「ルドンの黒」。
この言葉は2007年にBunkamuraザ・ミュージアムで見た展覧会のタイトルでもありましたけれど、
画家オディロン・ルドン(1840~1916)を特徴づける点で夙に有名なようで。


ただ、個人的にはブリヂストン美術館の所蔵する「神秘のかたらい」のように

透明な色彩に裏打ちされた、沈思黙考するような世界がより早いルドン体験だったのでして、
マックロクロスケのような異形が全面に展開される「ルドンの黒」には

いささか戸惑いしたところでもあります。


時系列的には一般に「ルドンの黒」と後に呼ばれる特徴的な作風からルドン受容が始まって、
その先に色彩のルドンがあるのだとすれば、両者をきちんと受け止める必要が

あるのだとは思うところです。

で、黒のルドン、色彩のルドン、その双方を見る展覧会「オディロン・ルドン -夢の起源-」が
新宿の損保ジャパン東郷青児美術館で開催中ですので、観てきたのでありますよ。


オディロン・ルドン展@損保ジャパン東郷青児美術館


フライヤーにはやっぱりマックロクロスケ(正式には「蜘蛛」)があしらわれていますけれど、
色彩のルドンもたくさん展示されていますし、

さらには遅咲きのデビュー以前の習作(と言っていいのかどうか)から

生涯をたどれるようになっています。


ルドンが少年期に教えを受けたスタニスラス・ゴランは水彩を能くしたものらしく、
会場にも水彩画3点が展示されていますけれど、

やがてルドンが色彩を取り戻したときに「透明な色彩」と先に言ったような絵を描くことになるのは

ゴランの影響が沈潜していたのかもしれませんですね。


また、ゴランはルドンに

「絵を描くのはテクニックでなく感性」であることを教えた(吹き込んだ?)ようでして、
後にパリに出てアカデミックな絵画修業(ジェロームが先生であったとか)を受けるも、
くっきりした輪郭線を持ってかっちり仕上げる体の絵画はルドンに合わなかったのか、
またゴランの教えどおりにそれこそ自分の感性を信じて描きたいと思ったのか、
25歳にしてパリでの挫折を感じ、生地ボルドーに戻ってきてしまうのですね。


そこで出会ったのが「放浪の版画家」と言われるロドルフ・ブレスダン。
普段放浪している人がたまたまにもせよボルドーにいたのだとか。

小画面の版画作品にロマンティックな空想をくりひろげるブレスダンの芸術世界から、彼(ルドン)は強い影響を受ける。

こんなふうに会場内の解説にあるように、ルドンはブレスダンに師事することになるのですね。
穿った見方をすれば、パリで挫折したアカデミックな油彩画から離れたいという
意識も

ルドンにはあったのかもしれません。


それにしてもこのブレスダンですが、ここで初めて知った作家なのですけれど、
その版画は緻密であるだけでなく、見入らせる力を持つ作品だなと感じ入った次第。


これに倣うルドン作品も並べて展示されてますが、やはりまだまだの印象ながら
それでも簡略的に描かれた人物像(緻密さと相反しますが)等には

先にも触れた「神秘のかたらい」のような後のルドンらしい色彩作品を思わせるところがあるのは、

この辺の幻想味がルドン固有のものなのだと思うところです。


版画も製作しながら油彩画も描きながらでしょうけれど、
そんなこんなの画家修業を重ねているうちに時は過ぎ行き、

1879年、ルドンが39歳になった頃にようやくにして

ルドンの(一般の目に広く触れるという点で)デビュー作となる石版画集「夢の中で」が

出されることに。


時代背景としては普仏戦争(1870~1871)に敗れたフランスの沈滞状況に続く、

世紀末的な世相の反映と「ルドンの黒」は期を一にするようなところがあったようですね。


ただ世紀末は暗いばかりではなく、

ウィーンでもミュンヘンでもロンドンでも世紀末芸術は百花繚乱の様相を呈する中にあって、
ルドンも1890年代に色を取り戻していったようです。

そして描かれた「神秘的な騎士」(1894年頃)や「アポロンの戦車」(1909年)。

オディロン・ルドン展@損保ジャパン東郷青児美術館 フライヤーより


パステルを使うことで独特の光が目に飛び込んでくるのが

「おお、ルドン!」と個性を感じるところですし、片や静謐、片や躍動を描いて、

よもやマックロクロスケと同じ作家の作品とは思えず(失礼!)てな気も。


ということで、ざぁっと展観してきましたですが、
近頃は置き場も無くなって買い控えている図録を

やっぱり買ってしまった「ルドン」展なのでありました。