ニュースゼロを見ていたら、またまたネットいじめの問題をやっていた。
内容的には、学校裏サイトの事だ。
いい加減に聞いていたので、詳しい経緯は聞き逃しただ、なにやら相談した時に、友達が裏サイトでの書き込みを教えてくれたとか・・・
そりゃあ、一番疑うべきはその友達だろう!
聞かれるまで教えてくれない?・・・つまり、聞かれなかったら教えない?・・・それでも友達か?
友達なら、聞かれる前に教えてやるのが友達じゃないのか?
まあそんな事より、そう言った物の一番のポイントがある。
嫌がらせなどと言う物は、その人が嫌がらせと思わなければ、嫌がらせにならない。
嫌がらせと認識してくれない嫌がらせ行為ほど空しい物は無い。
ネット系の物も、その人が見てくれなければ、最初は憂さ晴らしで満足するのだが、本人が見てくれなければ万足出来なくなってくる。
ネット上で、死ね死ねと書いていて、現実の本人がそう言った書き込みを見ていなくて、普通にしているのを見れば、何とか見て欲しいと願う物である。
テレビでは、携帯サイトに死ね死ねが一杯書いてあるサイトを見せていた。
その友達が、そのURLを携帯に保存していたとすれば、その友達自体が、少なくとも書き込みも出来る立場に有る閲覧者であると言う事である。
それは、少なくともこの友人も、それを見て楽しんでいた一人であると言う事でもあり、それを相談されたからと言って教える事自体が不自然とも言える。
そして「嫌がらせと認識してくれない嫌がらせ行為ほど空しい物は無い」と言う心理と照らし合わせた時に、一番近い所にいるのは誰なのか?
上記の理由から、私なら最初にその友達を疑うだろう。
そして、事実関係を調べるのであれば、その友達からそのURLを何処で知ったか?誰から聞いたかなどを追求して、外堀を埋める。
「検索して出てきた」と言った場合は、十中八九その友達発進だろう。
そのSEOなどをやっている人なら検索キーワードを聞き、サイトをソースモードで見れば一目瞭然で嘘が分かる。
友達から聞いたと言った場合は、その友達をたどれば良い。
また、情報ソースを明かさない場合も、怪しむのは本人の場合が多い。
それでも分からなければ、その掲示板で引っ掛け書き込みをすれば反応が出る。
その基本的心理は、同じ事をされれば相手も同じ常態になると言う事だ。
まあしかし、全く接点の無い相手から、死ね死ねメールなど何通も私は頂いているし、ネット上で犯人扱いや意味不明の事も色々書かれている。
しかし、全く気にならないし笑って見ている。
怒る気がしないし、気にしても始まらない。
言いたい奴には言わせておけばよい。
自分に対して、様々な意見が有る事の方が当たり前だと思っている。
死ね死ねや誹謗中傷は、一つの意見としてしか捉えていない。
そんな書き込み程度で、不安になっている様では、社会人になったらやって行けない。
そちらの方が心配だ。
社会人になれば正に競争社会で、成績や実績だけが評価対象だ。
そんな中では、妬みも出れば悪口も出て来るし、いかにライバルの足を引っ張るかと言うドロドロの世界でもある。
信じていた部下が裏では自分を引き摺り下ろす為に画策していたなんて事も、経験してきた。
その度に、会社で社長と大喧嘩をして転職を繰り返した時期も有った。
慣れてくると、そう言う事も織り込み済みで物事を考えるようになる。
しかし、そんな事も馬鹿馬鹿しくなって来る。
結局、そんな事に惑わされずに、自分で隙を作らず自分の仕事をしっかりしていれば良いだけだ。
別の言い方をすれば、自分に隙が有ったのを他人のせいにしていただけだ。
そして、もう一つは秘密を作らない事だ。
秘密が無ければ弱みも無い、恥はかけば良い、恥かしいと思うから弱みになる、そんな物はさらけ出せばよい。
それで笑われるのもいいじゃないか。
背伸びもしなければ、誇張もしない、過大な評価も期待しない。
つまり、ありのままの自分でいるだけでよい。
まあ、年を取らないと分からない事かもしれないが、人の評価とはその人の言葉ではなく行動だ。
常日頃の自分の行動が、他人の評価になる。
噂などは消えていく物だ。
そんな噂に惑わされずに、自分の信じる事をまじめにやっていれば良い。
他人の風潮を気にすると言う事は、自分に風潮を気にするに値する事に心当たりが有ると言う事でもある。
このネットいじめなんて物も、ワザワザ「ネットいじめ」などと言う言葉が付けられて、新しい問題のような事になっているが、そんな物は掲示板では昔からある事だ。
それが低年齢化しているに過ぎないし、2chでも「厨坊」と言う言葉があるように、昔からある問題で今始まった事ではない。