然に、体がそっちに向かうようになる。


だから大事なことは、あなたがあなたの価値を認め、自分を尊重して、信じられるようになること。


なのです。


ではどうしたら、ということも含め、書きたいことはたくさんありますが、今日はこのへんで。


ではまた。

今日はちょっと、ドラえもんのテーマソングでも聴きながら、読んで欲しい記事です。


今、プログラムに参加してくれている子たちが、大阪から東京にチャリで行くというチャレンジをしています。


東京でオフ会を開催するのですが、そのオフ会に間に合うように到着する、という期限付きで。


で、その道中は、プログラムで出会った子の家に泊めてもらいながら、なぜかその道中で茶髪に染められたりしながら(笑)東京に向かっていて、


今もう、静岡にいるらしいのです。


二人でやっているのですが、その二人も、プログラムを通じて出会った子たち。


facebookにその様子がアップされていて、その様子を見て、すごく嬉しくなりました。


というのは、自分の気持ちとして、「人と人をつなげたい」という思いがあったから。


それは、メリットとかそういうことじゃなくて、人脈というものとも違って、


ただ、心を許せる存在。ずっとつながっていたいと思える存在。


そういう存在を持つこと。


結果的にそのつながりから何かが生まれることはあるだろうけれど、それが目的というよりも、


つながること、その人の存在、それ自体が目的となるような関係。


そういうものが生まれたらいいな、ということを、今行っているプログラムを立ち上げたときに思いました。


それが少しは実現できたのかなと思うと、嬉しくなります。


大阪から東京にチャリで向かうというチャレンジ。


多分ですが、このチャレンジは一人ではやらなかったんじゃないかと思うんです。


仲間がいるから、一緒に頑張る友がいるから、それを応援してくれ、支えてくれる人がいるから頑張れる。


やろう!と思える。


そういう部分が、あったんじゃないかと思います。


1日130キロとかチャリで走るらしいのですが、その道中も、友が隣にいるから頑張ってペダルをこげる。


自分が苦しいときも、他者の存在が自分を励ましたり、頑張ろうと思わせてくれたりする。


でも、何度もこのブログなどに書いていますが、今は人と人のつながりが希薄になりがちな時代。


人間、精神的に一人になってしまうと、頑張れなくなったり、頑張る理由を見出せなくなってしまうものです。


そこでやる気が出ない自分を責めたり、頑張れない自分はダメな奴だと思ってしまう。


でも、ホントは寂しいだけ。


ホントは精神的に一人なのが、つらいだけ。


そういうことがあるんじゃないか、と思うんですね。


だから、今回のプログラムでは「人と人のつながり」をすごく大事にしました。


会う機会も増やし、参加者同士がつながっていけるようなプログラムを目指しました。


その結果、今回の件や、プログラムで出会った人とビジネスパートナーとなって、その人の上の階に引っ越すという人も現れて。笑


以前は、プログラムで出会った人たちでバンドを組む人もいました。


ホント、面白いことが起こるものだな、と思います。


人との出会いで、人は人生を変えていくもの。


で、今後もそんなことを、そんな場を創るということを、やっていければいいなーと思う次第です。


今日はちょっと報告のような感じになりましたが、以上です。


ではまた。


昨日のメルマガにも、たくさんの反響をいただきました。ありがとうございます。


何年もこういった活動をやってきて、ホントに多くの相談を受けてきました。


ネット上の相談、メールなども含めると、10,000件は越えるんじゃないかな。


例えば、勉強の相談だと、こんな感じ。



「潤さん」


「何」


「成績が上がりません」


「そう」


「どうしたらいいでしょうか?」


「何で成績が上がらないの?」


「それが分からないから、聞いているんです」


「聞く前に、考えた?」


「……まあ、それなりには」


「で、何でだと思う?」


「多分、勉強のやり方が悪いんです」


「なるほど。勉強のやり方って、具体的にどのやり方が、どう悪いの?」


「ええと……効率的ではないんです多分。要領が悪いというか…」


「そうか。


少し聞くけど、効率的ではないってどういうこと?要領が悪いって、具体的にどういう状態?」


「……そう、ですね。何というか、勉強しても勉強しても上手くいかないんですよね」


「なるほど。


今のやり取りの中に、君が上手くいかない原因が詰まってるのかもしれないぞ」


「え…。どういうことでしょうか?」


「実は、君は考えているようで考えることができていない。


全てが曖昧で、自分の上手くいっていない原因を、一般的に言われているもので言語化しているだけで、本質的な意味で原因を掴み切っていない。


そして、さらに問題なのは、その原因を掴み切っていない自分を問題視することすらできていない点だ。」


「よく、分かりません…」


「だと思う。それも、仕方のないこと。


そんな自分を責める必要はないし、これから変えていけばいいだけだ。


実は、多くの成績が上がらない子はその状態。


成績が上がらないということだけではなく、人生が上手くいかない人はみな、そうだったりする。


もっと「なぜ」を突き詰めなければならない。


なぜ上手くいっていないか。どうしたらいいか。


もっとそこを突き詰めなければならないと思える自分になることが、大事なんだ。


いいか、今のは名言だぞ」


「はい」


「冗談だ」


「……」


「そう「思える」自分になったとき、君の勉強のパフォーマンスは上がる。


全てが、変わる。


私がコーチとして今まで伝えてきたことは、そのことに尽きると言ってもいい」


「今はまだ、言っていることが掴み切れていない気がします」


「それでいい。


一番ダメなのは、そこで、分かってもいないのに「なるほど!分かりました!」と言って、


分かったフリをすること。


私は君に、教科の知識を教える存在ではない。


私はコーチだ。


私が伝えたいこと、役割は、もっと根本的な部分にある。


君の勉強に対する姿勢、考え方、もっと言えば、人生に対する姿勢。


それが変わったとき、今までとは違う結果を手にすることになるだろう」



実際、こんな口調じゃありませんが(笑)、こんな感じで相談に乗っていたこともあります。


昨日のメルマガでもこんな感じで書きましたけど、こっちの方が伝わりやすいと判断したときは、こういう感じで伝えることもやっていこうかな、と思います。


何か上手くいかないとき、そこで「ダメだ」と諦めてしまうのではなく、


「何で?」「どうすればいい?」


そうやって問い続けられる人間は、道を切り開いていきます。


しかし、そこで、問うことができない、自分と向き合うことができないと、


目標達成に全く役立たない行為に時間をかけるようになってしまい、上手くいかない現実が続いてしまうのです。


だから、諦めずに、問うていきましょうね。


今日は、こんな感じで。

先日配信したメルマガの反響が結構あって、私の元にはあれから、かなりの数のメールが届いています。


その内容を読むと、ご自身について書いてくださっているものもあって。


そういったものを読んでいくと、いつも感じることがあります。


それは、みんな「頑張っている」ということ。


たくさん行動を起こしているとかそういうことだけを言っているのではなくて。


中には行動できないでいる人もいます。


でもそれは、心の中に色んな葛藤があって、動きたくても動けなかったり。何かが、怖かったり。


だから、頑張れていない人も、実は頑張っている。のだと、感じます。


私も、ときに厳しいことを言ったり書いたり、責めるような感じになってしまうことがあります。


私自身、日々の出来事の中で、良いことばかりがあるということではなく、


落ち込むこともあるし、寂しくなることもあります。


そう、普通のどこにでもいる人間です。


あなたが感じるのと同じような感情を、私も感じます。


で、文章というのはそのときの状態が出るもので、あまり良い状態でないときに書くと、


どうしても責めるような感じになってしまったり。反省。


ただ、


その人が、その人なりの歩幅で前に進んでいっている、進んでいこうとしているのだということは、忘れないでいたいなと思います。


私がなぜこのブログを書いているのかというその目的を、忘れないでいたい。



私は今まで、色んな人の悩み相談を聞いてきました。


「行動できない」とか「頑張れない」とか、色々なのですが、


その中で一つ、感じることがあるのです。


例えば、コーチングのスキルでは、そういう人に対して「ぶっとんだゴール(現状では考えられないようなゴール)を設定する」などということを行います。


そして、その目標にリアリティを感じられるようにしたり。


そういった方法っていうのはすごく有効で、確かなものなのだと思います。


ただ、色んなことを学び、人に接し、相談に乗る中で感じたことは、


「精神的に孤独である」ということによって、行動できなくなっている人もいるのではないか、ということ。


つまり、問題の根本は、目標設定以外の他の部分にもあるのではないか、ということを思ったのです。


よく言うことですが、人は人との関係の中で生きるものであって、人と接しないとか、つながりを感じられないと、自分の存在理由が分からなくなります。


何のために頑張るのかも、分からなくなってくる。


でも、今の時代は、どんどん人とのつながりが希薄になっていて、個人主義が強くなっている。


結果、「一人で頑張る」という状態が生まれている。


これ、物理的に人がたくさんいる環境だったとしても生まれる状態で、


「精神的にどうなのか」という部分が大事なところ。


特に、悩んでいる人って、どうしてもそれを一人で抱え込んでしまうもの。


自分の弱さを見せたくなくて、周りの人も信用できなくて(否定する人、責める人が多く、愛を持って接してくれるとは思えない)、自分の中で留めてしまう。


で、苦しくなってしまったりするんですね。


その状況があると仮定して、自分にできることは何なのか。


そういったことをずっと考えていて、


このブログについても、このブログを読むことで、その精神的孤独感のようなものが和らげばいいな、なんてことを思うんです。


先日配信したメルマガでも自分の過去のこととか書いていますが、


そういったものを書くことで、一人でも「自分もそうだった」と思って、「自分だけじゃないんだ」と感じてもらえたなら、


自分が何かを「書く」ということには意味があると思えるのです。


先ほども書きましたが、私だって落ち込むし、寂しがるし、頑張れないときもある普通の人間です。


そして、色んな人の相談を乗ってくる中で分かったことは、


私を含め誰もが普通の人間で、みんな頑張って生きている、ということ。


順風満帆なように見える人にも悩みはあって、それぞれが、それぞれの歩幅で前に進みながら生きている。


当然、あなただって頑張っている。このブログを読んでいる時点で、それは明らかです。


何となく、そういったことを考えるだけでも、救われる部分があるのではないかなと思います。


このブログが、今日も少しだけ前に進んでみようかと、そう思えるようになる存在であり得たなら、嬉しい限りです。


ではでは、今日も一日、元気にいきましょう。

夢中になれるもの。


人生において、夢中になれるものを持てるかどうかは、著しく重要なことなのかもしれません。


自分の内側から溢れ出てくる思いから行動する場合、人間は「やる気」の問題では悩みません。


ただ、体が動く。少しでも時間があるなら、それがしたい。


私が受験生のときも、結局のところ、勉強に夢中だったのです。


少しでも時間があるのなら、勉強がしたかった。


だから、普通だったら「よくそんなに勉強できるね!」というような勉強量も、普通にこなせてしまう。


それができないと、気持ち悪い。


勝負は、その状態であれるかどうかなわけで、


私がコーチとしてやるのは、その状態を作り上げること。


昨日もオフ会があったのですが、ある女の子にそういったコーチングを行ったところです。


そんなところに特化したことも今後やっていきたいと思っています。


今で言えば、私は仕事に夢中です。


いつだって、仕事に関連したことをやっていたい。


単純に言えば、仕事にハマってしまっているのです。


仕事といっても多岐に渡るのですが、こうやって発信をすることもそうですし、


本を書くこと、セッションをすること、プログラムを作ること、勉強をすること。


そういったものにハマっている。夢中になっている。


この状態になれば、人は自然に行動するし、その行動自体を楽しめるし、だからこそ結果も出るわけです。


夢中になれるものがない、という状態は、かなり退屈で、苦しい状態だったりします。


現代人の多くが「やりたいことが欲しい」と思うのも、


夢中になれるやりたいことがない状態が、苦しいからなんですね。


何のために生きているのか分からなくなる。


時間を無駄にしている気がする。


もっと価値のある何かができる気がする。


そんな思いで生きることは、なかなか苦しい。


人生に対して真面目になったとき、流されて生きるのをやめようとしたとき、


その人の中で「やりたいことを探す」ということが起こります。


それは、「もっと熱く生きられるんじゃないか」「もっと真剣に生きられるんじゃないか」と思うから。


で、一つ夢中になる、ハマるという状態を作り出すのに大切なことを挙げると、


問う力


なんです。


問う力って何かっていうと、「何でこうなっているの?」とか「どうしたらもっと上手くなれる?」という問いを持つ力。


そういった問いが生まれる対象を見つけ、自分に真摯に問うことで、人は夢中になっていけるんですよね。


だから、問う力のある人って、エネルギーが高いんです。夢中になれるから。


夢中になるというそのことによって、生きることが楽しくなるから。


流されるだけ、空気に合わせるだけ。


そういう人を見ていると、「問う力」が弱いんだな、と思います。


この問う力は、自分と向き合う力にもつながっていくんです。


だから、問えない人は、どんどんエネルギーが弱くなり、いつもと同じ毎日を過ごすだけになってしまう。


そして、それが当たり前になっていく。


問う力は自分と向き合う力であり、自分で考える力でもあります。


何かに夢中になりたいなら、問うことから始めてみましょう。


それでは、今日はこのへんで。

私は個人で働く生き方を選びました。


なので、朝何時に起きるか、一日何をするか、何時に起きるか。


基本的に、全て自分で決めます。誰かに「決められる」ということはありません。


それが当たり前で、そんな人生を送ってきたわけなのですが、


当初、少し困ったことが起きました。


できることがありすぎて、何をすればいいか分からない


何をしても、他の選択の方が良かったのではないかと思ってしまう


という状況です。


例えば、「よし、今日は映画を観よう」と思ったとします。


しかし、そう決めたと同時に、「いや、本を読んだ方が有効な時間の使い方と言えるのではないか」と思ってしまう。


そんな気持ちを振り払って、車を走らせ映画を借りにTUTAYAへ行く。


すると、膨大な映画が並んでいる。その中から今日観る一本を選ばなければならない。


ふと、気になった映画があって「今日はこれで決まり!」と思う。


けれど、そう思ったにも関わらず、同時に「これが面白くなかったらどうしよう。無駄な時間の使い方になっちまう」と思う。


結果、選び直す。また、物色を始める。どれにしようか。


そして、ふと気づくのです。


「この時間こそが、時間の無駄なのだ」と。


「何が良いとか悪いとか、それは観てみなければ分からない。面白くなかったとして、それはそれで良いのだ。迷いが一つ減るのだから。


大事なことは、気になったならまず観てみること。想像したって、何も分かりはしないのだから」


膨大な選択肢の中から、自分が「これだ」と思うものを選び取る。


これは、なかなか大変な作業です。


選ぶ際には、「選ぶ基準」が必要になるわけですが、その「基準」というのは自分で作るもの。


そして、その「基準を作る」という作業をするためには、自分と向き合う必要があります。


「俺は何がしたい?」「俺の望みは何だ?」と。


これは、若者が自分の人生を選ぶときも同様です。


自分に問う、ということを避けることはできない。


今は、そういう時代なのだと思います。


というのは、一流大学に行ってもそれだけで人生安泰ではない。大企業に行ってもそれだけで人生安泰ではない。


そんな共通認識が、すでに日本の中に広がっています。


分かりやすい「人生のゴール」が社会的に存在する時代ではなくなったのです。


さらに、絶対的な価値観が壊れ、それぞれの価値観が同じレベルで大事にされる時代になりました。


もし、それぞれの価値観に優劣があったなら、少しは選びやすいのでしょう。


しかし実際には、それぞれの価値観は、それぞれ大事にされていて、大事にされていいもの。


書店に行けば、本当に様々な生き方が、提示されています。


私たちは、その中から自分がどう生きるかを選んでいく必要がある。


ただ、それはなかなか大変なことだったりします。


逃げたくなったりする。


で、そこから逃げたいとき、人は何をするかというと、「空気」に任せるのです。


特に日本はそうだな、と思いますが、「空気」の力がすごく強い。


空気に任せている間は、自分で考えなくて済みます。


自分と向き合い、自分で選ばなくていい。


ただ、空気に任せるだけでは、実は違う生きづらさを感じることになります。


ある意味、空気の奴隷になっていくわけですから、自分を「合わせる」という生き方になっていくわけです。


もし、「合わない」部分が出て来たら、それが自分を責める要因になったりする。


就活が上手くいかなくて自殺してしまう人がいますが、それは「空気に合わせられない自分はダメだ」という自己否定から生まれているのかもしれません。


しかも、この「空気」というもの、それに従うだけでは自分の人生を守れないかもしれない。


日本は、全体的に下降しているから。それは、国レベルでも。個人のレベルでも。


その下降傾向の「空気」に合わせて生きるだけでは、今後、なかなか厳しいのではないかなと個人的には感じています。


だからこそ、「自分」から逃げないこと。


自分と向き合うことから逃げないことが、大事だと感じる次第です。


今日はこのへんにしておきますね。

今、東京です。とある出版社で編集者さんと打ち合わせ。サンマークじゃないよ。ビシッと行って来ました。いい感じでした。


では、本題へ。


今、本を読んだりして、色々と社会の問題とか考えちゃってるんですが、


個人の人生の問題で言うと、やっぱり「自分と向き合えない」っていうのがかなり大きいな、と思う次第です。


というのは、自分と向き合うことができないと、自分の闇の部分に引っ張られながら生きることになってしまうからです。


例えば、昨日ツイッターで、世の中には嫉妬する側と嫉妬される側の人がいる、っていうことを書きました。


で、嫉妬する側って、嫉妬している人のことを批判したり、学校だったらそれがイジメになったりもするんですけど、


その嫉妬している当人が「自分は嫉妬しているだけ」って認めることができたら、批判とかイジメとかすることがカッコ悪くなってやめるんじゃないかと思うんですね。


でも、何でそういうことをしてしまうかというと、そんなカッコ悪い自分を認めることができないから。


そんな自分と向き合って、自分を知るっていうことから逃げているからなわけです。


自分と向き合うと、自分の弱さ、ダメさ、色んなことが見えてしまいます。


逆に、自分と向き合わなければ、色んなことを人のせいにできる。


で、それは楽なんです。


人のせいにして、自分の闇だったり、自分の深淵な部分から目を逸らすことができて、


「あいつが悪い」っていう風に『ごまかす』ことができてしまいます。


でも、何度もこのブログで書いてますが、そうなると人生は変わらないわけで。


何かが上手くいかないとしたら、何かしら自分に原因があるわけですよね。


その原因っていうのは、自分が見たくない部分にあったりする。


自分と向き合うっていうことは、その見たくない部分を見ること。


そこを直視することができるから、上手くいかない真の原因が分かって、改善していけるわけで、


そこを見ないでいたら、同じ問題が起こり続けてしまう。


何も変わらない不満なだけの毎日が続いてしまう。


私はよく、「ダサくてもいい」ということを言うのですが、


何でそんなことを言うかというと、「ダサくてもいい」と思えることで、自分と向き合えるにようになるから。


ダサい自分を認めることが、一歩前に進むことだったりするから。


私自身、ホント、ダサい部分をたくさん抱えている人間です。


そこを否定したって、ダサい部分があるものはあるんだから、仕方ない。


だから、まずはそんな自分を認識することが大事で。


カッコつけるのではなくて、自分の弱さとか、ダサさとかを認めてみる。


それでもいいんだ、そこから始めるしかないんだって、思ってみる。


勉強だったら、成績が悪いんだったら、そこから始めるしかない。


そこから一歩一歩進んでいくしかない。基礎を学ぶことはカッコ悪いことなんかじゃないんだから。


自分が欲しい結果があるとして、その結果を得られていない今の自分を見つめて、


できることを一つ一つ積み重ねていくこと。


そこから道が開けてきたりする。


ものなのだと思います。


色々自分のことが分かってくると、これまでの自分の行動が恥ずかしくなったりするものですが、


そこで「恥ずかしい」という感情を感じることが自体が、成長だったりするわけです。


てことで、今日はこのへんにしておきます。


今日はこれから、一人時間を楽しんでいきたいと思います。

2013年くらいから、人と接して対話するということが増えてきました。


それまでは仕事場で一人ということも多かったのですが、より多くの人と関わってみたいという思いもあって、色んなところに出て行くようになって。


自分が行うプログラムにおいても、直接会って対話するということを大事にしてきました。


その中で様々なことを感じ、考えてきたのですが、強く感じることがあって。


それは「怖れ」のエネルギーが大きい、ということです。


怖れのエネルギーが大きすぎて、動けない人、人生が楽しくない人、前向きになれない人が多い。


自信がない、嫌われるのが怖い、将来が不安、一人になりたくない…などなど、怖れには様々あるのですが、


怖れが強すぎると何が起こるかというと、純粋な「好き」という気持ちや、「興味関心」で動けなくなってしまうのです。


例えば、私のところに相談に来る人は、勉強だったり仕事だったりで成果を出したかったり、目標を達成したい人などが来るのですが、


大抵、そういったものを『楽しんで』はいません。


強迫観念的に「やらなければならない」と思っていて、その苦痛を上手く乗り越える方法が知りたい、という感じでやってくるのです。


それができなければ自分の価値が損なわれてしまう。それができなければ生きていけない。


何かそこにそういった悲壮感というか、深刻さを感じます。


人が最も高いパフォーマンスを発揮するのは「やりたい」という気持ちから行動すること。


好きとか興味関心とか、好奇心。そういったものが行動の源泉になっている人は、動きたくて動いています。やりたいからやっている。


逆に、劣等感や自己無価値感が主たるエネルギーである場合、行動することに苦痛が伴ったり、休むことができない、行動していない自分を責める、ということが起こってしまう。


そこからは悪循環の始まりです。


怖れが強いエネルギーになっている→やらなければならない意識が強くなる→いつだって行動できるわけではなくなる→そんな自分には価値がないと思う→結果、そんな自分を責める→責めた結果、自信を失う→自信を失うから余計に自分を責める→余計に行動できなくなる


という悪循環。


そうなると、最悪の場合、鬱になる人が出て来たりします。


この悪循環の元になっているのは、「怖れ」のエネルギーで生きていることです。


「怖れ」が主たるエネルギー源になっているからこそ、行動することが「大変な」ことになり、


何かつらさや重苦しさ、やらなければならない感が生まれてくるのです。


こういう現状に対してどうすればいいか、ということもこれまでずっと考えてきました。


怖れのエネルギーが出てくる原因は様々です。社会的状況ということもあるし、一人一人の家庭環境の場合も、心理的葛藤の場合もあり、一概に「こうだ!」と言うことはなかなか難しい。


ただ、その一つ一つについて吟味し、考え、自分なりの答えを出して、こうやって伝えていきたいとは思っています。


私が目指しているのは、一人一人が自分の生きたい人生を生きられるようになる社会。


社会というと大きな話になりますが、単純に一人一人の人生の質がもっと高まっていけばいい、と思ってます。


最近、色々本を読んだり情報を得たりしていると、この社会が今どういう状況にあるのか。一人一人の人生がどうなっていっているのかなど、様々分かってきます。


その中で自分にできることは何か。自分が取り組んでみたいと思うことは何か。


そう考えたときに出てくるのは、「いかに個人の人生の質を高めていけるか」ということなんです。私の場合はね。


もちろん、個人の人生は社会問題などもおおいに関係していますから、社会問題についても考えていくことになります。


社会の目指す方向についても考えつつ、今のこの時代の中で、一人一人の個人が自らの人生をよりよく生きられるようになったらいいんじゃないか。そのために必要なことは何か、自分にできることは何か。


そんなことを、考えています。


このブログを書くこと、メルマガを書くこと、プログラムを運営すること、本を書くこと。


全ては、「どうすれば個人の人生がより良いものとなるのか」ということを考え、実践するための活動だったりするんですね。「良いとは何か」とか、ホント、色んなことを考えないといけないのですけれど。


それを、好きで、自分の興味関心でやっているという感じです。


めちゃくちゃ話が逸れましたけれど(笑)


怖れのエネルギーについての話でしたね。


怖れのエネルギーを完全なる「悪」だとする必要はなくて、それがあるからこそ行動できる部分もあるのですが、ただそれが強すぎると先ほど書いたようなことが起こってしまうこともある。


だからこそ、少しでも、愛のエネルギー、楽しいとか、やりたいとか、興味があるとか、ワクワクするとか、そういったエネルギーを取り戻していければいい。


そのために必要なことは…


と、今日は長くなってしまったので、また別の機会に書いていきますね。


それでは、今日はこのへんで。

なぜか右腕の重さの感じる今朝。あまり朝食を食べないことも多いのですが、今日は食べてます。


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では今日も、好き勝手思うところを書いていきます。


人間の悩みって色々ありますが、大きいなと思うのは「自己評価の低さ」について。


今の人で「やりたいことがない」と言っている人は、大抵の場合、やりたいことがないのではなくて、やりたいことがやれないと思っている自己評価の低さが原因であって。


何でも好きなことやれるとしたら、という前提をつけたら、どんなことが思い浮かびます?


やりたいこと、いっぱい出て来ませんか?


ということはですよ、変えたのは「やりたいことが全部できる」という前提なわけですから、その前提がなくなったらやりたいことがないということは、


やっぱり、「自分にはできない」と思っているからやりたいことがないわけですよね。


で、何でそうやって色んなことを「できない」と思うようになってしまったかというと、周りの声が大きいんです。


親や先生、友達といったあなたの周りに居る人が下したあなたへの評価。


そういったものを無意識に受け入れることで「ああ、俺はこのくらいの人間なんだ」ということにする。


なぜそうするかというと、周りが下した評価を受け入れ、その評価に基づく自分を演じることで、仲間はずれにされないからです。


空気が上手く読める子って、いじめられることはあまりありません。


なぜかというと、周りが自分にどういう役割を期待しているのか、どういう評価を下しているのかが分かり、その通りの自分を演じられるから。


ただ、そうであるがゆえに周りに縛られ、自分の本来の可能性を発揮することができないことも多いものです。


逆に、いじめられるケースであるのは、実はその子の自己評価が高い、というもの。もちろん、他にも原因は様々ありますが。


自己評価というのは、現在の状況には関係なく、その子が自分自身に下している評価です。


自己評価が高いその子は、これからその才能を発揮して活躍していくのであって、まだその真価は発揮されていなかったりします。


だから、現状とその子の自己評価には『ギャップ』があるのです。


このギャップが「空気を読めない」、つまりこの場合で言えば、周りが期待している自分を演じられない、ということにつながっていきます。


で、周りの人はというと、現状と自己評価にこの『ギャップ』がありません。


現在=自己評価通り


となっています。


だから、前に向かう力は弱く、前向きに頑張っている人を見ると何か嫌な感じがしてしまう。自分はダメなのでは、と思ったり、焦りの気持ちが生まれたり。


で、そのネガティブな気持ちが生まれたのは、相手の自己評価が高いからなわけです。


相手の子の自己評価が高いからこそ、その子は行動もできて、そのおかげで自分が焦りの気持ちを「持たされている」と感じる。なぜか被害者になる。


そして、そんな自分と向き合っていないので、そんな自分の気持ちに気づけない。心のメカニズムも理解できない。


結果、「あいつむかつく」となります。感情のままに動くことになります。


そうして、「自己評価の高い生意気なあいつをいじめる」という行為に及ぶわけです。


これは、言葉を変えれば「出る杭を打つ」というのと同じようなことです。


ここで問題なのは、そうやって出る杭が打たれたときに、打つ側・いじめる側の心情が理解できないと、


いじめられた子が本当に自己評価を下げてしまうことがあることです。


なぜなら、自己評価を下げれば、いじめは収まっていくから。


いじめられるのがホトホト嫌になり、自己評価を下げることでそのいじめが収まるのであれば、自己評価を下げよう、という発想につながってしまうのです。


で、おとなしくなってしまう。このくらいにしておこう、とブレーキをかける。


現在で言えば、ネット上でも同じようなことが起こっていますね。有名人を叩く人たち、誹謗中傷をする人たちの心情は、上記のような心情。そのことを理解しておくことは、今後活躍していくあなたにとって大事なことです。


どのようなところに行っても、必ず自己評価の低い人はいて、あなたの高い自己評価を下げようとしてきたりします。でも、そんなことをされても、自己評価を下げる必要はありません。


むしろ、「ああ、ムカつかれるって事は、俺は上手くいっているんだ。順調順調!存在感ありまくり!だって、存在感がないなら無視されて終わり。自分は注目せざるを得ないくらいの存在なんだ」と思えばいいだけです。


周りの評価を、受け入れる必要はありません。


これまで持ってきた自己評価も、大抵、低すぎます。低い自己評価を持たされてきただけ。


まずはそのことを認識することから始め、自分のことを信じてあげましょうね。


では、今日はこのくらいで。

今、東京へ向かう新幹線の中です。3連休ってことで混んでいるかなと思いましたが、大丈夫でした。


ところで、こうやって情報を発信していると、色々と相談メールが届いたりします。内容は、ホントに様々。


で、モチベーションとかそのへんの相談も多いのですが、一つ今日はそこらへんの話を。


私がよく言うことなのですが、人は自分一人では生きている意味や実感を感じることはできません。


他者がいるからこそ、様々な歓びがあるし、何かをする理由になってくるわけです。


愛されたいとか認められたいという気持ちも、他者がいなければありえないものであって。他者との関係性の中で私たちは生きていて。


そこで、一つ大きなモチベーションに成りうるのが、


自分の成功が他者のためになる


という事実に気づくこと。


あなたが成功すること。あなたが壁を乗り越え、挫けずに生きていくことは、それだけで他者の希望になることができます。


あなたと同じことで悩み、あなたと同じことで苦しんでいる人は世の中に本当にたくさんいるのです。


私がやっていることも、自分が乗り越えてきた壁の乗り越え方を伝えているようなもの。


自分が壁を乗り越えるということは、同じ壁に苦しんでいる人を救うことにもなります。


そのことをイメージできることが大事。


これまたよく言うことですが、今は多くのものが満たされた社会。自分自身のことだけを考えるなら、生きていくことは誰だってできる時代になりました。特に日本では。


特別不自由さも感じずに生きてきた場合には、何かをするモチベーションはなかなか持ちづらいものです。


これから先、確かにどうなるかは分からなくて不安ではあるけれど、実際今のままで幸せに暮らしている。暮らせている。


だから、将来に備えて、といったようなこともしづらい。


では、何をモチベーションの源とするか。(この言い方も不自然なものではあるのですが)


それは、自分の存在が他者のためになれることを知ること。存在レベルで、他者のためになっているのだということを知ること。


そして、自分の成功が他者の励みになり、希望になるのだということを知ること。


自分の成功を喜んでくれる人がいるということを、知ることです。


何度も言いますが、人は人との関係性の中で生きています。


人との関係の中で感じる何かに、私たち大きな歓びを感じるもので。


あなたの成功、あなたの仕事、あなたの行動、あなたが壁を乗り越えること。


それは、意味のあることだと知ることです。


自分だけでなく、他者に目を向けることで、もっともっとエネルギッシュに生きていけるものなのだと思います。


では、今日はこのへんで。


東京でカフェセッションやってきます。