かなり出遅れ、それどころかもう上映終了間近かもしれませんですが、
ケネス・ブラナー による新作の映画「オリエント急行殺人事件」を見て来たのでありまして。
ここで「新作の…」と敢えてこだわるのは、ケネス・ブラナー監督主演の新作というよりも、
1974年にシドニー・ルメット監督が撮った同原作の映画があるからでありますね。
ご存知の方も多いでしょうけれど。
キャスティングとして、今回のもオールスターキャストと言われていることでしょうけれど、
1974年版の方こそ!と思ってしまうのは自身、だんだんとオールドファンの領域に
足を突っ込み始めたということでしょうかね(笑)。
と、とかく比較をしてしまいたくなるところで、
それはそれで全く意味のないことではありませんけれど、
一番の「なぜ?」は原作がミステリーなのに…という点でありましょう。
原作ミステリーが有名であればあるほど、要するにネタばれしているわけですから。
ですが、ふたを開けてみれば(かく言う自分も含めて)見に行く人がいる。
上のフライヤーには「その日、一等車両は容疑者で満室でした」というものですが、
結局は犯人もトリックも知った上で見ている人がたぁくさんいたのではなかろうかと思うところです。
となると、もはや謎解きこそを楽しみにしているのではないということになるわけで、
興味はもはや分かっている話をどう料理しているのかという点に尽きるような。
あたかもシェイクスピア劇や、はたまたオペラの数々が
異なるプロダクション(時代背景やら何やらを大幅に変えてしまうこともある)で作り続けられ、
見る側もそのつもりで見続けているようなありようと言えましょうか。
「オリエント急行の殺人」は単に推理小説というところを超えて
「古典劇」の領域に到達したともいえましょうかね。大袈裟にいえば。
その点、今回作の監督がケネス・ブラナーだというのはかなり象徴的ですなあ。
それこそシェイクスピア作品の映画化をいくつも手掛けていますし、
はたまたモーツァルト の「魔笛」も作っている。そこへもって来ての「オリエント急行…」ですし。
ケネス・ブラナーも言っていますように(と、言わなくても基本的にはリメイクの常でしょうけれど)
今回作なりの特徴をどう出すのかというのが肝心ですよね。
それができないようならば、作る意味もないわけで。
一番目立っているのが(それが故に他の部分にまで目が向かなくなりがちなのが)
ポワロ像の斬新さでありましょう。凝り過ぎとも言える髭の形もさることながら、
アクションシーンをこなすポワロの姿など誰が考えてみたでしょう。
個人的にエルキュール・ポワロはデヴィッド・スーシエ版こそと思い、
賛同は多く得られるところと思っていますけれど、
逆にいえば他のポワロ像を排除しがちになりますね。
そこへケネス・ブラナーは一石投じたというになりましょう(後は好き嫌いの問題として)。
では、ポワロ像以外の部分はどうであったか。
これはポワロ像による眩惑度合いが高かった分、何とも言い難いような。
それでも、以前はあまり深刻に受け止めていなかったところながら、
最後の最後になって犯人に臨むポワロの姿勢と言いますか、
ネタばれしないように書くのはもどかしいところですけれど、
その姿勢のあり方が果たしてどうだったのかということが酷く気にかかっては来ました。
もっともこの部分は、今回作の作りがそのような印象付けに繋がったのか、
あるいは何度か読み、何度か見ている知った話をこのときはそのように受け止めたのか
定かはありませんけれど。
ですので、その意味では今回作をそれ以上にもそれ以下にも言うつもりはないものの、
敢えていうならば、「オリエント急行…」は一にクリスティーの原作、
二にデヴィッド・スーシエ版TVドラマ、三に1974年の映画版、そして…というのが
個人的感想でありますよ。