回廊を行く――重複障害者の生活と意見 -15ページ目

地震で思うこと

 まず新潟・長野などで今日の地震の被害に会われた方々にお見舞いを申し上げます。東京にいてテレビに特報が出るまで気がつかないくらいだったのですが、もし私が大地震に襲われた場合は、聴覚障害もありますが呼吸障害がよりバリアになりそうで、ちょっと長い距離は歩けないし、いつも吸っている酸素用の濃縮機も停電でストップですから、家がつぶれなくても助かる気はあまりしません。


 テレビ画面に映る安倍首相や他の関係高官は、いつもよりは引き締まった表情でしたが、またぞろ地震にからめて画面登場が増えるだろうが、それをどう利用しようかと計算している側近もいることでしょう。


 テレビを見たり、いつも情報の早い掲示板を見たりしていて、気になったのは柏崎市・刈羽の原発です。火が出て黒煙をあげているのが映りましたが、消防が出動したのは11時33分だというテロップがありました。少し時間がかかりすぎではないでしょうか? あるいは、内部で消火できないか、外部の者はなるべく入れたくないという思惑があって遅れたのかもしれません。12時過ぎに一応鎮火したそうで、原発本体とは離れた位置の建物だし、大気中に放射能は漏れなかったと発表されました。この辺フォローする報道がほしいけど、昨今の様子では、選挙中ということもあって、あまり望めないでしょう。


 それより私が考えたのは、事後の原発の修復や点検で、当然それがなければ運転は再開できませんが、またまた派遣労働者が使われるなということでした。これはずっと前から言われていることですが、放射能で本当に危険な現場には社員は行かない。下請けも一次の者は行かない。二次、三次の下請けの労働者が行って作業するそうです。これほど図式的にはっきりしたものではないかもしれません。自らの目で確認する良心的な社員もいると信じますが、下請けも下部の者となると、健康診断すらきちんとしていないという話は黙過できません。労働組合センターの連合あたりが取り上げるべき問題なのですが、そういう話も聞かないところを見ると、電力会社の組合が有力メンバーであることと関係があるのでしょうか。


 本来ならば電力会社の経営者と社員は原発の周囲に団地を作って住むべきです。そんなに安全なら東京に作れという声も先日読みましたが、『東京に原発を 』という本の初版が既に1981年に出版されています。また新潟県においては、国が開いた「原子力発電所の点検と国による評価についての説明会というものの記録を見つけましたが、そのうちの「安全規制に関する全般的なご質問」の中に「Q4.東京に原発を 作ってはどうか。そうすれば原発、エネルギー、安全性について国民のコンセンサスを喚起し、もっと民主的に決定ができるのではないか」というのがありました。責任のある者の回答が是非知りたいところですが・・・以下のようなものでした。


 「原子炉設置許可については、事業者からの申請を受けて、国として安全審査を実施しています。申請の際にどの場所に立地するかは事業者の判断であり、原子力安全・保安院としては、申請があれば、原子力安全委員会が策定した各種の指針に従い、立地される場所の地盤など立地場所に即したの条件も踏まえて安全審査を実施することとなります。」


 このようにして、国民は政治経済に対して物申す気持を失わされているのだなというのが私の感想です。


 別件ですが、長野県発の聴覚障害者のための要約筆記に関したメーリング・リストがあります。対象は全国ですが、今日の11時すぎに「NHKなどのテレビの情報を文字にしてご提供できます。ご連絡ください。 」という申し出が載りました。一方でかねてから聴覚障害者団体の連合が緊急災害時の情報保障を強く求めていましたが、放送事業者の説明は字幕入力、手話通訳の24時間待機体制は人材確保の点でも予算的にも取れないというのみだったそうです。その連合体が実際に年間体制を取って対応してきたことには触れていなかったということです。


☆地震あり 学習するのは 弱い者



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泉安時代いろはかるた(2)

さくら さくら


 昨日書いたものの後半です。



     泉安時代いろはかるた(2)


な ならぬ採決するが強行
ら 乱暴させて懲罰する

む 昔ルンペン今ホームレス 横文字使えば軽くなる
う 美しいってどこの国?
ゐ いのしし年には政変


の 納税の義務が格差を緩和するはず
お お母様には頭上がらぬ

く 苦しむのはいつも下層
や 辞めさせなかったは慙愧の至り
ま 守らなくてもかまわないのが公約か


け 県特産は総理大臣
ふ 不倫は税調会長だけ?
こ 子分の代りにお友だち
え 延長しといて空費する
て 天皇家は男系首相家は女系


あ 赤城の山から欧州に逃避行
さ 三代前は開戦閣僚と非推薦議員
き 教育予算は世界最低レベル
ゆ 夢のあるつもりでヤンキー三段跳び
め 目に見えない景気は不景気と同じ


み ミニマムが代表値なの? 水道光熱費
し 刺客にも格差
ゑ 絵にはならない手つなぎカップル
ひ 美の基準が揺らぐ国
も 儲けるための規制緩和


せ 世襲家系にこそ教育再生を
す 据え置きのはずが増税 ウソは泥棒の始まり
ん ん~ん、何でこんなの選んだか




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泉安時代いろはかるた(1)

富士 富士山



 江戸時代に化政文化というのがあり、文化文政の年号をあわせた言い方ですが、小泉、安倍と続いたここ数年を何と言えばいいでしょうか。この二人の治世には陽と陰、鋭と鈍の違いはあっても、やはり通じるものはあるので、仮に泉安時代とします。以下はつれづれなるままにこしらえた「泉安時代いろはかるた」の前半です。
 一部説明が必要かと思われるものは、クリックすれば関連記事が出るようにしておきましたが、それ以上の解
説はことさらに省きました。



     泉安時代いろはかるた(1)
 

い 一月一日には外国住まい
ろ ロハの筈だよ議員会館の水道光熱費
は 張り切る女房に目を細め
に 日本よい国お上に甘い
ほ 惚れる条件高学歴の女子アナ


へ 弁護もすぎれば人が死ぬ
と どうなったのかマナー指南

ち チルドレンは親には不向き

り 離婚したから子にも会わぬ

ぬ ぬけぬけと「会社もいろいろ、人もいろいろ」


る ルール言って法意は言わず
を 女の名がすたる復党
わ 若い割には同語反復

か 環境予算を夫婦で浪費

よ 予算使って欧州逃亡行


た 大学に入れたは家庭教師のおかげ
れ 冷酷の次は意地悪
そ そこかしこでやらせのタウン・ミーティング
つ ついでにあれも強行採決
ね 狙いは戦前レジームの復活



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字幕付与率100%(?)

NTV ニュースの字幕(上部・・NTV)


 テレビ番組に字幕がつくことが多くなったのは聴覚障害者にとって喜ばしいことで、今では同一時間帯のほとんど全チャンネルに字幕があることも珍しくなく、多くの局では日に1,2時間だった頃のことを思うと文字通り隔世の感です。そして6月末の総務省の発表 によれば、ついにNHK(総合)の字幕付与率は100%になったということです。民放は在京キー5局平均で77.8%、在阪準キー4局では 80.2%だそうです。在京局で付与率が最高なのは日本テレビの90.9%、最低はテレビ東京の62.2%ということです。


 ここで字幕付与率というものには説明が必要です。<字幕のある番組の放送時間/全放送時間>ではなく<字幕のある番組の放送時間/字幕付与可能な放送時間>なのです。煩雑ですがここで引用すると、「字幕付与可能な放送時間」というのは、次に掲げる放送番組を除く午前7時から午後12時までの放送番組の放送時間数
・技術的に字幕を付すことができない放送番組(例 現在のところニュース・スポーツ中継等の生番組)
・オープンキャプション字幕付き映画、手話等により音声を説明している放送番組(例 字幕付映画、手話のニュース)
・外国語の番組
・大部分が歌唱・器楽演奏の音楽番組
・権利処理上の理由等により字幕を付すことができない放送番組
・再放送番組

ということになっています。


 NHKも民放のいくつかの局も、スピードワープロなどの方法でニュースにも字幕をつけることがありますし、また野球や相撲では字幕放送用の「字幕キャスター」などという要員が、コンパクトな実況をしゃべって、そのキャスターに適合するように調節した音声認識で文字化し、さらに後処理もあるかは知りませんが、ニュースの場合と同じく少し遅れて画面に字幕が出ます。


 ところが一方、NHKにいつも「これに字幕があればなあ」と思わされる番組があります。代表的なのは月曜から木曜までの夜7時半からの「クローズアップ現代」で、これは優秀なキャスターが多くの分野のトピックについて解説し、関係者を呼んでインタビューするもので、ホットな話題のときなどなるほど生番組だからなと納得できないこともないのですが、時として持続的な問題を取り上げることもあり、これには緊急性が薄いので字幕を付与する時間はなかったのかと思います。また週刊ニュースのような、ニュースを編集したものについても、同じような印象を持ちます。


 というわけで、「100%」といわれてもピンと来ないのですが、もう一つこの算出式<字幕のある番組の放送時間/字幕付与可能な放送時間>の分子の放送時間に、ニュースや実況など本来「字幕付与可能」でないものの放送時間が含まれていないのかという疑問が出て来ました。まさかと思いますが、悪意がなくてもこういうことは起こりそうなので、いずれ確認したいと思っています。


 アナログ放送の字幕番組を見るには、数万円の装置が必要でした。これには障害者の場合「日常生活用具」として2割程度の負担でいいのですが、 たびたびテレビでも警告されているように2011年7月24日までにアナログテレビ放送は終了し、デジタル一本になります。デジタルでは特別の装置はなくても字幕のある番組すべてで字幕が見られ、総務省もそれをデジタル化のメリット の一つにあげていますが、デジタル・テレビないしデジタル視聴用チューナーが廉価で入手できるかについては発表がありません。デジタル・テレビは高価なものですし、これまでのテレビにチューナーをつけようにも、大メーカーが参入しないために生産が少なく、4、5万円の高値のままだそうです。それこそ競争原理の導入で安くしてほしいところですが、総務省と言えばあの竹中氏がこの間まで大臣をしていたところですし、骨太の方針とやらで日常生活用具のための予算、この場合は障害者の情報保障のための予算が削られることはあるまいかという不安が消えません。


☆テレビ見て 字幕一つに もの思う



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君君たり、臣臣たり

KingChessPiece 倒れたキング


 日本の現状はたしかに何もかも悪くなっています。その責任はどこにあるかと言いますと、これは社会でより権力に近い側にあるといって間違いはないでしょう。もちろん個々のケースについてではなく、概括的に言った場合ですが、大人は子どもより責任があるし、与党と野党では与党の方に責任があります。高級官僚と一般の公務員では高級官僚のほうに責任があるし、経営者と労働者では経営者の方に責任があります。前者は後者より状況を動かす力があるからです。こういう基本を忘れて、国民をあおることを常としているような人がいるのが問題です。


 典型的なのが安倍首相以下の自民党およびその応援団で、今回の年金データのデタラメ処理の件でも、一応歴代の厚相や長官の責任を問うようなことを言っていますが、これはやむを得ず個人的責任に触れたまでで、その後では結局は職員が悪いのだと言いたげに、労使の癒着の問題に集約している。あろうことか保険庁の職員全体にボーナスの一部返上を求め、代償として保険庁解体後の新組織への雇用をほのめかしています。職員に責任なしとは言いませんが、保険庁や年金保険そのもののシステム、そして職員を管理した高級官僚の責任に比べれば、とても比肩できるようなものではありません。現在過去の厚生省および保険庁の高級官僚の生涯賃金を返上するのと、一般職員が今期のボーナスの一部を返上するくらいで、ちょうど釣り合うのではないでしょうか?


 応援団ではたとえば東京都の副知事になった猪瀬直樹氏で、「猪瀬直樹氏に聞く 年金記録漏れ問題の真犯人は誰か『社保庁労組の怠慢が招いた!』」というのが、創価学会系の『第三文明』 という雑誌の広告にありました。抜粋を見ると高級官僚の責任も言ってはいるでしょうが、新聞広告でこのような見出しにするとは、学会とその支持する公明党の体質がわかります。もう一人はあの竹中前総務相 で「年金記載漏れ問題は年金の制度にかかわる問題ではなく、社会保険庁で生じた労働問題」と、6月30日に大阪で開かれた個人投資家向けのシンポジウムでの講演で述べているそうです。


 安倍首相やそのお仲間も含めて、これらの人がなぜこのような発想をするかは、もちろんその方が自分の利益になるからですが、それ以上に「君君たらずとも、臣臣たらざるべからず」という、非合理的な「倫理」が根底にあるのではないかというのが私の考えです。つまり最近の事例に即して言うと、上ないし指導的な地位にある者が失敗しても、下のないしは現場的な立場の者は失敗することは許されず、前者の責任はあるとしても名目的なものであり、後者が実質的に責任を償うべきである、ということです。結果としてお上はいつまでもお上であり、下々はいつまでも下々であるということです。美しい国はそういうものとしてイメージされているのかもしれません。


 「君君たらずとも、臣臣たらざるべからず」というのは孔子あたりから出たのだと思っていましたが、論語では「君君、臣臣、父父、子子」なのですね。「きみきみたり、しんしんたり・・・」、つまりそれぞれの本文を尽くせということで、WEBで調べた限りでは「君君たらずとも・・・」は後世の偽書が発端であるか、あるいは日本での曲解だそうです。中国は易姓革命という概念もある国ですから、それが「君君たらずとも・・・」はおかしいと昔から思っていました。安倍、猪瀬、竹中といった面々は、利害関係もさることながら、おそらくこの曲解が起源の「倫理」を幼少時代から刷り込まれているのでしょう。とくに安倍氏の場合がそうです。正しかった祖父は国民と称する暴徒に引き摺り下ろされた。世論というのは相手にすべきでない。自分は、あるいは自分の選んだ者は、間違いをしでかすわけがない。間違いに見えるのは誰か部下のせいだろうから、本人が責任を取るいわれはない・・・きっと心の中では常にこう叫んでいるのでしょう。


 現実にこの国では、現場の者ばかりが罪に問われています。JR西日本の大事故でも運転士が全責任を負わされかねなかったところに、ようやく日勤教育の非が指摘されましたが、それを主導した企業全体やその幹部の責任が公的に問われるのはいつのことになるのかわかりません。いいかげん「君君たらずとも」とあぐらをかく思考からは脱してほしいものです。


☆お上から 本分尽くすが 不易の理



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言葉の軽さ

言 浮かんで流れる



 軽い言葉が飛び交った国会を、一週間延長して予定されていた参院選挙も一週間順延し、何十億か何百億のレベルの国費を無駄にしたのはまだ仕方ないとしても、強引に延長した日数のうちの5日を無駄にしたというのはどういうことでしょうか? 衆参の議長が閉会にあたって苦言を呈したそうですが、もう少しはっきり「せっかく延長した日数を、もっと有意義に使ってもらえなかったか」とは言えなかったのでしょうか?


 「重要法案」可決後は自民党が国会も委員会も開こうとしないのは大問題です。あれは5日分の採否をただ取りするための延長だったのでしょうか。これについての報道が少ないと思っていたら、ある野党議員のメールマガジンががテレビのインタビューを載せていました。これの内容は知らなかったのですが、どこかに出ていたでしょうか? 私が知らなくても他の方がそうだとは思いませんが、一応以下に要約引用します。


 安倍首相はテレビのインタビューで、「決算委員会の開催の呼びかけがあるのに、なぜ出席しないのですか」と質問されて、「委員会については、国会がお決めになることですから」と不機嫌に答弁しました。
 さらに記者が、「安倍総理ご自身は、委員会に出て、久間大臣の発言などについて発言しようという気はないのですが?」と聞くと、むっとした表情で、「ですから、委員会については国会がお決めになることですから」と安倍首相。


 その与党の国会対応の最高責任者が安倍首相でしょう。安倍首相が「俺は出席する。俺は答弁する、発言する」と言えば、誰が止めるのですか。


 委員会の予定された3時から5時の間、安倍首相は何をしていたのか。そう、首相官邸でじっとしていたのです。別に忙しくて委員会に出席できなかったわけではありません。


 安倍首相は、著書である「美しい国へ」の中で、自らを「闘う政治家
」と述べておられます。しかし、この姿を見ていると、安倍首相は「逃げる政治家」ではありませんか。安倍首相は、自分の得意な分野についてだけは「闘う政治家」なのかもしれません。


 しかし、年金、福祉、格差問題、社会保障など庶民の暮らしに直結する問題には関心も低く、「逃げる政治家」なのではないでしょうか。


 夕方5時に安倍首相が現われないまま、決算委員会は終わりました。
「小泉総理だったら、委員会に出席しただろうな」とある議員が言うと、他の議員が「小泉さんは、答弁の中身は別として、とにかく、質疑においては逃げなかったよな」と言いました。「小泉は敵に背を向けるようなことは絶対にしなかった」と、他の議員も言いました。


 国会のラストが、総理大臣と与党の審議拒否で終わるのは、前代未聞です。


 今回の安倍首相の出席拒否は、憲法63条を無視するもので、政治的責任を免れないのではないでしょうか?

 「憲法63条 内閣総理大臣その他の国務大臣は・・・答弁または説明のため出席を求められたときは出席しなければならない」

 「国会法71条 委員会は、議長を経由して内閣総理大臣その他・・・の出席を求めることができる」


 長い要約引用はここまでですが、とうとう「前の総理の方がよかった」が出て来ました。いつものことですが、今回は思想、政策、手法、資質、能力から知力にまでおよぶ嘆息であるところが、今までより深刻なようです。それにしても国会での言葉を軽くした張本人で、答弁でははぐらかしの多かった小泉前首相が、「敵に後を見せなかった」と評価される時が来ようとは・・・ 日本はどこまで行くのかという感慨を抑えきれません。冒頭のインタビューでの安倍首相の答は、軽い重いを言う以前に、「すの入った」というしかないものでした。


 野党も頼りないという声も多いのですが、どこかに書いてありましたが、「与党に信が置けなければ第二党に投票する。それが議会制民主主義だ」。私もその通りだと思います。様々な陋習はそれを掌握する人ないし人脈が変わることによって、否応もなしにその暗部を露呈し、変革を迫っていくと思うからです。

☆美しい 国に向かって 逃げ足で


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雇われガンマン

旧法務省 旧法務省

 退官後弁護士となっていた元公安調査庁長官が、朝鮮総連サイドに立って土地建物の取引に関与したという話を聞いて、すぐに思い出したのはこの「雇われガンマン」という、アメリカで弁護士を揶揄するに使われる言葉でした。お金さえもらえれば誰の弁護でもするという意味ですが、建て前としてでもキリスト教という倫理基準があるアメリカとは違って、そういったもののない日本が、一旦弁護士過剰社会になるとその方に走り出すのは早いでしょう。

 朝鮮総連といえば、日本共産党と並んで公安調査庁の最大のターゲットでしょうから、元長官がそれに精通しているのは当然で、味方をするにしても適任であると言えなくもありません。昔ロレンスの『チャタレイ夫人の恋人』の翻訳がワイセツ文書として有罪とされたとき、担当したのは中込という検事でしたが、この人は退官後に弁護士としてその方の私的検閲官となっていたそうです。つまり出版社がワイセツ文書スレスレのものを出そうというとき、中込弁護士に「ここは危ない」「この程度なら大丈夫」とご託宣をたれるのです。このことは滑稽な事例としてよく引用されていましたが、考えてみると適所適材と言えなくもないことです。

 元長官の事件は、あれよあれよと言う間に本人の逮捕までになり、専門知識を役立てたのか、単なる人脈の問題なのかもかえってわからなくなりそうですが、検察幹部のからんだ不祥事というのは結構あります。これは私が当時住んでいたところが舞台だったので覚えていますが、岸本義広という、札幌、広島両高検検事長、次長検事、法務事務次官、東京高検検事長を歴任した超高級官僚が、衆院選に立候補して当選。私などはまだ子どもでしたが、全然名前も聞いたことのない人が何故当選するのかとあっけにとられました。ところがすさまじい選挙違反の結果であるとして手入れを受け、岸本氏自身も一審で有罪となり、その後の改選で落選、二審を続ける間に死去しました。氏は造船疑獄で佐藤栄作元首相を救った「指揮権発動」の考案者だという噂もあり、さして同情は感じなかったのですが、WEBで見直すとその背景には検事総長を目指す出世競争があり、対立派が岸本氏の立候補に当たってその運動員に係官を貼り付け、立件したのだそうです 。今度の元長官の件も、後で何が飛び出すのかわかったものではありません。検察庁の裏金作りを告発しようとした三井環大阪高検公安部長の事件も、記憶に新しいところです。

 「雇われガンマン」というと検事の場合は国家が雇用主みたいですが、こう見てくると検事やいわゆるヤメ検(元検事で弁護士となった者)の場合は、「雇われ」どころでなく、自主的に活動しているようでもあります。閉鎖社会での情報秘匿と出世競争にはキリがないということでしょうが、その閉鎖社会での権威を娑婆ででも持ち続けたいという執念はないでしょうか? これは官僚一般のことと思いますが、省庁の高官が退官後も公団等を渡り歩いて高額の退職金を受け取ることについて、ある元大蔵次官は「退官後は月30万くらいの年金でどうやって暮らせと言うのだ」と公言したそうで、これにはむしろ「月30万あって、暮らせないとはどういう暮らしだ」と驚いた人が多かったでしょう。念のために言っておきますが、これは15年ほど前の話です。

 ところが彼らには元職程度、あるいはそれに近い収入を得るのが絶対命題のようです。元公安調査庁の逮捕の報道への解説として朝日新聞にありましたが(07年6月29日)、以前は弁護士になる元検事長は、国税当局などから退官直後に顧問先を紹介してもらう慣行があったが、その慣行は90年代後半に消え、元検事長はそれ以降、独自に顧問先を探す必要に迫られることになった、ということです。今の内閣のやることを見ると、だからある程度の天下り斡旋のシステムがないと元官僚が路頭に迷うと、開き直りのタネにしかねませんが、朝日の記事にあったような、「検事長を退官後弁護士になっても、生活が安定するとは限らない」というのは誰の見解なのでしょうか?

 限られた年金で生活するのは、大多数の国民に課せられる状況です。早い話が、上の見解で行くと検事長にもなれなかった多くの検事の生活は安定していないのか? 元大蔵次官はふつうの生活をしていて月30万では足りなかったのか? 年金のみで生活は不安定だとすると、そういう社会を作った高級官僚の老後だけを救済するシステムを公に作る必要はあるのか? 元公安調査庁長官の名が思いがけず出てきた裏の裏に、こういうはき違えもあることを認識したいと思います。

☆逮捕起訴 攻守変わって 逮捕起訴


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一分の理

ステーキ用ステーキ用肉(ラム)


 偽造肉で摘発されたミートホープ社の田中社長は、「もちろん私が一番悪いんですけども...消費者自体も安いものばかり求めるから」と、「被害者」のはずの一般消費者にも責任の一端をなすりつけたそうです。所詮引かれ者の小唄と言うべきでしょうが、まったくの暴言とも思えません。「盗人にも三分の理」ならぬ「詐欺師にも一分の理」と言うべきでしょうか。


 牛頭豚肉から始まって、牛頭鶏肉、牛頭羊肉、期限切れ商品の再利用、水増しにした上での冷凍等々、この分野で考えられる限りのあらゆる詐欺行為を尽くした社長ですが、「安いものばかり求めるから」というのにはどことなく真実の響きがあります。大手スーパーの進出で旧来の商店街がシャッター街になったとよく言われますが、シャッター街化に直接手を貸したのは消費者でしょう。1円でも安いものをいう生活者の意識が、結局そういう結果を生んだのです。


 ましてや畜産製品となれば、上の図でもわかるように我々には切り身を見ても牛か豚か羊か,即座には判断できません。結局安いものを選んで悪徳業者を繁栄させたのです。また、ちょっと話は違いますが、100円ショップなるもの、最近はスーパーの中にもかなりのスペースを割り当てられたりしていて、なんだか悪い冗談のような気もしますが、あれなども本当に必要なものは少ないでしょう。一部の紙などの製品を除くと、結局家の中にごろごろしていて、燃えないゴミとして出すことになるようなものが多いような気がする。需要-供給のサイクルとは外れている商品が多いような気がします。


 もう少し話をそらすと、ポイントとかマイルとかを集めて景品をもらうシステムがありますが、あれの用意している景品にも場所ふさぎにしかならないようなものが多い。完全に消費し尽くせる食料品のようなものを主にしてはどうだろうと思わせられます。


 大型スーパーが商店街を潰したのは大店法の規制が緩んだせいと言いますし、最近何か事件が起こると芋づる式に同種の事件が出てくるのも、マスコミの傾向も勿論ありますが、それ以上に規制緩和により、入り口でのチェックが緩んでいるためと思われます。前も書いたかもしれませんが、日本では空気と水がタダであるという言い方がありましたが、その代わりに規制があったと言えないこともないと思います。そのために、たとえば消費の前に問屋を二重三重にくぐることにより無駄な費用が付加されたというのですが、タダである水と空気の代替だといえないこともありません。日本のように人口が多く、スペースの足りないところでは、相互の摩擦をできるだけ緩和し、また細かいところのチェックを怠らないように、「規制」には相当な存在理由があったのだと思います。


 外圧には抗し切れないと称する人々にはこういう論理は受け付けられないでしょうし、また水も空気も決してタダではなくなった現在では主張する力も弱まりますが、それでもミートホープ社社長の「消費者自体も安いものばかり求める」というのを聞くと、少しばかり同意せずにはいられません。


☆規制緩和 安物買いを はびこらせ 




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そうだったのか手塚治虫

X-15
              超音速実験機X-15の墜落

『そうだったのか手塚治虫』
 副題::天才が見抜いていた日本人の本質
 中野晴行 著
 祥伝社新書 2005刊

 手塚治虫が亡くなったのは1989年の2月9日ですが、考えてみるとこの日は長く続いた昭和が平成と改められて1ヶ月と2日後となります。改元と言うことに対してあまり過剰な意味を籠めるべきではないでしょうが、これは1947年の『新宝島』の刊行から、43年間を漫画の第一線作家であり続けた手塚治虫にふさわしい巡り会わせと言えるでしょう。

 この本はその43年間の所要作品名を組み合わせて章名とした15章からなり、それらは戦後復興期編、高度成長期編、昭和元禄編および幻想大国編と年代順に4部に分けられています。デビュー作以来逝去に至るまで第一線にあり続けたという意味では、12年と43年の違いはあっても漱石を連想するのですが、共に作家としての主体に確固たるものを持ちながら、一方では社会の変動の影響を受けているという点で共通しています。ここでこの本の論述のすべてに触れるわけにはいきませんから、最初の「『鉄腕アトム』と『メトロポリス(大都会)』--リセットされた日本人」と題した第1章を紹介してみます。

 『メトロポリス』(1949)と『鉄腕アトム』のプロローグである『アトム大使』(1951-2)の主人公には共通点があります。前者のミッチーと後者のアトムはいずれもロボットとして作られたのですが、当初はそれを知らず自分を人間だと思っている。ミッチーを科学者に作らせたレッド公は自分を父と思うミッチーに対して、「おまえに親なんかあるものか。おまえは人造人間だからな」と言い放ちます。一方でアトムは天馬博士により事故死した息子トビオの身代わりとして作られたのですが、やがていくら人間に似せて作ったロボットでも成長しないということに業を煮やし、「お前はトビオではない」と宣告してサーカスに売られます。

 二人の主人公に共通するのは、まず科学技術の発達が一見人間と異ならないロボットを作るに至ったということで、もう一つは人間のつもりであったのにロボットであると宣告された二人が、そのあとアイデンティティを求めて苦しむ、というところです。これらに加えて、これも科学技術の発達のもたらした最終戦争の可能性を訴えるというテーマがその後の作品でも繰り返し語られます。

 言うまでもありませんが、科学技術の発達に焦点を当てるのは日本人が原爆の犠牲になったというトラウマの表現であり、一度アイデンティティを剥奪された主人公がそれを求めて苦闘するというのは、初めて敗戦を経験し、社会の変革を余儀なくされた日本人のトラウマの表現です。科学技術とアイデンティティという二つのテーマを、手塚は最後まで捨てていません。

 この部分を読んで感じたのは、このような手塚の文明観に私の世代は大きな影響を受けていますが、現在の社会のリーダーシップを取る50歳前後の世代は、必ずしもそうではないなということでした。この世代がもっともマンガを読みそうな1965年ごろの時期に、手塚の関心はアニメと青年漫画であったということも関係するのかもしれません。つまり戦争というトラウマのもとで保守と革新が対立するという図式が、この世代の者が成人する頃から成り立たなくなってきたということです。これはかなり強引な論理ですが、手塚のメンタリティは旧社会党のそれに通じるものがあったと思えてなりません。

☆漫画見て 戦争知った 世代あり


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出したい人より出てくれる人--参院選候補選び

議事堂 国会議事堂

 もうかれこれ3週間もブログを休んでいました。根を詰める原稿の校正をしたり、孫の面倒を見る必要が生じたりと、いろいろ理由はありましたが、何日かに一度は書いていたのが途絶えると、次に書き始めるのにかなりのエネルギーが要ります。ほとんど毎日欠かさず書き続けておられる方々に、改めて頭が下がりました。再開にふさわしいテーマをなどと変な色気を持つとますます書けなくなるので、最近の報道を見て感じたことを床屋政談的に書き並べてみます。

 昨日のニュースを見てびっくりし、同時に呆れたのは参院選の比例区候補として、国民新党がペルーの元大統領のフジモリ氏に出馬を申し入れたという報道です。フジモリ氏が二重国籍で立候補が可能であることは知っていましたが、チリで軟禁されているという氏に立候補を要請するとは、まさに火中の栗を拾うというか、周囲の状況を考えない愚劣な思いつきです。まず、フジモリ氏を選挙に出して何を訴えさせるのでしょうか? そしてそれは国民新党の政策にどう関係するのでしょうか。ちょっと考えてもわかりませんが、要は話題を集めればいいということでしょう。比例区には毎度その類の候補が多いのですが、今回は極め付きです。万一フジモリ氏が議員となった場合、国民新党が参加する政府ができて大使を派遣しても、おそらくペルー政府はアグレマンを出しません。国交が続くかどうかというほどの場面です。国民新党は自民党のうちの良識派というか、常識の通じる人が集まったのだと思っていましたが、どうも出自は争えないようです。ただ、フジモリ氏は日本語が自由ではないようですから、もし当選すれば議場まで通訳の同伴を認められるでしょう。これはいずれは現われるであろう聴覚障害者の議員に対して、よい先例となるかもしれません。

 次に安倍内閣の中山補佐官が立候補というのには首を傾げました。長く拉致問題に携わっていて、被害者家族の信頼もある人ですが、拉致議運というのもあって各党の議員が参加していて、活動は超党派なのですから、その辺を考えてためらいを覚えなかったのでしょうか? ま、今の自民党は良識派がほとんど発言していませんから、その辺のことは感じていても誰も言わないのでしょう。

 自民党がマドンナ的存在を期待したのが、東京選挙区から立候補させる丸川某というのも噴飯ものの候補の一人です。アナウンサーだったそうですが、最近でこのカテゴリーはタレントの一種となっており、人気度・知名度・潜在視聴率(この人が出ている番組を見るという人のパーセンテージ)など事前に参照できるデータは沢山あったわけで、発表してからそのランクの低さに慌てるなど滑稽の一語です。安倍氏が会ったときに惚れ込み、石原幹事長代理が力を入れたそうですが、事実上自民党のシンクタンクである大広告会社に事前に相談しておれば、こういう憂き目にはならなかったでしょう。

 なお、中山、丸川両氏とも、首相官邸で首相に立候補を要請されたそうです。一部で(本当はもっと大きく問題にされるべきですが)批判がありますが、一政党の党首としての行動を、官邸で行うというのは政治の私物化の表れと言うしかありません。自民党本部は鼻の先ですから、そこまで車で移動するのを控えて炭酸ガス減少に協力したというところでしょうか。

 もう一人、比例区から丸山某という自称国際派弁護士も出馬させるそうです。これは(弁護士であるのに)タレント候補の右代表みたいなものですが、与党援護には臆面のないはずの某民放も、さすがにこの日曜日にはレギュラー番組の丸山氏の出演場面をモザイクならぬ黒塗りにしました。この番組は人気番組だからいずれDVDも出るかもしれませんが、この回だけは収録されることはないでしょう。たまたま録っておいた録画は秘蔵して値の出るのを待とうと思います。いずれにせよこういう仕事を持っている人ならば、早い時期に身の振り方を決めて周囲に迷惑をかけない様にするべきです。もしめでたく当選すればこの局で選挙の前年あたりにマラソンを走ったタレントは、必ず自民党の候補選びで名が出るということになるでしょうね。

 ついでですが、丸川某は名前を覚えてもらえず、いろいろに間違えて呼ばれるそうです。間違えられた頻度のもっとも多いのは丸山。私もこれに間違えたことがあるのですが、東京選挙区での丸山票、比例区での丸川票はどう扱われるでしょうか? どちらも他がいなければ有効票になると思いますが、現実に丸山・丸川の両候補がいる以上、比例区の丸川票、選挙区の丸山票は無効でしょう。そうならないとすれば、それは与党がよほど横車を押した場合でしょう。

 タレント性や知名度を利用して選挙に出るというのは必ずしも否定しません。ただ、それが与党からであると、事前にマスコミとの談合が可能ですから、何んとも釈然としないものが残るのです。その点、新党日本が比例区に立てる有田某氏はまともなジャーナリストであり、こういう人が小政党から、あるいは無所属で出馬するのは好ましい傾向です。ただ、新党日本は所属議員が首班投票で安倍氏に投じたという一件があり、それはそれで闇雲に非難することはありませんが、新党日本としてのその行為に対する見解を出していないという点がどうもひっかかります。何を目指す政党であるかがわからなくなるからです。

 上記をお読みになればおわかりでしょうが、野党が知名人を候補にすることは批判していません。民主党が車椅子の金某氏を比例区に立てていますが、八代議員が優勢選挙のあおりで落選して以来の存在になるかどうか。この人は知名人ではありませんが、比例区ならではのこういう候補の選び方には筋の通ったところがあります。妙な、石原都知事流の雑音が入らないことを祈りたいと思います。ただし、ゴルフで有名な女子選手の父親を立てたことは賛成できません。何を訴えたいのか不明ですし、配慮のない発言も出てきそうです。民主党の小沢党首は、新進党の党首時代に野村現楽天監督の夫人を立候補させましたが、あれの再来にならないかと危惧されます。

 最後に、公明党を除名された福本議員が民主党からの立候補を希望したのに対し、民主党は断ったということです。この件に関して気になったのは、福本氏が国民投票法の採決に当たって、本会議を欠席したという報道です。不信任案や「対決法案」の採決時に「造反」が出ると、マスコミはその議員の名も含めて報道することが多いのですが、福本氏のケースについては報じたところはあったでしょうか。公明党議員の造反は、自民党や民主党のそれよりもニュースバリューがあると思うのですが、最近のマスコミはそういう感覚を失っているのでしょうか。

☆タレントは 知名虚名が 入り混じり


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