石川県で引き寄せ!

石川県で引き寄せ!

生まれ育った北陸・石川の地で、「引き寄せ」に出会い、そこから本来の自分自身に戻っていく・思い出していくことを記していきます。

今日は七夕で、

 

1年に一度織姫と彦星が会える日という勘違い(?)をして、

 

雨の多いこの時期はなかなか会えないだろうな~

 

と子供心に思っていたのですが、

 

本来は旧暦の7月7日であると知ると、

 

今の8月なので、そりゃ会える確率高いな~

 

となりますね。

 

 

新暦(太陽暦・グレゴリオ暦)を使っていると、

 

いろいろな誤差が生じているので、

 

暦を基にしたアレコレは、

 

その旧暦に沿ったものであることが前提ですよね。

 

 

 

・・・

 

 

前回のブログにも重なりますが、

 

地上では雨や曇りでも、

 

その上では遮るものはないので、

 

七夕でもそうじゃなくても、

 

織姫と彦星はちゃんと会えています。

 

 

地上の居る自分達から見て、

 

「星が見えないな」と感じているから、

 

残念な七夕まつりになるわけです。

 

 

実際は雲の上や地球から出てみると、

 

織姫・彦星はそこに在って輝いているわけですから。

 

 

 

無理やり引き寄せや潜在意識的に言うと、

 

曇り空や雨は、エゴ的な扱いのものになりますね。

 

 

フッと湧いてきて、

 

自分達の視界を遮り、

 

遠くまで見渡せなくなって、

 

本来在る姿・状態を隠してしまうわけですから。

 

 

雲ひとつない空を本来在るべき姿と例えるなら、

 

雲や雨は自分の思考となります。

 

 

どんよりした曇り空なのか、

 

しとしと降っている時雨なのか、

 

大降りの激しい雨なのか、

 

その時の人それぞれです。

 

 

地上から見てどんな状況であっても、

 

その雲の上では晴天が拡がっています。

 

 

自分の心や頭の中が、

 

その晴天状態なのが、

 

本来の自分の姿なんでしょう。

 

 

 

 

たとえ晴天であっても、

 

日射しが強い・弱い、

 

風が強い・弱い と

 

文句を言ってしまうこともあるわけです。

 

 

それも本来在る姿からは少し離れたものと言えますね。

 

 

文句を言う、

 

不快に感じる、

 

そういったものも、エゴ的な役割ですから

 

フッと出てくるものです。

 

 

 

自分の本来の状況から離れた途端に、

 

雨雲が湧き、風が強くなり、日差しが照り付けます。

 

 

そしてそれを不快だと感じ、文句が出ます。

 

 

その天気の上の世界では、

 

穏やかな晴天が拡がっているわけですが、

 

地上世界では悪天候や猛暑に感じています。

 

 

 

「実際、今の時期はそうなんだよ」

 

という気持ちが湧いてくるでしょうが、

 

 

地上も天空も同じ世界にあるので、

 

悪天候と晴天は同時に存在しています。

 

 

猛暑も心地よい日も同時に存在していますから。

 

 

自分の見え方からそう見えないだけで、

 

実際には存在しています。

 

 

 

エゴが見えなくしているだけ

 

 

と無理やり潜在意識チックに書いてみましたが、

 

 

まぁそういうことですね。

 

 

エゴは反応しているだけですから。

 

 

それを自分自身の真実だと思い込み、

 

自分の世界はなんてヒドイ世界なんだと、

 

錯覚し落ち込む流れです。

 

 

 

その世界の上には、

 

穏やかな晴天が拡がっているのが常ですが、

 

 

見えないから無い、そうではない

 

と自分で決めてかかっているわけです。

 

 

 

一週間ずっと雨の日が続くこともあれば、

 

今月下旬~来月にはずっと晴れの日が続くこともあります。

 

 

ただそれだけのことですね。

 

 

 

晴れも曇りも雨も、

 

全部同時に存在していますよ。

 

 

自分からは見えていないだけの話です。

 

 

 

見えてないから無い

 

 

そんな錯覚は捨ててしまいましょう

 

という夏にしたいですね。

 

 

 

・・・終わり・・・

天気が悪いからと言って、

 

太陽が無くなったわけではありません。

 

 

太陽が無くなった時点で、

 

一瞬で闇になり、地球上の気温が一気に下がり、

 

生命のほとんどが生きていけない状態に陥ります。

 

 

今生きているということは、

 

太陽が在るということの証です。

 

 

 

 

夜は太陽が無くなったわけではなく、

 

自分が今居る場所からは見えなくなっているだけのことです。

 

太陽が無くなると、

 

上記のようなことが起こるので、

 

朝起きることができているということは、

 

太陽が在るということの証です。

 

 

 

 

春の太陽、夏の太陽、秋の太陽、冬の太陽、

 

それぞれ同じひとつの太陽です。

 

 

地軸の傾きや太陽との距離等の複雑な絡みの中で、

 

日射しの強さ、気温の上下、日光の色など、

 

違うもののように見えますが、

 

ぜんぶ同じ太陽を見ています。

 

 

自分の体感としての「差異」を感じているだけの話です。

 

 

 

今回はあくまで太陽の話ですが、

 

自分自身の願望や目標や求めているモノに

 

似たような感覚を感じていると思います。

 

 

 

無いから叶っていない

 

無いから持ってない・できていない

 

 

 

元々存在している・達成しているという前提で、

 

 

雲がかかって見えていないのか、

 

夜になって見えていないのか、

 

冬だから寒くて辛いのか、

 

夏だから日差しが強すぎて暑いのか、

 

 

自分でその前提を隠してしまっていることがある

 

ということですね。

 

 

 

まあこの辺はいろんなブログや書籍やネットやらで

 

いろいろな方がいろいろな角度で説明されていることと思います。

 

 

 

今日はふと、

 

梅雨に入る前の今の時期に太陽が出たり出なかったりすることから、

 

このテーマで書いてみました。

 

 

 

太陽はずっとあるんですよ~!

 

自分から見えるか(見えないか)

 

感じられるか(感じられないか)の違いだけ

 

ということで。

 

 

 

 

・・・終わり・・・

 

 

 

ゴールデンウィークが終わり、

 

世の中は通常に戻っていく日々ですが、

 

 

季節は「夏」に向かっていて、

 

外国の学校などは「卒業」に向かっていて、

 

ヨーロッパサッカーはシーズン終盤で、

 

アメリカバスケもシーズン終盤で、

 

反対に日米の野球はシーズン序盤で、

 

2か月後のパリオリンピックに向けて準備している選手が居て、

 

大相撲夏場所を控えている力士が居て、

 

 

と数えきれないくらい「現在進行形」の流れがあります

 

 

目に見えている部分もあれば、

 

意識しなければ見えない部分もあります。

 

 

意識しているしないに限らず、

 

目に見える見えないに限らず、

 

 

この世界のいろいろなモノは、

 

現在進行形で動いている

 

 

という気持ちでいてください。

 

 

 

今、上手くいっている人、

 

今、上手くいっていない人、

 

 

関係なく、

 

 

現在進行形でモノゴトは動いています。

 

 

 

桜は急に咲くように見えますが、

 

散ってすぐ、来年また咲く準備に入ります。

 

日本各地で3~5月に咲きますが、

 

残りの6~2月は何もしていないわけじゃなく、

 

目に見えない部分(地中・木・幹の中)で、

 

次に咲く準備に入っています。

 

 

「咲く」という形は急に起きるわけじゃなく、

 

咲くまでの準備期間があるわけですね。

 

 

その間は、常に現在進行形で動いています。

 

 

それに意識が行っていないだけ、

 

目に見えていないだけということです。

 

 

 

何も心配せずに、

 

モノゴトは現在進行形で動いているんだな

 

どんどん進んでいるんだな

 

 

という気持ちで日々を楽しく過ごしてください。

 

 

花が咲く時が必ず来ますから。

 

 

 

その期間を辛く苦しく過ごすのではなく、

 

その期間も楽しく過ごしていきましょう。

 

 

そのほうが、

 

楽しい日々だったと思えるでしょうから。

 

 

 

 

・・・終わり・・・

前回に続き、お金関連のことで。

 

 

 

☆お金に好かれる魔法の言葉☆

 

 

引き寄せ臭がプンプンする香ばしいネーミングですね 笑

 

2010年代の引き寄せ系の書籍なんかでよく目にしたフレーズです 笑

 

 

 

今さらそんな言葉かよ!と思うかもしれませんが、

 

ファッションなどと一緒で、

 

一周廻って新しく感じたり、

 

10年経って、以前を知らない世代が参加したりするわけです。

 

 

だから、古い、使い尽くされたモノでも、

 

目新しさを得たりするものです。

 

 

 

ということで、

 

 

☆お金に好かれる魔法の言葉☆

 

 

 

お金を支払う時に、

 

「今までありがとうね。」

 

「次も仲間をたくさん連れて帰ってきてね。」

 

 

この2つでOKです。

 

 

 

どうですか、

 

久しぶりに聞いた言葉でしょう 笑

 

 

この10年前後の引き寄せ系書籍で書かれていたフレーズじゃないでしょうか。

 

 

以前は続けていた人も居るのでは?

 

今は辞めちゃった人も多いのでは?

 

 

なぜ辞めちゃったのか?

 

 

しばらくやってたけど効果がなかった!?

 

なんとなく辞めちゃった!?

 

なかには

 

もうたくさんお金あるからやってないよ

 

という人が居るかもしれませんね。

 

 

 

 

いろんな理由があると思いますが、

 

一番は、

 

「続かなかった」が本音でしょう。

 

 

 

続かなかったから効果が無かった

 

という部分もあると思います。

 

 

 

いろんな前置きや蘊蓄は置いといて、

 

 

今までの引き寄せ系で覚えた知識や経験をいったん置いといて、

 

真っ新な気持ちで覚えて帰ってください

 

 

 

☆お金に好かれる魔法の言葉☆

 

 

お金を支払う時に、

 

 

「今までありがとうね。」

 

「次もたくさん仲間を連れて帰ってきてね。」

 

 

この2フレーズです。

 

 

声に出してもOK、

 

ココロの中でつぶやくのでもOKです。

 

 

お金を使う時に、毎回ですよ。

 

 

今だとキャッシュレス、スマホ決済などもありますから、

 

それもその都度ですね。

 

 

もう「クセ」になるくらい最初は意識してくださいね。

 

半月~3週間もすれば、

 

習慣・無意識に呟いているんではないでしょうか。

 

 

もし忘れても、

 

「あ、しまった。言い忘れた」とか考えないでいいですよ。

 

別に罪悪感なんて要りません。

 

次の機会からまた始めればいいのですから。

 

無駄に罪悪感を上塗りしていく必要はないです。

 

 

どんどん支払う度に、

 

お金にありがとう、

 

たくさん仲間を連れてきてね。

 

そう伝えていくだけです。

 

 

その積み重ねです。

 

 

 

ほんとに好かれるようになりますよ。

 

続けてみてください。

 

 

☆お金に好かれる魔法の言葉☆

 

 

今日はこれを覚えて帰ってくださいね。

 

 

 

これが☆お金に好かれる魔法の言葉☆と思って使うのと、

 

ただ言うのとでは全然違いますから。

 

 

この2つのフレーズは、

 

☆お金に好かれる魔法の言葉☆ですから。

 

 

そう想って、

 

これから使ってみてくださいね。

 

 

 

・・・終わり・・

皆さんの周りでも、

 

 

「お金ないな~」とか

 

「お金無くなっちゃった~」と

 

言っている人が少なからず居るのではないでしょうか。

 

 

 

財布の中身が少なくなったから「お金が無い」

 

口座の残高が少なくなったから「お金が無い」

 

 

そういう意味だと思うのですが、

 

 

本当の意味で「お金が無くなる」時は、

 

泥棒か強盗にお金を取られた時か、

 

自分でお金をゴミ箱に捨てたり、燃やした時くらいでしょう。

 

 

それ以外の「お金が無くなる時」は

 

何かの対価としてですから。

 

 

 

どうしても、

 

目の前や手にしているお札やコインを見て、

 

それが無くなる(=渡す)時に、

 

「お金が減った~」

 

「お金が無くなった~」と

 

感じるわけですが、

 

 

必ずお金を渡していることに対しての

 

対価・リアクションとしての「何か」を得ているわけですから、

 

まったく何かが無くなった

 

ということはありませんね。

 

 

 

「支払い」ということは、

 

対価として何かを得たことへのものです。

 

 

お金だけが向こう側に動いているわけじゃなく、

 

お金の代わりに自分のところに何かがやってきています。

 

 

その得ている何かに意識が向いていることが少ないからこそ

 

出てくる気持ちが、

 

「お金が無くなった」ですね。

 

 

無くなったわけではありません

 

形を変えて私が得ました。

 

 

取得しました

 

与えられました

 

自分のところにやってきました

 

 

お金が単独で動いて、居なくなったわけではありません。

 

 

必ずお金の動きと同調した動きがあります。

 

 

そのこちら側にやってきたものへの想いや感謝が

 

さらに増幅していきます。

 

 

毎日その繰り返しですね。

 

 

 

これがお金の引き寄せだ!

 

という言うつもりはありませんが、

 

 

心持ちのひとつということで。

 

 

 

・・・終わり・・・

前回のブログ記事では、

 

願望実現は自己完結だ

 

と書きました

 

 

 

今回はその派生記事で、

 

「答え合わせ」を止める

 

ということです

 

 

 

答え合わせということは、

 

自分の「外」に答え=正解があって、

 

自分が出したものがそれと照らし合わせて、

 

合っているか・正解か・合格か等々の

 

合否・成否を見る行為です。

 

 

 

「外」に正解があり

 

「内」から出したモノが正解かどうかわからない

 

 

これを前提にした行為が

 

「答え合わせ」です

 

 

 

「外」の答えを前提にしている以上は、

 

合っていたり間違っていたりするでしょう。

 

 

 

願望実現は自己完結

 

という立場で行けば、

 

 

「外」の答えは別に特別視するほどのものではありません。

 

 

「内」の答えが正解であり、大事なのですから。

 

 

答え合わせそのもの自体、

 

特に必要な行為ではなくなります。

 

 

 

答え合わせは

 

自分の「内」なるモノとのすり合わせのみ。

 

 

外の「答え」を基準にするものではないのです

 

 

どうしても、

 

外に「答え」があってそれを求めるのが自分の願望だ

 

と思い間違いすることが多いのです。

 

 

 

答えはそもそも「内」にあり、

 

その実現も「内」で完結するのであれば、

 

「外」への答え合わせそのものが必要ないものです。

 

 

 

答え合わせに意識が行って、

 

「外」ばかり見ないように。

 

 

答えも「内」、

 

その実現も完結も「内」です。

 

 

となると、

 

意識の向く方向も常に「内」であるわけですね。

 

 

答え合わせを「外」に向けることは無くなります。

 

 

ぜ~んぶ「内」でした。

 

 

昔から節分で言いますよね。

 

 

「鬼は外、福は内」

 

 

福はいつも「内」にありました。

 

 

 

・・・終わり・・・

最近ふと想うのが、

 

 

願望実現って、

 

「自己完結」なんだろうな~

 

ということです

 

 

 

願望実現というと、

 

何か「外」に結果が出て、

 

それを確認したことによって、

 

自分の「中」で受け止めるわけです。

 

 

 

 

だから、

 

いろいろなやり方や在り方を

 

ネットや書籍、セミナー等で知りたがることが多いのですが、

 

 

そもそも、

 

それだと常に「外」に意識(答え)があって、

 

それを求めて彷徨うことが多くなることで、

 

いわゆる難民と呼ばれる人が多くなっていきます。

 

 

 

答えが「外」にある

 

自分の「外」に求めるものがある

 

 

こういう意識が、

 

いろいろな遠回りを引き起こしているように思います。

 

 

 

そうではなく、

 

願望実現とは

 

自己完結なんだよ~ということ。

 

 

 

願望も自分の「中」に生まれるもの

 

その実現状態も自分の「中」で受け取るもの

 

 

「外」はあくまで「外」の状態であり、

 

それは自分とはあまり関係ないモノです。

 

 

 

常に「中」に正解や世界があるのなら、

 

自分の求めるモノや状態は、

 

「中」に在るわけですから、

 

 

自己完結であることが願望実現の下支えみたいなものです

 

 

 

自分の中で生まれ、

 

自分の中で受け取り、

 

自分の中で満たされる。

 

 

願望実現は「外」に求めるものではなく、

 

 

常に「中」ですべて完結するものだよ~

 

 

というお話でした。

 

 

 

 

・・・終わり・・・

「遠慮しない」

 

 

なんとなく、

 

みんな「遠慮している」気がします。

 

 

自分のことなのに、

 

周りを見てから決めるとか、

 

状況を鑑みてこうするとか、

 

 

自分優先ということを後回しにして、

 

周り優先

 

気をつかう

 

遠慮する

 

 

こういう日本人らしさが多いのかなと。

 

 

 

日本人らしさを発揮するところは他にたくさんありますよ。

 

 

自分のことを遠慮しても仕方ないですよ。

 

 

もっと自分のことを大事にしてください。

 

 

 

自分の夢や願望など

 

 

自分にとって大切なことには

 

遠慮してはいけません。

 

 

 

我を通せということではありません。

 

 

遠慮するな!ということです。

 

 

遠慮していたら、

 

自分のところに廻ってくるものも来ませんよ。

 

 

遠慮せずに、どんどん行け!

 

 

ってことですね。

 

 

 

その勢いが、

 

 

自分の運勢も運命も何もかもを

 

動かしてくれますよ。

 

 

 

 

・・・終わり・・・

今年は「連休当たり年」です。

 

カレンダー3連休が毎月のようにあるし、

 

GWもお盆も年末も長期連休になりやすいです。

 

立春が過ぎ、冬の寒さもピークになっていますが、

 

もう少ししたら春になりますよ。

 

 

・・・

 

 

新しい職場に行って3か月以上経つのですが、

 

やはり最初の頃はモヤモヤしていましたね。

 

 

10年以上働いた職場から変わるのですから、

 

その変化に戸惑うのも当然です。

 

働いていても「うーん・・・」という気持ちが出てくるのですが、

 

その正体が言うほどハッキリするわけではないのです。

 

なんとなく「うーん・・・」というだけです 笑

 

 

これが変化への戸惑いの症状ですね。

 

 

前の方が良かった・・かな(←そもそも前も良かったのか?)

 

という気持ちもありながらモヤモヤするのです。

 

 

 

 

ずっとモヤモヤしても仕方ないので、

 

少し時間をとって、

 

 

今の職場のイイとことそうではないとこを

 

書き出してみました。

 

 

熟考して出す答えではなく、

 

瞬間的に浮かぶ答えです。

 

ワンフレーズ・ワンセンテンスで答えていきました。

 

 

ここで出てくる答えで、

 

イイとこというのは、

 

以前の職場よりも良くなった部分ですよね。

 

そうではないとこというのは、

 

以前のほうが良かった、もしくは思っていたのと違った

 

という部分です。

 

 

A4の紙の右半分・左半分で線を引き、

 

思い付いた答えをどんどん書いていきます。

 

想いつかなくなるまで。

 

似たような言葉が出てきても関係なく書いていきます。

 

 

そしてこれ以上は出ないな~と想ったらそこで終了。

 

 

イイとこ/そうでないとこ、

 

どちらが多いのかは一目瞭然です。

 

 

 

私の場合は、

 

イイとこのほうが多かったです。

 

 

ということは、

 

今の職場のほうが良いと感じてるわけですね。

 

 

これでモヤモヤは取り払われました。

 

 

「少ない」そうではないとこに意識や目が行き、

 

気持ちが持って行かれているわけです。

 

 

本当はイイとこのほうが断然多いのに。

 

 

頭で考えていても、

 

イイ方というのはなかなか意識が定着しにくいです。

 

悪いほうの方が意識が定着しやすいです 笑

 

 

 

それを目で見るという客観的視点で見るわけですね。

 

 

主観は悪いほうが勝っているけど、

 

客観的に見たらイイほうが勝っている

 

 

そのことを素直に認めると、

 

途端にモヤモヤが晴れます。

 

 

そうなると、

 

その途端、そこは良い職場に変わります

 

良い職場に変わると良い仕事ができます。

 

良い仕事ができるとそこは良い職場だと感じます。

 

 

そのループですね。

 

 

 

自分のモヤモヤに振り回されず、

 

いったんその場から離れて、

 

自分とその周りを見てみましょう。

 

 

思っているほど悪くないと思いますよ。

 

 

ということは、

 

 

むしろ良い!

 

 

ということです。

 

 

 

・・・終わり・・・

前回のブログ内容からちょっと逸れた感じの内容です。

 

 

「明日が来るのを止められるか?」

 

 

「明日になることに抵抗できるか?」

 

 

 

このスピ界隈である程度過ごしている方々なら、

 

 

実際には「今」しか無いから

明日になっても「今」だよ

 

という答えが返ってくるかもしれませんが、

 

 

そういう概念的なことは置いといて、

 

 

明日になることに抗えるか?と聞かれたら、

 

ほぼ100%ノーですよね。

 

 

 

もっと言えば、

 

時間を止めることができないでしょう。

 

 

 

時間が早く感じる/遅く感じる

 

という体感的なことはあっても、

 

 

1分を60秒から80秒にすることはできないでしょうから。

 

※もしかしたらできる人が居るかもしれませんけど※

 

 

 

この次元で生きている以上は、

 

時間的な制約を受けるのは普通のことですし、

 

時間的な制約を受けているから

この次元に存在している

 

とも言えます。

 

 

 

そういう意味では、

 

私たちは決まったことの中で生きている

と言えるでしょう。

 

 

ある制約の中で生かされている

とも言えますし、

 

ルールの在る範囲内で存在している

とも言えます。

 

 

 

自分では100%自由だと思っていても、

 

その自由には少し制限がかかっているようなもの。

 

 

その制限は、

 

自分で決めたものもあれば、

 

外から決められたものもある。

 

 

 

その中で、

 

自分の自由な想いで日々を過ごしていく

 

というのが人生の歩み方になっています。

 

 

 

 

自分自身では、

 

「私は自分の想い通りに生きている」

と思っていても、

 

 

実は

 

その「想い通り」すら

何かに決められているかもしれません。

 

 

 

 

その辺は、

 

この世界(次元)を離れてみないとわからないものでしょう。

 

 

 

 

自分で歩んでいる と捉えている人も

 

自分は歩まされている と捉えている人も

 

 

どちらにせよ、

 

この世界(次元)で生きているのですから。

 

 

あとは、

 

その歩みを日々楽しめるかどうかですね。

 

 

 

 

・・・終わり・・・