先には『八犬伝』を見て「映画館から配信に下りてくるのが早いなあ」と思ったものですが、この下りてくるという感覚、かつてロードショー公開された作品がしばらくすると名画座に「下りてくる」のと同じような受け止め方と言えましょうか。まあ、名画座全盛の時代はどっぷり昭和でしょうけれどね…。

 

ともあれ『八犬伝』ほど早くはありませんけれど、「ああ、これも無料配信になっていたか」と見てみましたのが『名探偵ポアロ ベネチアの亡霊』なのでありました。

 

 

そもクアラルンプール行きのJL便の機中では『スオミの話をしよう』とか、日本映画ばかり見てしまいましたですが、一応、この映画も「見ようかなノミネート作品」ではあったものでして、この際にというわけです。

 

ところで、しばらく前(ブログ内検索すると12年も前でした)に「エルキュールはポアロかポワロか…」てなあたりに思いを巡らしまして、その時には「この後はポワロでいこう」と個人的結論付けをして、もっぱらポワロ、ポワロと言ってきておりますが、映画版最新作では「ポアロ」が採用されているようですな。

 

果たして過去の映画版はどうだったかな?と思えば、過去の映像化作品では探偵名がタイトルに載ることはなかったようで(ちなみに、本作も原題は「A Haunting in Venice」ですので、探偵名は非表示)。ま、どっちが正解ということもないのでしょうけれど、ここではやはりタイトル引用以外はポワロと表記していこうと思っておりますよ。

 

と、探偵名はともかくとして、「A Haunting in Venice」すなわち「ベネチアの亡霊」という話がアガサ・クリスティーの原作にあったかいね?…と思いつつ見始めて、オリジナルは『ハロウィーン・パーティー』であったのかと気付かされることに。

 

全くのうろ覚えながら早川ミステリ文庫版で原作を読んだのは半世紀近く前だと思いますが、それでもイングランド・ローカルな話だったろうし…とは記憶するところで、要するにベニスを舞台にしたことも話の中身も映画では大胆に、実に大胆に脚色したものであったわけですな。もっとも、脚色という点ではケネス・ブラナーが形作るポワロ像からしてすでに大胆な脚色なんではないかいねと思ったりしますが。

 

しかしまあ、脚色の腕が冴えわたるといいますか、映像作品としての出来不出来はともかくも、元々は地味めな『ハロウィーン・パーティー』をここまで大げさな舞台設定に置き換えるのはよくやったものだと。

 

映画化される原作はオリエント急行だったり、ナイル川クルーズだったり、そもそも「映える」要素を持っていたわけですが、それがない作品の場所を移し替える際、全体との整合性をうまくとらなければいけないでしょうから。その点では『白昼の悪魔』を映画化した『地中海殺人事件』よりも、この作品は遥かに冒険しているとも言えましょうね。

 

ケネス・ブラナーによるポワロ作品は過去の映画化をなぞるように『オリエント急行殺人事件』、『ナイル殺人事件』と続いて、リメイクの妙を楽しむ(あるいは楽しめない)ところがありましたですが、ここへ来て新たな領域に踏み込んだとでも言いますか。いわば、イアン・フレミングの原作から離れてやりたい放題になっていった『007』シリーズのような受け止め方をするべきなのかもしれません。

 

主役に関していえば、ジェームズ・ボンド役が時代によって代替わりしていったように、ポワロも代替わりして、その時代時代の主役像があることをケネス・ブラナーは示しているのでありましょうか。

 

ケネス・ブラナー=ポワロもこれで三作目となって、この後もポワロ作品が手掛けられるのかどうかは分かりませんですが、ポワロと言って一般的に思い浮かべられる人物像はだんだんと、こまたでちょこちょこ歩くようなタイプではなくなっていくのかもしれませんですね。

 

個人的には「どうもな…」の印象がどうにもぬぐい切れないところでして、なにしろジェームズ・ボンドと言えばショーン・コネリーでしょう!という口だものですから(笑)。いっそのこと、ポワロから離れるくらい翻案してくれるなら、それはそれでなんですがねえ…。