住まっております市の公民館で、市内にある大学の大学院と提携した「院生講座」なるものを開催しているのですな。博士後期課程の院生という研究者の卵にとって発表の機会があるのはとても良いことでしょうから、実に好企画であるな思うところです。時に参加者(やはり高齢者が多いようで。他人のことは言えませんが…)からは「ここでする?」と言った質問(意見表明?)に曝されるのも、いい勉強なのではなかろうかと思ったりも(笑)。
もう何年も続いているようですけれど、初めて知った今回はたまたまにもせよ「Konzertのかたちー音楽家メンデルスゾーンの功績ー」というタイトルでしたので、出かけてみたのでありますよ。それにしても、かの大学はこてこての?社会科学系と思っていましたが、大学院では音楽学を専攻し、メンデルスゾーン研究に勤しむ学生がおったのですなあ。
ここでタイトルにある「Kozert」はドイツ語でありまして、ドイツ語の場合にはコンサート=演奏会とコンチェルト=協奏曲、両方の意が含まれておるわけでして、そのダブルミーニングがそのままにメンデルスゾーンの功績に関わるという、上手いタイトルを考えたものですね。で、先月に一回、そして昨日(12/11)に一回と二回続きの講座では、まず最初にコンサート=演奏会のありように関して、メンデルスゾーンがどう関わったかというあたりの話でありました。
メンデルスゾーンが生きた19世紀前半の演奏会は、現在、クラシックの演奏会として思い描くものとはずいぶんと異なっていたのですね。例えば、ひとつの演奏会の中でオケの演奏あり、独奏楽器のソロ曲あり、歌曲あり、室内楽あり…といった具合でさまざまな曲種が演奏されていたと。それだけに全体に要する時間は長くなりますので、出入りは自由である上に、今では想像しにくいことながらおしゃべり自由、「ほお!」と思ったときには曲の間であっても拍手が巻き起こるといった具合であったとか。
また、演奏される曲目はほぼほぼ同時代作曲家の作品(新作多数!)であって、要するにその当時のリアルタイム現代の音楽を聴くということであったようです。資料に引用されたメンデルスゾーンの手紙に曰く、職業ピアニストであってもハイドンやモーツァルトがピアノ作品を書いたことを知らない…というくらいに、古い音楽は流行りが終ると即座に忘れ去られ、次々誕生する現代音楽をこそ聴くということだったのでしょう。この点、余りにも意外なことではあるものの、録音・録画といったアーカイブが存在しえない時代にあっては、当然だったのかもしれませんですね。
でもって、そこでメンデルスゾーンが行ったのが「歴史的演奏会」というもの。ここにいう「歴史的」とは「歴史に残るすごい出来事」てな意味合いではなくして、「歴史的に過去のものとなってしまった名曲を掘り起こして演奏すること」であったようですな。およそ過去100年を遡って埋もれた名曲を年代順に演奏していくシリーズ企画を立ち上げたということで、よく知られるバッハ『マタイ受難曲』の蘇演もまた、こうした流れの一貫でもあったのでありましょう。ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番、第5番、そしてシューマンが発見したシューベルトの交響曲「ザ・グレート」なども、メンデルスゾーンの手によって改めて光が当てられることになったと。
こうした演奏会を開催する一方で、当時の演奏会における慣習(おしゃべり自由とか拍手自由とか)に対しては、作曲家として曲を作り出し送り届ける立場としてはいささか業を煮やしていたメンデルスゾーンですが、やおら客に対して「演奏中に話をするな、勝手に拍手をするな」(今や当たり前のマナーのようになってはおりますが)と言ったところで聞き入れられるはずもないことから、曲作りで策を弄することに。このあたりが講座の二回目、コンチェルト=協奏曲の話になってきます。
講座で取り上げられたのはピアノ協奏曲第1番(恥ずかしながらメンデルスゾーンのピアノ協奏曲、初めて聴きました)でして、作曲者が曲に施した仕掛けといいますのが、曲の冒頭、オケの序奏もそこそこに独奏楽器が登場するあたりがひとつ。どうやら当時の演奏会は、パガニーニやリストを思い出すまでもなく、ヴィルトゥオジティ溢れるカリスマ的ソリストの妙技をこそ聴くべきものであって、オケ伴奏の時はいわばおしゃべりタイムであったそうなのですな。ですので、オケ伴短くソリストの演奏が始まれば、聴衆が口を開くタイミングを失わせることになるというわけです。
比較対象として、同じ年に作曲されたショパンのピアノ協奏曲第1番が参照されましたですが、こちらはゆったりたっぷりオケの序奏が続きますので、当時の慣習に従えば、何とも長いくつろきのひとときが与えられていたものだと思えてもくるのでありますよ。
また、ソリストこそ肝心という当時、ソロ演奏がひと段落すると曲の途中であっても拍手喝采、ましてや楽章間には盛大な拍手が起こって、ほとぼりが冷めないと次の楽章に移れないなんつうことも(さらにはたった今終わった楽章をその場でアンコールとしてもう一回といった呼び声も)あったそうですから、そこへの対策として、アタッカで楽章をつないで演奏してしまう作戦に出るのですなあ。アタッカの使い途にそんな意図もあったとは?!
メンデルスゾーンの工夫は他にもありますけれど、ともあれかような策を施したのはピアノ協奏曲第1番に限らず第2番も、そして超有名曲であるヴァイオリン協奏曲も同様と、言われてみれば(ヴァイオリン協奏曲については)「なるほど!」ですなあ(ピアノ協奏曲は第2番も聴いたことがないので…)。
とまあ、(講師の方には申し訳のないほど端折ってまとめてしまいましたが)メンデルスゾーンが始めたコンサート=演奏会、コンチェルト=協奏曲のありようは必ずしも即座に浸透し、受け継がれていったわけではありませんけれど、今になって考えてみれば、いつの間にかすっかりメンデルスゾーンの思う壺にはまった現在の演奏会事情があるような気がしますですね。
今のクラシック音楽の演奏会では(今現在は同時代作曲家の作品がかかる例は少ないにもせよ)、わいわいしないでちゃんと音楽に耳を傾けてほしいという作曲家の思いと、一方でコンサートホールでこそ静かに音楽に聴き入りたいという聴衆の思い、双方が実現しているような。メンデルスゾーンは草場の陰でにやりとしているかもしれませんなあ。