「ジョンとヨーコのバラード」 | 元祖!ジェイク鈴木回想録

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私の記憶や記録とともに〝あの頃〟にレイドバックしてみませんか?

(THE BEATLES:1969)
 
 
 永チャンの『成りあがり』の文庫本初版の発売は1980年11月20日。ということは、最速でもその日まで、私はこの楽曲を知らなかったことになる。何故なら『成りあがり』を読んで、この〝楽曲名〟を知ったからだ。

 聴いてはいた。高校を卒業した1980年3月の時点で、THE BEATLESの殆どのLPと、FM放送をエア・チェックしたカセット・テープで、当時はシングル「Let It Be」のB面にしか収録されていなかった「You Know My Name」を含めて全曲、完全に制覇していたんだからな。

 それ等を繰り返し繰り返し何度も聴いていた。唯、楽曲名と楽曲が一致していなかっただけだ。それは後期にあまり興味が湧いていなかったことと、俗称〝赤盤〟と〝青盤〟は、収録曲の重複がおもしろくない理由から保有していなかったからだ。この2枚組×2作は現在でも保有していない。

 更に、この楽曲名だ。バラードだぜ?バラード! 当時までに知っていた〝バラード〟と云えば・・、

・「みなしごのバラード」タイガーマスクのエンディング・テーマ(1969)
・「虹と雪のバラード」トワ・エ・モア(1971)
・「やつらの足音のバラード」かまやつ ひろし他(1974)

・「母に捧げるバラード」海援隊(1975)
・「あんたのバラード」世良 公則とツイスト(1977)

 どれもスロー・テンポで、どちらかと云えばマイナー調だべ?「ジョンとヨーコの〝バラード〟」という楽曲名から、誰があんな脳天気なロックン・ロールを想い浮かべる?
 ジョンにはまた「やられ」ちゃったね。(笑)

 よっぽど気に入っていたのだろう。永チャンは『成りあがり』で、1972年6月のCAROL結成までの苦闘期に、この楽曲名を度々取り上げている。元々はヴォーカル1本だったのに、ベース・ギターを兼任するようになって間もなく、「弾きながら唄えるようになった」とも。

 凄くね?

 この楽曲のベースは長らく、ジョンがFenderのBass Ⅵで弾いて、ポールが叩くドラムに合わせて一発撮り・・、が通説だったような気がするけど、実際にはドラムもベースもポールで、無論、別トラックらしい。少なくても、ジョンがベースを弾きながら唄って録音した記録や、そうしなければならなかった理由も窺えない。

 永チャン自身も「口と合わないし、苦労した」と記しているけど、そりゃそうだべ? ご本家でさえ演っていないんだから。
 だが、永チャンだからこそ「苦労した」程度で演れたのは、すぐ後のCAROL時代のベース & ヴォーカルから充分に窺えよう。「ファンキー・モンキー・ベイビー」なんて、この楽曲より難しいぜ。ソロになって、ベース・ギターを弾かなくなってしまったのが非常に惜しい。ポールやスティングは今でも弾いているのに。

 THE BEATLES・・、特に中期以降のポールは、ジョンやジョージが唄う楽曲では、唄メロとは異なるリズムのベースで目立ちまくるけど(笑)、自分が唄う楽曲のベースは「Get Back」にしても、WINGS時代の「Jet」にしてもさほど難しくない。だが、初期のロックン・ロールは、まさしく永チャンがベースを手にしたきっかけとなる「ポール・マッカートニーもカッコいいやつだし」で、それがそのまま永ちゃんのTHE BEATLESのような・・。

 知っているロック・バンドが7つくらいしかない私が選ぶのもナンだが、世界3大ベース & ヴォーカリストたぁ、THIN LIZZYのフィル・ライノットと、永チャンと、ジャック・ブルースで決まり! 順位同。3番目の人(と、ジィン・シモンズ)はズルの天才!(笑)

 ともあれ、THE BEATLESのファンは元より、メンバーであるジョージやリンゴにまで呆れられたというこの楽曲を、永チャンの他に好んだミュージシャンとして、元THE ROLLING STONESの故ブライアン・ジョーンズがいる。
 丁度、THE ROLLING STONESから解雇されて寂しかった折に、ジョンから直接、リリースされたばかりのシングル盤を贈られて、涙を流して喜んだ、と何かで読んだような気もするが、・・だけじゃないでしょ。

 この楽曲、私には「とんでったバナナ」の印象がある。何て云うの?ああいう軽快で明るい南国系の音楽ジャンル。「とんでったバナナ」のベースのリフが合わないこともなく、また、ポールのベースは何の変哲もない唯のロックン・ロールだけど、リード・ギターで「とんでったバナナ」みたいなオブリガードを入れて情緒を加えている。

 それがインド音楽を始め、ワールド・ミュージックにいち早く傾向していたブライアンの琴線に触れたかどうかまでは知る由もないけど、ワールド・ミュージックをそのままレコーディングする段階でしかなかったブライアンが、ポップ・ミュージックにワールド・ミュージックの要素を取り入れたジョンとポールの工夫に刺激を受けたのでは?と、勝手に推測・・。如何?
「ジョンとヨーコのバラード」の英国発売は1969年5月30日。ブライアンが亡くなったのは同年7月3日。この楽曲を僅か1ヶ月ちょっとしか聴けなかったのは余りにも可哀想。 
 彼(と、Lemmy)だけは是非一度、墓参しておきたい所存。

 それにしても「ジョンとヨーコのバラード」から『成りあがり』まで僅か11年! 『成りあがり』からジョンの死まで僅か19日!「1969年以降、そのスピリッツは失われた」と謳われる以前の時代に憧れはあっても実感には乏しい。

 自らもっとも多感だった時期と合致していた、その11年と19日のほうが、私には圧倒的に大切だし、また興味深い。


※文中敬称略
※参考:『成りあがり』矢沢 永吉:1980
※写真:「ジョンとヨーコのバラード」THE BEATLES:1969