キルヒャー
キルヒャーWikipedia
ご存じの方も多いかもしれませんが、17世紀のドイツにアタナシウス・キルヒャー(1602年~1680年)という学者がいた。
 
日本ではお馴染みのザビエルが所属していた「イエズス会」の同じ司祭で、エジプト研究、中国研究、地質学、医学から音楽理論までの多岐にわたる研究を行っていた。
 
1628年にカトリックの司祭になり、ドイツ・バイエルン州ハイリゲンシュタットのヴュルツブルク大学で教育に携わった。かたわら当時の国際語であったラテン語が得意であったことから、1631年「Ars Magnesia(磁性研究)」をかわきりに数多くの著述が残っている。
 
ヒエログリフ
古代エジプトの象形文字
大学では、倫理と数学、ヘブライ語、シリア語を教えたようだ。堪能な語学と数学の知識を生かして、古代エジプトの「ヒエログリフ」の解明に多大な貢献をした。キルヒャーの提示した説や翻訳の中には誤っていたものもあるが、学術的エジプト研究の優れたパイオニアであったいえよう。これは20世紀に入ってから再認識され、現代にも通ずる偉業と評価されている。
 
また1658年の「Scrutinium Physico(伝染病研究)」では、伝染病犠牲者の血液から顕微鏡によって「微小生物」を発見したことを記述し、「血液内の微小生物が伝染病の原因である」と云う説を示した。この点は評価されているが、キルヒャーが目にしていた「微小生物」は、赤血球あるいは白血球だったのだが、血液に病原菌が入り込むという考え方自体は後の医学進歩につながったといえよう。
 

 
中国図説
China monumentis(1667年)
その一方で、1667年に著した中国学の「China monumentis(中国図説)」は、当時本格的な中国事典といわれた。しかしキルヒャー自身は中国に行ったこともなく、側聞や想像で書かれたため、後にお笑い種にされた。
 
また地質学では、1638年にヴェスヴィオ火山に登って噴火口を調査した経験から、1664以降「Mundus subterraneus(地下世界)」では「ある化石は自然の力が作り、あるものは地下の人々が人工的に加工した」などと大真面目に書いてある。
 
その他、数多くの側聞と空想に満ちた著作だが、1638年以降イエズス会の最高学府ローマ学院(現在の「 グレゴリアン大学)」で教鞭を執っていた為、当時は疑義を挟むことは困難であったろう。
 
現代の権力に溺れ硬直化した国内最高学府や、学術会議に酷似してるとも言えよう。それらの権力は、現代社会でも「科学や論理的な裏付けを感情的に無視する力」を持っているのだ。行きつくところ、これが「人文系脳」の代表的思考につながっている。
 
15世紀のコペルニクスや16世紀のガリレオが科学的思考を実践したにも関わらず、権威を我が物にしたキルヒャーの後年は、数学者で合理主義哲学の祖と云われるルネ・デカルトを筆頭とする合理主義者たちから、厳しく批判されることになった。そうなると何処かの議員と一緒で、自らの主義主張に一層固執して、ついに馬脚を現す結果となっていった。
 

 
キルヒャーと同じように、一部の人文系学者の中に「非科学的な科学」をゴリ押しする人も多い。以下に未確定(または非科学)実態を、感情的に煽った類例を挙げてみよう。
 
彼らは質(たち)の悪いことに、真に学問を探求することより、自らの主義主張を拡散するために、一定の権利を手に入れる。そこで人々のために働くのではなく、対立軸を見つけることに躍起になる。お仲間のマスコミが煽って対立軸を作ることに成功すると、火が付いたように攻撃を始めるパターンが繰り返されてきた。
 
これらはスターリンや毛沢東の国民を一括統治するための手法そのものであった。大東亜戦争の終戦直後、突然左翼と手を組んで広がった部落差別の変遷、同じく朝鮮人の民族差別、日米離反を狙った反基地闘争、企業と住民の分断を謀った公害訴訟などは、果たして勝者はいたのだろうか。
 
当ブログでは、今までも一部の人文系学者とマスコミによる煽動工作の実態を、できるだけ科学的視点で分析してきたつもりです。
団塊世代が知らない戦後史…父母や祖父母が語りたがらなかった真実
サイレント・マジョリティの声…戦後教育に浸かった子孫を親世代の本音
煽動のプロセス一つの回答だけ求めるマスコミと戦後教育のゆがみ
リスクの考え方…基本は100%のリスクもなければ、0%のリスクもない
平等という妙薬…機会の平等は当然だが結果まで平等にしたいのが左翼
敵を作る市民運動…水俣病で市民を分断した武田邦彦先生の話
市民運動の悲劇…訴訟で対立の水俣と企業と折合いをつけた四日市の違い
反日メカニズムの分析…日本を分断させる反日メカニズムを分析(私見)
 

 
外国の情報の一部を切り取って、日本をさげすむ学者や評論家が好んで「…では」と巻頭詞を付ける。このことからネット界隈では「ではの守(かみ)」と称されているようだ。
 
カサブランカ
カサブランカのボギー
訴訟大国の米国で、当時裕福なタバコ会社から大金を巻き上げることに成功した。この嫌煙運動に乗っかって、今まで茶の間で普通に喫煙していた人が、ベランダや街の片隅で小さくなって喫煙する姿は滑稽に思える。彼らは当初「肺癌リスク」と叫んでいたが、喫煙率が激減したにも関わらず肺癌罹患率は上昇の一途だ。
 
科学的な裏付けがないとわかると、途端に「タバコの匂いが…」にすり替わった。つい昨日まで、ハンフリー・ボガード(ボギー)が紫煙を燻らせる「男の美学」を絶賛していた女性たちも、左翼傾向の強い映画業界やマスコミの手のひら返しで「タバコ嫌い」となっていった。今や喫煙シーンをカットして放映されることも珍しくない。
 
ここには科学的知見の入り込む余地のない、まさに非科学的弾圧の一例だ。ある種の觀念を社会に根付かせてしまえば、それから先は思いのままになる典型だ。利権を貪る受益者たちだけが、甘い汁を吸い上げる構造ができ、財務省も便乗してタバコに63.1%もの重税を課している。
 

 
最近では悪乗りが過ぎて、未だに科学的裏付けの乏しい「地球温暖化」という観念がポリティカル・コレクトネスとして定着してしまった。再生エネルギーと称するベースロード電源になり得ない太陽光発電や風力発電の利権が、世界的なウィルスのように電気料金を急騰させている。
 
太陽光パネル設置で樹木を伐採し、巨大な風力プロペラが自然の景観を破壊するなど、もはや茶番以外にない。地球にCO2がなくなったら生物は生息できない。それにも拘わらず「カーボン・ニュートラル」という言葉遊びに踊らされて、学術的な検証は山積みで御座なり状態で放置されている。
 
シリコンでは発電効率の極めて低い太陽光パネルに、不安定で発火爆発の可能性の残るリチュウム電池、安全性の担保されていない電動自動車など、「未完成な技術」を一方的に礼賛する始末である。科学的検証など何処吹く風とゴリ押しは止まらない。これには流石のキルヒャーも驚くだろう。
 

 
あらゆる利権を嘗め尽くし感がありネタ不足だと思っていたら、あらたに欧米から「性差別」という観念が持ち込まれようとしている。ここで「ではの守」が登場して日本にも「LGB-T法」が必要だと強弁する。
 
政治家は「理念法だから大丈夫」というが、この概念が構築されやがて固定化されると、メディア・スクラムで従わない人への圧力が増すのは必定だ。またその觀念を土台に政令が作られ罰則まで作られる。
 
当ブログでも以前に、LGB-T(レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー)を取り上げているので、詳細は下記ページをご覧ください。そもそも日本人は性に関しておおらかであったのだが、明治以降の外国文化の流入で、表向きは性の表現を抑制したに過ぎない。
 
キリスト教、ユダヤ教、イスラム教、ヒンドゥー教の国々では「同性愛」が禁止されてきたが、古来から日本では「同性愛」に寛容で特別に禁止もされていなかった。従ってお茶の間のテレビにも同性愛を自認するタレントは、数多く出演して人気を博してきた。
 

地図で見るLGBT違法の国、合法の国(National_Geographic)
ナショナル ジオグラフィック
 
LGB-Tの人をさげすむ風潮もなく、平和に生活してきた人々に無理矢理スポットライトをあびさせて、対立を生み出してから分断を謀る試みは、左翼が得意とする分断工作そのものに思える。こうして日本社会をむしばんで崩壊に導くのだろう。
 

 
キルヒャーの時代から、権力を手にれるための政治的工作は、もはや科学や技術とかけ離れ、後世から見れば滑稽に映るのかも知れない。これら政治の動きこそポリティカル.サイエンスなのだろう。
 
 
 
 
フォローしてね