そろそろ富士五湖の話がでてこようかと想像された方がおいでかどうかですが、
それには今少しお時間をいただくとして、旅に先立ち読響の演奏会 を聴いたというさらにその前、
ここ数年吉例にしている七福神巡り をしたのでありました。
(読響を聴きに行ってるのと同じ友人と毎年廻っているもので…)
ただ年明けも七草を過ぎると、それ用にご朱印を頂戴できる七福神には限りがあり、
しかもコンサート前の、ほどほどの時間でひとまわりできるところとの条件はなかなか厳しい。
で、そんな条件に叶うものとして2016年は「深川七福神」を歩いて廻ったのでありますよ。
スタートはいまだ正月の風情の残る富岡八幡宮でして、
両親と住まっている頃にはよく「元朝参り 」にも来たことがありますし、
一昨年もここで伊能忠敬像 にお目にかかったりもしていて、お馴染みの場所ではありました。
本殿を左側に廻り込んだところに恵比寿神が祀られているのですが、
これまではついぞ気付いておらず。
そんな恵比寿神に参り、七福神用の台紙を得て、いざ出発です。
二番目に参りましたのは弁財天を祀る冬木弁天堂でして、
木場で材木を扱った豪商の冬木家が邸内に弁天様を安置したのが始まり。
何でも尾形光琳
が江戸に出てきていた折に寄寓していたのが冬木家であったとか。
往時はさぞや羽振りの良い大店だたのでしょうなあ。
三番目は福禄寿を祀っている心行寺で、こちらには五世鶴屋南北の墓所があるとのこと。
もっとも鶴屋南北と言えば四世南北のことで、五代目から祖父に当たるのだそうな。
役者としては祖父作「絵本合法衢
」に出演したと言われますから、上手だったのでしょうね。
四番目は大黒天を祀る円珠院でしたですが、ここから次へと向かう道すがら、
同じくらいの区画で住宅が並ぶ中にやおらひと区画だけお墓という場所に出くわしたのでありまして。
ここは樺太探険で有名な間宮林蔵の墓所だということですが、
富岡八幡宮の近くに住まっていた伊能忠敬
に測量術を習っていたりしてますので、
近辺は馴染む土地柄でもあったのか、深川蛤町(現在の門前仲町付近)で晩年を過ごしたとか。
墓所がここにあるのはそのせいなのですなあ。
と、五番目に毘沙門天を祀っている龍光院、
六番目には布袋尊を祀る深川稲荷神社と続いていきます。
神社の裏手には小名木川が流れておりまして、舟運
頼みの江戸期にあっては舟の往来が激しく、
あたりには舟の修繕や造船を手掛ける船大工が多く住んでいたそうな。
小さなにお社に並んだ行列のご先祖たちは舟作りの名人たちでありましょうか…。
さて七福神の最後にお参りするには、その小名木川を越すことになりますが、
渡った橋が万年橋。広重
が大写しの亀とともに描いた場所でありますね。
(アングルとしては反対側から隅田川、そして富士山を遠望する方向ですが)
万年橋の向こう側は松尾芭蕉ゆかりの地
であったりするところながら、
その辺は以前にも訪ねたことがありますので、今回は端折ることに。
とまれ、最後の七番目となる深川神明宮にやってきました。
こちらは寿老神を祀っているのですけれど、徳川家康
が関東に来る以前からの由緒とか。
全くのちなみにながら、門前には歴史を語る教育委員会の解説板が建てられておりまして、
日本画家の伊東深水
はこの門前が誕生の地ということでありますよ。
深水の描く美人画の世界は、どうも下町という土地柄としっくり来ない気もしますけれど、
まあそれはともかく、深川七福神を訪ね参って2016年もまた良き一年となりますかどうか、
お慰みでございます。