さてと、ちいとばかり珍しいところで「世界一幸せな国」とも言われるブータンの映画でありますよ。

 

 

『ブータン 山の教室』というタイトルからして、またフライヤーのようすからしても、てっきり子供中心の映画かと思っていたですが、どうやらそうでもないな…という始まり方でしたなあ。映画の公式HP(フライヤーの左上にある文章ですが、これでは読めませんですね…)には、こんなふうに紹介されているだけでありまして。

ヒマラヤ山脈、
標高4800メートルにある
秘境ルナナ村に響くブータン民謡。都会から来た若い先生と、
村の人たちと子どもたちの
心の交流を描いた感動作。

これだけ見ますと、さぞいい先生がやってくるように思うところながらその実、ポンコツの見習い教師がやってくるのでありますよ。ブータンの教職課程の制度に詳しくはありませんが、どうやら試用期間は5年間という長いものらしい。すでに4年を経過して、その目に余るやる気になさに教育委員会だかのおえらいさんから呼び出しをくらったウゲン・ドルジが主人公でして、本人はすっかり「教職は自分にあっていない」と自覚し、オーストラリアに飛んでミュージシャンになることだけを思いながら、日々をなんとなく過ごしているのですな。そこへ舞い込んだのが、残りの1年はルナナ村の学校へ行ってこいという指令であったという。

 

ウゲン曰く「たどり着くまでに八日も掛かる辺鄙な場所とは?!」と驚きを隠せないわけですが、見ている方もいささかびっくり。ブータン王国の国土面積は九州より多少大きいくらいなようですが、その範囲内での移動にあたって8日間もかかるというのは、いったいどういうことであるか?と思ったわけです。

 

まずは首都のティンプーからマイクロバスでもって終着点まで。すでにして富士山頂を凌ぐ標高だったような。でもって、そこから先、「歩いて」6日の道のりであるとは、何とも驚くべし。ではありますけれど、先日のTBS『世界遺産』で白川郷・五箇山を取り上げていたおり、彼の地でも昭和の中頃までは山越えの道を歩いて行き来せねばたどり着けない集落があったことを思い出させてくれましたですなあ。もちろん今ではそんなことはないとしても、決してよその国のことというばかりではないのであったかとも。

 

とまれ、かような山の奥の奥、たどりついたルナナ村の学校は施設・設備ともに十分では無いわけで、ただでさえやる気のないウゲンはすぐにも帰りたい…となるわけです。が、待ち受けていた子供たちと接するに及び…とは、想像に難くないところですな。上のフライヤーに見るような子供のきらきら目を見れば、心動くところもあろうてなもので。

 

とはいえ、映画のお話としては「ありがち」だなとは思うところですよね。例えば(いささか唐突ながら)思い出したのは、アメリカ映画の『ドク・ハリウッド』でありますよ。

 

 

大都市指向の自称・天才外科医である主人公がひょんなことから田舎町に足止めをくらい、医師不足の手伝いをすることに。すぐにも立ち去りたいところながら、患者との距離が極めて近い環境の中で、医師としての目覚めが起こったりするという。もちろん、ハリウッド製コメディーですので、主人公が立ち去りがたい背景には町一番の美女の存在あり…というわけでもありますが。

 

とまあ、そんなふうに同工異曲のありがちなストーリー骨子ですけれど、『ドク・ハリウッド』の方は町を離れてL.A.で働き始めるものの、かつての主人公とは人が変わってしまったか、結局のところ田舎町に戻ってきてしまい、かの美女と結ばれるという展開は、まあ、そんなものでしょうなあと。

 

一方で、『山の教室』の方はルナナ村を離れ、オーストラリアに飛び出してミュージシャンへの道を歩み始めたウゲンもまた満たされないものを感じてしまっているのですな。夢に近づく一歩を踏み出しているにもかかわらず。ただ、映画はウゲンがルナナ村の子供たちの元へ帰って…といった描写はしないのですよね。シドニーのライブハウスで歌っていたウゲンがふと手を止めて、思い出すように歌い出したのはルナナ村で覚えたヤク飼いの歌であるという。その場に帰るという場面を見せなくとも、心はそこにあるということを余韻で伝えるに十分と思えるわけでありますよ。凝った演出というでもないですが、『ドク・ハリウッド』に比べてこちらの方が効果的だよねえと思ったものでありまして。

 

しかし、映画として見ている限りでは、田舎町の方が、山の教室の方が人間味に溢れた良きものにも思えてしまいますけれど、現実に暮らす環境としたらさぞかし厳しいところもあろうなあということも、今さらながらに思うのでありましたよ。