過去の自分が恥ずかしくなる成長法 | 受験コーチ池田潤が教える参考書学習法

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今、東京です。とある出版社で編集者さんと打ち合わせ。サンマークじゃないよ。ビシッと行って来ました。いい感じでした。


では、本題へ。


今、本を読んだりして、色々と社会の問題とか考えちゃってるんですが、


個人の人生の問題で言うと、やっぱり「自分と向き合えない」っていうのがかなり大きいな、と思う次第です。


というのは、自分と向き合うことができないと、自分の闇の部分に引っ張られながら生きることになってしまうからです。


例えば、昨日ツイッターで、世の中には嫉妬する側と嫉妬される側の人がいる、っていうことを書きました。


で、嫉妬する側って、嫉妬している人のことを批判したり、学校だったらそれがイジメになったりもするんですけど、


その嫉妬している当人が「自分は嫉妬しているだけ」って認めることができたら、批判とかイジメとかすることがカッコ悪くなってやめるんじゃないかと思うんですね。


でも、何でそういうことをしてしまうかというと、そんなカッコ悪い自分を認めることができないから。


そんな自分と向き合って、自分を知るっていうことから逃げているからなわけです。


自分と向き合うと、自分の弱さ、ダメさ、色んなことが見えてしまいます。


逆に、自分と向き合わなければ、色んなことを人のせいにできる。


で、それは楽なんです。


人のせいにして、自分の闇だったり、自分の深淵な部分から目を逸らすことができて、


「あいつが悪い」っていう風に『ごまかす』ことができてしまいます。


でも、何度もこのブログで書いてますが、そうなると人生は変わらないわけで。


何かが上手くいかないとしたら、何かしら自分に原因があるわけですよね。


その原因っていうのは、自分が見たくない部分にあったりする。


自分と向き合うっていうことは、その見たくない部分を見ること。


そこを直視することができるから、上手くいかない真の原因が分かって、改善していけるわけで、


そこを見ないでいたら、同じ問題が起こり続けてしまう。


何も変わらない不満なだけの毎日が続いてしまう。


私はよく、「ダサくてもいい」ということを言うのですが、


何でそんなことを言うかというと、「ダサくてもいい」と思えることで、自分と向き合えるにようになるから。


ダサい自分を認めることが、一歩前に進むことだったりするから。


私自身、ホント、ダサい部分をたくさん抱えている人間です。


そこを否定したって、ダサい部分があるものはあるんだから、仕方ない。


だから、まずはそんな自分を認識することが大事で。


カッコつけるのではなくて、自分の弱さとか、ダサさとかを認めてみる。


それでもいいんだ、そこから始めるしかないんだって、思ってみる。


勉強だったら、成績が悪いんだったら、そこから始めるしかない。


そこから一歩一歩進んでいくしかない。基礎を学ぶことはカッコ悪いことなんかじゃないんだから。


自分が欲しい結果があるとして、その結果を得られていない今の自分を見つめて、


できることを一つ一つ積み重ねていくこと。


そこから道が開けてきたりする。


ものなのだと思います。


色々自分のことが分かってくると、これまでの自分の行動が恥ずかしくなったりするものですが、


そこで「恥ずかしい」という感情を感じることが自体が、成長だったりするわけです。


てことで、今日はこのへんにしておきます。


今日はこれから、一人時間を楽しんでいきたいと思います。