相変わらず音楽の話ではなくて恐縮。表題は気になる日本語の用例として引用させて頂いている。THE ANIMALSが1964年に発表した「朝日のあたる家(:The House Of The RIsing Sun)」は無論、大好きな楽曲には違いないんだけど、この邦題を観たり訊いたりする度に何処か落ち着かなく、腑に落ちない気分に苛まされる。
自らこの言葉を発することは、先ず絶対にないと云うか、出来ないと云うか、舌がそのように廻らない。
幼稚なような気がして。
国民的英雄を監禁したり、国民的女優を日本刀で脅したり、結局、哀れな末路を辿ったものの、梶原は常に出版社にネーム(※マンガに於ける文字原稿)を一文字たりとも変えない要求をしていたらしい。それは自らが正しいと信じる日本語を読者である少年達に伝えたかったからではないだろうか?
『巨人の星』の週刊『少年マガジン』誌への掲載は1966年なので、文部省できまる以前から、彼は〝父さん〟とは書かないことに拘っていたんだな。
作家は哀れでも、作品は永久に不滅。The Work Remains The Same也。
・01.Perfect Strangers☆
・02.Hard Lovin' Woman★
・03.Bad Attitude★
・04.Child In Time
・05.Difficult To Cure△
・06.Knockin' At Tour Back Door☆
・07.Lazy
・08.Space Truckin'
・09.Woman From Tokyo
・10.Black Night
・11.Smoke On The Water
全11曲、1時間22分33秒。1公演の部分収録と思えるが、新譜『THE HOUSE OF BLUE LIGHT』(:1987)の宣伝は2曲(★印)。前作『PERFECT STRANGERS』(:1984)の宣伝も2曲(☆印)。RAINBOWと云うか、この当時のリッチーの鉄板が1曲(△印)・・なだけ。(笑)
07.以降はガチなDEEP PURPLEの聴き慣れた演奏とは異なる、怒濤の演奏を楽しめることがウケアイだ。
むしろ、往年の名曲の数々を、アメリカンRAINBOWやWHITESNAKEを経験した人達が、どう変化して対応しているのかが最大の聴き処だろう。
肉体そのものが楽器のギランに、04.の超高音シャウトはやはり無理だが、07.〜11.で聴ける絶叫はまだまだ健在。また、07.のハーモニカは上手くなっているような。世界最大最古のロックン・ロール・バンド、THE ROLLING STONESと、DEEP PURPLEの共通点は、アルバムの録音に使用したことがあるモービル・ユニットの他に、ハーモニカの名手が居ることだ。
私なんぞは毎月、最新号が出来上がれば先ず楽器店の広告を全部観て、Music Man StingRayのウラ通し〝の左用〟を、眼を皿のようにして探したもんだった。在職10年で現物に出会えたのは僅か2本だけで、結局、買えなかったけどな。ポール・マッカートニーでさえ保有していない(と云われた)'70年代製のピック・アップが搭載されている#4001を運良く入手出来たのもまた、在籍していた役得。(笑)
表題は2023年7月に〝廃刊〟になってしまった月刊→隔週刊→月刊→季刊『YMM Player MAGAZINE』誌を発行していた、(株)プレイヤー・コーポレーションが新入社員の採用面談の際に、履歴書の他に唯一、提出を課していた小論文のタイトルである。文字数は原稿用紙5枚程度だったか。少なくても私が在籍していた1986年から1996年の10年間に入社した社員は全員、この作文を記している(はずだ)。
私が読者だった1978年から1986年の8年間もそう。全6名中、5代目の編集長だったN先輩は、面接当日、同社に最寄りの新宿駅の定期券売場の申込書を作成する台の上で、ヒモで括られたボールペンで急遽、用意されたと訊く。
早いハナシが、同社は同じ募集告知(広告)の版下の締切日だけ貼り換えて、何10年も使い廻していたワケだな。(笑)
エドワード・ヴァン・ヘイレンやマイケル・シェンカーと実際にお会いできた1990年のWINTER NUMM SHOW(※毎年、カリフォルニア州のアナハイムで開催される世界規模の楽器見本市。)の晩だった。腹が減ったので、ホテルからディズニー・ランドの広大な駐車場を隔てた先のコンビニに、編集者兼通訳君と一緒に食料を調達しに出掛けた。
当時、組んでいたアマチュア・バンドは、MOTORHEADスタイルのスリー・ピースだった。私はB.&Vo.。ドラマーは同じ音楽雑誌社に勤めていた後輩だった。
普段は「Jumpin' Jack Flash」とか「Honky Tonk Woman」とか「Stand By Me」辺りをいい加減に演っていたが、たまには〝もう少し難しい〟楽曲に取り組んでみようと、この楽曲を選択した。丁度、発行していた音楽雑誌で毎月1曲、掲載されるバンド・スコアで取り上げられていたし、タダで使いたい放題のコピー機も身近に在ったし。(笑)
当時の私が何とか弾けて、もっとも難易度が高かったベースは、マイケル・シェンカーの「Into The Arena」だったけど、アレは3連。6連はその倍?
だが「Into The Arena」の3連は音階が動くが「One」は殆ど動かない。殆どルート音だけ。唯ひたすら1小節で24回(※平唄は3/4だけど、6連時は4/4拍子)、必死で指を動かせば良い。流石、プロ・テニス・プレイヤーの息子、ラーズ! そのスポ根ミュージックはX JAPANを遥かに凌駕?(笑)
だからぁ! 今までそれでずうーっと演ってきて、マンネリ化してきたから、たまには毛色が違った楽曲を完コピしてみようってハナシでしょ!?
以降、この曲を演ることは2度となく、結局、いい加減な「Jumpin' Jack Flash」とか「Honky Tonk Woman」とか「Stand By Me」のまま現在に至る。進歩なし。最近では退化ばっかし。(笑)
THE BEATLES・・、特に中期以降のポールは、ジョンやジョージが唄う楽曲では、唄メロとは異なるリズムのベースで目立ちまくるけど(笑)、自分が唄う楽曲のベースは「Get Back」にしても、WINGS時代の「Jet」にしてもさほど難しくない。だが、初期のロックン・ロールは、まさしく永チャンがベースを手にしたきっかけとなる「ポール・マッカートニーもカッコいいやつだし」で、それがそのまま永ちゃんのTHE BEATLESのような・・。
ともあれ、THE BEATLESのファンは元より、メンバーであるジョージやリンゴにまで呆れられたというこの楽曲を、永チャンの他に好んだミュージシャンとして、元THE ROLLING STONESの故ブライアン・ジョーンズがいる。
丁度、THE ROLLING STONESから解雇されて寂しかった折に、ジョンから直接、リリースされたばかりのシングル盤を贈られて、涙を流して喜んだ、と何かで読んだような気もするが、・・だけじゃないでしょ。