…ということで 、連休中は留守にして富士五湖方面に行っておりました。


早速にも旅先で見聞きしたもののお裾分けを…とは思うところながら、

このほどの旅は先発組に後から合流と申しておりましたように、

合流前のお楽しみがありましたもので、時間を巻き戻すのをそちらの方まで。


そもそも遅れて合流とは、読響 の演奏会があっての故でありまして、

まずはそのお話ですけれど、2016年年明け早々のプログラムは

ワーグナー のマイスタージンガー前奏曲、ヒナステラのハープ協奏曲、

そしてドヴォルザークの新世界 という具合でありました。


読売日本交響楽団 第183回東京芸術劇場マチネーシリーズ


相互に脈絡のある選曲ではないものと思われますが、

マイスタージンガーは賑々しく派手な様子で、

ハープの独奏は華麗な雰囲気がお正月っぽいということでありましょか。


そして、「新世界より」は「新年」との「新」つながりなのか、

新春コンサート的な他の演奏会企画でも取り上げられることが多いようで、

年末は第九 、年明けは新世界てなパターンが出来つつあるのやも。


とまれ、そんなパターン化をも想像させる「新世界」ですけれど、

今回のミヒャエル・ボーダー指揮による演奏は実に見事なものでありまして、

いささか手垢のついた感のある「新世界」を聴いた後とは思えない満足感に浸ったのですよ。


何故これほどに…という理由のほどは、実のところ非常に個人的なとも言えようかと。曲の滑り出しから最後の最後まで「『新世界』はこうでなくっちゃ!」的な

イメージ通りの演奏であったからなのですね。


テンポやフレージング、

また楽器間のバランスで「ここはどの楽器がしっかり聴こえてきてほしい」といったことごと。

仮に自分でオーケストラを指揮したならこうするだろうなということをみんなやってくれいるわけです。

(もっとも、その機会も技量もありませんが)


と、これだけではどんな演奏であったのか、想像もつかいないことと思いますが、

一言でいえば、大変にオーソドックスな演奏とは言えそうです。

昔ながらのロマンティックさを持ちながら、

やり過ぎると臭くなることを弁えて、どこをとってもソツが無い。


こう聞くとむしろ「詰まらないのでは…」と思うやもながら、

オケも演奏し慣れた曲であろうに流してしまっているわけでなく、

むしろきちんと向き合わないとできない絶妙なバランスに貫かれていたといういうべきですかね。


とにもかくにも、自分の中で「この曲はこう」と思っていたイメージを

実際に音として聴かせてもらったと思ってくださいまし。

小躍りするのも致し方無しと思っていただけようかと。

2016年の聴き初めはそんな得難い体験であったのでありますよ。



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