2007年バリアの旅(3)
テレビ
の字幕番組 yellow cab
⑤公共の場におけるテレビ字幕
行きの新幹線品川駅で時間があったので待合室で座りました。私がせっかちなたちであるせいもありますが、障害があったり荷物が多かったりすると予想外の事態が心配で、どうしても時間に余裕を見込んで行動するようになります。そうではないでしょうか。さてその待合室で壁を見るとスクリーンが三つあって、左右は発着予定時刻の表示、真ん中がテレビでNHKをやっていました。ちょうど字幕番組の時間だったのですが、字幕はなし。これはいつものことですが、やはりせっかくこの時間、このチャンネルだったのにと思ってしまいます。
こういう時に思い出すのはアメリカの話です。アメリカではいわゆるADA(障害をもつアメリカ人法)成立以前からテレビ字幕が普及し、13インチ以上のものには字幕表示装置を内蔵すべしという法令もあり、今ではほとんどの番組に字幕がついています。そしてこれは法律や規則ではないと思いますが、大勢の人のいる場所ではテレビは常に字幕モードにすべしというルールがあるそうです。聴覚障害者がいても自分で字幕をONにするのをためらうかもしれないというのが理由です。アメリカ社会はドライだと言われますが、こういう情緒的なものではない配慮が不文律として存在するというあたりは、さすがと言うか、ADAの基盤がある国なのだという感じです。
では日本ではどうか。ずっと以前ですが、高速道路のサービスエリアでテレビを見たら、「文字放送受信用」と書いてあり、ちょうど品川の時と同じ番組をやっていました。テレビは高いところにあったし、時間もなかったのでその場では行動せず、帰宅後に道路公団にメールをしたら、「あれには字幕は映らない」という返事でした。文字放送が映って字幕が映らないのはおかしいとこの方に詳しい友人に聞いてみたら、案の定映るなら両方映るということでした。道路公団の関係者は、おそらくはろくに確認もしないで返事をしてきたのでしょう。また東京の三田に都立の障害福祉会館がありますが、ここのロビーのようなところのテレビにはさすがに字幕表示装置がつけてありますが、見る人がいないのか、気がつかないのか、いつもOFFになっています。一頃は私が行った時にONにしていましたが、最近ではどうも故障らしい。故障の期間が続いているようです。一方行きつけの総合病院のホールではデジタルでしょうが、ニュースに字幕がついていました。今のところはこの二つ以外は、各地の障害者関係の施設に行ったこともありますが、テレビで字幕を見た経験は皆無です。障害者関係のところはもちろんのこと、病院、役所、駅、デパート、図書館・博物館などの不特定多数の人が利用すると言う意味での公共施設にはテレビで字幕を見られるものとし、かつ常に字幕モードにしておいてほしいものです。
昔は入院の際のテレビ持ち込みは禁じられていましたが、最近では収入源になることに気がついたのか、ベッドごとにディスプレイが設置されていてカードで支払うようになっています。もちろん現段階では字幕など望むべくもありませんが、全面デジタル化となった後は容易に字幕モードにできるようにしなければなりません。その時はすべての公共施設でも字幕を出すことが可能になっているわけで、字幕の存在とその意味についての認識をしっかり広報して、アメリカのようなルールが確立されてほしいものです。
⑥小型タクシー
「福祉器具のジレンマ」
に写真を出した「前押し式」のボンベ・キャスターは重い上にスペースを食うのですが、タクシーに乗ったときは助手席(今では死語? 運転席の左の席)を前の方にスライドさせてもらって、何とか後部座席の前のスペースに納めます。ところが京都ではそれがいつも難しく、パイプの長さを短くしたりしてようやく乗せることができました。気がつくと京都ではタクシーがほとんど小型だったのです。後では中型を拾おうとしたのですが、なかなかありません。つまりは昔ながらの狭い街並みが多いせいです。小型そのものは省エネでもあり、責めるべきことではありません。「福祉器具のジレンマ」を書いてからもうかれこれ一年。まだ希望通りのキャスターは見つからず、試作を依頼したところも動いていないのが原因で、障害者や高齢者のQOL(Quality Of Life)に応えた機器を作ってくれる窓口がないのは困ったものだと、旅を契機に改めて思っています。
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2007年バリアの旅(2)
②サインの重要性
階段から踏み出した時もそうですが、エレベータや列車から降りた時も、どちらに進むべきか迷うものです。エレベータの場合新幹線ホームだとそこが何号車の位置であることは大体すぐにわかりますが、どちらに行けば小さい(あるいは大きい)番号の号車になるかは少し動かねばわかりません。もっと困るのは列車を降りてエレベータはどこだという場合で、今回の帰途で品川で14号車を降りてからエレベータの方向を示す表示は一度も見かけませんでした。行きの経験でわかっていたからよかったようなものです。一方、往路に京都で降りた際は、方向を示すサインが柱ごとに切れ目なしにある感じで安心できました。こういう時に限ってエレベータは8号車の位置ですから苦労は少なかったりするのです。
乗り物関係に限らず、道路や公共施設におけるサインの役割は重要なものです。このことは認識されているようで、「日本サイン学会 」というものもあります。97年に第8回大会とありますから90年ごろに発足したのでしょうが、実は私はここに何回か問い合わせのメールを出したことがあります。入会資格などを聞いたのですが、返事があったことはありません。障害という厄介なことには当面ノータッチにしようというのかも知れないと思ったのですが、今回第8回(97年)の記事を見つけたところ、「デザインを進める際に、バリアフリーについて配慮することは今や欠くことのできない要件のひとつとして認識されている。」というくだりがありました。
私の障害で主なものが聴覚障害だけだった頃も、気軽に人に聞けないのでサインの重要性は大きなものでした。今はその上にうっかり必要以上に遠回りなどすると呼吸状態に響いてきますから、重要性はより大です。地下鉄から地表に出るエレベータ(ないこともある)などは、とんでもない離れたところにあったりするのですが、そこへの案内サインすら動き回って探さねばならないことがあります。あればまだよいということもあります。また、エレベータに限りませんが、長丁場を歩いているうちに行く先のセットから目的地が抜けたり、又現われたりすることがあります。数年前のまだ自由に歩けた頃の体験だと、大阪北の地下街ではそういうことが少なく、東京の八重洲地下街ではサインに一貫性が欠けているところがありました。サイン学会の影響力がどのくらいかは知らないのですが、バリアフリーに配慮することが必須とわかっているのなら、サインのデザインもさることながら、サインをどのように表示するかといったところにも意を払ってほしいものです。
③エレベータの過重警報
最初に述べたように私の旅行はいつも大荷物です。今回は家内とエレベータに乗り込んだところで、重量超過のブザーが鳴ったことがありました。もちろん私は気がつかず、家内が教えてくれて降りたのですが、一人だったらもたついたことでしょう。このことはいつも意識しているので、一人のときは先客が多いとやり過ごすことにしています。しかし考えてみるとこれは簡単に改善できるので、重量超過になったらコントロール・パネルの上部とか、あるいはパネルそのものが光るといったシステムにできるでしょう。ピンクとかオレンジの色であれば重量超過で、何か事故の場合は赤く光るといったようにすることが考えられます。
障害者、とくに身体障害者に関して、ITの発達待ちという傾向も見られます。誤りとは言い切れませんが、いたずらにイノベーションを口にするよりは、既存の技術をもっと活用すべしというのが私の考えです。この重量超過を視覚的に知らせる装置もそうですが、地下鉄車両の多くには電光板を設置しているのに、駅間で長い間止まっていた際の説明情報を流すというようなことには使っていないようです。これはアナウンスの聞こえないものにとっては不安な時間ですが、技術あって配慮なしと思い知らされる時間でもあります。また問い合わせ手段としては電話番号しか記載していないサイトが多いのですが、ファクス番号やメールアドレスも明らかにしてこそ技術を十全に利用していることになります。
④ホテルのバリアフリー室
京都では協同組合が経営しているホテルに泊まりました。障害のことを予約の際に言うと、先にも書いたように車椅子ユーザ扱いとなってバリアフリー室に案内されました。広いし、バスには手すりもついているのはいいのですが、家内だけがちょっと部屋を出る際に困りました。ドアを出て閉めると自動的に鍵の閉まる方式ですが、中に私のみとなるとチャイムもノックもわからない。鍵を持って出ればいいようなものですし、実際そうすることもあるのですが、ここでは鍵を壁の装置に突っ込むと電気がONになるというシステムなので、暗い部屋でテレビもクーラーも酸素関係の機器もOFFにして待っているわけにはいきません。仕方なしドアにスリッパをかませました。短時間だからいいようなもの、深夜だったらと思うといい気持はしませんでした。ただしこのホテルは費用もリーズナブルだし、朝食のバイキングも安くて美味、それに大道路でなく狭い小道に面しているなど、全般的にはお勧めのところであったことは書いておきます。
ノックやチャイムが聞こえないお客に対しては、単純な工夫ですみます。チャイムのボタンを押すとどこかでライトがつくようにしておけば十分です。バリアフリー室を標榜するならばこのくらいは考えてもよいでしょう。一度だけボストンに行ったことがあります。難聴者の会議だったのですが、振動で起こす目覚ましとか、振動と光で火事などを知らせる装置とか、いろいろ備えてあって、部屋ごとに希望者に貸していました。日本ではバリアフリーを標榜する宿泊施設はWEBを見ると結構あるようですが、聴覚障害者向きの設備のあるのはわずかです。せいぜいが手話のできる人がいる、筆談用の器具があるくらいで、ファクスとかテレビの字幕装置を貸すというのもあるけれど、ごく少しです。
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2007年バリアの旅(1)
第4回障害学会 に参加するために、京都に2泊旅行をしました。障害があると外出や旅行でいろいろ不便を感じ、せめてこうなっていればと思うことは多いのですが、メモをする習慣がないせいか忘れてしまうものもあります。覚えている分だけを書いたりするわけですが、今回は少しまとめてみます。障害学会ですから他にも私などより重い障害を持つ方がたくさんおられました。それらの方にとっての不便は私の感じる程度ではなく、これから書くものにはぜいたくな不満もあるかなとも思いますが、ここでは音声情報が入らず、何とか自力歩行のできる重複障害者の意見としてお読みください。
①エレベータの位置
旅行に必要なのはまず「福祉器具のジレンマ」
に書いた「前押し式」の酸素ボンベ・キャスターで、これはボンベ共で5kgはあります。次に夜使うマスク式の人
工呼吸器
(NIPPV)。これで日中に排出不足で蓄積した炭酸ガスを体外に出すのですが、細かい説明はともかくとして、これによって旅行が可能になっていると言えるほど、私の場合効果は大きいものです。これが4kg強。キャスターは当然私が押さねばならず、呼吸器の方はかさばるのですが、家内が車つきの大きいトランクに他の通常の旅行用品と一緒に詰め込んで引いていってくれます。このような条件ではエスカレータでは不安で、エレベータが常に必要です。
新幹線に乗るのはこれまでは新横浜駅からだったのを品川駅からに変えてみました。渋谷駅までタクシーで行き、そこから山手線で品川駅。エレベータを二つ乗り継いで新幹線のホームに出たのですが、その場所から乗るべき車両までが約200m。NIPPVを使う以前の調子ならば途中でばてていたでしょうし、今でも時間に余裕を見ておかないとアウトです。どういうことかと言いますと、エレベータで上がっていって降りたところが2号車の位置。指定席を取ってあったのが11号車。この間を重いものを引きずり、ないしは押して延々と歩かされたわけです。品川駅の構内図 を示します。新幹線ホームの左下にエレベータの記号があります。
何故11号車かと言うと、切符を買うときに障害があって大きな荷物があるのでと言うと、大抵の場合は車いすユーザに準じるものとされ、車いす用のスペース(席が2列両側とも二つずつになっている)、車いす用のトイレ、授乳や気分の悪くなった人のための多目的室--この三つが16両編成の場合は11号車 に集中しているから、そこの切符にしてくれることが多いのです。
目的地の京都の場合は、エレベータでホームに上がると8号車の位置でした。このエレベータは国と自治体の助成で作られたと書いてありましたから後から作ったのでしょうが、いろいろ既成設備との関係もあったでしょうに、ちょうど真ん中辺の8号車の位置とは配慮が見られます。ところが新幹線品川駅はよく知られているように2003年10月から開業されたものです。旧品川駅の一部ではありますが、JR東海によって新たに作られたものです。「高齢者、身体障害者等が円滑に利用できる特定建築物の建築の促進に関する法律」(いわゆるハートビル法)が1994年に成立した十年後に完成したわけです。ハートビル法は駅構内の構造を直接規定するものではありませんが、今で言うバリアフリーの概念はこの十年間に広まっていたはずで、何故こうも偏った位置にエレベータを設置したのか、配慮のなさに驚きます。
ぜひ付け加えておきたいのは、帰りに14号車(11号車に席が取れなかったので)からエレベータに向かう途中で、業務用エレベータが、それも2ヶ所にあったのを見かけたということです。工夫の余地はなかったのでしょうか? 東海道新幹線のバリアフリーが進んだものであることは認められますが、一方でつい最近までJR東海の サイト は問い合わせ手段として電話しか提供せず、聴覚障害者には問い合わせの手段を与えていませんでした。JR東海の意思決定部門にもう少し高齢者・障害者への配慮があれば、電話のみの件ももっと早く解消され、品川駅のエレベータの位置も、今ほどの悪条件にはなかったのではないかとも思えます。
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サブリミナル?
このブログの内容は前から考えていましたが、安倍首相の突発辞任で少し情勢が変わったようです。この辞任で「若殿、ご乱心」という見出しがなかったのが不思議なくらいですが、おかげで国際社会でも日本の評価はがた落ちです。半可通の日本通であれば、「何もかも落ちるところまで落ちてみせるのがワビサビの日本美学。つまり美しい日本の実践」とでも言っているかもしれません。
外国に対する責任を云々しながらこういう結末では仕方ありませんが、それでも資質能力のせいではなく外交を考慮して辞任するのだと主観的には思っているのでしょうか。どうやら身体の不調がからんでいるようですが、それも官房長官という他人が最初に公にしたというのも不可解です。病気が理由の辞任なら、それほど体面にかかわることもないでしょうが何故隠したのでしょうか。私の体験からくる考えですが、はっきり病名のつくようなものではなく、要するに消耗からくる不調という要素が大きいのでしょう。もともと胃腸は弱いようですが、不調となると誰しも弱いところに症状が出ます。しかしそれ自体は○○という名前のつく病気ではないので、口にすると弱みをはくように聞こえるだろうと思うのは、わからないことではありません。
これで今後は日本人というか、自民党支持者というかが、若さ・毛並み・ルックスで人を選ぶことに懲りてくれるといいと思います。この3点はリーダーを決めるための必要条件でも十分条件でもありません。一見してプラスの条件であるようですが、当分はマイナスとも取られるようになりかねませんね。「毛並み」というのもあいまいなもので、麻生氏の母親は吉田茂元首相の娘ですが、吉田氏は毛並みにこだわる人だとして知られていました。ところが娘婿の麻生太賀吉氏、つまり太郎氏の父親の父親である太吉氏は福岡の事業家で、明治から炭鉱業者として大成功した人物で、歯の欠けたところにダイヤを埋めていたほどだったという度外れの贅沢話を私の子どもの頃に読み、「へぇ。こういうのを毛並みがいいと言うんだ」と言って、母に「そんなことを言うものではない」とたしなめられたのを思い出します。
本題に戻ってサブリミナルですが、人間の無意識や潜在意識に働きかけて影響を及ぼそうというもので、その効果については疑問符がつくにせよ、テレビのCMなどへの応用は禁止されているとのことです。しかしこの手法に効力があるとすれば使い方はいろいろあるはずなので、テロ対策特別措置法延長に関する最近のテレビニュースで、必ずと言ってもいいほど出てくる船から船へホースをつなぐシーンも、ある種のサブリミナル効果を狙っているのではないかと私は思います。
この法律はテロ攻撃に対抗する各国の軍隊を対象にする協力支援活動、捜索救助活動および被災民救援活動を行なうのが目的ですが、映像シーンを見た限りでは給油のみを行なっているとしか見えません。そしてその給油のシーンもロングで撮った画像はなく、相手がどこの国の艦船なのか、単独の艦船か艦隊かなどもわからないようになっています。給油されたものがイラクでも使われるかという問題は別としても、給油された後でどこに運ばれるか、何に使われるか。戦車やトラックの燃料になるのか、アフガニスタンの爆撃に用いられるのか、そういうことは一切画面に出ません。あくまで個々の船に対する給油だと刷り込まれることになるのです。現に事態打開のために作られるされた新法では給油と給水だけが規定され、だからあらためての国会の承認は必要としない、というものだそうです。
年金問題についても、いつの間にか横取私物化とそれへの刑事罰の問題に矮小化され、マスコミの報道もそこに集中しているようで、年金の原資の無駄遣いと言えばその百倍以上の額となるグリーンピアの件は触れられていません。これもある意味でのサブリミナル効果であると言えましょう。横取であればせいぜいが末端の管理職を槍玉に挙げれば済みますが、グリーンピア建設の裏面構造となるともっぱら幹部の責任の話になります。
安倍内閣崩壊での事情激変に目を奪われて、こういうことを見逃さないようにしたいものです。
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医療と介護のセーフティネット
もう遅いのですが、NHK教育で「日本のセーフティネット」というのを月~水の連続でやっています。20:00から30分で、再放送が翌日の13:20~ですが、いずれ再放送もあるでしょう。
慶応大学教授の金子勝氏のルポルタージュですが、次の4回からなっています。
1)病院にいられない -急増する医療難民
2)病院がつぶれる -地域医療は守れるか
3)病院にかかれない -危機に立つ国民皆保険
4)医療制度・崩壊をどう止めるか -金子勝の提言
(1)(2)を見たわけですが、どちらも小泉首相が「私の改革への決意は全く揺るぎません」と明言するところを映し、2002年に小泉内閣が行なった医療制度改革による診療報酬引き下げが、事態の根底にあることを明らかにしています。この辺史観のある番組だとも言えるでしょう。
専門家はどうおっしゃるかわかりませんが、素人として、また病院のヘヴィー・ユーザとして、医療費節減と医師の不足が問題の根底だということがこれを見て腑に落ちました。(2)にあった、総合病院が二つしかない地方都市で、そのうちの一つが廃業閉鎖となったというのは、想像を絶する事態でした。その病院の閉院とともにそこから僻地の医院跡に医師を派遣することも中止となり、地域そのものが成り立たないようになりつつあります。大都市にいてさえも産婦人科や小児科の不足が叫ばれていますが、それすら生やさしいと思えるほどの事態です。
個人的なことを言わせていただくと、私のように始終酸素を吸っている、在宅酸素の患者はほとんどの老人施設が受け入れてくれないというのはショックでした。診療報酬の引き下げから同じ病院に長居ができないということになり、あるお年寄りが約一年間に10回転院せざるを得なかったという件に関して、その方が酸素が必要になったのが一因ということで出てきたのですが、酸素関係の機器は医事関係者(及び本人と家族)しか操作できず、夜中に外れたり他の認知症の入所者にいじられたりの事態を考え、夜間に看護師等が不在のところには入所できないそうです。これは先日の救急⇒入院の過程で酸素ボンベのダイアルがいじられていた経験を持つ私にはひとごとではありませんが、それにしても今後家族とともに老いていくと、いるところはなくなるのだなという現実を突きつけられた思いでした。
医療と病院の実情については今さらという方も多いでしょうが、私のように聞いてはいたがこれほどとは、という方も少なくないでしょう。途中からでも是非ご覧になってください。今後の再放送の情報もキャッチしたらお知らせしたいと思います。
☆とりあえず 医療制度は ぶっこわし
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朝青龍「事件」と精神科(2)
昨日のお昼のニュースショーでも、「今日本で関心を集めている二大ニュース」とかの「1」として、朝青龍がモンゴルのどこにいるかをやっていました。なんとも日本人であることが恥ずかしくなりますが、これだけの報道量にもかかわらずコミュニケーションの問題について触れた報道はないようです。私にとっては「情報保障」の問題ですから、「朝青龍『事件』と精神科 」の(2)を情報保障のカテゴリーに移して続けます。
元の勤務先の上司が関東の地方都市在住で、在留外国人の多いところなので日本語教室を開いておられます。土地の男性の奥さんが東南アジアの某国の人で、受講生だったのですが、ある時交通事故に遭い、怪我は治ったけれど精神的な後遺症が残り、医師(多分精神科)にノイローゼと診断されました。元上司がその夫妻の相談相手になっていたのですが、予後を相談するのに本人、その都市のある県の国際交流協会所属の某国語の通訳、元上司という三次元で話をするという必要もあったとのことです。
夫は母国で静養させる以外ないと考えるようになっていたようですが、最終的に「某国の医師の診断がベスト」という医師の言葉で、決断したそうです。その後2回帰国を繰り返して、今はすっかり元気で日本にいるそうですが、某国の精神科医の診断書(英語)を持ってきて翻訳を元上司に依頼したので、単に帰国だけで回復したのではないことは確実のようです。
この件の本人は症状を示す以前から日本語にそれほど熟達していなかった模様ですが、いずれにせよ精神症状の場合はコミュニケーションとその方法に意を払わねばならないことがわかります。病気関係は皆そうだとも言えますが、やはり程度が違います。繰り返すようですが、母国語が日本語ではない人の精神症状について騒ぎ立てながら、肝心要の言語の問題について触れようとしない報道(と精神科医)というものには呆れ返る以外ありません。
☆言霊の 国で言葉を 棚に上げ
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自前の花道
九日に安倍首相がオーストラリアで記者会見して、インド洋での給油活動が継続できなければ退陣するという意向を表明したそうです。あいにくなことに十日は新聞休刊日で、まさかそれを狙ったのではないでしょうが(例のないことではありません)、新聞論調の手がかりは目下WEBだけです。
「インド洋での給油活動、継続できなければ退陣・首相表明』(日経)
「給油活動継続できねば退陣 首相『職を賭す』と決意強調 』(産経)
「『給油継続』だめなら内閣総辞職も、首相が示唆 』(読売)
「給油継続できねば退陣 首相、テロ対策で異例の決意』(東京)
「自爆ポロリ!?安倍首相『職を賭す』 10日開幕の臨時国会次第で11月退陣も」(報知)
そっくりのものを省けばWEBでの見出しはこんなものですが、「職を賭して取り組んでいく」という首相発言はこういうものになるのでしょう。改めて政治家の発する言葉の重みを考えてしまいます。上の5紙のうち産経は「首相会見要旨」という記事をつけて念を入れていますが、報知にあった「安倍首相は記者団から『活動継続をできなかった場合、内閣総辞職の覚悟はあるのか』という質問に会見の司会者の制止を振り切って答えた。」という説明は本文にも会見要旨にもありません。
この首相の発言に対する反応としては、テレビ報道も加味すると自民党は表向きには「決意の表れ」としていますが、「全力を尽くすとでも言っておけばいいのに」とか「民主党の思う壺」とか、あるいは「気が弱くなった」とかの声もあるようです。報知は各党別の反応についても詳しく、民主党幹事長は「同情を誘う感じだ。本来とっくに辞めるべき人が言っても仕方がない」。共産党の書記局長は「何が何でもごり押ししようという意志の表れ」。社民党党首は「参院選敗北後には何も言及せず、今になって言い出すのは奇異な感じ」。国民党幹事長は「普通なら参院選の結果で辞めるはずだが続投した。本当に辞めるのか分からない」・・・要するに「総辞職も」という発言としてはインパクトが弱すぎるので、仮にこれが総辞職でなく国会解散・総選挙であってもあまり変わりはないでしょう。ただ、民主党内に、国会が始まったのにこの発言だけに関心が集中してよいのか、という意見があるそうで、事態かく乱の意味はあったかもしれません。
しかし私はこの発言は、もはや前途なしと観念した安倍氏が、せめてのことにみばのよい花道を用意しようとしたのではと思います。本来なら参院選惨敗で辞めるべきなのですが、その原因が大臣の不祥事や政治家のカネの問題、そして何よりも自分の資質の問題であれば、それでもって辞めるのはプライドが許さない。国際問題が原因ならまだしもだ。そう言えばあの岸の祖父にしても、最後は安保問題で身を引いた・・・というような発想でなかったかと思うのです。おそらくは二期をつとめて憲法改正を花道にする辞職を夢見ていたのでしょうが。
ただし、参議院で否決されても衆議院で2/3以上の賛成があれば再可決という手段を、さっき官房長官が「憲法上の規定であり、特異な事態ではない」と言っていたようですが、その手段を行使するための環境設定の一つがあの「退陣」発言であったという可能性は残ります。「私の責任において、あらゆるすべての力を振り絞って職責を果たさなければならない。」(報知)という発言も、再可決という「特別だが特異でない」手段を視野に入れたものということはありうるでしょう。結局はそこまで読み込んで安倍氏に振付ける人物がどこにいたか、どこかにいるか、という問題になるのでしょうか。
☆旅に出て 夢三代を かけめぐり
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ガス抜き師
社会保険庁によれば職員による国民年金保険料などの横領・着服額は、自治体職員分とを併せると、総額約3億7000万円となるそうです 。同庁のたるみぶりは際限がないようですし、さらにそれに対する追求を手控えようとしていたことなどにも弁護の余地はありません。舛添厚生労働相が「盗っ人は最後の一人まで草の根かき分けても探し出す」などと言ったのも当然でのことです。
しかし一方では、13ヶ所の「グリーンピア」なる保養施設の年金資金による建設がいずれも失敗に終っていることも注目すべきでしょう。年金保険料1,953億円を投じたグリーンピアの地方自治体等に対する売却総額は、わずか約48億円 であったということです。ある資料 によると最高の300億円を投じた三木(兵庫県)の施設は、そのわずか3.6%である9億1855万円で売却されたそうですし、投入額に対する売却額の比率でもっとも高いものでも横波(高知県)の4.72%。もっとも低いものでは大沼(北海道)の0.75%だそうです。見込み違いもこうまでなると、刑事事件を構成するかどうかは別としても、建設当時の起案者や決裁者の名前は明らかにされるべきではないでしょうか。
職員による横取・着服額で現在までに判明したのは総額3億7000万円。グリーンピアの投入資金総額-売却額総額は1905億円。後者の莫大な金額を誰がどのように決定して支払ったのかも、「最後の押印者まで草の根かき分けても探し出す」べきではないでしょうか。既に民主党が、国政調査権でもって資料を提出させる準備を整えているとのことです。グリーンピアに投入された金額の総額を記載している資料によれば、建設地13ヶ所のうち8ヶ所が歴代厚生大臣の地元であったそうですから、この辺の事情も明らかになることが期待されます。掛け声だけでなくそれが実現すれば、なるほどこのようにして一票が力を持つようになるのだなというのが実感できることでしょう。
安倍新内閣では舛添厚生労働相が注目され、ほとんど唯一の期待される存在となっています。それが横取・着服について厳しい姿勢を示しているのだから、年金資金の無駄遣いについても責任解明が期待できる・・・と、こうなればいいのですが果たしてどうでしょうか?
舛添氏は7月の参院選で自民党が惨敗した時、ほとんど真っ先に安倍首相の責任を問う発言をしました。それが今では安倍改造内閣の希望の星となっています。大臣を受ければこうなることは聡明な舛添氏にはわかっていたに違いありません。舛添氏を評価しようとする時、この辺が悩ましいことになります。2005年の郵政国会でも、舛添氏は自民との参議院議員としては実に鋭く小泉首相に迫っています。2005年8月2日の162国会 での参議院郵政民営化に関する特別委員会における舛添氏は、次のように小泉首相に質問しました。
「ということで、今我々はこれだけ熱心にこの郵政民営化の議論をしていますけれども、こんなに少ない、〔政策の優先順位として〕読売だと十六番目、東京新聞七番目、日経新聞十一番目、それをなぜ総理は今そこまで熱を入れておやりになるんですか。」
「やっぱり全体の経済政策を良くしないで、何かあったら我々の郵便貯金、簡保の資金使って賄えばいいという、そういう態度が続けられれば、これは問題片付かないと思う。総理、そこをしっかり国民に説明してくださいよ。」
「そこで、民にできるものは民にということをおっしゃいましたけれども、これは民になるわけですけれども、民になってもそこのところはちゃんと残すのか。それ、どういう理論付けで残すのか。総理の言うことを聞いていると、もうとにかく税金使うなと、もうとにかく民でやれと。じゃ、今いろいろ宅配便業者がおりますけれども、彼らが目の不自由な方の点字をただで運んでいるか。運んでいませんね。郵便局にやらせますね。なぜですか。」
これらに対する小泉首相の答弁は、例によってはぐらかすようなものが主であったので再録はしませんが、舛添氏がなかなかの正論を吐いていたことは事実です。しかしその後で、162国会でも、総選挙後の163国会でも彼が投じたのは賛成票でした。そして厚生労働相となる前に参議院1回当選でありながら党の参院側の政調会長となっていました。どうも舛添氏の本職はガス抜き師のようです。最高学府の助教授(当時)までつとめた人物としては、「ガス抜き師」などという貶めた別名は不服でしょうが、それならそうでないことを見せてもらわねばなりません。
それは、かつては国鉄解体などでも使った、末端の現場に事態の責任があると宣伝し、幹部層の責任にはほとんど論を及ぼさないという手法を、今回の社会保険庁解体においては用いないことではないでしょうか。解体はやむをえないかもしれませんが、上層部の責任も、きっちりと白日の前にあらわにして見せることではないでしょうか?
☆この度も またもあの手か 目くらまし
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学習能力と潜在能力
今回の遠藤農林水産相の辞任は、これまでの例に比べていささか可哀想に見えたのは私だけでしょうか。これに対する安倍首相の言葉は「今後こういったことが起こらないように全力を尽くすことで責任を果たしていきたい」だそうですが、これは任命責任を問われての返答で、他の大臣の辞任の時の言葉から一歩の前進も見られません。首相から閣僚に任命されれば多少は脛に傷の覚えのある人でも、「これまでのこともあるから用心はしているだろう。自分程度のことなら『身体検査』にパスできるんだな」と、お呼びのかかったうれしさもあってそう思うのも無理がないので、結果としてさらし者になった挙句辞任した人が可哀想にもなるのです。
安倍首相で問題となるのは、資質とか危機管理能力とかいう以前に学習能力でしょう。心理学で行われる迷路学習の実験は、かなり原始的な生物にも適用できるものです。つまり学習能力というのは生物が生物であるためには備えておくべき能力なのです。これが安倍首相の場合さっぱり見当たりません。
一方で政権担当能力とか、責任能力とかいう言葉も最近のマスコミに散見します。9月1日の朝日新聞社説「民主党 知恵と力が試される」 の末尾にある、「本当に民主党に政権を委ねていいのかどうか」などが代表的なものです。また読売新聞は8月16日の社説で「民主党も『政権責任』を分担せよ」と主張し、自民党の政治家も何人もが「大連立」を提唱しています。これらは民主党の能力をことさらに低く見るものだと思われます。あるいはもっと単純に、権力に足がかりでも残したいという足掻きかもしれませんが。
自民党の政治家連はもちろん、マスコミも今の自民党に責任能力があることを自明の前提としているようですが、最近の政治情勢を見聞きしてその前提を言い張れる人がそうたくさんいるのでしょうか。安倍首相を退陣させようとしない大きな理由が「他に適当な人がいない」ではなかったでしょうか? 両党の現役議員で首相ないし党首を経験した者をあげてみましょう。敬称略で自民党は海部俊樹、河野洋平、森喜朗、小泉純一郎、安倍晋三。民主党は羽田孜、菅直人、鳩山由紀夫、岡田克也、前原誠司。能力の平均点でどちらが高いと言い切れるでしょうか? もしやはり自民党の方がという向きがあれば、それは「役割が人を作る」という効果のせいだと断言できます。より若い層まで考えると、自民党議員の能力が民主党のそれを上回っているとはとても言えないでしょう。
政治評論家の森田実氏によれば、自民党にポスト安倍の首相になるべき人材がいないのであれば小沢一郎民主党代表に政権をゆだねるべきである、過去にも(1948年と1954年)例がある、ということです(「森田実の時代を斬る」9月2日の3 )。例というのは芦田⇒吉田および吉田⇒鳩山の政権移動ですが、特に後者では与党だった政党が野党の政党の党首を支持した結果でした。政権与党に首相になる人材がいなかったからだと森田氏は書いています。どちらの場合も新首相は直ちに衆議院を解散して、国民に信を問いました。これが「憲政の常道」であるという森田氏の言葉は正しいと思います。
☆権力の あつき血潮に 触れたから
大変なんだと 脅し説く君
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朝青龍「事件」と精神科
昨日でしたか、昼前の民放4局のニュースのうち、3局までが横綱朝青龍を巡るごたごたをトップに報じていました。『夕刊フジ』もトップに朝青龍を扱うと売り上げが1割増えるとかですが、日本の報道では、端的に言えば「どうでもよい」ニュースにニュースバリューを認める傾向があり、また多くの人々もそれに巻き込まれているようです。しかし私の見るところでは「どうでもよい」ことの報道であるほど、より「どうでもよい」部分にポイントがおかれることになり、この機会に取り上げられてもよい問題は見事にスキップしているかのようです。
その中でまともな視点が見られた稀な例ががありました。「朝青龍『心の病』明かしていいの?」 という『日刊ゲンダイ』の記事で、これがヤフー・ニュースに出たのは8月30日です。この記事では「本当に“心の病”とすれば、これほど簡単にオープンになっていいものなのか。医者が患者の病状について、その人の同僚や上司はむろん、見ず知らずの人たちにまで明かすなんて普通はあり得ない。」と述べ、「医者には守秘義務があり、本人の同意もなくペラペラと他人にしゃべることは許されません。」という弁護士のコメントを引用しています。ただし検索するとすでに8月6日には 「悪徳不動産屋の独り言」 というブログで類似の論点が述べられており、マスコミは大いに遅れを取っていることになります。
動機などが理解不能の連続殺傷事件が起こった場合、マスコミの多くは容疑者の名前を報道せず、一頃は多かった精神病院への通院歴、入院歴への言及も最近は減ったようです。このように容疑者の人権については神経を使う一方で、たかが相撲協会(国家機関だそうですが)の秩序を乱した者の人権については考えてもいないようなのは、それこそ了解不能です。
もう一つの視点は私自身のもので、これは日頃愛読しているnaniwa-hitokotoさんのブログ「大阪の片隅から『日本社会を変えたい!』と思い『こっそり』と叫ぶ」の8月21日付の「朝青龍報道について、私の見方」 に関して投稿した二つのコメントですが、その後も類似の主張は見られませんので以下に再掲してみます。
■精神科医の診断
この事件でわからないのは、診断書なるものを作成した精神科医が皆日本人であることです。朝青龍は言うまでもなくモンゴル人で、母国語はモンゴル語のはずです。いくら日本語が流暢であるといっても、微妙な言葉遣いが診断に影響することもある精神科の診察を、日本語で済ませるのは理解できません。通訳の介在については報道されていません。裁判でもあることですが、東アジア系の人が一応日本語を解すると、もうそれだけで通訳のことなど考えないという傾向があります。エストニアやグルジア出身の力士にかかわる事件なら、通訳のことも考えられたのではと思います。
ちょっと違いますが、医師資格を得た後で聴覚を失い、手話を学んで精神科の医師をやっておられる方がいます。こと精神科の問題だと、聴覚障害者には手話でないと意を尽くせない人もおり、そういう人たちに頼りにされています。
■精神科医の診断(つづき)
木々高太郎という、江戸川乱歩と同時代の探偵作家があり、本職は基礎医学の教授ですが、医学的知識を駆使した小説を書いています。その中に、戦争中に長く日本外人宣教師がスパイと疑われたというのがあります。日本語は流暢であったのに、警察では日本語がわからないようにしている。だから怪しい・・・ま、戦時中ですが、これは実は今で言う認知症の初期で、後から覚えた言葉から先に忘れていくということでした。
朝青龍の診断についての報道を読んで、こんなことも思い出しました。
上記の中で「東アジア系」と書いたのはおわかりでしょうが、韓国・朝鮮系と中国系の場合、容貌が日本人に似ておりかつ日本生まれの人も多いことから、日本語を解して当然という先入観があります。今回の事件でモンゴル系も人々の意識ではこれに含まれるのかなと思ったので「東アジア系」と称したのです。言うまでもなくこれは日本の植民地主義の残滓でもあり、アメリカ人が相手がどういう容貌であろうと英語を話して当然としている態度と、スケールは違いますが類似の現象だと思います。
また、認知症でないまでも精神力が低下した状態では、後から覚えた日本語での会話が困難になり、これは精神科の診断といった微妙な状況では大きなバリアとなるでしょう。ところが朝青龍のモンゴル帰国までの間に、登場する医師がことごとく日本人であり、通訳の介在も報道されないのは、一体どういうことかと思われます。
☆診断は 言葉が用具の 精神科
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