北口本宮冨士浅間神社
から山中湖へと通じる道(国道138号)は「旧鎌倉往還」であるとのこと。
「いざ鎌倉!」の道でもあったのでありましょうか。
これを忍野入口で左折し、多少狭まった道を道なりに進んで行きますと、
だんだんと目につくのは「駐車場」の看板。
あっちにもこっちにもあるものですから、どこへ停めるのがいいのか分からないくらいですな。
結局、どうしたもんだろと思いつつ、
観光客らしいひと通りが増えてきたあたりもずいずいと進んで行きますと、
結果的に「無料駐車場」の看板が。ま、結果オーライというやつですね。
こうしてたどり着いたのが、富士山界隈で一、二を争う観光名所の忍野八海でありました。
その賑わいたるや、今回富士五湖の周辺を訪ね歩く中では一番の人出だったわけですが、
分けても中国から来られた団体客の多さは目を覆う…否、驚くばかり。
上の写真に見える池を背にずらり並んで横断幕を広げて集合写真を撮り、
脇の売店であれこれ物色すると、あっという間に去っていく(すぐに別口がバスでやってくる)。
写真の背景にしている池が「忍野八海」には含まれていないことを、
果たして知ってか知らずか…。
富士山に降った雨や雪が伏流水となって
裾野に湧き出すようすは三島の柿田川湧水
でも見ましたですが、
こちらの方は富士講の中の大我講というグループの人たちが、
八大竜王を祀って八つの湧水池を霊場としたという文化史的な背景も持っているのですね。
ですから、八つの池を巡り歩く道すがら、
他にも池らしきものはありながらも、足を止める人はいない。
あたかも七福神
を辿る道の途中にいくら寺社があっても
七福神に入ってなければ素通りというのに近いといったらよいのかどうか…。
せっかく来ましたのでもちろん忍野八海コンプリートしましたですが、
八つの池の写真を並べて個性の違いを示せるほどにいい写真が撮れたでなし、
ここはいささかダイジェストで参ることにいたします。
そも忍野八海に数えられない池が何ゆえに忍野観光の中心地になっているかですが、
この「中池」は後から掘っただけあって規模が大きく、掘れば湧き出す水は他の池と同様に
冨士伏流水の湧水ですから、やはりとても透明度が高くきれいな水なのですよね。
そして、何より(上の写真では分かりにくいですが、
改めてフォーカスしてみれば)富士がよく見えることでしょう。
そして、中池には隣接して本当の忍野八海である「湧池」と「濁池」もありますので、
「忍野八海に行ってきた」と言ってもうそにはなりませんし。
ところで、「湧池」はその名のとおりに八つの池の中でいちばんの湧出量を誇っているそうで。
すぐ脇にある売店ではその湧出ぐあいが分かるように湧水の出口を設けてましたが、
まさにどばどばとでておりましたよ。
現状はほとんど川の流れと化している感のある「濁池」(それでもかなりの透明度)から
阿原川の流れ沿いにしばし進んで、奥まったところには「銚子池」がありました。
形が「長柄の銚子」に似ているところから付いた名称のようですが、
長柄に当たる部分が小川として流出しているようすが見てとれないと
俄かに合点がいきにくいですなあ。
銚子池を後に進むと阿原川は新名庄川に合流、
そのちょいと先の窪地に「御釜池」が見つかります。
元来、お釜の湯が煮立つようにぶくぶく水が湧いていたことから、その名がついたようですが、
どうやら関東大震災後はずいぶんと水量が減ってしまい、もはやおもかげ無しであるようす。
水面はまるで鏡のようでありましたですよ。
続いて「鏡池」という名のわりには最も濁っている池の端を通り、「菖蒲池」にやってきました。
今も名残りはあるようですけれど、単純に菖蒲が生い茂っていたから「菖蒲池」だそうで。
周辺でもほとんど残っていない萱葺き屋根の家越しに富士山が覗き、
(西湖
でのほどではありませんですが)ほんの少しだけ「逆さ富士」に。
もっと「逆さ富士」が大きく見えるためには池に入り込まないといけませんので、諦めましたが。
ここまでで「六海」ですけれど、ひとつ「底抜池」というのが囲われた塀の中にあり、
「榛の木林資料館」に入場料を払って入らないとたどり着けないのですなあ。
見た目浅そうでいて、その実「池底には泥が厚く堆積しているので真の深さは不明」とな。
その名に違わず底抜け池であるようで。
さて最後のひとつが案内板にも徒歩15分と書かれていた「出口池」でして、
名前のわりにはここが一番霊場であるそうな。
集落の出口にあたる位置にあるということは、来訪者には入口になったのかもですね。
と「忍野八海」をひと通り巡ってみたですが、
どうもこの手のものはスタンプラリー的についつい次を急ぐようになってしまい…。
もっとも富士五湖の廻り方自体もそんなふうになってますが。