●わが子の大学進学のためなら、喜んで学資保険や積立をするのに・・・。
●「モラハラ夫の悪影響から子供を守らねば!」という思いが招く悲しい現実とは?
●【質問】「好きなことを楽しむためには何が必要なのでしょうか?」
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夫婦だから
家族だから
親子だから
兄弟だから
友達だから
きっとわかりあえる
わかりあおう!
などと
「諦めたくない関係性にこだわること」
は、
「わかりあえなくても、それはそれ!」
「わかりあえないのも、あり!」
と考えるチョイスを奪ってしまう。
というか、そもそも
夫婦・家族・親子・兄弟・友達
だからこそ分かりあえない
というのもあっていい!
「夫なのに、なんでわかってくれないの?」
「親子なのに、分かり合えないなんて・・・涙」
「友達なら、理解し合えて当然」
「兄弟なら、わかってくれるはず」
などの思いは、相手への
「攻撃や憎しみ」に取って代わりやすいらしい。
そもそも人はわかり合えない!
だったら
「わかりあおうとすること」そのものを、
サクッと諦めてしまう!
相手が自分をイラつかせるのではなく、
「諦められない思い」が
自分をますますモヤモヤさせてるんやから・・・。
↓この病・疾患は、ホンマしつこい!笑
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●『しあわせに生きる覚悟』が、実は一番難しいのかもしれないのです。
●自分のことをどう思ってるか?が、自分がどうなっていくか?になるっぽい!
● ムカつくあいつや、ギャフンと言わせてやりたい奴が惹かれたあなたの波動とは?
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●すべての望みは叶っても、 理想の状態を手に入れても、 欲しいだけのお金があっても、幸せじゃない!
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想像してみて欲しいっ!!
もしも今、
なんの不満も持たずに、
すべてに感謝できて、
不安や不満もなくなり、
満足いく人生がずっと続いていくことを
確信して生きられるんやろか?
髪型が決まらない日のモヤモヤも、
年々増えるシワや、
体型維持の難しさを痛感するやるせなさも。
あの時あぁ〜しとけばよかった!
これさえできてたらな〜
もっと違うやり方があったのかも?
などの後悔も・・・。
全部吹っ飛んで、
晴れ晴れした毎日がずっと続くんやろか?
ほとんどの人の答えが、おそらくNo!!
どれほど若々しさを保っても、
どれほどキャリアを積んでも、
どんだけお金があっても、
どれほどの自由を手に入れても、
どんな恵まれた環境があっても、
めっちゃスゴイ豪邸に住んでも、
高級車を何台も所有しても、
別荘がいくつかあっても、
専属のシェフがいても、
365日違う服を着れても、
好きなだけブランド品を買えても、
エステ行き放題でも、
整形し放題でも、
家政婦さんをいっぱい雇ってても、
上には上がいて、
もっとスゴイ人は山ほど存在する。
「この程度じゃダメじゃん!」
「もっと頑張らねば!」
「もっとスゴくならなきゃ」
「負けたくない」
「まだアレを持ってない」
「まだここが不十分」
などの「不足感」が襲ってきて、
「もっともっと」
「まだ足りない」
という思いから、離れられなくなる。
または、逆に・・・
シンプルで、ミニマムな、
必要最小限の生活が良く見え始めて、
目の前にある豪華絢爛さを疎ましく感じて、
すべて捨てたくなったりする。
望みはすべて叶ったのに、
理想の状態も手に入れたのに、
欲しいだけのお金だってあるのに
なんか虚しい
なんか満たされない
なんとなく苦しい
不安がなくならない
周りの人々がうらやましい
こんなハズじゃなかった!
が、ずっと永遠につきまとう・・・。
セレブのような生活してないし、
人が羨むような豪邸にも住んでない。
家は安い賃貸、車は軽自動車!
安売りスーパーのチラシを握りしめて、
数十円、数百円の違いに命っ!!
ポイントカードや割引券はマストアイテム!
忘れて買い物した時は、底知れぬ屈辱感!
とくに高い志もなく、
これといってやりたいこともなく、
なんとなく続けてる仕事は、
生きるための手段であって、
やりがいなんてどこ吹く風〜笑
「このままでいいの?」
いいわけないじゃん!
「何がしたいの?」
それがわかってるならとっくにやってるわよ!
「やりがいを感じることって何?」
そもそもやりがいって何よっ!!
「好きなことくらいあるでしょ?!」
好きなこと?食べてダラダラして寝ることよ!
そんな自問自答を繰り返しながら、
料理するのも億劫で、
つい出来合いのおかずや弁当を買ってしまう。
人目を引くような美しい容姿でもないし、
スゴイ才能も学歴も
資格も経歴も実績もない。
ついでに要領も頭も悪いときたもんだ〜!
それでも
「なんにもない私」
になるのは怖くて
「何かしなくちゃ」
とガンバッテきたけど
結局、なんにもないままで落ち込む!
年齢だけを重ねても
諦められないまま
焦る気持ちを抑えられない。
それでもそんな自分を認めるのが怖くて、
何かの「証」を示すことが
人生の目的になってる気がする。
誰を納得させたいの?
誰を黙らせたいのか?
誰から承認されたいのか?
もわからへんけど
スッパリ諦めて開き直る勇気もない。
年齢を重ねて磨きがかかるどころか?
フットワークもどんどん重くなり、
すべてを手の届く範囲内に置いて、
できればコタツから出たくない。
倦怠感と疲労感もウナギのぼり。
長い不幸生活のおかげで、
性格もひん曲がってるし、
いちいち素直じゃなくてネガティブで
ついでに器量も悪いときたもんだ!笑
なんでも話せる友達なんていない!
いても友達の暮らしがよく見えて、
変に比べてミジメになるだけだから
話すのも億劫〜。
人の言葉を素直に受け取らず、
「どうせ私なんて」に変換してしまうのに
「誰も私の気持ちなんてわかってくれない」
とスネて同情を買うことに忙しい。
このまま、ただ時間が過ぎて、
誰にも見向きもされずに、
老いを止められず、
独り寂しく死んでいく〜!
そんな人生、ショボすぎる〜!
あぁ〜 泣けてくる!涙
だったら、ちょっと発想を転換させて、
「今この瞬間、この状態の自分を、とりあえず最高だと思ってみる」
っていうのはいかがなものか?!笑
「今」この瞬間の自分を
ショボいままでええことにしてみる〜!
ポンコツですが何か?
ズタボロおおいに結構!
私がショボくてあなたに迷惑かけました?
くらいの高飛車加減でちょうどええ〜!
自分にOK出そう!とか、
どんな自分にも⭕️をあげよう!とか、
そんな遠慮したこと言ってないで、
ポンコツ・ズタボロで、ショボいことを
最大の売りにする。
何かができるからスゴイんじゃない!
仕事ができるから素晴らしいんじゃない!
スゴイ実績があるからエライんじゃない!
役に立つ人間だから評価されるんじゃない!
と感じることに、力を注いでみる。
「ポンコツ・ズタボロ、ショボい私」
は、なんの役にも立たない上に、
邪魔で足手まといで、ゴミのような存在である!
きらびやかな世界とは程遠いし、
周りの友達みたいな充実した日々も送れない。
と考えると、どんどん確実にメゲる。
なんとなく目に見えてスゴイことをしてないと
社会に貢献してない感
に苛まれたり、
何かを成し遂げた自分
じゃないと生きてる価値ない
くらいの危機感に襲われてるけど、
視点を変えてしまえば
実は社会への貢献度ハンパない〜笑
「ポンコツ・ズタボロ、ショボい人」
の存在は、周りの人々に
優越感を抱かせることに
一役買ってたり・・・
ダメな人がいるおかげで、
大してすごくない人の良さが際立ったり・・・
安売りスーパーの売り上げに貢献してて、
出来合いのおかずやお弁当が
売れ残らずに済むのは、
ポンコツでズタボロでショボい、
家事や料理が苦手な人のお陰でもある。
何も成し遂げてない私が
何かを成し遂げた人を引き立ててる。
これらは
見えない・気づかれない・目につかない
「インビジボォ〜な社会貢献」
であるってことに、
気づく人が少ないし
なかなかスポットライトが当たらへん。
今のこの、
「ナニものでもないただの私」
を愛せずして
過去や未来の自分を愛せるわけがない!
今この自分にスポットライトをあてると
過去や未来のすべてが輝くってもんや。
視点ひとつ
意識ひとつ
心ひとつで
現実なんてどうにでもなる!
どんな風にも変えられる!
ってことを示し続ける
”生き証人”
として生きるのも
「なんにもない私ではない私」
っぽくて好き〜〜笑
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これは、
「子供だからこそ(親に対して)できること。」
「子供が(親に)すべきこと。」
「子供が(親に)しないでおくとええこと。」
として、置き換えることもできるな〜