明けましておめでとうございます。
どうぞ本年もよろしくお願い申し上げます。
皆さまは清々しく新年をお迎えでございましょうか。
個人的には手近に自転車圏内の(何のゆかりもない)村社にでも初詣に出かけるだけで
一日が終わるくらいに緩やかに過ごしておりますよ。
ところで、初詣で唐突に思い出しましたが(今まで何年も思い出さないのが不思議なくらい)、
「初詣」のことを両親は「元朝参り」と言うのですね。
(読みとしては「がんちょうまいり」ですが、両親的には「がんちょまいり」)
両親が使うので子供の頃から耳馴染みのこの言葉、改めて考えると誰しもが使う言葉でないようす。
思い立って検索してみた結果、どうやら「方言」の類いに入るようでありますね。
両親は両親ともに茨城県の出身。
そして、この「元朝参り」という言葉は茨城から宮城にかけて、主に海沿い方面で使われている由。
両親の故郷は、茨城県でも決して海沿いの地方ではなく内陸ですので、いささか不思議ですけれど。
方言に関しては、
柳田國男の「蝸牛考」に示されているような中央から同心円状の広がりがあるようでして、
人通りが多くていろいろな言葉が飛び交っているところでは言葉の変化が激しい一方、
遠隔地では新語の伝播から取り残されて古い形が残っているというような。
こうしたことは欧州でも言えることなのか、
「飲む」を意味する言葉が英語で「drink」、オランダ語で「drinken」、ドイツ語で「trinken」。
最初はドイツが言葉の変化に取り残されているのかと思いましたら、実は逆で
ドイツ本体で「d」音が「t」音に変化していったのが、遠隔のオランダ、イングランドでは
古い形のまま残ったとみるべきのようですね。
(英語の「garden」、ドイツ語の「garten」なども同じかも)
と、やおらドイツ語の話になってしまいましたが、元へ戻すとして、
「元朝参り」という言葉は同心円状の広がりとは言えないように思えます。
何らかのつながりある人の群れが点々と集住したことによるのか、あれこれ考えても答えはでない。
ただ、少なくとも共通語でないことだけは今更ながら気付かされたわけですが、
明日は両親のとこへ顔出しに参る予定ながら、この話は黙っていようかなと。
そんなことでびっくらこかしてどうするてなものでありますよ。
ということで、新年のご挨拶にまかりこしましたけれど、
今しばし正月休みを頂戴し、普段の生活(ブログ)に戻るのはもそっとゆるりということに。
では、また。


