私は個人で働く生き方を選びました。
なので、朝何時に起きるか、一日何をするか、何時に起きるか。
基本的に、全て自分で決めます。誰かに「決められる」ということはありません。
それが当たり前で、そんな人生を送ってきたわけなのですが、
当初、少し困ったことが起きました。
できることがありすぎて、何をすればいいか分からない
何をしても、他の選択の方が良かったのではないかと思ってしまう
という状況です。
例えば、「よし、今日は映画を観よう」と思ったとします。
しかし、そう決めたと同時に、「いや、本を読んだ方が有効な時間の使い方と言えるのではないか」と思ってしまう。
そんな気持ちを振り払って、車を走らせ映画を借りにTUTAYAへ行く。
すると、膨大な映画が並んでいる。その中から今日観る一本を選ばなければならない。
ふと、気になった映画があって「今日はこれで決まり!」と思う。
けれど、そう思ったにも関わらず、同時に「これが面白くなかったらどうしよう。無駄な時間の使い方になっちまう」と思う。
結果、選び直す。また、物色を始める。どれにしようか。
そして、ふと気づくのです。
「この時間こそが、時間の無駄なのだ」と。
「何が良いとか悪いとか、それは観てみなければ分からない。面白くなかったとして、それはそれで良いのだ。迷いが一つ減るのだから。
大事なことは、気になったならまず観てみること。想像したって、何も分かりはしないのだから」
膨大な選択肢の中から、自分が「これだ」と思うものを選び取る。
これは、なかなか大変な作業です。
選ぶ際には、「選ぶ基準」が必要になるわけですが、その「基準」というのは自分で作るもの。
そして、その「基準を作る」という作業をするためには、自分と向き合う必要があります。
「俺は何がしたい?」「俺の望みは何だ?」と。
これは、若者が自分の人生を選ぶときも同様です。
自分に問う、ということを避けることはできない。
今は、そういう時代なのだと思います。
というのは、一流大学に行ってもそれだけで人生安泰ではない。大企業に行ってもそれだけで人生安泰ではない。
そんな共通認識が、すでに日本の中に広がっています。
分かりやすい「人生のゴール」が社会的に存在する時代ではなくなったのです。
さらに、絶対的な価値観が壊れ、それぞれの価値観が同じレベルで大事にされる時代になりました。
もし、それぞれの価値観に優劣があったなら、少しは選びやすいのでしょう。
しかし実際には、それぞれの価値観は、それぞれ大事にされていて、大事にされていいもの。
書店に行けば、本当に様々な生き方が、提示されています。
私たちは、その中から自分がどう生きるかを選んでいく必要がある。
ただ、それはなかなか大変なことだったりします。
逃げたくなったりする。
で、そこから逃げたいとき、人は何をするかというと、「空気」に任せるのです。
特に日本はそうだな、と思いますが、「空気」の力がすごく強い。
空気に任せている間は、自分で考えなくて済みます。
自分と向き合い、自分で選ばなくていい。
ただ、空気に任せるだけでは、実は違う生きづらさを感じることになります。
ある意味、空気の奴隷になっていくわけですから、自分を「合わせる」という生き方になっていくわけです。
もし、「合わない」部分が出て来たら、それが自分を責める要因になったりする。
就活が上手くいかなくて自殺してしまう人がいますが、それは「空気に合わせられない自分はダメだ」という自己否定から生まれているのかもしれません。
しかも、この「空気」というもの、それに従うだけでは自分の人生を守れないかもしれない。
日本は、全体的に下降しているから。それは、国レベルでも。個人のレベルでも。
その下降傾向の「空気」に合わせて生きるだけでは、今後、なかなか厳しいのではないかなと個人的には感じています。
だからこそ、「自分」から逃げないこと。
自分と向き合うことから逃げないことが、大事だと感じる次第です。
今日はこのへんにしておきますね。