回廊を行く――重複障害者の生活と意見 -17ページ目

公職追放はどうだろうか

日没日没


 生命保険37社の不払い 件数が計約25万件で、総額が約290億円。成人病の三大疾病特約で保険金2000万円を支払っていなかったケースもあるということです。証券業というのはもともと投機の要素が少なくないとされていたし、バンカーを紳士という表現はバブル以来絶滅していますが、保険も含めてめぼしい金融業はこれで正業とは言えなくなりましたね。日銀の総裁などは昔のアメリカ漫画にある、紳士面をした悪徳資本家にそっくりに見えます。


 しかし考えてみるとこれは金融業に限りません。メーカーも日本を代表するような企業が暖房機や自動車でリコールをすべき事態をなおざりにしていたし、一方で労働者を保護する法規を無視しながら、責任者は財界の代表者のような顔をしているという無責任さです。


 日本は一体どうなっているのでしょうか? こういう有様で子どもをたくさん作り、あるいはまともに教育されるようにするなど、無理な相談だと考えるのがものの道理というのではないでしょうか? この有様で小手先の細工をして教育を改革しようというのは無理というものです。加えてその「改革」の主導者が現在の世の中を作った責任者か、あるいはその流れを汲むものであるのですから救えません。現内閣のやっていることは、平清盛が沈もうという日を扇で招き返したというのを実行しようとしているかのようです。


 この日本を救うには戦後行われた「公職追放」に類したものが必要ではないかとさえ思えます。1946-7年に行われた公職追放は20万人程度に適用されたといわれますが、政財界では若手が台頭する契機 になりました。政界では追放解除で戻った戦前派がまもなく勢力を盛り返しましたが、企業では若手経営者が台頭する機会が生まれ、その後の高度経済成長の原動力になったとも言われています。もっとも当時の追放はGHQの強大な権力があってなされたことですから、今の日本で実行できないことはわかっています。かと言って救国の英雄を待望するのも危険で、その意味ではあの石原慎太郎氏が老齢であることはせめてものことだと言うべきでしょう。もっとも本人はチャーチルが二度目に首相になったときは75歳をすぎていたと思っているかもしれませんが。


 どうも落ち込んでしまうので、気分転換にほぼ満開の八重桜の写真をお見せしておきます。


八重桜

☆滅びゆく 国にここだけ 桜かな


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他人の同居

パリ パリ


 朝の11時半のニュースには民放の3局で字幕がついているのですが、フジのものを見ていると、パリで安い部屋が見つからない若者が、老人と同居するというシステムができているというのがありました。パリの部屋代は値上がり傾向で、最低8万円だかが必要になってきていて、地方から勉強に出てきた若い人で住むところを見つけられないケースがある。一方で100㎡はあるアパートに一人暮らしというお年寄りも少なくないので、その間を取り持って同居させる活動をしている女性がいるそうです。


 その例として映ったのは20すぎの男性と、80くらいのおばあさん。すべてが同じ条件かはわかりませんが、このカップル(?)の場合は毎日夕飯を共にすること、夜は必ず帰ってくること、そして週に2,3回買い物に付き合うこととなっているそうです。見ず知らずだったのがすっかり仲良くなっていて、けんかをすることもあるそうですが、二人で腕を組んでパリの街に買い物に出かけるなどというのは、しゃれた光景でした。これだけの年齢差だと男女問題の懸念もありますまい。


 ここで考えたのですが、フランス人は個人主義だというのに、本当にこんなことがあるのかと。まず老人は自分の家に人を入れたがらないし、何かを盗られるかもしれないと心配する人も多いでしょう。階級的偏見があることもありそうだし、今どきなら人種問題も絡まないとはいえない。ま、最後のは斡旋の段階で調節しているのかもしれませんが、まったくの他人を家に入れて、何か失敬されないかとの心配もしないとは、パリのお年寄りも意外におおらかです。あるいは現代のパリの老人の孤独はそこまで深いのでしょうか。なお、上の例では食事はおばあさんが作っているようで、部屋代はただですが、食費については触れていませんでした。


 次に考えたのは、こういう情景は戦前の日本にならあったのではないか、しかし現在の日本、少なくとも東京には望めないなということでした。美しかったかどうかはともかくとして、たしかにやさしいところはあった日本は、個人主義の国のやさしさを示す出来事に驚くほど、すっかり変貌してしまったようです。


☆今どきは 袖摺りあっても 縁とせず


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投票はしたけれど・・・

選択選択


 「投票に行かない人に限って文句を言う」というかなりもっともな意見があるので、昨日は不調でしたが頑張って片道1kmくらいの道を「前押し式」のボンベカートを押して投票所に行きました。帰ったときには疲労困憊でしたが、残念ながら支持した候補は落選。ある方へのコメントに「当選者が有効投票の過半数を取るかにも意味がある」と書いたのですが、その点でも敗北したのは残念です。まだ年齢別支持の数字は発表されていませんが、若い層が当選者に投票することが多かったのではないかと思います。個人的な意見ですが、若い人の投票行動が思慮の浅いものであるのは、実は最近の締め付けの強い教育の成果なのではないかと。選挙最終日の報道の中に、勝った候補が相当派手な違反行為を行ったふしのある記事がありました。これは記事が違反といっているのではなく、私が公選法のある条文を思い出しておかしいなと思っていることで、目下専門知識のある人に確認中です。


 上に「かなりもっともな意見」という書き方をしましたが、これはこのブログを始めたころに「投票以前のこと 」でも書いたように、障害があると投票に関してもいろいろ制約があり、その改善は遅々として進まないからです。投票に行けない、投票ができない人に対して、「投票しないで文句を言うな」とは言えないでしょう。そう言えば上記の違反行為(?)も障害者に対する制約を知る立場であるから気づいたことです。


 私自身の体験としては2003年の何かの選挙のときに係員から言われたことが聞こえず、すぐにわからなかったということありました。つまり「○○さんですね」と確認していたのですが、その前の選挙のときまでは有権者台帳を目の前で繰っていたので、何を聞いているのかすぐわかる。ところがその年からはコンピュータ化され、係員はその画面を見ながら、こちらの顔も見ずに聞いていたわけです。帰宅して調べると区の選管のファクス番号があったので、こういうのは困ると早速クレームを入れました。期待しなかったのに返事があり、今後の改善を約束してくれ、実際に次の選挙のときから投票用紙配布の最初のデスクの上に、「お名前を確認します」と印刷した紙が貼られるようになっていました。これは次の選挙と2回見た記憶がありますが、まあこの辺が手の打ちどころかなと思ったものです。


 ところが、昨日はびっくり。その紙がなくなっているのです。「・・・・」と聞いてきましたから「聞こえません」とやってもよかったのですが、疲れていたこともあり、名前確認に違いないとも思って、はいと言って無事に(?)すみました。前の経緯がなかったり、あるいは投票するのが初めてとか久しぶりだったら、無事には済まなかったでしょう。


 どうにも腹に据えかねたので、次のようなクレームを区の選管にファクスしておきました。


(3)聴覚障害がありますので、投票券を貰う際に確認されるのが少々不安でした。「お名前を確認します」といったカードが用意されていれば大分安心できます。以前は台帳を指すのでわかりましたが、パソコンになると見えません。つないだパソコンの画面を投票者に見せるという方法もあります。



 上記は2003年の選挙の投票後に差し上げたファクスの部分です。その後の選挙で投票券を渡されるところのデスクに「お名前を確認します」とか書いてありましたので、まあこれでいいかと思っておりましたら、昨日はそれがなく旧に復しておりました。係の方がパソコンから目を話さず何かおっしゃるので、前々回の経緯から名前の確認と察して「はい」と答えたのですが、もし初めてであれば当惑したと思います。


 一般に障害者に対する配慮がいろいろあるのには感謝しておりますが、「もぐらたたき」の様相もあります。一歩前進一歩後退では困りますので、よろしくお願いします。


☆浜の真砂は尽きるとも 世にバリアの種は尽きまじ


 

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仏作って・・・

スロープ スロープ


 このブログで以前 「アリバイ・フリー」という言葉を使いました。障害者用の設備は作っておけばいいだろうという態度を、「バリアフリー」をもじって名づけたものです。一方では善意で作られたに違いないと思われる設備にも、今一歩の想像力が欠けているために、本当にそれを必要としている者には使いづらいものになっていることもあります。


 上の写真は私のよく行く大きな公園の、展示室などがある建物に通じるスロープです。3段ほどの階段があるので、板を張ってスロープを作っています。スペースに余裕があるので傾斜もゆるやかで、幅も十分あると言いたいのですが、これを創ったデザイナーの遊び心が台無しにしています。この写真でわかると思いますが、中之島のように中に囲いがあって何本かの小さい木が植えられているのです。そのため、広いはずの通路が二つ・・・囲いを入れて三つに分けられ、車椅子はどちらを通るにせよ狭いところで方向転換しなければなりません。


 車椅子の幅は規格で65cmなので、それに多少の余裕を持たせたくらいは確保してあるでしょうが、せっかくのスペースをわざと狭めているようなのはうなづけません。この囲いを向こう側の右の隅に作れば美観の点でも初期の効果をあげたと思いますが、「木製のスロープの真ん中に小さい木立を」というアイデアに惚れ込み、肝心の利用者のことは忘れたのは困ります。このままでもベビーカーや、私のように酸素ボンベを乗せたカートを使うだけの者にはただありがたいだけのスロープですが、車椅子利用者に試しに一度通ってみてもらわなかったのでしょうか?


 建築関係の建築士やデザイナーに、障害者への関心が欠けているとは言いません。普通のテキストにもバリアフリーやユニバーサル・デザインについて、簡単であるにせよ触れてはあるはずです。こういった概念についての熱心な論議も読んだことがあります。しかし残念ながらその論議に当事者の影が薄いことが少なくないのです。主たるユーザーと目した当事者の声をまず聞き、試作品はまず使ってもらうという手続きをとれば、結局は作り直しも不要でコストが減り、よい出来栄えであれば今後のニーズも期待できる、といったことが常識になってほしいものです。


☆横文字は 得意なはずだよ シミュレーション



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被害者重視か被害者軽視か

新聞イラストread newspaper


 定年退職すると暇ができて、新聞を読む時間も増えてきます。単独に見える事件の間にもゆっくり読むと連関が見えてくることがあります。あるいはとっくに気のついている人も多いかもしれませんが、この日本では被害者が大事にされているのか、それとも軽視されているのかということもその一つです。これまでは少年や心神喪失者・心身耗弱者への刑が免じられたり、減じられたりすることへの反感が強く、被害者のほうには何の配慮もないとされたところから、裁判の際に被害者も発言できる制度などが考えられるようになっていますが、要はバランスであることはわかります。しかし一方で交通事故を起こしたものへの刑が重くなったり、判決にも死刑が増えたり、これらは現実の事件の反映でもあり、一つ一つはもっともなことが多いのですが、重罰の傾向となると、バランスとは言いながらこれでよいのかと思わないでもありません。



 というのは、この数日は本当に被害者のことを配慮しているのかと思わせられるようなことが続けて起こったからです。まず沖縄戦での集団自殺について「日本軍の強制」を原因だとする部分について、「沖縄戦の実態について誤解するおそれのある表現である」と検定意見が付き、教科書は書き直されたそうです。自決命令を出したと書かれた当時の守備隊長が筆者を名誉毀損で訴え、その訴訟において命令を否定したことがその理由とされています。一方で自殺を迫られてかろうじて生き残った人の証言はどうなるのでしょうか。ここでは被害者の証言は見事に無視されています。一方で加害者というか、命令者の否定証言は受け入れられている。あるいはこの人は名誉毀損の被害者だという強弁もなり立つかもしれませんが。


 また従軍慰安婦の問題では、被害者の陳述を証拠として取り上げるとことを誤るという意見もありました。もとより被害者の証言のみで判断するわけのは誤りで、これは少数ながら無罪判決も出るようになった痴漢事件の裁判についても言えることですが、さりとて被害者の陳述なしではそもそも痴漢事件は存在しません。現時点では刑法上の罪人が生じるというものではありませんから、被害者の陳述があり、それに対抗するだけの反証がなければ軍の号令によって慰安婦が集められたというようなことを否定しきれないでしょう。軍が行なったという文書がないと言われますが、どこの国でも敗戦に当たって自己に不利な証拠は真っ先に焼却します。なくて当然です。


 ちょうど国会図書館が靖国合祀に関する資料集を発表しましたが、3月29日付東京新聞 によると、合祀すべき対象として厚生省が靖国神社に示した名簿には「櫻クラブ経営者。(訴因、婦女子強制売淫刑十年受刑中病死)」というBC級戦犯の名が含まれていたそうです。戦犯とされ刑死または獄死した者はすべて合祀される資格があるようですが、厚生省がBC級戦犯の名簿を靖国神社に渡しだした1958年当時にこういう基準が存在したかどうかは判然としませんから、やはり国策の遂行者として扱われたと考えるのが自然でしょう。オランダ軍による戦犯裁判で有罪とされたのですが、戦勝軍であっても、それだけなら刑法犯であろう婦女子強制売淫の加害者を、一般法廷でなく戦犯裁判で裁くことはなかったのではないでしょうか。


 以上を通じて言えるのは、やはり被害者はないがしろにされているということです。これは加害者被害者とは違った次元のものかもしれません。「お上無謬論」とでも言えば適切なのではないかと思いますが、如何でしょうか? 法王無謬論に固執したカトリック教会も近来は教義はとにかく、実際の言動ではナチへの態度の不徹底やあるいは二千年来のユダヤ人への態度などを反省していますから、A級戦犯を合祀している靖国への首相の参拝とか、あるいは従軍慰安婦への責任回避とかは、あくまで戦前の国家と軍を無謬だと言い張るものであり、国際的に見れば特異なものです。これらは加害者と被害者の別をあいまいにするものであり、日本の場合それをあいまいにされると、結局お上が正しいというように言論も教育も均されてしまい、真の被害者は依然として浮かばれないことになりかねません。その結果痴漢の被害者が法廷での証言・陳述でさらに精神的苦痛を受けるという、いわゆる「セカンド・レイプ」といわれるようなものに似た事態もすでに起こっていると思われます。



被害者は とどのつまりは ないがしろ 


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浅草再訪

雷門 浅草雷門


 あまり体調はよくなかったのですが、閉じこもっていても仕方ないし、お天気もまあまあなので火曜日に浅草に行きました。20年ぶりくらいでしょうか。「前押し式 」で5kgの酸素ボンベキャスターを持っていくので階段は上下できず、エスカレータは上りが何とかで、下りは恐くてちょっと使えません。バスかタクシーですぐの最寄駅から浅草に行くのは、同一ホームで乗り換えればいいのですからほぼ一本ですが、そういうわけですから上野浅草方面に行くときは上野広小路駅を利用しています。ここですと地表までは上りのエスカレータがあって空いており、下りはエレベータがあると、私には好都合なことになっています。


 上野広小路駅から歩道に出てタクシーに乗ると浅草までは1000円前後。行ってみると最近はさびれているという先入観があったのに、意外な人出でした。大人が多いけれど子どももいる。ウィークデーでしたが春休みというわけですが、何か面白さを感じているのでしょうか。それと多かったのは外国人でしたが、浅草はいわゆる日本情緒とは違うと思いますが、「キッチュ」な雰囲気が口コミででも広まっているのでしょうか。同行の家内は人ごみは大嫌いなのですが、それほど疲れなかったようで、これは私も感じたように、歩いている人々がイライラしていなかったせいだと思われます。
池 心字池? 大泉池?


 ボンベを持った私にとって何よりなのは道が平坦だったことで、石畳の段差もあまりなかったのは助かりました。テレビ・ドラマなどのせいで神楽坂の人気が出て、私も行きたいのですが、記憶では石段だらけ段差だらけで、のんびりした散策は楽しめそうにありません。その浅草を2時間以上歩き回って、鎮護堂という一角に迷い込みました。水子地蔵があって、その奥に鉄柵があり、日本風庭園の池が見えました。柵からカメラを突っ込んで写真を撮ったのを一枚出しますが、なかなかのところだと思われました。

 ただ案内図などを見ても池の名前がわかりませんので、帰宅後に浅草寺の池ないしは伝法院の池ということで調べようということになりました。ところが地図のサイトでそれらしい池は発見できても、池の名前は申しあわせたように出ていません。仕方がないので浅草案内のサイトを片っ端から見ていくと、どうやら伝法院の庭というのは小堀遠州作として有名なものらしいのですが、その名前に「心字池」と「大泉池」の二通りがあり、決め手はありませんでした。もう一つ「ひょうたん池」というのも出てきましたが、これは別のところにあり、明治以降の人造池のようです。いずれにしても以前来たことのあるところでも、比較的元気だった頃とは違ったペースで歩いてみると、まったく新しい場所を発見することもあるものです。またこの鎮護堂の水子地蔵に何本か寄進されたのぼりが立っていましたが、いずれも寄進者の名前入り。個人情報秘匿のこの御時勢に、こういうこと、こういうところもあるのだなあと思わせられました。

 帰りは逆のコースをたどり、約5時間の小旅行でした。途中は結構苦しい場面もありましたが、浅草らしいてんぷらを食してもいつものようにお腹が張るということもなく、体調はむしろ帰ってからの方がよかったのは不思議なものです。翌日も快調。木曜日あたりからふだんの調子になってきています。

☆病得て 名所に異なる 味を知る


(今回も勝手に文字サイズが変更され、ワードに移して手直ししたのを戻したので、前半と後半で違っています。アメブロ様に正常化をお願いしたいと思います)。


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石原慎太郎氏と言えば・・・

車椅子

    車椅子(Recien Casados = Just Married)


 石原慎太郎氏の名や顔を見ると、私にはどうしても1999年の障害者に対する発言が思い出されます。最近彼の過去の言動が紹介されることが多いのですが、その中で「障害者差別」と分類されるもののうち、もっとも典型的なのがこの発言です。その年の9月17日に重い知的障害と重度の身体障害を併せ持つ子どもや大人が入所している都立の府中療育センターを視察した石原慎太郎東京都知事は、その後の記者会見で次のように述べました。以下は朝日新聞の9月18日付によるというものですが (ただし視察・会見の日にちは誤り)、東京新聞ではもっと詳しい記事が出たとのことであり、また居合わせた記者による全文メモのようなものも見たことがあるのですが、残念ながらすぐには出てきません。

 

ああいう人ってのは人格あるのかね。ショックを受けた。ぼくは結論を出していない。みなさんどう思うかなと思って。
絶対よくならない、自分がだれだか分からない、人間として生まれてきたけれどああいう障害で、ああいう状態になって……。しかし、こういうことやってやっているのは日本だけでしょうな。

人から見たらすばらしいという人もいるし、おそらく西洋人なんか切り捨てちゃうんじゃないかと思う。そこは宗教観の違いだと思う。

ああいう問題って安楽死につながるんじゃないかという気がする。

〔「安楽死」の意味を問われて〕そういうことにつなげて考える人もいるだろうということ。安楽死させろと言っているんじゃない。


 これを読んでの感想はいろいろあると思います。私としては当時から石原氏がどういう立場でこのような発言をしたかが問題だと思っています。まずこれは個人的な談話か。公開の席での発言か。これが後者であることの疑問はないですね。次に石原氏はこれをどういう立場で発言しているのか。個人としてか、文学者としてか、知事としてか。知事としてでなくては視察もその直後の会見もありえないので、これも知事としてということに疑問はありません。そしてそれに付け加えるべきは、東京都知事としてその都立府中療育センターの最高責任者であるということです。


 発言を批判するにせよ弁護するにせよ、ここを強調したものは、あるかもしれませんが私は知りません。つまり重度障害者を「安楽死させろ」と言っているわけでは勿論ないのですが、この療育センターの最高責任者の頭の中には「安楽死」という選択肢もあることを公言していることになります。考えるだけなら自由かもしれません。表現の自由についての石原氏の意見は知られています。しかしそれを公開の席で、しかもじかに見てきたすぐその後に口にするということは普通なら誰もしないことで、この部分に石原氏の人格の人並みでないところが表れています。個人として、文学者として、そして知事として・・・それより以前に人間性が問われた発言というよりありません。


 最近発行された『報道されない重大事』 の中の対談で、筆者の斎藤貴男氏は次のようなことを語っています。「石原と一緒に食事に行った人が、何が嫌だって、自分には親切にしてくれる、だけどウェイトレスに対する態度がひどすぎて耐えられないって言ってたね」。「〔普通なら差別感情の裏には昔の体験があるが〕でも、石原の場合は、別に何もないわけ。あちこちで差別しているけど、在日の人に何かされたわけでもなければ、女性を差別する理由もない。彼の周辺を取材してると、ただ、伝統的な差別を自分の頭の中で妄想して差別してるだけでしょ」。これを読んで石原氏の「人格」の一貫性がわかったような気がしました。


☆人格の 有無を決めるは 人格者?


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目を覆いたい

義経 歌舞伎文様・若君(義経)


 アメリカ人がこれを聞けば、自分たちの国が世界一おろかなリーダーに率いられているというわけでもないのだなと、喜ぶかもしれません。今朝一部で報道された安倍首相の発言は、それほどひどいものでした。朝のヤフーのニュースで知り、それが産経新聞の配信 なので、これはひょっとしたら消えるかもと思って保存しておきましたが、まだ残っています。しかし案の定というかその後どこの大手メディアからも続報は出ず、わずかに四国新聞などのホームページ  に載っているのみです。産経新聞自身が自分のところのホームページに出していません。

 記事としては産経のほうが詳しいようなので出しておきます。産経が安倍首相に不利なまとめ方をするとは思えませんので、まず大筋はこのとおりでしょう。

慰安婦、拉致とは「全く別問題」 首相、米紙に反論


 安倍晋三首相は26日夜、米紙ワシントン・ポストが、北朝鮮による拉致問題とは対照的に慰安婦問題で「戦争犯罪に目をつぶっている」と首相の姿勢を厳しく批判したことについて「(拉致と慰安婦問題は)全く別の問題だ。拉致問題は現在進行形の人権の侵害だ」と反論した。
 首相は「従軍慰安婦の問題は、それが続いているというわけではない」と強調する一方、拉致については「まだ日本の方々が北朝鮮に拉致されたままである、という状況が続いている」と指摘した。国会内で記者団の質問に答えた。 32780分配信 産経新聞)

 「それが続いているわけではない」とは、どこをどう考えれば出てくる言葉でしょうか。日本軍の強制があったかどうかは仮に別問題としても、慰安婦とされた女性たちは今に至るもなおその屈辱をトラウマとしているのです。このあたり、祖父岸信介の安保改定の志が国民に多くに受け入れられずデモで責められ退陣したことに対して、 自分が首相になった今でもルサンチマンのほむらを燃やしている安倍首相こそが、一番の理解者となるべきなのです。また仮に北朝鮮に拉致された人々がことごとく解放されて日本に戻ったとしても、「これで拉致事件は現在進行形でなくなった」とこの被害者たちが感じるでしょうか? 

 おそらく安倍首相には想像力もなく、論理的にものを考える力もないのでしょう。人間らしい感情もあるのかどうか疑われます。しかしそれにかかわらず諸外国は安倍氏を日本の首相とみなしています。今度の発言を聞いて、アメリカに追従することさえ上手にやる能力のない首相なのだということを再認識しているでしょう。この日本はどうなってしまうのでしょうか。

☆美しい 国を滅ぼす 三代目

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ルールの背景

氷結した湖面(スウェーデン)凍った湖面(スウェーデン)


 身体の事情でスポーツはもっぱらテレビ観戦しかないのですが、最近ではフィギュア・スケートを熱心に見ています。音楽を聴けない私にとっては、フィギュアは音楽を視覚化したもののように感じられるせいもあります。シンクロもありますが、あれは音楽に乗っているという感じで、フィギュアの方は音楽を演じているという印象です。


 今度の世界選手権では日本選手が大活躍でした。フリーで最高点を出しながら金メダルを安藤選手にさらわれた浅田選手はさぞ残念だったでしょう。安藤選手より三歳若いから、浅田選手にはまだまだチャンスがあると人は言うでしょうし、私もそう思いたいのですが、銅メダルが韓国の選手だったということもあるので、今後何かが起きるのではないかという危惧を感じます。


 これまで日本人が優勢であった競技でルールが変更され、その結果せっかく得ていた地歩を失った例がいくつもあることは周知でしょう。私が覚えているものとしては、1956年のメルボルン・オリンピックで古川選手が潜水泳法によって優勝したあと、その潜水泳法を禁止された例。1988年のソウル・オリンピックで鈴木選手がバサロ泳法で優勝した後のその泳法が禁止された例。1998年の長野オリンピックまでスキーのジャンプや複合で活躍していた日本選手が、スキー板のサイズを体格に比例させるというルール改正後は振るわなくなった例、などがあります。


 以上は必ずしも日本人排撃を意図したものではないとか、日本側のルール改正への取り組みが不十分だったとかとも言われ、正確なところはわからないのですが、スポーツなりオリンピックなりの歴史を考えると、そこにレイシズムの影を見ないわけにはいきません。


 スポーツでの優位を守るために欧米諸国のとってきた戦略には二つあるようです。一つは肉体的能力で格段上である人種の選手を、奨学金などのインセンティヴで囲い込み、国籍も与える。これは陸上競技をはじめとして、格闘技、球技などで行われています。白人の中でアフリカ系の選手が目立つのは必ずしもアメリカばかりではありません。もう一つはルールをいじって、欧米系の選手の優位を保とうとするものです。それらが水泳とスキーであり、スケートもその後を追うのではないかというのが私の危惧です。


 そもそも、水泳やスキー・スケートの冬季競技には、アフリカ系の選手の姿をほとんど見ないことはどう理解すべきなのでしょうか? これらの選手は子供の頃からクラブ組織で養成されるものであり、欧米におけるアフリカ系の人々は経済的余裕に欠けることが多く、出発点ですでに少ない、というのがよく聞く説明です。しかし根底にはもっと露骨な人種的差別があるのではないでしょうか。昔国際的に活躍した日本の水泳選手が、「黒人と同じプールはいやだ」という意味のことを言っていたそうです。冬季競技も理由はわかりませんが、やはり欧米系の聖域であって、何か勘違いしていたこの水泳選手を含めて、日本人や韓国人は有色人としてくくっている欧米人も多いのでしょう。


 こういうわけでフィギュア・スケートの日本人選手の、前途が洋々たるものだとは言えないのは残念です。ただし不利なルール改訂を呑まされたのは日本人の外交下手も一因という説もありますから、韓国や中国が同じ戦列に並べば、今後はいくらか様子が違ってくるかもしれません。ところでフィギュアについてルールをどう変更してくるでしょうか? これはちょっと想像できませんが、オリンピックの場合だと試合場に同行できるコーチは同国人に限るといったのが、現段階ではダメージが大きいかもしれませんね。


☆欧米の ルールがやはり グローバル



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ライブドア判決

正義の天秤 正義の天秤


 ライブドア事件の判決では宮内元取締役が懲役1年8月の実刑とされたそうですが、これは明らかに堀江元社長とのつりあいで、宮内元取締役としてはあれだけ検察に協力したのにと納得できないことでしょう。そこで大本の堀江元社長への判決ですが、2年6月の実刑というのは正直厳しすぎるという印象です。カネボウの粉飾決算では元社長は懲役2年執行猶予3年、元副社長は懲役1年6月執行猶予3年。粉飾額がライブドアの10倍以上ということを考えると、ちょっとうなずけません。よほど堀江元社長の犯情が重いということでしょうが、その大きな理由が「反省の色がない」というのでは、今後は身に覚えのない被告もとにかく自白して謝罪しろと言っているようなものです。


 しかし判決文を検討などという芸当はできませんから量刑についてはこの程度として、気に入らないのは最期の裁判長訓示というやつです。


「裁判所から君にいっておきたいことがあります。今回の事件に関し、裁判所に何通かの手紙が届いています。その中に、ハンディキャップを背負ったお子さんを持つお母さんからの手紙がありました。大きな夢を持ち、若くして企業を興し、上場企業にした堀江貴文被告の姿に勇気付けられ、ハンディを克服して働く力をもらったという。その証として、貯めたお金でライブドアの株を買って、今も持っているそうです。…有罪判決になったからと言って、あなたの生き方すべてが否定されたわけではありません。勇気づけられた人たちを思い出し、罪を償い、能力を活かして再出発することを期待しています」ZAKZAK より)。


 「ハンディキャップ」というのは報道では「障害」というのもありましたが、こういう場面で障害者を持ち出すのはいい加減やめてほしい。ルソー流の「聖なる野蛮人」ではないですが、障害者がそれ自身の価値観を持たずに社会と白紙で接しているというのはまったくの神話なので、それが堀江元社長を尊敬しようが軽蔑しようが、あるいは励みとしようがしようまいが、この際は関係ないのではないでしょうか。手紙の内容はそういう風に考える人もいるということで、障害云々は余計な条件です。「障害者ですら」と弱者の意見だと言いたかったのでしょうか。


 早い話が、件のお子さんがどういう障害かも言っていません。お母さんからの手紙というからには、本人は手紙を書くには精神的にまだ幼いのか。それだったら企業⇒上場というプロセスを理解できたのか。株は買えたのか・・・手紙の主張はこのお母さんのものではないのか。さらに裁判官ないし裁判所宛の手紙を、さすがに読み上げはしなかったようですが、裁判という公開の場で引用することは許されるのか。個人情報の保護はどうなったのか。そして何よりもこのような手紙を読んで感銘し、それを判決に添えるという主観的な行動は、証拠を冷静に判断し、量刑を論理的に決定するという裁判の仕事にふさわしいものか?


 ライブドア裁判の裁判官の年齢は知りませんが、日本の制度では多くの裁判官は司法試験に合格し、研修の後ですぐ任官する。つまり現実の社会についての経験は貧弱なわけです。よほどのベテランになれば別でしょうが、たとえ相手は犯罪人としても人に訓戒をたれる資格のある人がそうそういるとは思えません。これが欧米だと法曹一元で、弁護士や検事の経験者から選ばれることが多いと聞いていますから、その発言も蓄積した経験からのものと受け入れることもできるのかもしれませんが。


☆判決後 説教されるも 想定外


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