サムネ    
平成28年11月場所は、大関豪栄道の横綱昇進がかかったこともあって、普段からテレビを見ない私でも、気になってスイッチを入れている。
無論、白鳳、日馬富士、鶴竜の三横綱は人品ともに優れ、日本人以上に日本人らしく好感を持っているが、国技である角界の頂点に国内出身の横綱が欲しいと感じる。
ところで相撲が公式文に登場するのが、日本書紀で第十一代「垂仁(すいにん)天皇」(BC79~AC70年)の御代で、野見宿禰(のみのすくね)と當麻蹶速(たいまのへはや)が対戦したようだ。
第十一代 垂仁天皇
以前は、垂仁天皇の史実性を疑問視する説もあったが、近年においてはその実在を認めることが多い。
ところで、この野見宿禰(のみのすくね)だが、兵庫県たつの市と東京都墨田区に野見宿禰神社があるようだが、近隣の住民でもない限り、戦後生まれにとって野見宿禰を知る人は少ないだろう。
テレビが普及するまでのラジオ放送では、度々浪曲(浪花節)が流れていて、広沢虎造(二代目)の渋い節回しと語りを耳にした。
虎造十八番の「石松三十石船道中」は、特にポピュラーだった為か、「旅行けば~」のフレーズは、銭湯などで聞くこともあった。
中には、冒頭の唄だけでなくセリフまで語る年寄りが、「武蔵坊弁慶と野見宿禰が相撲を取ったらどっちが強い」という語りが気になった。
弁慶とノミが相撲を取っても相手にならない・・・と思いながら、お湯に浸かっている爺さんに聞いてみると、ノミ、シラミのノミではなく、野見宿禰と云う大昔の相撲取りであったことを聞かされた。
その爺さんに「学校に行って、何勉強してんだ」と怒られる始末であった。
尋常小学校で教育を受けた戦前世代で、野見宿禰は普通に知られているようだった。
後に知ったことだが、三代目神田伯山の講談「名も高き富士の山本」(初演:明治40年)で語られたものを、初代玉川勝太郎が浪曲「次郎長伝」として演じ、これが二代目広沢虎造「清水次郎長伝 石松三十石船道中」のラジオ講演(昭和12年)で全国に広まったようだ。
中でも「江戸っ子だってね」「神田の生まれよ」「酒飲みねえ、鮨食いねえ」の有名なセリフは、何度聞いても引き込まれてしまう。
浪曲との関わりは、ポニーキャニオンから出た「浪曲名調子シリーズ」のキャンペーン企画で、学生時代に関わって、改めてじっくり聞くことになった。
その頃、浅草六区の木馬館に浪曲を聴きに行ったついでに、足を延ばして蔵前国技館の展示室に行ったが、野見宿禰(のみのすくね)と當麻蹶速(やいまのへはや)は、折角の歴史を「神話」であしらわれて、がっかりした記憶がある。
未だに日本相撲協会の「相撲の歴史」では、あっさりと「神話」「伝説」だけで片づけられている。
日本相撲協会「相撲の歴史」
次回から、以前に文字越しした「石松三十石船道中(全編)」を発表してみます。
 
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