朝青龍「事件」と精神科
昨日でしたか、昼前の民放4局のニュースのうち、3局までが横綱朝青龍を巡るごたごたをトップに報じていました。『夕刊フジ』もトップに朝青龍を扱うと売り上げが1割増えるとかですが、日本の報道では、端的に言えば「どうでもよい」ニュースにニュースバリューを認める傾向があり、また多くの人々もそれに巻き込まれているようです。しかし私の見るところでは「どうでもよい」ことの報道であるほど、より「どうでもよい」部分にポイントがおかれることになり、この機会に取り上げられてもよい問題は見事にスキップしているかのようです。
その中でまともな視点が見られた稀な例ががありました。「朝青龍『心の病』明かしていいの?」 という『日刊ゲンダイ』の記事で、これがヤフー・ニュースに出たのは8月30日です。この記事では「本当に“心の病”とすれば、これほど簡単にオープンになっていいものなのか。医者が患者の病状について、その人の同僚や上司はむろん、見ず知らずの人たちにまで明かすなんて普通はあり得ない。」と述べ、「医者には守秘義務があり、本人の同意もなくペラペラと他人にしゃべることは許されません。」という弁護士のコメントを引用しています。ただし検索するとすでに8月6日には 「悪徳不動産屋の独り言」 というブログで類似の論点が述べられており、マスコミは大いに遅れを取っていることになります。
動機などが理解不能の連続殺傷事件が起こった場合、マスコミの多くは容疑者の名前を報道せず、一頃は多かった精神病院への通院歴、入院歴への言及も最近は減ったようです。このように容疑者の人権については神経を使う一方で、たかが相撲協会(国家機関だそうですが)の秩序を乱した者の人権については考えてもいないようなのは、それこそ了解不能です。
もう一つの視点は私自身のもので、これは日頃愛読しているnaniwa-hitokotoさんのブログ「大阪の片隅から『日本社会を変えたい!』と思い『こっそり』と叫ぶ」の8月21日付の「朝青龍報道について、私の見方」 に関して投稿した二つのコメントですが、その後も類似の主張は見られませんので以下に再掲してみます。
■精神科医の診断
この事件でわからないのは、診断書なるものを作成した精神科医が皆日本人であることです。朝青龍は言うまでもなくモンゴル人で、母国語はモンゴル語のはずです。いくら日本語が流暢であるといっても、微妙な言葉遣いが診断に影響することもある精神科の診察を、日本語で済ませるのは理解できません。通訳の介在については報道されていません。裁判でもあることですが、東アジア系の人が一応日本語を解すると、もうそれだけで通訳のことなど考えないという傾向があります。エストニアやグルジア出身の力士にかかわる事件なら、通訳のことも考えられたのではと思います。
ちょっと違いますが、医師資格を得た後で聴覚を失い、手話を学んで精神科の医師をやっておられる方がいます。こと精神科の問題だと、聴覚障害者には手話でないと意を尽くせない人もおり、そういう人たちに頼りにされています。
■精神科医の診断(つづき)
木々高太郎という、江戸川乱歩と同時代の探偵作家があり、本職は基礎医学の教授ですが、医学的知識を駆使した小説を書いています。その中に、戦争中に長く日本外人宣教師がスパイと疑われたというのがあります。日本語は流暢であったのに、警察では日本語がわからないようにしている。だから怪しい・・・ま、戦時中ですが、これは実は今で言う認知症の初期で、後から覚えた言葉から先に忘れていくということでした。
朝青龍の診断についての報道を読んで、こんなことも思い出しました。
上記の中で「東アジア系」と書いたのはおわかりでしょうが、韓国・朝鮮系と中国系の場合、容貌が日本人に似ておりかつ日本生まれの人も多いことから、日本語を解して当然という先入観があります。今回の事件でモンゴル系も人々の意識ではこれに含まれるのかなと思ったので「東アジア系」と称したのです。言うまでもなくこれは日本の植民地主義の残滓でもあり、アメリカ人が相手がどういう容貌であろうと英語を話して当然としている態度と、スケールは違いますが類似の現象だと思います。
また、認知症でないまでも精神力が低下した状態では、後から覚えた日本語での会話が困難になり、これは精神科の診断といった微妙な状況では大きなバリアとなるでしょう。ところが朝青龍のモンゴル帰国までの間に、登場する医師がことごとく日本人であり、通訳の介在も報道されないのは、一体どういうことかと思われます。
☆診断は 言葉が用具の 精神科
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