親の背中を見て子供は育つ。


子供に何かをさせようとする時、押し付けたり命令したりして強要してはいないだろうか?

私も最初は、強要していた事がしばしばあった。


部屋の片付けや勉強など「やれ」と言っていただけだった。


しかし、命令するようなやらせ方ではあまりやらない、やった振りをしている事が多かった。

勉強しなさいと言っても、机の前に座って本を読んでいる振りをして、気が付けば寝ている事が多かった。


そこで、一緒に勉強する事にした。

分からない事があれば教える、すると自分の子供が何を理解出来ていないかが非常に良く分かる。


私自身が、すでに忘れている事も自分で気付くし、それを勉強し直すことも出来た。


もう一つ気づいた事は、一緒にやれば子供は動くと言う事だ。


掃除でも、俺はここを掃除するから、お前は自分の部屋を片付けろ と言って一緒にやった。

すると、子供はちゃんと掃除をする。

親が怠けてはいけない事を実感した。


そして、親がそう言う態度で子供に接すると、子供も学校で親の真似をする事も知った。

掃除当番などの時に、皆がなかなか動かない時に、自分から率先して掃除をしながら皆を動かすようになっていた。

考えて見れば、子供の屁理屈で「そんなら自分がやれよ!」と言う物があるが、自分でやりながら他の当番に掃除を促せば、この理屈は通用しない。


親が忙しいのなら、子供に手伝わせれば良い。

それが親子のコミュニケーションにもなる。

忙しいと言っておきながら、親がテレビを見ていては、子供も真似をする。

正に子は親の鏡である。


私は、自分の両親が喧嘩をしたり言い争っている所を見た事が一度も無かった。

その為、何処の家の両親も仲が良い物だと思っていた。

親が喧嘩をしたり、離婚問題で冷えた家庭がある事など知らなかった。


親の事を、ボロカスに言う友人が出来て、初めてそう言う家庭があることを知った。

私と同じように、仲の良い親の家庭の子は、私と同じ感覚を持っていた、

そいつは、親をボロカスに言う友人に「そんなに親の事を悪く言ってはいけない」と注意を促すのだが、同様にボロカスにいう別の友人は「親なんて物は・・・」と言ったように、やはり親に対する不満をぶちまけていた。


そして、そう言った友人の家に遊びに行くと、やはり家庭内が殺伐としている。


面白い事に、みんなの溜まり場は「家庭環境の良い奴の所」である。

皆が口を揃えて言っていた事が「ここが一番落ち着く」であった。

その家に行くと、必ず誰かが居る様な溜まり場だった。

これは、中学の時の話である。


そんな時に実感したのが、家庭の重要性だった。


私が結婚してからも、子供の前では絶対に言い争いをせずに来たし、子供が母親の悪口を言った時には、叱らずに家内の立場や考えを説明して来た。


その結果かどうかは分からないが、小学校から高校にかけて続いている事がある。

それは、学校の先生に親の話をする事だ。


懇談会の時などで、先生から「いつもお父さんの事はお子様から聞いています」と言われる。

学校の先生に、家での事を楽しそうに話すと言う行為が、高校に入っても続いている。


これが良いことなのか悪い事なのかは分からない。

親としては嬉しい限りだが、反抗期が無い事が一番心配だ。

18歳と言えば、反抗期が有るのが当たり前なのだが、これと言った反抗が見受けられない。

一緒に外出する時も、腕を組んで歩く始末だ。

反抗期は、親から自立する為に起きる心の変化である。


幼少の頃から、自分で起きて自分で学校へ行く、学費は自分で稼げ、等と教育してきた事で、これと言った反抗期も無くて自立の精神が養われているのか、単に親離れが出来ていないだけ事のか?判断が難しい所ではある。

とりあえずは、何事も自分で決めて自分で決断する、親の意見は参考程度で、自分の決断は自分で責任を持つと言う事を明確にやらせれば、自立の精神は養われるとは思う。



集団ストーカー―盗聴発見業者が見た真実 (晋遊舎ブラック新書 001)/古牧 和都