久しぶりにじょぼじょぼと雨の降り続く中、池袋に出かけて

読売日本交響楽団の演奏会を聴いてきたのでありますよ。

当初の予定ではスタニスラフ・スクロヴァチェフスキが振る予定だったですが、

2月に逝去を受けて、急遽オンドレイ・レナルトが振ることになった演奏会でありました。


読売日本交響楽団 第197回 土曜マチネーシリーズ@東京芸術劇場


ずいぶんと前になりますけれど、
マーラー の「復活」を初めて生演奏で聴いたときに

振っていたのがオンドレイ・レナルト(オケは忘れてしまった…)。

チェコのおとなりスロヴァキア出身ですので、

ハプスブルク文化圏内でマーラーにも通じていたとなりましょか。


そんなバックグラウンドのレナルトが振った最初の曲はショパン のピアノ協奏曲第1番で、

もとからそういう雰囲気はある曲ながら、出だしの弦が「ううむ、東欧だのう」という響きに

感じられたのは、プラシーボ含みでありましょうかね。


一方、ピアノ独奏は2015年のショパン・コンクールで3位になったというケイト・リウ。

ショパンもピアノも詳しくはないものにも時折「おや?」と思わせるあたり、

きっと個性の発露であったのでしょうなあ。


アンコールの「雨だれ」(お天気を見ての選曲?)で、

そのほっそ~い体つきから繰り出す重い音の響きはかなり印象的でありましたですよ。


ところで、メインは知名度のわりには聴ける機会の少ないベートーヴェン の「英雄」。

折しも先日のEテレ「らららクラシック」で「英雄」を取り上げていましたので、

そこでの話なんぞを思い出しながら聴いてみたというわけで。


番組の中では「『運命』や『田園』を書き上げた後にも、『英雄』が一番優れていると

 ベートーベン自らが語った自信作」と紹介されていたですが、おそらく創造者としては

あとの作品ほどもっと良くと思うのが自然なところでもあろうかと。


確かに「運命」は研ぎ澄まされた音楽の凝縮であって、

これ以上はどうにもしようがないところまで行ってしまっている作品として

いわゆる傑作以外の何物でもないと思うわけながら、ベートーヴェンとしては

いささか武骨ながらも自身の実験精神のたけを全て注ぎ込んだ「英雄」こそ自信作といった

思いがあったのやもしれません。


それだけに実際の響きとして改めて聴いてみますと、

ベートーヴェンの造り出したものに初演当時に人はさぞや面食らっただろうなと。


第1楽章の幅広の大きなスケール感、そして第2楽章は葬送行進曲と言われれば

そんなふうに聴いてしまうものの、クライマックス部分では

葬送という場面描写というだけでは済まない広大無辺さを見せてくれますし。

もはや宇宙をイメージするしかないような。


それに比べて第3楽章、終楽章の雰囲気はカプリッチョとも思えるところで、

英雄のカリカチュア像のようでもありますね。

「英雄」という言葉からすると、いかにもな「英雄」らしさばかりが浮かぶところながら、

実はその英雄にもいろいろな面があるのですよと言っているかのよう。


ナポレオン・ボナパルト に献呈しようとしていたのを、

ナポレオンが皇帝になってしまったことに愕然として取り止めた…というエピソードは有名ですが、

楽譜の表紙から「ボナパルト」の文字は削っても、

作品自体はそのまま残したところに、実は端からナポレオン個人ではなくして

「英雄なるもの」(のさまざまな側面)をイメージさせるものとして

ベートーヴェンは書いていたのでありましょうかね。


そんな発展途上であるからこそ「自信作」といったベートーヴェンの実験精神のほどを

堪能してきたのでありました。


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