ということで静岡県の焼津小泉八雲記念館を訪ねて、小さな企画展『HOURAI 八雲と朔太郎が見た日本』(これは辛うじて1/17まで開催中)を覗いたような次第でありまして。ただ、詩歌に疎い者としましては、辛うじて萩原朔太郎の名前こそ知っているものの、いったいいつの時代の人であったのかも思い浮かぶところでなく…。ですが、2022年は朔太郎の没後80年であったと。明治から昭和を生きた人だったのですなあ。

 

 

ともあれ、本展の開催概要にはかように紹介されておありますな。

小泉八雲は、彼が愛した古き日本の姿を、「蓬莱」や「竜宮」といった浦島太郎にゆかりがある楽園的幻想に様々な作品でなぞらえていました。一方で萩原朔太郎は、「日本への回帰 我が独り歌えるうた」というエッセイにおいて、自分達が憧れていた西洋文明の蜃気楼は現実となったが、その反面「日本的なるもの」は衰退の一途を辿っていると、浦島太郎や八雲の名を引用しながら幻滅を表明していました。他にも、朔太郎は八雲の名や作品に様々な場面で言及しています。

江戸から明治の世になって極端な欧化政策が進められる中、いったんは西洋文明こそ!と目を奪われた若い文化人・知識人たちも、深い知識で実体を知れば知るほどに西洋万能では無いことに気付かされもしたようで。そうなりますと大きな揺り戻しを経験することになったか、むしろ日本古来の文化・文明こそ実は他に優るものであるといった思いを抱くようにもなったようで。このことは留学経験者の中にこそ現れたりもしたようですね。日本美術の再興を図った岡倉天心あたりも、そうした一人であったかもしれません。

 

で、そんな風潮が出てくる中でことのほか日本称揚を繰り返す小泉八雲の言説は、日本の優位性を「外国人」でさえ認めたものとしていいように解釈されたところなのかもしれません。八雲を読んでよほど「我が意を得たり」と考えたのか、朔太郎は『小泉八雲』という著作執筆の計画までしていたということでありますよ。

 

そんなふうに朔太郎が影響を受けた八雲の文章のひとつに、著作集『心』(オリジナルの英文タイトルも『KOKORO』)に収録されている『ある保守主義者』があるようで。先にも触れたような明治期の若者が西欧の優位性がキリスト教の信仰にありとみて熱心に帰依するも、その実、科学技術の進歩が著しい中にあってキリスト教の教えが科学的知見から取り残されつつあることに気付くや、そこから離れて日本の独自性に着目するという原点回帰を図る姿(実在の人物がモデルだそうで)を描いているのですけれど、八雲の目線は客観的なはずなのですけれど、これを読みようによってはひたすらな日本称揚と見てしまうあたり、時代なのでしょうなあ。欧米への敵愾心といったものも絡んで、時代は戦争へと進んでいく背景とも大いに絡む受け止めようだったろうかと。

 

とまあ、かような展示解説に触れて、今さらながらに小泉八雲の著作『心 日本の内面生活がこだまする暗示的諸編』を手にとったみたのでありますよ。

 

 

もはや時代は明治期のような、何をおいても欧米に優るものなしと捉える風潮にはありませんけれど、一方で日本古来の文化などのありようが顧みられること無くなってきている点では、むしろ尖鋭化の一途をたどってきたのかもしれませんですね。精神世界といったところが、かつて「国体」と称された言葉と混然一体に受け止めれていたところから、明治以降の「国体」の否定がすなわち日本古来の独自性の全否定につながるとともに、敗戦によって見えた「持てる国アメリカ」への憧れ路線は相も変わらずまっしぐらに進んできたのでもあろうかと。

 

ただ、どんなに真似をしようとも、今でも欧米の根っこに存在しているキリスト教という信仰が必ずしも大勢を占めるに至っていないのは不思議なことと言えないこともないような。いわゆる宗教に対して、日本人はことさらに信仰心が篤いとも見えませんけれど、一神教というものとは異なって、八百万の神々といった自然崇拝、アニミズム的でもあるゆるやかなおだやかな畏敬の念といいますか、そのあたりは連綿と受け継がれているのかもしれません。八雲が言及しているのは、信仰として、宗教としてどっちが上だとか下だとか言うことでなしに、ヒトが培ってきた自然との相対し方として自然な姿が日本にはあったということなのではなかろうかと思ったりしたところです。

 

小泉八雲といいますと、「雪女」やら「耳なし芳一」やらと再話文学の語り手としてしか意識しないようになってきてしまってはおりますが、期せずして『心』を手にとって、いろいろと考えるところ大なるものがあったなあと思ったものなのでありました。