二年前に「サラリマン物語(昭和3年)梗概」を書いて以来の本シリーズの投稿になります。昭和初期に暮らしたサラリーマン《腰辨 》の生活実態や心情を、東洋経済新報出版部の出版した前田一 著「サラリマン物語」を通して探ってみたい思う。
第一セクションは、腰辨 のデフイニシヨンというタイトルで書かれている。デフイニシヨンは「定義する」の意味で、サラリーマン=腰弁を前田一の視点で分析して定義している。
文中の俗謡とは、お座敷などで披露される唄をいう。本格的なお座敷芸と云うよりは、流行歌と捉えたほうが適切だろう。
現代はあまり使われなくなった「細民」とは、下層階級の人々(貧民)のことをいう。洋服細民とは、洋服を着て身なりは良く見えるが、つまるところ貧民なのだという意味だ。
第一 腰辨 のデフイニシヨン
いや、それよりも巷間 よく謠 ふところの俗謠 があつて、腰辨 の觀念 をやや適確 に説明 して居 ることを記憶 して居 る。
テク〳〵
ホロリ〳〵と
うちでは
十四の
どうせお
これこそ
この本が書かれた昭和3年(1928年)から見れば、ふた昔前(明治後期頃)の腰弁を唄った内容で、大正ロマンを経てサラリーマンの暮らしぶりも、少しは進歩している…と言っている。日本全体が好景気に沸いていた時代の話だ。
景気が良ければ、経済の好循環を生み、文化芸術が花開き、多くの小説家、画家、音楽家、芸能人が活躍し、こうした風変わりな本も出版された。
好景気が続いた中で、昭和4年(1929年)立憲民政党の浜口内閣が成立した。日銀総裁から蔵相になった井上準之助は、金輸出解禁、財政緊縮、非募債と減債を行い、一気にデフレーションが起こった。その結果、中小企業は疲弊し厳しい経営を迫られた。
昭和4年の末の大阪毎日新聞は「下る・下る物価 よいお正月ができるとほくそえむサラリーマン」という見出しで、金本位制復帰によるデフレを歓迎した。脳天気は今も健在か?
この間にアメリカで起こった大恐慌は、昭和5年(1930年)になると日本経済も危機的な状況に巻き込まれた。デフレ下で起こった不況は戦前日本で最大の「昭和恐慌」といわれる。
昭和6年(1931年)末に立憲政友会の犬養内閣になり、高橋是清が蔵相になると、ただちに金輸出を再禁止し、管理通貨制度へと移行した。さらにデフレ政策を積極財政に転換し、赤字国債発行によるインフレ政策を行った。
金輸出の再禁止で円相場は一気に下落し、円安によって輸出が急増した。昭和8年(1933年)には他主要国に先駆けて恐慌前の経済水準に回復し、国内需要も高まり好景気を生んだ。
立憲民政党の駄策と立憲政友会の政策運営の違いが、現代と重なって見える。現代の政治家は、もう少し歴史を学んでいただきたいと感じる。
ところで「サラリマン物語」は、次回「第二 高等遊民の洪水『就職難』」を予定しているが、文字起こしに時間がかかるので、あてにしないでお待ちください。
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