元祖!ジェイク鈴木回想録

元祖!ジェイク鈴木回想録

私の記憶や記録とともに〝あの頃〟にレイドバックしてみませんか?

Information(2026/01/01)

(出来れば)月に1本くらいは何か投稿したいと思っています。
電車やバスをお待ちの際、またはご乗車中、
死にたくなるほどおヒマな際にお読み戴き、
花形 満の声で「またつまらぬ物を読んでしまった」、
とのご感想を頂戴できれば幸いです。

今後とも宜しくお願い致します。


 
 65年近く生きてきて、そのうち40年近くは自分達のバンドがあって、解散したいとか脱退したいと思ったことは一瞬たりともなかった。それ故に、「バンドに入りたい」という欲求が生じた経験に乏しい。
 自分達のバンドをとても気に入っていた。
 生きながら失った最大の宝物。
 
 幾つか例外はある。
 1986年に就職した音楽雑誌社が、LOUDNESSか!? BOØWYか!? 或いは吾妻光良氏のブルース・ギターか!?、という専門誌で、常時、掲載されている情報で、認知していたバンドがVAN HALENくらいしかなくて困惑した。特に当時、盛り上がっていたヘヴィー・メタルとやらに疎かった。
 そこで、同誌のメンバー募集のページに「ベース加入希望。好きなベーシストはルディー・サーゾ。」という告知を掲載して貰って、身を持って体験してみることにした。
 演ってみなきゃ解らんからな。
  
 凄かったぜ?当時は。
 積み重ねたら高さ15cmくらいのハガキが届いた。その中で歌唱力がしっかりしていた女性Vo.のヘヴィメタ・バンドに参加して、2年くらい続けた。渋谷にあったLIVE INNで演奏したこともある。ロン・ウッド & ボ・ディドリーの来日公演の翌日だった。
 
 並行していた自分達のバンドのパートは唄だけで、スピッツみたいなオリジナル曲を先取りしていたらしい。(ホントか?笑)
 上記ヘヴィメタ・ベース出向の頃は、Ds.とB.が出たり入ったりしていたが、やがてスピッツではなく、Gt.とおれが思うハードなブルースやロックン・ロールに嗜好がまとまっていく。
 
 もう1つ。
 ジィンを欠いていたKISSのトリビュート・バンドのオーディションを受けて、「左利きなのが、ちょっと」。(「Cold Gin」のネック振りがデキナイからかな?)で、落選したことがある。
 だが、今、思えば、完コピなんて、おれには最初からムリなハナシだった。
 
 自分達のバンドはオリジナルを殆ど演らず、名曲のカヴァー・アレンジばっかしだった。Gt.がもう1人居たり、Kb.が居たこともあったけど、基本的にはDs.、Gt.、B.& Vo.の3ピース。
 バンド特有のリズムを模索したり、即興を加えるなら少人数のほうが圧倒的に演り易い。3人、若しくは3人+スタンディングVo.。THE ROLLING STONESは5人居るけど、ギタリストは2人で1人分みたいなもんだからな。(笑)
 
 代表的なパターンは、そのTHE ROLLING STONES FAN CLUB JAPANの事務局女史に「ちょっと鈴木君!何!? 今のJumpin’ Jackは!」という大顰蹙を頂戴した「Jumpin’ Jack Flash」で、MOTORHEADみたいな簡略化。MOTORHEADだから当然2バス。会場の都合でツイン・ペダル。サビはツイン・ペダルに依る3連のベタ踏み。
 豪快で爽快だったなあ!
 
 それは後に、新橋にある吉田 拓郎ではなく、よしだ たくろうのファンが集う〝落陽〟でも披露させて頂いた。
 すると、よしだ たくろうのファンの中にも「天国への階段」を弾き始める方がいらっしゃって、しょーがんねーから唄った。もちろん、1973年M.S.G.の指先を加えて。
 
 先人達が創り上げてきた音楽を1音1音丁寧にコピーするのは学習で、幼き日のベートーヴェンが忌み嫌った如何にもクラシック的なアプローチだ。先人達が提案してきた音楽を自らの感覚と創造性で自由にリサイクルしていくのがロック!かと。
 エディー・コクランの「Summertime Blues」なんて、あんた、聴いてるかい?
 
 もはや、バンドを〝創りたい〟とは思っていない。

 メンバーを集めたり、詞や曲を書いたり、ンなこたぁもうさんざ演ってきた。面倒臭い。既に1日3時間寝ればオッケイ!みたいな元気もなければ、未だ未だ楽隠居でもねー。
 出来る時間は限られている。残る余生は、唄でもベースでも演者を努めていきたい。

 
 昨年の11月末、KISSのセッション大会に参加してみた。
 当初はB.& Vo.で4曲エントリーした。LED ZEPPELINやDEEP PURPLEだったらともかく、KISSの楽曲の尺や演奏の難易度から、4曲くらいはラクショーかと思いきや、それは自分達のバンドみたいな〝なんちゃってカヴァー〟だったら、だ。

 セッションの場合、演者同士が互いに初対面ってこともザラなんだから、共通認識としての完コピは最低限の礼儀だべ。

 
 一応、挑戦した。
 1音1音全部拾って、ジィンが弾いてるとおりに・・、

 弾けねーっ! 指が届かねーっ!

 当たり前だ。
 身長が違う。指の長さが違う。職業が違う。人生が違う。おれは3,000人なんて斬ってない。(笑)

 

 参加総人数40数名のセッションを実際に目の当たりにして得た教訓は、KISSは先ず体重なんだな。
 会場はマニアが経営しているライヴハウスで、手ぶらで参加できる楽器と機材が揃っていた。参加者全員ほぼ同じ条件で、特にジィンとエイスはガタイがいい男性がいい音を出していたような。KISSって高身長ばかり取り沙汰されてきたけど、ジィン、ポール、エイスって、ヘタな野球選手よりも断然いいカラダしてるんだぜ? 楽器の鳴りに弾いてる人間の肉体そのものが関わってるなんて初めて知った。
 

 おれ自身は結局、1曲だけ何とかベースを弾いて、唄は他の方に唄って戴くブザマな顛末だったけど、とても楽しかったので、今年もまた1曲くらいはちゃんと礼儀を正すかな。
 ジィンの唄だったら、トリビュート・バンドのオーディションで失格を喰らった唄い方がある。(笑)

 
 Facebookの〝バンドやろうぜ〟グループには2年くらい前に登録して、配信には常に眼を通している。活動拠点が都内近郊で、B.でも唄でも、その両方でもいいんだけど、ポール・マッカートニーの真似だけは絶対にヤ! 出来ねーし。
 勤めていた音楽雑誌の全盛期と較べたら、同グループの活気はまったくないに等しく、2年間、まったくカスリもせず。
 
 そんな折・・。
 
(かつてのオダギリジョーの口調で)つづくぅ!(かも。)
 
 

 
※文中敬称略

 
 基本的には血スジだ。
 母、母方の祖母、母の姉もそりゃあまあ、よく喰っていたもんだった。訊いた限りでは、母の兄、即ち、伯父もそうだったらしいけど、全員、太っていなかった。
 また全員、長寿でもあった。
 
 伯父とは、同性故に身体的な共通点が幾つかある。
 胸が薄くて腕が細い。子供の頃は身体が弱く、扁桃腺を腫らしがちだったり、声が鼻にかかっていて、唄がヘタだったり。(笑)
 
 私の胸も極薄だ。
 予備校時代にアトリエの床に仰向けに寝かされて、先輩方が製図用の三角定規で計測したら、11cmしかなかった。
 
 引き合いに出すのは誠に僭越だが、TVにキムタクが映っていたら、よく観てみそ?
 彼のアゴの真下にあるのは、胸でも腹でもなく、つま先だ。声が鼻にかかっていて、唄も・・、上手かったっけ?(笑)
 
 ガキの時分、夜、布団の中で仰向けになっていて、仰天した。
 息を吸っているのに胸が沈む。吐けば膨らむ。もの凄い不安に駈られた。自分は奇形なんじゃないかと思って。
 
 腹式呼吸は、腹の筋肉を膨らませて息を吸い込むため、胸が沈んでいるように観えただけ。腹を引っ込めて息を吐き出すので、相対的に胸が膨らんでいるように観えただけ。
 
 だから胸筋が育たない。
 胸が厚くならないから、アゴの真下はつま先。
 キムタクもまた、先天的な複式呼吸なのでは?
 
 胸筋は発達しなくても、腹筋は鍛えられている。
 何たって、生まれた時からずっと、毎日24時間、睡眠中でさえ、前後または上下に運動させっ放しなんだからな。
 24歳の時に、虫垂炎の開腹手術を局部麻酔で受けたら、執刀医が助手に「何だ?こいつ。全然切れねーぞ?」
 お陰様で私の右下腹部には、虫垂炎にしては長過ぎる、6〜7cmにも及ぶ施術痕が今も遺っている。
 
 喰っても喰っても太らないのは、要するに吸収が悪いわけで、本来なら小腸や大腸が発達するべき箇所が、腹筋で占められているのでは?
 19歳の時のLevi'sは27インチ。エビのような腹をしていた。前述の予備校の先輩方は、
「お前、本当にその中に内蔵とか全部、揃っているのか?」
「たぶん。」としか応えようがなかった。
 
 夕食で喰ったコーンが翌朝、便器の中に転がっていたりする。
 便秘なんぞ、したところでせいぜい1日。それどころか毎日、何度も催すため、主な徘徊地域のウォシュレット付きトイレを常に把握している。
 横須賀中央駅だったらMORE'Sで、開店前だったら、電車で1駅手前の汐入駅か、1駅先の県立大学駅。
 
 血スジは身体の構造や機能ばかりではない。
 
 母方(の、少なくても1/16)は没落士族の末裔だそうで、要するに見栄っ張り。
 母は高校生時代、下剤代わりにビオフェルミンを多用して、その空き瓶が家族にバレないように、国道16号の下り線、長浦隧道の側溝にこっそり捨てたとか。(末期にこんなハナシをしていたんだから、本当に楽しい母だったな!)
 伯母は長身痩躯。高級旅館で美貌の女給。
 伯父は〝モッズ〟で、喪服まで4つボタン。生涯マッシュルーム•カット。(笑)
 
 私の大食は、頻繁に運動するようになった小学校高学年辺りからだったと思われるが、頻繁に運動しなくなった最近は、朝めしや昼めしを喰ったり喰わなかったりしている。
 我慢しているのではまったくなく、唯、腹が減らないだけだ。
 1日平均2食。間食も先ず摂らない。酒も滅多に飲まない。
 
 拒否反応に近い。
 
 大学時代に5年間、テキトーにやっていたボクシングでは、毎年、普段なら58kg前後の体重を51kgまで落としていた。身長170cmのフライ級なんぞ、先ず居なかったので。
 今をときめく井上 尚弥君の身長は165cm。アマチュア時代の階級はフライ級。
 
 例えば、McDonald'sのバリュー•セットを飲み物も含めて完食すると、増える体重は約1kg。10kg走るか、電気毛布を最強にして一晩寝れば、何もしなくても落とせる。
 飲み物はオレンジ•ジュースしか頼まない。McDonald'sはMinute Maidなので100%果汁。一応、ビタミンCが摂れる。
 何の栄養もないのに、アゴや内臓器官に費やすエネルギーがもったいない。
 
 コーラや果汁100%以外のジュース、ブラック以外の缶コーヒーは、今でも飲まない。先日、宅配ピザのおまけに付いてきた500mlのコカ•コーラは、不安だったが、結局、独りで全部、何とか飲めた。
 何たって〝没落〟士族の末裔なんでな。飲食物を残せる機能が備わっていない。
 要するにケチ。(笑) 
 
 って云うか、子供の頃から水でさえ殆ど飲まない。
「練習中は水を飲むな!」の世代だが、先述の吸収力が低い(と思われる)大腸の構造から、必要最小限の水分しか身体に溜め込めない体質かと推測している。
 だから汗をかかない。かけない。
 夏、YGマークの帽子を被った友達の鼻の頭に、汗の粒が浮いていたり、YGマークの帽子を取ると、ずぶ濡れの頭髪を観て、羨ましく思っていた。
 一生懸命やっているように観られるから。
  
 尊敬しているタレントは、
 キムタクじゃなくて、ギャル曽根。(笑)
 
 

 
※文中敬称略
 

 
 1973年。公立小学校6年の〝父親〟参観日は、〝父親〟参観日故に〝父親〟達が来賓し易い日曜日に強行された。
 私の父は同じ市内の他の小学校の教員だったので、入学式とか運動会とか、そのテの行事はまあ殆ど大体、日が重なって不参加だったが、その日に限っては〝あいにく〟!!!
 
 授業は体育で、演目はソフトボール。男女共学のクラスを2分したチームで試合をした。
 
 当時の私は、町内会の子供会のソフトボール・チームで、そこそこには打っていたので、比較的得意な演目。ましてや、クラスの半分は女の子なんだからな。授業というよりも、レクリエーションみたいなもん。(笑)
 
 試合は最終回、1点ビハインドの二死満塁で、打者は私。
 男子のピッチャーを女子は先ず打てないので、ピッチャーだけは常に女子が担当するルールだった。マウンドと云っても唯の平べったい校庭で、ピッチャーが放る位置には、ソフトボールなんぞ門外漢らしき女子が、小難しい表情をして突っ立っている。
 
 その年の私は毎日毎日、片道1.5kmを徒歩で往復して、ソフトボールに明け暮れていたソフトボール・バカだった。身長と共に打球の飛距離も伸びていた盛りだったので、女の子が放る、へなちょこだまなんぞ打つのは造作ない。
 単打だったとしても、相手方の守備が上手く処理できる見込みは薄く、所属チームの逆転サヨナラ勝ちは九分九厘、確約されていたようなもんだった。
 
 唯一、心配したのは、もっともありがちなフォア・ボールだった。打順もまた男女交互だったので、私の次はへたっぴいな女子。私の押し出しに依る1点しか得点できず、試合は引き分けで終わってしまう公算が非っ常ぉぉぉに高い。
 最低でも、内野手のアタマは越さねばならん。私が!
 
 とは云え、何と云っても相手は女の子だ。
 
 しかも! 詳細は省くが、マウンド・・、ではなく、単なるピッチャーが放る位置の女子に対して、私はどぉぉぉしても〝男らしく〟なければならなかった。歴史に汚点を遺してはならん。若きウェルテルの如く悩みつつ、右打席に立つ。
 
 1球目。ストライク・ゾーンから殊更大きく外れた超スロー・ボールをダイナミックに空振り!「ワン・ストラ〜イク!」。

 アンパイアを務めていた担任もまた20代女子。
 
 観客席と云うか、父親達の参観場所からは「何やってんだっ!ボールだまじゃないかっ!」という、比較的訊き慣れている鼻声のヤジというか、単なる罵声が耳に響く。
 うるさいな。黙って観ていなさいよ。
 
 2球目もまた、ストライク・ゾーンから大きく外れた超スロー・ボールだったか、ワン・バウンドだったか、或いはゴロだったか、クソボールを空振りして、「ツゥ・ストラ〜イクぅ。」
 今度は「しっかりとボールを観ろ!」。
 しっかりとボールを観ているからこそ、空振りが出来るんでしょーに! ヘタにボールを擦って中途半端な内野ゴロにでもなったら、相手チームにだって町内会のソフトボールをやっている男子が何人かいるんですぜ?
 
 ツー・ストライク、ノー・ボール。これでいい。これで対等・・、だべ!?
 
 相手方にはまだ、バットが届かない超クソボールを4球放って、勝ちは失せても引き分けで留められるテもあったはずだが、ムボーにもピッチャーの女子は勝負に出てきた。
 よし!懲らしめてやらなくっちゃ!(笑)
 
 3球目。ようやくバットが届く範囲にボールが! 外角の超高めを「貰ったあっ!!!」とばかりに渾身のフル・スイング!

 だが・・。
 
 バットは空を切って三振。三球三振。1点が届かず、チームは負け。
 
 解説者席に落合や掛布がいたら、「んまあ、その前の2球で、普段は振らないボールに手を出して、フォームを崩したんでしょうかねぇ?」辺りなんだろうけど、ンなこたぁどーだっていいの。

 少なくても、やるべきことの半分はできた。
 
 翌日(だったと思う)。今度は町内会の子供会のソフトボールの公式戦があった。その日こそ〝あいにく〟監督もコーチも来られず、何と!子供会の役員をしていた父が代行。
 
「1番某、2番某・・。」
 試合開始前、代行がスターティング・メンバーを指名する。
「9番某。以上。」
「おれは?」と、尋ねると、
「わざと三振するやつは使わない。」
 
 関係ないじゃん!わざとじゃねーし!
 亡くなってから未だ4年しか経っていないけど、この意味不明な指導方針には、今でも断固として異議を唱えたいね!
 
〝町〟ではなく〝丁目〟単位のチームなんだから、多く集まったとしても、せいぜい14〜5人。日に依っては来ないやつもいたから、その日だって11人くらいではなかったか。
 主力となる6年生は私を含めて5人。5年生は2人しかいなくて、残りは体格も力量も経験も未熟な4年生以下に頼るしかない貧弱なチームなのだ。観りゃ判るだろうに!
 同姓のチチローは元より、異姓の原 貢でさえまだ早く、時代的には星 一徹のつもりだったのか。ロマンチックな幻想だけで、他の児童達への配慮さえ顧みず、誠に遺憾なり!
 
 当然、1回戦負け。午前10時頃にはもう、チームは部会所という丁目単位の町内会館に帰還して、婦人会が用意しておいてくれたおにぎりを頬張って、コーラをがぶ飲みして、後は陽が暮れるまで、皆んなで缶蹴りをして遊んでいた、というテイタラク。
 
 だから嫌いだ!日教組。
 
 
【後日譚】
 5年後。ピッチャーだった女子の1つ歳上の姉貴と、バスでたまたま遭遇したので、この話を得意になって話したら、「そんなこと云って。本当はわざと三振してくれたんでしょ?優しいね。いいよ。妹に云っとくから。たぶん悪い気はしないと思うよ。」
「い!いえ。ぼ!僕は!」
 な? 平等なんぞ、元来、実存していないのだ。(笑)
 
※画像:私が真似たのではなく、1978年にTV画面に登場したら、「鈴木みたいな打ち方」と極々限られた周囲で評判になった、大洋ホエールズのフェリックス・ミヤーン。
 

 

 まあいいや。ともあれ、
 
【機材】として、
・Mac mini、macOS、モニタを新調
・ATOK、Microsoft Officeを最新版に更新
・iPhone SE 第2世代(赤)、ICloud+を月額¥150で使用中
 
【状況】として、
・MacとiCloudのアクセスが格段に向上している
・macOS 15には不具合が残っている
・Excel他、サード・パーティー製品の更新が遅れている
 
 前編に記しておくべきだったが、至って個人的な、
【使用目的】は、
・①作文(:.txt書類/最大1.5MB)
・②Excel書類(:最大11.1MB)の日々更新
・③情報収集
・④情報交換(:E-mail、Messenger、LINE他)
・⑤物品販売(:Yahoo!Auctions)
・⑥買いもの(:楽天市場、amazon.他)
・⑦SNS(:主にFacebook)
・⑧音楽や動画の観賞(:YouTube)
・⑨記録
 とまあ、実はこの程度に過ぎない、超モスキート級のユーザーだったりする。(笑)
 
 以上の【機材】で【状況】を踏まえて、【目的】を実現する環境を充実させて、少なくてもムコウ5年間はメンテナンス・フリーで、①の作文に集中したいところ、じょーじ。
 
 ①そのものにiCloudは全く関係がない。むしろ避けたい。
 当たり前だろ? 未発表の原稿を誰が〝よそ〟に預けておける? Appleがどう屁理屈を捏ねようが、クラウドなんぞ所詮、ユーザーの眼には観えない不自由なもの。
 
 だが、そのiCloudは圧倒的に扱い易くなって〝は〟いる。
 iPhoneで撮影した動画や画像をMac内の〝写真〟に反映させるまでのタイムラグが殆ど無くなった。Macの〝メモ〟に於ける、文字入力のとんでもない遅さからも解放された。
 時間節約の手段として〝は〟考えられなくもない。
 
 iPhoneは新聞や雑誌、パンフレット、郵便物は元より、駅貼りのポスターや車内吊り広告等を含む、印刷物上のQRコードをスキャンするのに重宝している。
 スキャンしたURLを〝メモ〟で同期しておいて、自宅のMacのブラウザから当該サイトにアクセスすれば、確認はし易いわ、理解は捗るわ、文字入力は圧倒的に速いわ、だ。
 
 千葉県だけなのかも知れないが、今年から完全予約制になった運転免許証更新の案内ハガキには、既にQRコードが印刷されていて、運転免許センターに於ける手続きで、スマホを持っていないやつは、持っているやつの倍以上の待ち時間が確実に保証されている。(笑)
 
 今後、このような方式は益々増えていくのでは?
 個人的な周囲では、勤務先の給与明細や健康診断の問診票までスマホ、或いはQRコード・リーダーが強要されている。
 スマホ持たざるは人にあらじ!か。(笑)
 
 しかし、作文にスマホは適さない。
 
 頻繁に行うカット & ペーストは、選択範囲を決定するだけでも、莫大な時間を否応なく浪費させられる。
 作文は書斎のMacで、落ち着いて素早く大胆に!
 iPhoneは、電車や便所の中のヒマ潰し!(笑)
 
 重宝している〝メモ〟は、フォントが未だ完全に同期していない。Macで快適なサイズを設定すると、iPhoneでは恐ろしく小っさくなってしまう。
 この辺りは今後、改善されていくんだろうけど。
 なっ!? 過度期だろ?(笑)
 
 作文には、初期のOS Xで稼働するライティング・ソフト、Jedit Xが現時点でも最速かも知れん。
 大容量の文書は元より、あらゆる執筆作業で重宝しているブックマーク機能が万全だからだ。初期のOS Xを稼働させるMac本体はまだ何台か有るし、新調したEIZOのモニタには最大4台のPCやゲーム機(?笑)を接続して、前面パネルで切り替えられる。
 可能なら、Mac mini 2024のスタンド・アローンが望ましいのは云う迄もないが。
 
 ブックマークが使い易そうなソフトとしてPagesがあるが、一体、誰に向かって開発されているのか、我々のような従業者には必須の1行の文字数の設定や、左端の行数表示がない。

 iText Proはしっかりと¥2,000を課金するくせに、カーソルの残像が残るド素人級のバグが何年も前からそのまま。
 
 その辺りのサード・パーティー製品の混乱からも、これまでにはなかった過度期が感じられてならん。
 
 前編にて、嘘や大袈裟は一切、記していないつもりだが、己の怠慢は忘れていた。(笑)
 
 このところ約20年、マシンを新調する度にバンドル・ソフトの〝移行アシスタント〟を利用してきたため、Mac mini 2024のアプリケーション・フォルダには、幾多の旧態ソフトが滞留している。Jeditは2世代3種。更に今回、そのJeditの代替品として試してみた他社製のライティング・ソフトも3つ4つ。
 削除は単独自力で可能で、大した作業ではない。要は手間暇と工夫次第。それこそパソコン。
 ブータレるのはまた、その後で。(笑)


※執筆:Jedit Ω plus

※この文章は、至って専門的な知識に乏しい、極々個人的な感慨に過ぎません。あまりご参考になされませんよう。

 

【使用環境】

・Mac mini 2024:Apple M4チップ 10コア/32GBメモリ

・macOS 15.4.1 Sequoia

 

 これまで使っていたMac mini late 2014は、ハイエンドのCPU、Intel Core i7-4578U(3.0GHz)を特注して、メモリも最大の16GBを積んでいたせいなのか、2016年から2025年までの8年間は一切のストレスが感じられなかった。

 終盤の信じられない不具合を除けば。

 

 今回はケチって、M4チップは10、12、14コアのうち一番安価な10コア。メモリも下から2番目の32GBに留めた。贅沢をし尽くしていたら、たかがminiで30万近く散財してしまうので。

 

 結論から申し上げれば、前代未聞(の酷さ)!!!

 

 例えば、

・Finderの開閉

 

 青白顔のアイコンをクリックして、Finderを開く。そこまでは今まで通り。問題ない。多少、素早くなったかも知れん。

 だが、目的のフォルダ・アイコンをクリックした途端に、薄ねずみ色の時計が廻り始めることがある。時間にすれば2秒から長くても10秒くらいだが、かなり頻繁に起こり得る。

 観たことある?そんなの。漢字Talk 7.1以降、私は初めて。 

 
 大容量のファイルとか、チャット・ログのように細かいファイルが無数に詰め込まれてるフォルダではない。

 空のファイルでも、廻る時には廻り始める。

 

 とにかく、ワケが解らない不具合や改悪が多い。
 こんな↓のは如何に思われる?

 

・自動スリープの時間設定、及び解除が不可(※デフォルト)

 

 だから頻繁にスリープしまくって、その度にパスワードを打ち込まなければならない。新しいApple Magic Keyboardに付随している指紋認証機能は一体、どういう役割をするんでしょ?
 今のところ、未だ一度も必要に迫られたことがない。

 更に、

 

・頻繁なアップデート(にスポイルされる作業時間)

 

 特にMicrosoft Office(365)は、1週間から10日くらいのスパンで更新されまくる。それなのに、Excelに大分以前から残っている数々の不具合は、一向に修正されていない。
 それどころか、セル毎のフォントの書体が何故か勝手に変わっていたりして、余計な手間がまた増やされている。

 こんな現象もまた、漢字Talk 7.1以降初。

 

 まだまだまだまだ沢山ある。特にMac mini 2024に於ける、

・本体底部の電源ボタン

・本体前面の音声出力ジャック

・実質USB Type-Cしかない外部入出力ジャック

・モニタの不対応

 

 わざわざ使い難い設計が施されている。Type-CやL字プラグ等、余計な金まで支払わされている。
 モニタ(:ZALMAN ZM-M215W)は、直前までMac mini late 2014に繋げていて、まったく問題がなく、M2チップのMac mini 2023を試してみても同じような感触。
 それがMac mini 2024だと、音声は出るものの画像がまったく表示さない。Apple銀座に持ち込んでみても、「分かりません。」

 

 眼に観える格段の進化は、iCloudのアクセスだ。

 

 文字通り、いつ雲散霧消しかねないクラウド・システムは、macOSとiOS共通のバンドル・ソフト、〝メモ〟、〝写真〟、〝連絡先〟の他には、LINEとMessengerの同期に留めている。

 特に〝メモ〟は、手帳代わりに重宝しているが・・。

 

 前機、Mac mini late 2024の終盤では、とてつもない惨状を極めた。

 

 文中にカーソルを入れるだけで数秒かかる。カーソルを移動するのに、画面上のカーソルが一旦消えて、移動した位置に表れるのにまた数秒かかる。記してる内容、解る?

 imagine all the people・・♩

 

 手帳なんだよ?手帳。
 がんがん打ち込めなきゃ意味がないのに、その点灯表示のタイムラグは、まるで電池が切れかかった昭和の電卓!

 

 この不具合が結局、更新の直接的な動機となり、更新したら、すっかり改善された。
 まるで何事もなかったかのように。

 

 恐らくMacintosh史上、未曾有の転機・・、否々、混乱の過度期かと思われる。

 

 つづくぅ!

 

 

※番組の内容とは殆どまったく関係ありません。悪しからず。

 

 

 病床にあった87歳の母は、2024年のNHK大河ドラマ『光る君へ』をとても楽しみにしていた。番組を少しでも理解出来るように、実家の何処やらから私の高校時代の古典の副読本『源氏物語』を発掘して予習も怠らなかった。
 とは云え、「(番組の)1話を1回観ただけじゃ、解らない。」
 
 実家に居た頃には、日曜日に録画しながら先ず1回観て、月曜から土曜の間に、その録画を何度か再生して、ようやく話の展開くらいは把握してきたらしい。
 
 入所した施設の個室にも大型のTVが備え付けられていたが、流石に録画機器まではない。調べてみたら、USBで簡単に追加できそうだったので、弟に頼んだら、早速、取り付けて、母にその操作方法を伝えておいてくれた。THANKS !!!
 
 その後、見舞いに行ったら、母は嬉しそうに「ほら! こうして、こないだの日曜にやった(放映された)のが、また観れる!」と、何度も何度も同じ番組の一部を繰り返して観せられたが、生憎、同番組を一度も観たことがない私には、何が何だかさっぱり解らん。
『源氏物語』も紫式部もまったく興味がないし、主役の吉高 由里子なんぞ「三井住友銀行カードローン」だけで充分。1ドラマに年間36時間も費やしたくないし、観るからには私も母の子。予習、復習を万全にしたくなる性質(たち)から、36時間では済まなくなる。
 
 施設の個室で母とその録画を観ていた矢先、レターパックが届いた。
 
 母はベッドに横たわっていたので、私が受け取ると、差出人は弟だった。母に手渡すと、レターパック等という文明の利器には慣れていないのか、糊付け部分をビリビリ破こうとするので、「貸してみそ? それはこうやって開けるんだよ。」と開包してやると、『光る君へ』のB5判の副読本が2冊入っていた。
 
 ベッドの上の母はその1冊の巻頭のグラビア・ページをぺらぺらと眺め始めたので、私も弟の意図に便乗して、
「この本を読めば、話しが解るんじゃない? えーと、これが紫式部で・・。」と、吉高 由里子の画像を指差すと、
「違う。」
「へ?何で?(持っていた最低限の情報から)この人が主人公でしょ? だから紫式部なんじゃないの?」
「違う。それはまひろ。」
 今、思い出せば、いい想い出だ。
 
 物語は確かに『源氏物語』の作者、紫式部の半生だか全生だったのかも知れないが、どうやら『光る君へ』の紫式部は番組終了まで〝まひろ〟という呼称で通されたらしい。
 
 前々々作の『鎌倉殿の13人』は、タメ年故に同じ大河ドラマを同じような環境で観てきたと思われる、脚本家の三谷 幸喜に大いに期待したが、特にその義経の描き方には、日本中の義経観に一石を投じたことだろう。
 その反面、何でまた八重がいつまでも生きているのか? どう観たって、出演者との契約上の都合としか思えん。〝まひろ〟という呼称や、頼朝と義経の不仲のように、記録に遺っていない部分の〝解釈〟で物語は発展するが、史実がねじ曲げられるのはうんざりだ。梶原 景時の失脚を大好きな俳優、中村 獅童が想像以上に演じきったのを最後に、以降は観るのを止めた。元々、北条 義時なんぞ、大河ドラマに抜擢するほどの人物だとは思っていないし。
 
 って云うか、何で空海とか演らないのかね? 真言宗以外の宗派の人達からも放送受信料を徴収している都合からなんだろうけど、頼朝だの義時なんぞよりも、ましてや澁澤 栄一なんぞよりも、今のこの荒れ荒んだ世の中には必要なんじゃね? 
 
 閑話休題。弟が送ってくれた副読本の1冊を母はしばらく眺めていたが、やがてベッドの上にポイッと放り投げた。その拍子に表紙が少し折れた。無論、ダジャレではない。
 おいおいおいおい・・。幾ら身体の調子が悪くても、それはないだろう? 折角、送ってくれたのに。やつだって決してヒマじゃないんだぞ? 会社に残れるかどうかの瀬戸際だとか何とか云ってたぞ?
 
 その憤懣を帰宅して細君に話したら、「さもありなん。」
 
 はあ?何でだよ? 弟は弟なりに出来ることを精一杯やってくれているんだぞ? 感謝の気持ちを忘れたら人間じゃねー、と力説したら、
「兄弟揃って何やってんの? お母さんがほしかったのはHDDでも本でもなく、施設を訪ねて大河ドラマの話をする相手と、その時間だったんじゃないの?」
 
 なるほど! だ、そうだぜ?>弟

 

 

※文中敬称略
※母:2024年7月2日没 享年87

  
 

 相変わらず音楽の話ではなくて恐縮。表題は気になる日本語の用例として引用させて頂いている。THE ANIMALSが1964年に発表した「朝日のあたる家(:The House Of The RIsing Sun)」は無論、大好きな楽曲には違いないんだけど、この邦題を観たり訊いたりする度に何処か落ち着かなく、腑に落ちない気分に苛まされる。
 自らこの言葉を発することは、先ず絶対にないと云うか、出来ないと云うか、舌がそのように廻らない。
 幼稚なような気がして。
 
「朝日〝が〟あたる家、だろう?」
 
 亡父は長男の私には厳しい面もあった。「赤ちゃん言葉を使うな!」と張り倒されたことさえある。小学校の教員だったが、暴力教師であり、また、星 一徹的でもあった。
 2つ下の妹や6つ下の弟をそのように虐待していた記憶はない。彼等は常に兄や姉に追い付こうとする、ガッツ溢れる性分だからな。赤ちゃん言葉なんぞ元々使わない。
 
「朝日〝の〟あたる家」は何故〝誤り〟なのか? 無論、父には何度も確かめている。〝の〟は所有や形容を示すからだったか。用言の〝あたる〟の体言は〝朝日〟だからか。
 なるほど。「私の城下町」や「情熱の嵐」や「ピンクのモーツアルト」〟の〝の〟には、何の異存も違和感もない。
 
 それが正しい日本語だと信じて50を過ぎてから、そうだ!父が好きだった芥川 龍之介はどうだろう!?と読み返してみたら、何だよっ!? どの作品だったか忘れた・・、と云うよりも「朝日のあたる家」のような記述は、色々な作品のあちこちで通常的に用いられている。
 
 純粋な教育者であったことは間違いない。
 
 世界中に何億という元教育者なり現役の教員がいても、最強は父だ。芥川は元より、早くからありとあらゆる本を与えられ、勤務先の図書室の廃棄処分を持ち帰ったり、児童から借りたり、また、没収したマンガ本を一晩だけ〝また貸し〟してくれたこともある。石森 章太郎の『太陽伝』はその1冊。いや、上下2巻。横山 光輝の『水滸伝』全8巻も読破したな。

 

 
 
『文部省できまった 国語の早わかり』(毎日新聞社)は、新品をたぶん、衣笠仲通り商店街に在った早野書店で購入してきて、手渡された記憶がある。刊行は1970年。
 
 不在時に父の書斎に忍び込んで、無許可で読んだワケではない。その偉大なる教育者の父に母が唯一、疑問を提示していて、私自身も母に同感している方針に「その子にはその子の年齢に合った本がある」があったが、「その子にはその子の興味に合った本がある」じゃね?
 
 風邪をひいて休んだ際に、妹と一緒だった子供部屋の2段ベッドの下段で読み耽った記憶もあるので、読破は小学校4年。小学校5年から中3の2月だか3月まで、私は小中学校を1日も休んでいないからな。
 
 父から与えられた書籍の中では珍しい指南書の類いで、退屈極まり無い1冊だった。百科事典ならまだしも、辞典を読んでいるようなカンジ。
 余りにも退屈だったので、何年か経ってから父に返却して、2023年の10月までは実家の南側の書斎(※北側にも在る)の書棚に収まっていたが、何故かその後、1か月程度の間に消え失せてしまっている。
「朝日のあたる家」のような用例の是非を確かめたく、貸借した私自身が何処かで紛失してしまったのか、或いは現在は私の書斎の何処かに在るのかも知れない。
 
 黄色いソフトカバーで、当然、右開きの表紙を開いて、早速1ページ目に記されているのは、
 
>×父さん
>×母さん
>とは書かない。
 だ。無論、縦書きで。
>〝父〟は〝ちち〟、或いは〝フ〟と読み、〝とう〟とは読まない、とまで記されていたような。
 
 なるほど!
 
 梶原 一騎の名作中の名作『巨人の星』の星 飛雄馬は、父であり、もはや国民的英雄の星 一徹を「父ちゃん」ではなく「とうちゃん」と呼んでいる。気になって、同じ梶原作品の『愛と誠』を読み返してみたら、星 飛雄馬のような貧乏人の小倅ではなく、ブルジョワ令嬢で才色兼備の早乙女 愛でさえ、父親を「お父様」ではなく「おとうさま」と呼んでいる。知ってた?
 
 国民的英雄を監禁したり、国民的女優を日本刀で脅したり、結局、哀れな末路を辿ったものの、梶原は常に出版社にネーム(※マンガに於ける文字原稿)を一文字たりとも変えない要求をしていたらしい。それは自らが正しいと信じる日本語を読者である少年達に伝えたかったからではないだろうか?
『巨人の星』の週刊『少年マガジン』誌への掲載は1966年なので、文部省できまる以前から、彼は〝父さん〟とは書かないことに拘っていたんだな。
 作家は哀れでも、作品は永久に不滅。The Work Remains The Same也。
 
 父はその梶原 一騎が大嫌いだったが、案外、同類相哀れむ・・、否々、終生のライバルだったのかも知れんな。代表作の『巨人の星』、『あしたのジョー』、『愛と誠』、『ジャイアント台風』は元より、少年文庫小説作家時代の作品も読み返してみる価値がある。
 
 それもまた昭和史なんだからな。父が大好きな。
 
 
※文中敬称略 

(1987.5.8.:Detroit Joe Louis Arena)
 
 
 それでも約5年間(:1984年4月 - 1989年5月)続いた第5期の中盤、1987年5月8日。デトロイトのジョー・ルイス・アリーナに於ける公演を収録した〝DVD〟である。
 ジャケットの中央には、見上げた角度から撮影されているため、やや細めで、しかも〝内股の(!)〟イアン・ギラン。左側にロジャー・グローヴァー。右側にリッチーだから、てっきし第7期〜第9期のRAINBOWかと!
 収録曲は、
 
・01.Perfect Strangers☆
・02.Hard Lovin' Woman★
・03.Bad Attitude★
・04.Child In Time
・05.Difficult To Cure△
・06.Knockin' At Your Back Door☆
・07.Lazy
・08.Space Truckin'
・09.Woman From Tokyo
・10.Black Night
・11.Smoke On The Water
 
 全11曲、1時間22分33秒。1公演の部分収録と思えるが、新譜『THE HOUSE OF BLUE LIGHT』(:1987)の宣伝は2曲(★印)。前作『PERFECT STRANGERS』(:1984)の宣伝も2曲(☆印)。RAINBOWと云うか、この当時のリッチーの鉄板が1曲(△印)・・なだけ。(笑)
 07.以降はガチなDEEP PURPLEの聴き慣れた演奏とは異なる、怒濤の演奏を楽しめることがウケアイだ。
 
 音は悪い。滅茶悪い。非っ常ぉぉぉに悪い。
 
 特にロジャーのベースは全編に渡って、殆どまったく聴こえない。アンコールの(?)09.以降は、監視員の眼が光っていたのか、時たま音声が途切れる。
 細君等は「もっと、ちゃんと聴けるのをYouTubeで聴けばいいじゃん!」と宣うが、この日の演奏を聴いてみたいんだけど、この音源でしか聴くことが出来ないとしたら、この音源で聴くしかないだろう? 当たり前のハナシだ。
 あちこちで同じことを何度も記してきたけど、いいか? 人間が奏でる演奏と云うのは、その時のその1回しか存在しないんだ。合奏となれば尚更、多様性に富む。
 
・リッチー・ブラックモア(g.)
・イアン・ギラン(vo.)
・ロジャー・グローヴァー(b.)
・ジョン・ロード(kb.)
・イアン・ペイス(ds.)
 
 5人のうち、ソング・ライティングに常に名前を連ねているリッチーとロジャーの2人の前職は云う迄もなくRAINBOW(第9期)だ。従って、至って個人的な主観に過ぎないが、ソング・ライティングにしても、アレンジにしても、アンサンブルにしても、そして何よりも演奏にしても、RAINBOW色が濃いような気がしている。無論、ロジャーが参加した、第5期以降のアメリカンRAINBOWね。(笑)
 ロードとペイスは何処へ行ってもそれなりの力量を発揮出来る人。唯、06.で聴ける、ロードのハッピーなピアノ・ソロは珍しいんじゃね?
 
 ギランはやはりDEEP PURPLEを決定付ける〝顔〟なので、RAINBOW色が濃い★印や☆印には無理があるような・・。って云うか、★印や☆印は、それこそジョー・リン・ターナーにでも唄わせておけばいいんじゃね?(大変失礼!!!笑)
 
 むしろ、往年の名曲の数々を、アメリカンRAINBOWやWHITESNAKEを経験した人達が、どう変化して対応しているのかが最大の聴き処だろう。
 肉体そのものが楽器のギランに、04.の超高音シャウトはやはり無理だが、07.〜11.で聴ける絶叫はまだまだ健在。また、07.のハーモニカは上手くなっているような。世界最大最古のロックン・ロール・バンド、THE ROLLING STONESと、DEEP PURPLEの共通点は、アルバムの録音に使用したことがあるモービル・ユニットの他に、ハーモニカの名手が居ることだ。
 
 尚、この音源は〝DVD〟だが、今やHuluだのYouTubeだので相当複雑化した我が家のAV機器を単独で扱えない私は、ムカシ通り、SONYのCD/DVDプレイヤーとスピーカー、BOSEのプリメイン・アンプで音声のみ確認。
 
 同時期、同ツアーの様子が遺されているYouTube動画として、下記を見付けたが、ギラン、案外スマートだな。髪も沢山有る。ジョー・リン・ターナーと観間違えても、無理はないだろ?
 断っておくが、ターナーも大好きなヴォーカリストの1人で、RAINBOWやDEEP PURPLEに参加したのがマチガイで、THE FACESやTHE ROLLING STONESのような楽曲が似合いそう。HR/HM専門誌では、その辺りが解らんのだろうな。(笑)
 
 https://www.youtube.com/watch?v=v74k3qiXets
 
 YouTube動画への不満は、コンテンツの掲出責任が余りにも希薄な処だ。現に上記動画には、撮影日時も楽曲名も何もない。動画に依っては、音と絵が一致していないツクリモノも珍しくないから、先ず、それをチェックするのに一手間。
 
 駄目だ。お歳暮の発注とか、ここ数年ではメズラシク喪中ではない今年は、年賀状の発注もしなきゃならないのに、聴き始めると、云わゆる〝ながら〟作業が不可能。

 まさにDifficult To Cure也。
 
 
※文中敬称略
 
 
 
 

 

 全盛期の同誌は常に300ページを軽く超えていた。
 
 同じ〝Play〟で始まる米国版月刊『PLAYBOY』誌を凌いで、世界一の中綴じ雑誌だったらしい。中綴じ雑誌は通常、馬鹿デカいホチキスの針の2点止めだが、当時の同誌は真ん中にもう1本、外側に向けた針で補強された3点止めだった。1冊全部、燃やしてみそ?ぶっ太い針が3本残るはずだから。
 
「でも、殆どが広告じゃねーかよう!」と〝不満〟を持たれる方は、既に素直や純粋を通り越して、かなりのバカ。少なくても同誌の読者ではないから逝ってよし。(笑)
 純粋だけではメシを喰っていけないことを教えてくれたのもこの会社であり、この雑誌であり、西新宿の母であり、兄弟姉妹達だった。
 
 同誌では毎年末に、古くは〝読者人気投票〟、私が在籍していた頃には〝Player Reader’s Poll〟という、読者アンケートの集計特集があった。その結果、もっとも興味が持たれていたページは実は広告ページで、2位は先述の〝Billboard〟。毎年、ね。
 
 そこにこの会社と雑誌の凄さがあった。
 
 誰が決めたのか知らないけど、日本の雑誌には、広告が総ページの5割を超えてはならない暗黒の掟があるらしい。全300ページだったら広告は150ページ未満。最少でも150ページの編集ページを制作しなければならない。
 一応、バカ共に教えといてやるが、広告ページというのは、出版社にお金が入ってくるページ。編集ページは出版社がお金を支払って作るページで、その差し引きが収益。
 え?何?収益は読者が支払う購入価格だろ!?って? バカ云ってんじゃねーよ。僅か500円で○○万冊実売したところで、それは製版、印刷、ホチキス3点留めの製本代くらいにしかならん。つまり経費。同時期、カラー・ページ数や使われていた用紙の重さ(:要するに厚さ)は比較にならなくても、月刊『PLAYBOY』誌は1,200円くらいしなかったか? 末期の同誌は平綴じになったけど、¥2,000を超えて、最終号は¥2,400!!!
 
 如何に低価格で、如何に沢山の情報を如何に沢山の読者に送り届けるか。それこそが社主の夢だったことは間違いない。
 
 そうそう!
私が入社した頃にはまだバブルの景気が続いていた。同年代の友人達が破格のボーナスを貰って、豪華な海外旅行や結婚式が頻繁だった一時期にも関わらず、堅実な同社では何もなし。だが、その堅実性が結果的に55年の歴史の半分以上を刻んだことになる。
 
 更に凄いのは・・。
 
 編集ページを120ページ作るのと150ページ作るのでは製作コストは当然、1.25倍異なる。判るよね? ところが同誌は120ページ分の制作費で150ページを作り続けてきた。何故か?
 メンバー募集のページ〝Billboard〟はアレ、広告ではなく編集ページなので、増やせば増やすほど、広告ページを増やすことが出来る。
 しかも、読者から返送されてきた綴じ込みハガキをそのまま印刷屋さん(※当時は版下屋さん)に入稿するだけなので、原稿料は¥0。用紙は冊子の印刷用紙として最も安価な電話帳用紙。
 強いて云えば、綴じ込みハガキの印刷と雑誌への綴じ込み費用だが、ンなもん、300ページもの月刊誌を毎月○○万部も発注していれば、タダ同然だったのでは?
 ハガキの推敲等の〝編集〟作業は、経理担当者が片手間に従事していたので、人件費もせいぜい0.5人分。
 
 しかもだぜ? 誰に迷惑を掛けている? 誰が損害を被っている?
 
 読者は僅か500円で、バンドのメンバーでも楽器でも、欲しい情報をがんがん探せる。しかも、50円切手1枚増資すれば、メンバーの募集でも加入希望でも、要らなくなった楽器の販売でも、自らが情報の発信者になれる。
 
 私なんぞは毎月、最新号が出来上がれば先ず楽器店の広告を全部観て、Music Man StingRayのウラ通し〝の左用〟を、眼を皿のようにして探したもんだった。在職10年で現物に出会えたのは僅か2本だけで、結局、買えなかったけどな。ポール・マッカートニーでさえ保有していない(と云われた)'70年代製のピック・アップが搭載されている#4001を運良く入手出来たのもまた、在籍していた役得。(笑)
 
 実売部数も伸びていた(らしい)から広告の出稿量・・、要するに情報量は更に増える。広告雑誌は広告雑誌でも世界一の広告雑誌で、楽器業界に於ける専門情報誌中の専門情報誌だった(と思われる)。
 在籍中、このカラクリ・・、うんにゃ、ビジネス・モデルを知った時には「凄え!」と驚嘆したもんだった。
 
 更に、だ。読者と広告出稿主、即ち、楽器製造会社、販売会社、練習スタジオ、音楽学校等々が連携して、バンド・ブームを巻き起こした。後発の『バンドやろうぜ』誌が興り、人気TV番組として『イカすバンド天国』、日本テレビの『24時間テレビ』では24時間、都心の数カ所の会場で、常にアマチュア・バンドが演奏している〝バンドにまかせろ〟なんちゅう企画まで出現した。まさに一大ムーヴメントだっただろ!?
 
 インターネットが普及して、個人情報の管理がうるさくなるまでは、だったけどな。


※文中敬称略
※画像:月刊『YMM Player MAGAZINE』1978年7月号:筆者が高校2年時に初めて購入した1冊(の現物)
 

 

 

 

 

 
 
 表題は2023年7月に〝廃刊〟になってしまった月刊→隔週刊→月刊→季刊『YMM Player MAGAZINE』誌を発行していた、(株)プレイヤー・コーポレーションが新入社員の採用面談の際に、履歴書の他に唯一、提出を課していた小論文のタイトルである。文字数は原稿用紙5枚程度だったか。少なくても私が在籍していた1986年から1996年の10年間に入社した社員は全員、この作文を記している(はずだ)。
 私が読者だった1978年から1986年の8年間もそう。全6名中、5代目の編集長だったN先輩は、面接当日、同社に最寄りの新宿駅の定期券売場の申込書を作成する台の上で、ヒモで括られたボールペンで急遽、用意されたと訊く。
 早いハナシが、同社は同じ募集告知(広告)の版下の締切日だけ貼り換えて、何10年も使い廻していたワケだな。(笑)
 
 刊行は1968年。
 
 18年後の10月、私は新宿警察署に近い青梅街道に架かる大きな歩道橋の上で、パロマのネオン・サインを観ながら途方に暮れていた。この小論文を書き上げて来なかったので。
 故に37年を経た今。(笑)

  
 都庁は丸の内に在った。その数年後にキングギドラが破壊した西新宿の高層ビル群(※正確には、キングギドラに跳ね飛ばされて後ろに転んだゴジラが壊した)は未だ、京王プラザホテル以外は、安田、野村、三井、住友の各ビルしかなく、「あの、往き方が判らないんですけど」と、同社にアポを入れた電話ボックスの周囲には、依然として淀橋浄水場の跡地が拡がっていた。
 因みに、青梅街道にかかる大きな歩道橋も、パロマのネオン・サインも、その後、後輩社員達と排骨麺を喰いに何度か出掛けた〝昌平〟もまだ在る。排骨麺よりも、つけ麺がウリになっているみたいだけど。(※2023年11月現在)
 
 それでも何故か採用して頂けた。後々、社主に理由を尋ねたら、「髪の毛が長くてロックっぽかったから」。
 おいおいおいおい。だが、今、思えば、この昭和17年生まれの女性社主の夢が、55年間の歴史を刻んだのだろう。
 
 人生は音楽雑誌と共に開かれた。
 
 例えば結婚とか。同誌と云えば、何と云ってもバンド・メンバー募集、または加入希望の情報交換ページ〝Billboard〟だろう。約35年前から今も居る細君がこの雑誌を買って、キーボーディストを募集しているバンドを探したのが発端。
 結婚式には社主、編集長、K先輩社員が列席してくれた。そのご恩を私は生涯、忘れることはないだろう。
 
 結婚祝いに社員全員で贈ってくれた姿鏡は、今も自宅の玄関に在る。その鏡に向かって先日、猫がげろを吐いて、鏡面と木製の枠の僅かな隙間にげろが詰まってしまったので、爪楊枝を使って丹念に掃除をした。猫には当然、「たわけぃ!」
 退職の記念品に贈られたセガ・サターンも在るぞ? 無論、完動品だ。
 
 現在でも時折、『出版健保基金だより』という小冊子が郵送されてくる。特に気に留めていなかったが、還暦を過ぎた或る日、調べてみたら、加入は1986年。「鈴木さん、入れておきますよ?いいですね?」程度の確認は当然、あったんだろうけど、社主が社員の老後まで考慮してくれていたんだね。お陰様で私は年金に加えて、この基金の給付も受けられるみたいだ。月額に換算したら160円くらいだけど。
 
 入社早々、年齢や学年は1つ下でも入社が1年早かったK先輩から、「○○さん(:社主)を母と思い、○○さん(:広告部長〜第4代編集長〜社長)を兄と思え」という訓示を頂戴した通り、如何にも家族的で暖かな会社だった。
 
 だっちゅーのに、折角、入社した翌年の初夏、編集社員6名全員が一斉に辞めてしまった。1980年代前半にLOUDNESS(:ESP)やBOOWY(:Fernandes)をいち早く取り上げた栄光の第3期編集部で、面々は退社早々『バンドやろうぜ』(宝島社:1988〜2004)を創刊している。辞めた会社や雑誌に対して、如何にも当てつけがましく。(笑)
 
 編集部6、広告部4、社主、社長、事務、デザイン2と、計15台しか机がない小さな会社で、一気に6人も辞めてしまえば、残りの社員は凄惨を極める。お風呂セットを常備して会社に常駐して、何処其処の銭湯は汚いとか、何処其処の銭湯はキレイだけど、ホモが多いとか、情報交換しながら約1年間、雑誌を作り続けた。今、思えば、壮絶に楽しかった青春時代! 翌1989年春、危機を乗り切った社員達に、社主は2泊3日の香港旅行をプレゼントしてくれた。無論、中共に返還される以前。
 
 別称ならともかく、蔑称としても〝広告雑誌〟と呼ばれていたのは、如何に素直で単純な時代だったか。(笑)
 
 新入社員が入社して初めて、毎月、最新号が出来上がる度に、社主、社長を含めて開催されていた全体会議に参加して、感想を問われると、先ず口走るのが、

「広告が多過ぎると思います」。
 今、本業なり副業なり趣味なりのYou Tubeやブログ等のアフィリエイトで四苦八苦されている皆様方は思うだろ・・。
「何を仰る?ウサギさんっ!!!」
 
 世間を知らないというか、純粋なばかりで真っ新な人間性を露呈していたというか、青臭いというか。
 だがな、よく憶えておけよ? その純粋さや青臭さがなければ、特に出版物のような購買者の心を掴んでなんぼの事業は成り立たん。
 
 
※文中敬称略
※画像:季刊『YMM Player MAGAZINE』2023Summer号