Information(2017/01/31)
 
 相変わらず、長編SFホラ小説を執筆中です。
 いい加減、書き上げたい所存です。
 ご期待戴ければ幸いです。
 今後とも宜しくお願い致します。
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2017年10月19日(木) 00時00分00秒

 焦がしごまみそラーメン

テーマ:くいしん坊!腹スカシ

 

 

 これがまた美味也!!!

 

 毎度、歯科治療の後、自分へのご褒美として喜多方ラーメン坂内に立ち寄るのだが、昼めしを喰ってから出掛けた日は、あまり喰うと流石に晩めしに支障を来すため、おやつ程度に、丼を埋め尽くした焼豚の上に辛口のねぎがふんだんに乗せられた、ねぎ焼豚ラーメン辺りでセーブしておくものの・・、期間限定メニューとなれば、ハナシはまったく別だ。何たって〝期間限定〟なんだからなっ! 次はいつ喰えるか判らねーんだし、或いは生涯喰えねーかも知れねーんだからなっ! また、これ迄の期間限定メニューに裏切られたことは、唯の1度の半分もねーんだからなっ!

 選択しねー理由のほうが、むしろ思い当たらん。

 

 席に着き、「お決まりになりましたら・・」とか訊かれてる最中に即、「あれ!」と、上記のポスターを指して注文。微塵の迷いもなく。

 

 唯、1つだけ心配があった。

これ迄に幾度か同店に立ち寄っていても、何れも醤油ベースの定番メニューか、或いは塩や酸辣麺のやうな期間限定メニューばっかしで、味噌は喰ったことがない。ラーメンたあ基本、鶏ガラ出汁の醤油味を好み、味噌や塩や或いは期間限定メニューは、それを色付けたり倍加するメニューと勝手に決めつけている。また、私は独り淋しいチョンガーではなく、常日頃は細君がこしらえてくれる食事に恵まれているため、外でラーメンなんぞ喰う機会はそふそふ多くなく、味噌に行き着く機会には、そふそふ恵まれていなかったのだな。

 

 で、程なく配膳され、麺を1摘まみ・・。ンまい!!!

麺は無論、いつもの〝しこしこ太麺〟だ。喜多方ラーメン坂内(/小法師)の偉いところは、期間限定メニューであっても、常に通常の〝“売り〟である〝しこしこ太麺〟と〝とろける焼豚〟が外されることがなく、むしろ、その〝売り〟を別の味わいで楽しめるサービスに徹し、また、メニューとして存分に確立している処にある。同じ〝期間限定〟でも、例えばハンバーガーの某大手チェーン店のそれは、まあ5割の確率で、私は選択しねー(出来ねー)な。それはいつもの〝売り〟から逸脱しているか、或いは大して違わないことが稀ではないからだ。

 

 今回の〝焦がしごま〜〟の妙は先ず、ふんだんに盛られた野菜が、まるで二郎。(笑) キャベツ、もやし、人参、ニラ等を確認したが、何れも生に近く、こりこりシャキシャキした食感の上に、茗荷等の香菜が微妙に含まれていて、1口毎に異なる味が楽しめる。それもまたこの店の〝売り〟の1つだが、焼豚を始め、ラーメンにトッピングされるほとんどの具材が、冷蔵庫から出したばっかしの冷えた状態ではないため、ラーメンを冷まさない。

 

 スープは味噌で、むしろ大正解!

何と云っても今回の目玉は〝焦がしごま〟なんでな。その半擂り状の胡麻とのマッチングは、やっぱし醤油よりも味噌だろう。胡麻はスープの表面にも多々浮いているものの、擦られた部分がスープの中にも溶け混んでいて、これがまた絶妙! また〝焦がしごま〟は〝焦がしごま〟故に、その焦がした香ばしさがピリ辛のラー油とベスト・マッチングしていて、これがまたレンゲで1すくいする度に、異なる味を醸し出してくれることもウケアイだ。

 

 この店の期間限定メニューは、まあ大体いつも「あれ?これ、何だっけ?何の味だっけ?」の連続だ。今作では前述の茗荷に加え、販促ポスターでも唱っているピーナッツだろう。それは、その味よりも、その独特の食感と歯応えで、「あれ?これ、何だっけ?」を通り越して、「よくこんなマッチングを思い付いたな!」。それはまるで、THE BEATLESのベーシストだったポール・マッカートニーが、特にジョン・レノンやジョージ・ハリスンが創った曲で、在り来たりではないベース・ラインを編み出してるみたいな・・。

 

 夕方5時前だっちゅうのに、私が喰ってた僅か15分程度の間に、新たな来店客が3人。3人とも単独ながら、2名は女性。3名とも何ら迷わず、やっぱし〝焦がしごまみそラーメン〟を注文していた。

 

 さもありなん。

私は決して奇をてらうほうではなく、例えばこの喜多方ラーメン坂内/小法師だとか、THE BEATLESだとか、万人ウケをするほうを好みがちで、ユーライア・ヒープとかは先ずあんまし聴かナイ。(笑) 喜多方ラーメン坂内/小法師もまた奇はてらわず、万人ウケをする創作料理を提供し続けている。

 

 現在、国内外で65店舗程チェーン展開していて、中には期間限定メニューを取り扱っていない店舗もあるらしひが、一体、何人の人がこの美味の恩恵に授かっていることだろう!? 何処で考案され、研究され、創作されてきたのか知る由もないが、創った人はその冥利に尽きることだろう。創作家っちゅうと、一般的には画家だとか、彫刻家だとか、或いはグラフィック・デザイナーなんぞが該当するのかも知れんが、本人しか解らない芸術品なんぞこさえてるよりも、広く大勢の人々に喜ばれたいもの。

 

 因みに、喜多方ラーメン坂内/小法師の期間限定メニューは、まあ大体、日本国内で産出されている極々々々一般的な具材で構成されていることも特徴の1つだろう。拉麺という国外原産の献立を完全に日本の食文化に溶け込ませて、更に昇華している功績も非常に大きひと思はれる。

 

 当然、完食!

丼の底のほうに残ったピーナッツの感触を楽しみつつ、スープを1滴残らずすすり上げたのは、何年振りだろう・・? 無論、親を質に入れてもオススメだぜっ!

 

 

 

 

 

 

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2017年04月04日(火) 00時00分00秒

 実録!AEROSMITH

テーマ:MUSICIAN

 


 2001年4月4日に、ZEPP TOKYOで開催されたシークレット・ギグ(※MTVの録画撮りだったらしひ・・。詳細は知らなひし、別に知らなくてもいひ。笑)で演奏された楽曲は、

 

①「Jaded」(2001)
②「I Don't Want To Miss A Thing」(2001:※映画『アルマゲドン』のテーマ)
③「Big Ten Inch Record」(1975)
④「Mama Kin」(1973)
⑤「Walk This Way」(1975)

 

 の5曲で、①〜③と⑤はたぶん、予定通りだったと思われる。
共演者は、

 

・DRAGON ASH
・AIR
・LOVE PSYCHEDELICO

 

 会場を埋め尽くしていたオーディエンスの大半は共演ミュージシャンのフォロワー達であり、AEROSMITHと云えば『野獣生誕』や『闇夜のヘヴィ・ロック』等ではなく、当然②!の世代。それ故に、確かに①〜②ではその若き熱気に包まれていたものの、③では火が消えたような静けさが・・。バンドは恐らく、「こんなAEROSMITHもあるんだぜ?」っちゅう思惑だったと思われるが。

 

 当時39歳だった私は、スティーヴンのマイク・スタンドに多々巻き付けられているスカーフが顔に当たりまくる最前列で、同年代のカメラマンと2人で拝観していた。ZEPP TOKYOのようなスタンディング形式を最前列で観られる年齢じゃあないし(※50歳の時に、同会場のやっぱし最前列でMOTLEY CRUEを観たが。笑)、また、そのやうな行為を業界では何故か「格好悪い」とか「ご法度」みたいに捉えていた。同年代の業界人も少なからず取材に来ていたが、其処は皆んな、オトナ・・。後ろの方の座席にちゃんと着座してたね。②までは。

 

 ところが、③が始まると、意気消沈の最前列周辺を含むアリーナ全体とは裏腹に、その後方の座席からもまた、多少控えめながらも「おおおおお・」。やっぱし、な・・。だろっ?だろっ?(笑)

 

 で、④だ。
下記のブログは、大いに参考にさせて頂きながら甚だ恐縮ながら、或いは、おれの記憶違いかも知れないが、ちょっち違うと思われる。何しろ筆者が運営サイドの方なんで。当然、書けナイ事もあるし、また、コンサートの最中、ずっと観続けているワケにもいかない事情もあるだろうからね。何たって〝仕事〟なんだからさ。あ、おれも、だけど。(笑)

 

 ジョー・ペリーがそのイントロを弾き始めて、そのサプライズにスティーヴンが、ステージ上であのマイク・スタンドを握り締めたまま、思いっ切し「ムッ!!!」とした表情を観せたのは、④だったと思う。

 

 最前列で「おおおおおっ!!!」なんちゅう歓声を上げていたのは私だけで、同行していたカメラマンは当初、イントロだけでは判らず、それでもやっぱし「何だっけ!?何だっけ!?この曲!」と興奮気味で、「Mama Kinだあ!Mama Kin!」と伝えると、時間差攻撃で「おおおおおっ!!!」。たった2人だけで、周囲の〝若者たち〟の冷ややかな視線を、思いっ切し浴びまくり・・。快感。(笑)

 

 2001年なのだよ?2001年。
1986年にRun-D.M.C.のカヴァーで、復活の兆しとなった⑤はお決まりとして、また、復活以降のファン達への③までは許容範囲としても、その当時、たった4〜5曲しか演奏しない(出来ない)ワクの中で、復活以降の楽曲が占める割合が半分以下なんちゅう計算は、少なくてもスティーヴンにはなかった筈・・。1999〜2000年の年越し来日公演の各演奏曲目の盛り上がりから、「Mama Kin」以上に〝演るべき〟曲が幾つもあったんだからさ・・。例えば、「Angel」とか?「Janie's Got a Gun」とか?

 

 つまり、ジョー・ペリーは〝勝手な事〟をしたのだ。

 

 云ってしまえば、プロとしてあるまじき行為?
1950年9月10日生まれだから、当時50歳のいいオトナとしても、社会人としても、あるまじき・・。あるまじろ・・。あるまげどん・・?

 

 何を云いたいのか、解るかい?
これが〝ロック〟なのだよ、ロック! ロックたあ、唯ひたすら音量がデカくて、リズムが激しい音楽形態の名称ではなく、その衝動の名称と弁える。ジョーはたぶん、その時に「Mama Kin」を演りたかっただけなのだ。唯、それだけ。
 解らなければ解らなくていい。去れ。(笑)

 

 大方のプロ・ミュージシャンといふのはな、まあ大体、レコード会社や音楽事務所と契約して、大多数の人間の生活を支えている社会的な存在なのである。納税義務もあるし、また、レコード会社や音楽事務所は利益を最優先する、当然至極な社会的使命を担っている。それ故に勝手な事なんぞ〝しない〟のではなく、〝出来ない〟のは、会社や役所にお勤めのキミやアナタと同じ。音楽ファンはお金を払って、その〝仕事〟を聴いたり観たりしていると云ってしまえば、身もフタもないが。

 

 Wkipediaに依れば昨年2016年辺りでも、フェアウェル・ツアーを行った後に解散する説を唱えていたスティーヴンと、それを否定していたジョーがまた喰い違っていたみたいだけど、ジョー・・、もういいって。あんたからは1977年以来、もう充分に〝ロック〟を伝えて頂き、それはおれにとって、棺桶まで持っていける貴重な財産なんだからさ!

 

 
※参考:『HIGH-HOPES管理人のひとりごと(洋楽ロック)』http://ameblo.jp/high-hopes/entry-11400721819.html
   :Wikipedia(2017年4月4日現在の記述)

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2017年01月31日(火) 00時00分00秒

 実録!エドワード・ヴァン・ヘイレン remake

テーマ:MUSICIAN

※脚注
編:(ややゲイ風の)編集者兼通訳
私:(全然ゲイ風ではナイ)私
エ:エドワード・ヴァン・ヘイレン


編「ちょっと!鈴木さん・・。あっちから来るの、ヴァン・ヘイレンじゃないですか!? はっきり云って、ボクはあんまり興味ないんだけど・・。」
私「何、云ってんの? うちの雑誌(※当時、勤めていた某音楽雑誌)でさんざ、お世話になってるんじゃない・・。挨拶しとかなきゃ。」
編「ええーっ・・。」

私「やあ!エディー。」
エ「え?オレ? オレのこと、知ってんの? キミはだれ?」
私「日本から来た音楽雑誌の記者だよ。」(※〝Music Magazine〟の発音だけは、既にポール・スタンリィから習得済み。)
エ「ふーん・・。」(いまいちピンと来ていない様子。)

 場所はロス・アンジェルスの郊外、ディズニー・ランドで有名なアナハイムという街で、現在はどーだか知らないが、当時は毎年、冬に開催されていた『WINTER NAMM SHOW』という、世界最大規模の楽器見本市の会場。
たまたま前方から独りで歩いて来たエドワード・ヴァン・ヘイレンは、その前年に制作していた音楽雑誌の表紙で2回も掲載した写真(※1991年5月号と9月号)とまったく同じ、濃い緑色のシャツを着ていたので、直ぐに判った。
 何しろ、その緑色がなかなか出せなくて、何度も色校を頼んだんで・・。(笑)

私「そのシャツ・・。」
エ「このシャツが何?」

 私のたかが知れてる英語力では、ややこしい会話には通訳を要す。

私「去年、うちの雑誌で掲載した写真と同じだ、って云ってやって。」
編「本当に云っちゃいますよ?(笑) You've Same Shirts どーたらこーたら・・。」

エ「・・・・!」
私「・・・・?」
エ「キミタチは、ボクがいつも同じシャツを着ているとでも思ってるのかい?」
私「違うのかよ?」(笑)
エ「そんなことはないぞ? 何着か持っているんだぞ?」
私「へー、何着ぐらい?」
エ「6着だ!6着!」

 何たって、既に世界的なギタリストである。まさか、たった6着って事はある筈もなく、16着か60着の訊き違いかと思いきや・・。

編「どうやら、本当に6着みたいですね・・。」(笑)
私「Majiかよ・・?」
編「しかも何か得意気で、威張ってるみたいな・・。」(笑)
私「んじゃ、その6着をヴァニティが洗濯してるのかどうか、訊いてくれる?」
編「そんな事、訊くんですかあ・・?」

 すると、我々の日本語の会話から、その固有名詞だけ訊きとって・・。

エ「ヴァニティだって!? 何で、キミタチがうちのワイフを知ってるんだい?」
私「(ややゲイ風の編集者兼通訳に)あんたがうちの雑誌のインタビューで、胎教がどーたらこーたら喋ってたからだ、って云ってやって。」
編「もーー、面倒臭くなってきました。だって、こいつ(;エドワード)しつこいんだもん・・、つまんない事に。」

エ「ねえ?ヴァニティが何?」
編「(英語で)あんたの奥さんは世界的に有名だとか、どーたらこーたら・・。」
エ「(にこにこしながら)そっかあ!そうなんだあ!」(笑)

私「じゃあ、またな!」
エ「うん! またね!」
私「ヴァニティによろしくな!」
エ「うん、ありがとう!」


※はっきし云って実話です。
 まるで下北沢で知り合ったロック仲間みたいな、
 気さくな人柄をお伝え出来れば幸いです!
※文中敬称略(敢えて)
※初稿:2006年05月30日
 
 
 
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2016年11月11日(金) 11時11分11秒

 昭和51年11月11日 re・remake

テーマ:恋愛
 
  
 その日を節目にする計画は、その少し前から周到に企んでいた。

 何たって、昭和5〝1〟年〝11〟月〝11〟日っちゅう、好きな数字〝11〟が並んで、阪神の故村山 実投手に因んだような日付は、その日を逃せば、それからまた10年後の昭和61年まで待たねばならず、それまでは明治天皇の45年間が最長在位期間だったんで、昭和61年なんっちゅう年号には、いまいちピンと来てねーもんがあったんだよねえ・・。

 父親はある時期に、ベーゴマだのメンコだのを本家の裏山にあった〝涸れ井戸〟に全部捨てて、それまでのガキの時分の自分と、敢えて意識的に決別したらしい。

 本家の裏山たあ、実家から約200m位しか離れていなかった旧鈴木家総本家の背後にある急峻で、山頂には祖父母が耕していた畑があり、その端には直径7〜80cm程の肥溜めがあったため、父親がベーゴマだのメンコだのを捨てたのは、長らくその肥溜めだとばっかし誤認していたものの、これもつい最近になって、「肥溜めじゃない。昔、Nさんが住んでいた家の裏にあった涸れ井戸だ。」との弁。
 ンなディテールは、どーだっていいのだが。(笑)

 昭和51年11月の私は、既に中学3年の2学期の終盤に差し掛かっていた。
当時の神奈川方式で重要だった中学3年の1学期迄の内申書(:通知表の成績)から、その時点に於ける私・・、っちゅうよりも、むしろ母親が嘱望していた私の進学先への可能性は、オハナシにならないレベルで、その次に難しい高校も冗談にさえならないレベル。

 母親の嘱望は彼女自身の母校(高7期)であり、全国的にも有名な小泉 純一郎元総理の出身校(高19期)であり、後年、私なんぞとはまったく異なり、非常に優秀な妹(高34期)や弟(高38期)、更に昨今では甥(高68期)等も進学及び卒業している。従って、初期の私の志望動機は取り敢えず「母親の期待に応えたい」とか「がっかりさせたくない」で、それが本当に親離れであり、また父親と同等の〝ガキの時分の自分との決別〟であったか否かはともかく、父親と同様に、何か踏ん切りを着けようとしていた事だけは確かである。

 だが、それまでに私が収集していたベーゴマや、メンコや、怪獣の写真や、仮面ライダーやプロ野球選手のカードは、現在でもすべて保有している。何たって、父親と同じじゃ面白みに欠けるし、ダサイし、何と云っても人類の進歩にならないし、大体、その頃には既に祖父母は畑作から撤退していて、(当時はそう思っていた)肥溜めなんざ土で埋まっていたんで・・。(笑)

 そこで、何故か〝デイト〟をキメる事にした。

 何故なのか、自分自身の過去なのに思い出せない事もままある。
それもまた、こんな回想録なんぞを綴っている醍醐味でもあるんだけど(笑)、これまでの自分自身の思考や志向や嗜好から、敢えて忘れ難い昭和51年11月11日なんちゅう日付を選んで、敢えてデイトなんちゅう忘れ難いイヴェントを〝敢えて創出していた〟可能性が非常に高い。云ってしまえば、自ら想い出を創作していたとか、自ら将来綴る回想録のネタを準備していたとか。(笑)
但、ベーゴマや、メンコや、怪獣の写真や、仮面ライダーやプロ野球選手のカードがそれまでの私なら、デイトはそれからの私だ。
 その辺りは父親と私の時代的な隔日を経た、人類の確実な進歩だろう!(笑)

 だが、その計画には当然、相手が要るわな。
ちゃんと付き合っていた彼女なる者はなかったし、それまでのあやふやなツキアイや遊んだり遊ばれたり(笑)みたいな、いい加減なもんじゃなくて、ちゃんとしたデイトらしいデイトをキメて、自分史を刻んでおかねばならぬ・・。出来れば清く、美しく!

 当然、誰でもいいワケじゃない。少なくてもオフザケじゃないんだからな。
決別たあ門出でもあり、門出の先には新しい自分・・。そのために、それまでの交友関係とはまったく無縁で、まったく面識さえなかったものの、1年生の頃から密かに「いいな」と思っていた、他のクラスの小っちゃな女の子を、そのクラスに居たF君に頼んで媒介して貰った。
 例えれば、そーだな・・、とても静かな若槻 千夏。

 放課後。
まるっきし反対方向の彼女の帰宅路に合わせて、旧陸軍横須賀練兵場の赤レンガの正門から学校を出て、そこもまた旧陸軍時代に名付けられたらしい遅刻坂を下り、汐入3丁目の谷戸から汐入の商店街に出る。冷たい雨がびちゃびちゃ降っていたけど、相合い傘なんぞを洒落込む以前に、限界至近距離が極めて広範囲な私にとって元々不向き。
歩きながら一体、どんな話しをしていたのやら・・?
それでも穏やかな時間が瞬く間に過ぎていたのは、当時の〝初デイト〟は、お見合いみたいなもんだったから・・? まったく面識がない人間とデイトなんざしないでしょ・・、今じゃ。

 商店街を少し歩いて「じゃあね」とか何とか云って、生涯初のデイトらしいデイトを終了したのは当時、京急汐入駅の正面にあった汐入書房の店先だった。

 それもまた当時の横須賀市立坂本中学校のダサい制服を着た、彼女の後ろ姿が見えなくなるまで見送った記憶はない。自分の顔を向けている方向を敢えて、意識的に反転させて踏ん切りとした。遅刻坂でもなく、最短距離のバス通りを一目散に歩いて引き返して、坂本坂上のバス停の傍らにあった、馴染みの高梨理髪店で頭を角刈りにして、その日から多少なりとも勉強して、取り敢えず目的は完遂。
 その辺りにも、もーちっとおもしろい話しがあるんだけど、それはまた後日!(笑)

 ンな事よりも・・、昭和61年11月11日には、月刊『YMM Player MAGAZINE』誌に入社していたんだから、初デイトから就職まで僅か10年!?たった10年!?
その時間的な短さと人生の急激な変動に、今は唯々驚くばかり。
20年後の1996年11月11日はたぶん、同社で有休を消化しまくり(笑)、30年後の2006年にはどん底に落ちぶれて、そのまま40年後の本日に至ってイル・・。無論、不本意。

 今度こそ、明確な節目にしたいね・・、最期の。
 
 
※文中敬称略
・初掲出:2005年11月11日(金)11時11分11秒
・改訂 :2011年11月11日(金)11時11分11秒
・再改訂:2016年11月11日(金)11時11分11秒 ※文中に事実誤認があったため
 
 
 
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2016年01月04日(月) 00時00分00秒

『いま吾輩は猫である』

テーマ:創作小説
【夏目 漱石没後100年 新春ブログ・スペシャル】





「ンニャッ!!!」

※以下、2匹の猫の会話をすべて完全和訳済みです。

「おっと、脅かせてすまぬ。」
「あんた、誰?」
「吾輩は猫である。名前はまだ無い。」
「何よ、偉そーに。」
「君は?」
「あたしはトリノ。」
「とりの? 変な名前だな。」
「トリノ・オリンピックの開会式の日に生まれたから。」
「とりの・おりんぴっく? 何だ?それ。」
「知らないのー? 荒川 静香選手が金メダルを獲った。」
「知らないなー。」
「それよりも、あんた、何で此処に居るの?」
「それが解らないんだ・・。苦沙弥先生ん家(ち)の押入で昼寝してたんだけど、目が覚めたら様子が違うんで・・。」
「此処はあたしの部屋!」
「君の部屋?ただの押入みたいだけど。」
「その何とか先生ん家(ち)が、あんたん家(ち)なの?」
「そう。」
「何メートル?」
「何それ?」
「10メートルでしょ。」
「10メートル? 何だよ?それ。」
「10メートルは1,000センチ・・、〝せんせーんち〟だから。」
「全然、面白くないんだけど?」
「そう?」
「うん、全然、面白くない。」
「うちのバカが、飽きもぜす年がら年中、そんな事を云ってるのよ。」
「うちのバカ?人間?」
「そう。」
「迷亭みたいな奴なのかな・・。」
「めいてい?」
「うん、吾輩ん家(ち)に時々やって来る、イタイ人間だ。」
「バカも相当イタイ人間。」
「そんな感じだね。」
「うん、大嫌い。」
「この家には、全部で何人の人間が居るんだい?」
「2人。もっとも3以上の数は、あたしには判らないんだけどね。」
「わははは、吾輩もだ。」(笑)
「1人はお母さんで、もう1人がバカ。」
「お母さん?母猫かい?」
「ううん、人間だって云ったじゃない?」
「人間のお母さんか。」
「そう、あんたのお母さんは?」
「どこで生れたかとんと見当がつかぬ。」
「そうなんだ。でも、何となく懐かしい匂いがするよ?」
「そうかい?」
「あんたん家(ち)、何処にあるの?」
「センダギっていう処。」
「センダギ?」
「知ってる?」
「知らない。」
「君はこの家で生れたの?」
「ううん、早稲田出身。」
「ワセダ? 何か訊いた事があるような。」
「早稲田大学の〝わせねこ〟ってサークルの紹介で、この家に来たの。」
「ワセダ大学?わせねこ?」
「そう。」
「何の話だかとんと見当がつかぬ。」
「お馬鹿さんねえ・・。」(笑)
「ところで・・。」
「何?」
「吾輩はどうしたら苦沙弥先生ん家(ち)に帰れるんだろう?」
「何か用事があるの?」
「用事って程でもないが、三毛子が・・。」
「三毛子?誰それ。」
「苦沙弥先生ん家(ち)の隣の二絃琴のお師匠さん家(ち)の猫だ。」
「二絃琴のお師匠さん?」
「天璋院様の御祐筆の妹の嫁に行った先のおっ母さんの甥の娘らしい。」
「天璋院?菅野 美穂?」
「かんのみほ?何それ?」
「それとも宮崎あおいかな?」
「君が何の話をしてるのか、とんと見当がつかぬ。」
「あんたの話だって!」
「それよりも、吾輩はどうしたら苦沙弥先生ん家(ち)に・・。」
「それなら簡単。元居た押入を思い出しながら寝てれば大丈夫。」
「本当に?」
「こないだもアメリカの大統領が来てたけど、また此処で寝て、いつの間にか居なくなってたから。」
「アメリカの大統領!?黒船か!?」
「何それ?」
「あ、いや、別に・・。云われてみたら、何だか眠たくなってきたよ。」
「あたしも・・。」
「また遊びに来てもいいかな?」
「いいわよ。あたし、猫の友達、居ないから。」
「そうなの?」
「完全室内飼いだから。」
「何それ?ふわ~っ・・、ああ、眠い。」
「ふわ~っ・・、あたしも。」
「おやすみ~。」
「おやすみ~。」

 そして数分後に目を開いた時には、その淡灰色で斑入りの猫の姿はなく、あたしの部屋にはただただ布団とか、弾きもしないくせに何で置いてあるのか解らないYAMAHAのDX-7とか、あたしのトイレの砂ではなく、ペットシートが沢山積んであるだけだった。


※トリノ(:写真)は拙宅に居候している9歳の雌猫です。
 
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2015年11月03日(火) 00時00分00秒

『いま土方・前編』remake

テーマ:創作小説

※若干好評につき初期の〝押入タイムマシン・シリーズ〟を復刻









 ところで昨日は、時間の歪みから我が家に突然やって来た土方 歳三さんと一緒に、CXの時代劇『大奥』を観た。TVドラマというものが〝芝居〟である事は、既に理解して戴けているようではある・・。

「どーっスかねえ?土方さん、大奥って本当にこんな感じなんですか?」
「こんな感じも何も・・、入った事がござらぬ故に、な。」

 それもそうだ。

「どころで、じぇいく殿。」
「は?」
「あの女将(:TV画面に映っている藤原 紀香さん)は?」
「5代将軍、綱吉公のご正室です。」
「こ!ご正室っ!?」
「・・・・。」
「では、あの女将(:同高岡 早紀さん)は?」
「物語では、綱吉公が新しく迎えられたご側室と。」
「ご側室?」
「ええ。」
「ふーむ・・。」
「それが何か?」
「否、綱吉公等、其(それがし)が知るところではないからのう・・。」
「尤もでしょう。綱吉公の治世は元禄・・、土方さんの幕末から190年近く遡る昔話ですからね。」
「それは解るが。」
「・・・・?」
「綱吉公がそれほど年増好みだったとはのう・・。」
「は?」
「うーむ・・。」
「演じられている藤原 紀香さんも高岡 早紀さんも、30代ですが。」
「充分に年増ではないか。」
「・・・・。」
「えーと、何だっけ・・?へいせい?」
「平成17年です、今は。」
「未来なんぞブスばっかしで、つまらんのう。」
「・・・・。」

 どうも美的感覚にズレがあるやうなので、以降は付き合わず、私は書斎に引き下がり、土方さんには1人でTVを観続けて戴くことにした。
 しばらくすると・・。

「じぇいく殿!じぇいく殿!」
「何スか?」
「未来にもいい女は居るもんよのう!ほれほれ! この女!」

 リヴィングを覗き込んでTVの画面を観てみると、そこにはトイレ・クイックルで便所掃除をしている千秋さんが映っていた。


※初稿:2005年11月20日

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2015年11月02日(月) 00時00分00秒

『いまオバマ』

テーマ:創作小説



「今日、ヨーコが仕事から帰って来たらね・・。」
「またかよ? このパターンも久し振りだけど、誰だ?今日は?」
「ほら・・。」
「何だ、オバマじゃねーかよ。」

 成る程。細君が示すリヴィングの片隅には、何処からどう観ても超極上品質なスーツでキメ込んだ、バラク・オバマ第44代アメリカ合衆国大統領が、背筋を丸めてしゃがみ込んでいやがる。

「呼び捨てにしていいの? 仮にもアメリカの大統領なんじゃないの?」
「いいんだよ、やつはタメ(:同イ歳)なんで。」
「へえ・・。」

「おい、オバマ! 何やってんだ?そんな隅っこで。」
「あ、いえ、ロシアの偵察衛星に見付からないように・・。」
「バーカ、こんな一般家屋なんぞ、見張ってるはずねーだろ? いいから、こっちへ来いよ、ンなところで丸まってねーでよ。」
「は、はあ・・、大丈夫ですかね・・?本当に。」

「日本語、上手えじゃねーかよ?」
「内緒ですよ?」
「アベにバレたら困るんか?」(笑)
「ま、まあ・・。」
「折角だから、いー事、教えてやろうか?おい。」
「はあ、何ですか?」
「アベはな・・。」
「はい。」
「今年からキャッチャー辞めて、ファーストを守るらしいぜ?」
「は?」
「アベはアベでも、シンゾーじゃなくてシンノスケだよ、シンノスケ!読売ジャイアンツの。」
「はあ、すみません、知りません。」
「駄目だなあ・・、日本の事、全然勉強してねーじゃねーかよ?」
「公務が忙しくて。」
「日本ではな、オバマよお。」
「はい。」
「シンゾーなんぞーよりも、シンノスケの方が圧倒的に有名なんだぞ?」
「え?そうなんですか?」
「まあ、おめーんとこも似たり寄ったりなんだろーけどよ。」(笑)
「・・・・・・・・。」
「まあ、そうしんみりするなよ、な?オバマ・・、後でちゃんとホワイトハウスの押入に還してやるからさ。」
「え!?」
「どーいう事情か知らんけど、押入に入って遊んでたら、何故か此処に来ちまったんだべ?」
「どーして、それを!?」
「おめーだけじゃねーんだよ、前のカリフォルニア州知事とか、ダヴィンチなんぞも来てる・・、その押入の中から。」
「マジっすか!?」
「おれ自身、ガキの時分のこいずみじゅんいちろうに会ってきた事もあるしな。」
「ジュン・コイズミ?」
「バカ、〝小泉の純〟は純一郎の親父、純哉で、純一郎は〝伜の方の小泉〟とか〝何てったって小泉〟って呼ぶのが一般的だ。」
「ナンテッタッテ・・?」
「ちゃんと勉強しとけよ?」
「はあ・・。」
「まあ飲めよ・・。」
「は、はあ。」
「あ、タバコは止めたんだっけ? 止めた事にしてるだけだっけ? それにしちゃあ、左手の人差し指の爪が黄色いね?」(笑)
「こ!これも内緒ですよお・・?」
「おめーがぎっちょってのも、ウィキペディアで調査済みだ。」
「ギッチョ?」
「サウスポーの事だよ、おれもそーなんでね。」
「はあ・・。」
「そうそう、サウスポーって云えば、ホワイトハウスにポール・マッカートニーを呼んで、「ミッシェル」を唄わせたんだって?」
「そ、それは・・。」
「ミッシェル・オバマはお元気なのかよ?」
「はあ、お陰様で。」
「おめーよう、そーいうミーハーかつ私的な事に国税遣ってると、益々下がるぞ?支持率が。」
「はあ、すみません。」
「それはともかく・・、なあ?オバマよ、会ったら絶対訊いてみたかった事があるんだけどよ。」
「何でしょう? 戦略核配備計画とか・・。」
「ンな、つまんねー事じゃなくてよ・・、おまえさ・・。」
「はあ。」
「キッス聴いてただろ?キッス。」
「・・・・!」
「ポール・マッカートニーは年代からして、ちと後乗りで・・、おれ達の世代と云えば、やっぱし・・、キッスだろ!? キッス!」
「そ、それは・・。」
「You keep on shoutin', you keep on shoutin'・・、I~♪はい!」
「Wanna rock and roll all night and party every day・・、I~♪」
「Wanna rock and roll all night and party every day・・、I~♪」
「チャーンチャッチャ、チャンチャチャン!」
「知ってんじゃねーかよ?」(笑)
「はあ、けど立場上・・。」
「バカだな、立場上、はっきし云っちまえよ、な?」
「はあ・・。」
「ほら、これ(:KISSのMake-Upセット)やるからよ、明日からそれでも顔に塗って、また公務に頑張れよな?」
「はあ、ありがとうございます。」

 その超極上品質なスーツでキメ込んだ第44代アメリカ合衆国大統領は、その185.4cmの長身を尚一層丸め込みながら我が家の和室にある押入に入ると、中からピタリと襖を閉めた。
そして数分後にその襖を開いてみたときには、中にはただただ布団とか、もう何年も弾いていないYAMAHAのDX-7とか、ねこのトイレの砂が積んであるだけだった。


※文中敬称略
 

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2015年08月04日(火) 00時00分00秒

 Kの切腹

テーマ:創作小説

   
 凡そ〝監督〟等と云う役割の下(もと)で、何かをした経験っちゅうと、ソフトボールの他に、高校のクラスで自主制作した映画がある。

 成人ソフトボール・チームで、既に30年以上も監督を務めているTもまた同級生だが、こいつは如何にも監督らしい立派な監督なので、別におもしろくも何ともない。

 自主制作映画の監督は当初、何でK如きが?だった。
美術クラスだったが故に、映画に滅茶滅茶詳しいやつや、美術的な素養が滅茶滅茶高いやつが他にも幾らでも居たはずだし、リーダー・シップを発揮可能なやつも、何名か確実に居た。
もっとも、私にしてみれば、監督なんぞよりも、何で私如きが主役なんだ?っちゅう不満の方が圧倒的に大きかったが。

 とまあ、前振りはそんなところで、2~3日前、ふと幽体離脱してみると、何だか薄暗い教室のやうな場所の隅っこにKが座って・・、否、蹲踞していて(:剣道部だったが故に、刺し子と袴!笑)、何だか思い詰めたやうな怖い顔をして、こちらを睨んでいる。
 そして、いきなし、

「おい、切腹するぞ?」
「は?何でまた。」
「いいから、こっちを観ろ。」
「やだ。」

 そんなのマジ観たくない。私は顔を黒板の方に背けて、眼も瞑っていた。

「おい、切るぞ?本当に切るぞ?切るからなっ!?うっ!」

 本当に切ったっぽい。

「映画を、映画を・・、頼むぞ?」

 かげ腹のつもりか?

「監督はおまえだろ?おれぢゃねー。」
「シルヴェスター・スタローンは監督と主演を両方やってるぞ?」

 映画を作っていたのは1978~79年で、シルヴェスター・スタローンの出世作『ロッキー』の日本公開は、その前年の1977年4月16日だが、スタローンが監督を兼任するのは、 1979年9月1日に日本でも公開された『ロッキー2』以降だから、話の辻褄がやや合わないやうな・・。
 っちゅうか、それ以前に、腹を切っているっちゅうのに、何ともタフな饒舌っぷり。

 本当に切っているのか?と思って振り返って観ると、

「!!!!!!」

 Kの腹部から何やら白い腸のやうなものがダラリと垂れ下がり、「押し込んでも押し込んでも腸がはみ出てくるんだよう」っちゅう、スタローンの比較的長めで悲痛な叫びが蘇る。もっとも、それは『ロッキー』ではなく『ランボー』(:1982)だが。

 こりゃ、本当に死んじまうな・・、と思い、いささか気の毒になり、近付いてみると、メタボ気味だったKがスリムになっている。

「切腹すると痩せるんだ?」
「おう、ダイエット効果があるみたいだな。」
「そうか、良かったな。」
「でも、腹が減ってきた。学食にカレー喰いに行かねーか?」

 何だか、緊張感や悲壮感に欠ける切腹だな・・、等と思っている内に覚醒。

 余談だが、1979年の文化祭で公開した自主制作映画は、私的には大成功だった。多人数で制作に取り組むなんぞ、滅多に体験出来る事ではないし、その一連をすべて取り仕切って進めたKを、今でも当然、尊敬していられるんだからな。


※画像出典:http://matome.naver.jp/odai/2140759079132195301/2140766400588730703
 
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2014年12月28日(日) 00時00分00秒

 リード・ギター:後編

テーマ:MUSICIAN


 これはまた異なる。

 LED ZEPPELIN「Kashmir」
 https://www.youtube.com/watch?v=sfR_HWMzgyc

 荘厳な管弦楽団の演奏が全体を覆い尽くしているため、「Carouselambra」と似たような印象を受けるものの、リフを作曲したのも弾いているのも〝リード・ギタリストの〟ジミー・ペイジである(と思われる)。ご本家LED ZEPPELINの特にこのスタジオ・ヴァージョンでは、管弦楽によれたテープのような音響効果を施している故に判り辛いが、LED ZEPPELINの〝究明バンド〟Mr.JIMMYの生演奏で聴いてみたら、この楽曲のこのテンションが如何にリード・ギターに依って担われているか一耳瞭然・・、っちゅうか、青天の霹靂の感でさえあった。

「Carouselambra」はジョーンジィー(:ジョン・ポール・ジョーンズ:b./kb.)の〝リード・シンセ〟に依る楽曲・・、っちゅうよりも、むしろ「シンセで大まかに作ってみたから、後はペイジさん(※1つ年長なので〝さん〟付け)、何か格好いいギターのリフを考えてよ?」ってな段階・・、つまり、作りかけのような感じがしてならん。

 エレキ・ギターっちゅう楽器は、主に天然素材の木材で構成されているため、気温や湿度の影響を受けた経年〝優〟化が度々起こり得る。
ペイジが愛用している1958年製のGibson Les Paul Standard等は、まさにその最たる一品だろ?
「Carouselambra」でも間奏部の4:08辺りから、それもまた愛用機の1本(:2本?笑)であるGibson EDS-1275・・、即ち、ダブルネック・ギターを使用していて、それもまたまさしく、映画『狂熱のライブ』の「天国への階段」を彷彿させていないか?

 極めて個人的な偏見ながら、私はシンセサイザーの音が好きじゃない。
何でかって?ロックっぽくないから、全然。
アレは持たざる者達がおいそれと買えて、おいそれと修得出来る楽器じゃあねーんだよ。
しかも、楽器そのものは劣化しなくても、テクノロジーの急激な進化に依って、すぐに時代遅れの音になりがちだ。

 アルバム『IN THROUGH THE OUT DOOR』の制作時、ロバート・プラントの喉が潰れ、リード・ギタリストがスタジオに来たり来なかったりしていたら、彼とボンゾ(:ジョン・ボーナム/ds.)でバンドを引っ張るしかなかったのが、たった4人しか居ないバンドの宿命・・。
だったらジョーンジィーには、リード・シンセじゃなくてリード・ベースで奮闘してほしかったよな!名曲「Blackdog」みたいに!
ご存知かどうか、「Blackdog」のあの複雑なリフはジョーンジィー作で、制作当初、御大は弾けなかった・・、らしひ。(笑)

 その満身創痍の(?)創作過程の中で、怪我の功名みたいな名曲「All Of My Love」が生まれている。

 この楽曲を例えばサイモン・フィリップスが叩いていたら、もっと上手に、もっと流暢に仕上がっていたのかも知れないけど、このどーしようもない悲壮感は、ボンゾの〝リード・バスドラ〟ならでは、だろ!
まさに慟哭のドラム!
愛息を失ったばっかしのロバート・プラントの、ボンゾはLED ZEPPELIN以前からの親友だからな・・、プラントの歌唱に泣きながらバスドラを踏んでいたような・・。(※単なる個人的な感慨で、事実か否かは知りません。)

 LED ZEPPELINたあ、そーいう生々しい人間繋がりが非常に露骨なバンド故に、『IN THROUGH THE OUT DOOR』では特にリード・ギタリストのサボリもまた顕著に表れた・・、と云ってしまえば身も蓋もないんだけど。(笑)

 活き活きとしたペイジ・・、否、リード・ギターたあ、これだ!

 LED ZEPPELIN「The Song Remains The Same」
 https://www.youtube.com/watch?v=KGvr-2THzNI

 幾重にも多重録音されたペイジのギターが、まさにバンドを引っ張っているだろう!?
曲の長さは「Kashmir」や「Carouselambra」に及ばないものの、エレキ・ギターだけで、この聴き応え!(クドイようだが、如何にペイジとは云え、同時に弾けるのは1本だけ!笑)
起伏に富み、終わるのか?終わるのか?と思わせつつ、巧みに繋がれていく物語的な構成もまた、このバンドの真骨頂だろう!?

 だからな・・、時々思う。
その後、LED ZEPPELINが続いていたとしても、リード・ギターやリード・バスドラが不在だったら、聴き続けていたか?否か?
これもまたクドイようだが、リード・シンセなら要らん・・、YMOとか大嫌いだしな!(笑)
今でも聴いているTHE ROLLING STONESや、AEROSMITHや、KISSは、その膨大なキャリアにも違わず、キース・リチャーズや、ジョー・ペリーや、エース・フューリの貧乏臭えギターが傲慢に輝いていた、主に'6~70年代に於けるごくごくごくごく一時期の楽曲に過ぎん。

 既に録音されている音は、昔も今もまったく変わんねーんだからよ!


※文中敬称略
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2014年12月21日(日) 00時00分00秒

 リード・ギター:前編

テーマ:MUSICIAN


「リード・ギター!大森 信和!」

 1970年代の終盤だったか。
甲斐バンドのライヴ・テイクに於ける、甲斐よしひろ氏のメンバー紹介に、「リード・ギターもくそも、ギターなんぞ1人しか居ねーじゃねーかよ?」と難癖をつけて、ファンだった弟の気分を害してしまったようだが、私は間違っていない(つもりだ)。
比較的正確に云えば、サウスポーの甲斐よしひろ氏のリズム・ギターが演奏される楽曲もあるんで、大森氏の役職名を敢えて〝リード・ギター〟と呼ぶのも間違ってはいない(のかも知れん)・・。
 特にこの日本では、ね。

 一般的にも、旋律を奏でる役割のギタリスト・・、例えば、故ジョージ・ハリスンとかマイケル・シェンカーをリード・ギター、主に和音でリズムやリフ(※リフレイン:繰り返して楽曲の骨格を成す特徴的な旋律。「Smoke On The Water」の〝ダッダッダー、ダダッダダー〟みたいなやつね。)を奏で続ける役割のギタリスト・・、例えば、故ジョン・レノンとかルドルフ・シェンカーをリズム・ギターとかサイド・ギターと呼んでいたりする。
更に、リード・ギタリストが2人居るとツイン・リード、THE ROLLING STONESのように、リズム・ギタリストが2人居ればツイン・サイド・・、等とはあんまし呼ばれていないようだが。(笑)

 けどな、もっと広義な耳で聴いてくれ。

 リード・ギターって一体、何なんだ?
それはやっぱし、ロック・バンドをその楽器・・、主に1本のエレキ・ギター(:数本所有していたとしても、いっぺんに弾けるのは1本だけだろ!)で、ぐいぐい引っ張っていく主役!、・・だろっ!?
誠に失礼だが、大森 信和氏や故ジョージ・ハリスンが、かつて在籍していたバンドで、その役割を果たしていたとは到底思えん。

 LED ZEPPELINっちゅうバンドの最大の魅力は、楽器を持たない歌手・・、しかも不世出のハードロック・シンガー、ロバート・プラントを最前面に立たせながら、他の3人が伴奏者に留まっていないところにある。
 特にリード・ギタリストのジミー・ペイジが、ね。

 アルバム『Ⅰ』から順を追って聴いてみてくれ。

 ペイジの「これでもか!?これでもか!?まだ判らねーのか!?この馬鹿野郎!このバンドの主役はオレなんだぜっ!?」に満ち溢れてね?
この傲慢なまでの主張を私は〝ロック〟と呼びたい。
傲慢と云えば、慇懃無礼マルムスティーンっちゅう方もいらっしゃるようだが、ペイジは彼のような、何処の馬の骨とも判らん服従者を4~5名集めたお山の大将ではなく、世界・・、否、有史屈指のヴォーカリストやドラマーを〝リード〟しているワケで!
彼以外に〝リード・ギタリスト〟を挙げるとしたら、あとはTHE WHOのピート・タウンジェントくれーのもんじゃね?
ジェフ・ベックやクラプトン、ジミ・ヘンドリクスは元々、ギタリストその人が主役の設定なので、ハナシはまったく別だ。

 エレキ・ギターたあ、何て素晴らしい楽器なんだろう!
試しにヴァイオリン協奏曲か何かを聴いた直後にLED ZEPPELINを聴いてみてくれ・・、ああ、THE BEATLESでも、THE ROLLING STONESでも、THE WHOでも、KISSでも、何でもいい。
この貧相に割れた下品で貧乏臭い音!!!
 この楽器こそ、持たざる者達の感情表現に相応しい。

 歳を取ると、感覚が敏感になるのか?
1973年だったか・・、当時37歳だった母親は、TV画面で唄っていた山口 百恵を「恐ろしく唄がヘタな子だねえ・・」と評した。
恐らく、美空ひばり辺りを基準にしていたのだろうが、当時、小学6年だった私には、そのヘタさ加減がまったく解らなかった。
 だが、50をとっくに超えた今なら多少解るような気がする。

 因みに聴覚だけじゃねーんだよ・・、視覚は元より、臭覚や味覚は無論、触覚まで過敏になっているもんだから厄介だ。
TVを点ければヘタクソな唄!地下鉄に乗れば「マジか?」と思われる吊り広告(のデザイン)!街を歩けば、変な顔したやつ!変な服装したやつ!変な匂いがするやつ!の、オン・パレードじゃねーかよ!
 だから、ずっと自宅に居たい・・、ヒキコモっていたい。

 で、この楽曲だ。

 LED ZEPPELIN「Carouselambra」
 https://www.youtube.com/watch?v=ZCPdXdTX8BA

 1979年発表の事実上最期で最新でもある作品、『IN THROUGH THE OUT DOOR』のB面1曲目を飾る。
このアルバムは、私が初めてリアルタイムで購入したLED ZEPPELINのLPレコード故に、既に何100万回とは云わないまでも1,000回位はたぶん楽勝で聴いているはずなんだが、ごく最近まで気付いていなかったっちゅうか、まったく気にしていなかった事に・・、

 リード・ギターが居ねーじゃねーかよっ!?


※文中敬称略
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