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元祖!ジェイク鈴木回想録

私の記憶や記録とともに〝あの頃〟にレイドバックしてみませんか?

(2023年1月31日:幽体離脱体験)

 

 

 その16〜7歳くらいの少女を私は全く知らない。
 
 上半身裸だったのは、たぶん前夜、アフリカの少数民族(裸族)の撮影に出掛けた日本人の女性カメラマンが、自らも裸になって同民族の女性達の歓待を受けたという、TV番組からの単なるフラッシュバックなのだろう。
 制服のスカートは履いていた。最近の極端に短いやつではなく、'70年代の一般的なやつで、プリーツも入っている。
 
 場所は実家で、中学3年の夏まで私が過越していた部屋のようだが、父は他界していて、妹や弟も所帯を持ち、暮らしているのは母1人。私もそこで暮らしているのではなく、母の様子を伺いに、泊まり掛けで訪れていただけの模様・・。
 滅茶苦茶な時代考証だが、現実のその日には、確かに訪問する予定があった。
 
 少女は近所の6丁目に、私が実家を出てから創立されたという、ミッション系の高校へ通っているらしい。先程から甲高い声で自らの不幸な生い立ちや現状の不満をぺらぺらぺらぺらと間断なくまくし立てていて、かなりうるさい。鬱陶しい。
 どうでもいいけど、取り敢えず服を着ろ!
 
 とにかく、眼のやり場に困るので、彼女に背中を向けてしゃがみ込んで、手持ち無沙汰なるが故に、彼女が脱ぎ捨てた服を折り畳む。「何で俺が!?」と、かなりムカつきつつ!
 ミッション系の高校の制服は棒タイだったが、糊もアイロンも効いていなくて、ふにゃふにゃだった。ネクタイが固いとクビが痛くなりがちな私の特に会社の制服のネクタイは、わざわざ使い古してふにゃふにゃになった数本を使い廻している。折しも前日、そのふにゃふにゃの1本を洗濯交換で自宅に持ち帰るため、会社のロッカーの前で折り畳んでいた。無論、何の感慨も無く。
 
 ともあれ、そのシチュエーションは拙い。圧倒的に拙い! 母が起きてきた時の説明に困る。時刻は午前6時頃で、部屋の中も外も既に相当明るい。
 
 その恰好のまま、彼女は何の臆面もなく実家を徘徊し始める。壁には最近、めっきし見掛けなくなったグード図法の世界地図が貼ってあり、「何?このぐでぐでの地図は?」と質問してくるが、私は「いいから、服を着ろ!」の一点張りだ。
 極々一般的なメルカトル図法の世界地図だったら、南側の廊下の押入の引き戸に貼ってあった時期があった。中学ではなく小学校低学年の頃で、バングラデシュは未だ東パキスタンだった。
 
「ぐでぐでなんだど。グード図法。」等という、試験用の暗記法を伝授しようとしていたら、彼女はその横に掲げてある、タテ3mヨコ2mくらいの馬鹿デカい額縁入りの絵を見上げていて、「誰?この人?」。
『愛と誠』の早乙女邸じゃあるまいし、そんな馬鹿デカい絵を飾れる壁そのものが単なる古民家の実家なんぞに在る筈もないものの、絵はどうやら、ネロとパトラッシュがその下で死んだ、ルーベンスの『キリスト昇架』のようだった。
 
「知らないのか?ミッション系のくせに。」と、嫌味を云おうとしていたら、彼女の姿は既にその絵の下にはなく、何と!起きてきてしまっていた母と2人で、玄関のほうで何やら仲睦まじく語り合っている。私が居る場所と玄関の間には4畳半の茶の間が在って、彼女達の声は聞こえても、姿は観えない。
 
 私の足許には相変わらず、ミッション系の制服のブレザー、ブラウス、棒タイ。あと、何やらよく判らない女性?女子?女児?特有のぴらぴらした下着類が散乱している。

 なるようになれ!もう知らん!と独りで自暴自棄っていると、玄関は異様に盛り上がっている。
 そうだ!
 
 2年前に父、つまり夫を亡くして母は大変寂しがっている。少女はその不幸な生い立ちの中で、「家には居場所がない!」とか云っていた。だったら、お婆ちゃん・・、つまり母の退屈しのぎに、実家に居続けて貰ったら、どうだろう!?
 うん!我ながら、いい考えだ!
 
 現実でも実際にあった体験だ。もっとも、お婆ちゃん・・、つまり祖母の退屈しのぎに祖母宅に置いてきたのは、16〜7歳くらいの少女ではなく、0歳でオスの仔猫だったんだけどな。(笑)
 
 
 
※文中敬称略
※発端は昨今、頻繁に観掛ける、このTV-CF辺りかと、テキトーに探してみたら、何と!棒タイだ! そんなディテールまで観ていた記憶は皆無だが、人間の視覚や記憶なんぞ実に曖昧で、且ついい加減なもの。

因みに画像の白鳥 麗子・・、否、宮沢 りえは16〜7歳ではなく、14歳らしい。
 

 

 

(2011:NTV)


 原作は水を被ると女の子に変身、お湯を被ると男に戻る、高校1年生の少年武道家、早乙女 乱馬が主人公の(一応)〝格闘系〟のマンガ作品だ。他に、水を被るとパンダに変身する、やはり武道家の父親。やはり水を被ると、アヒルや子ブタに変身するライバル達と武芸を競い合う、奇想天外で破茶滅茶な物語。

 更に、水を被ると猫に変身する珊璞(シャンプー)という女流武道家が使う洗髪香膏指圧拳(サイファツヘンゴウしあつけん)という技は、相手の頭髪を素早く洗髪して頭をスッキリさせて記憶まで失わせてしまう。パンスト太郎という武道家は、相手の顔に素早くパンストを被せて、変な顔になって恥ずかしがっている隙に攻撃を仕掛けるとか、実に下らないの極致だが、下らなければ下らないほど痛快この上ない。
 呪術まで使う〝格闘系〟だけあって、登場人物達は高校の校舎よりも高く飛ばされたり、地面に大穴を空けたり、身長50cmくらいの老人や老婆が実は最強だったりもしていたような・・。

 こんなもん、どうやって実写化するのか!?

『今日から俺は!!』の実写版で観た賀来 賢人のズバ抜けた運動神経から〝格闘系〟の充実を期待した。確かに、その動きの素早さや、ちょこっとした場面でも空転していたり、実写困難の予想は裏切られたような気もしたが・・、あんまし、おもしろくない。
 何故だ? 顔が似てない。可愛くない。

 高橋 留美子作品の魅力は先ず、登場人物1人1人の顔の可愛らしさだろう。『うる星やつら』然り。『めぞん一刻』然り。『犬夜叉』もまた然り。
 となると、実写化は困難どころか、無意味だったような・・。

 賀来 賢人の顔は精悍ではあっても可愛らしくはない。どうしても実写化するなら、主人公のキャスティングは、眼と口の距離が両眼の間の距離に近い丸顔の童顔で、そうだな・・、それこそ『今日から俺は!!』で賀来 賢人と共演していた伊藤 健太郎とか。『勇者ヨシヒコ・シリーズ』の山田 孝之とか。或いは嵐の休業でヒマになった櫻井 翔とか? 水を被っても本人の女装!声だけ林原 めぐみとか!(笑)※1.
 上記の画像で大人顔の新垣 結衣を初めて観た時には、主人公(と、その父親)が居候する天童家3姉妹の長女、かすみが何で真ん中に居るのか?と思っていた。制作当時の新垣 結衣は23歳。かすみの設定は19歳。配役のあかねは16歳!
 しかも、そのあかねが主人公とは原作を壊し過ぎだろ!

 これもまた〝刷り込み〟なのだろう。

 多くの読者や視聴者は、その人が最初に触れた表現媒体でその作品を認識しがちだ。私もまた、歯医者の待合室で初めて観た早乙女 乱馬は、高橋 留美子が描いた可愛らしい絵だったので、賀来 賢人が早乙女 乱馬に〝観られなかった〟。また、自宅の居間で細君と初めて観た『今日から俺は!!』の三橋 貴志は賀来 賢人だった。それで一件落着。
 要するに、絵や画像に左右されがちなだけなんだな。

・①マンガ
・②アニメ
・③実写版

 制作側はまあ大体、①→②→③の順番で展開していくが、その多くの読者や視聴者がその順番通りにその作品に触れられるかどうかは、まちまちだ。

『さくらん』は③を観てから、本屋でコミックスを立ち見(※2.)した。すると、何ぁ〜んてことはない・・。表紙にはちゃんと土屋 アンナが描かれている。エヴァンゲリオンの奥さんが土屋 アンナを想定して描いたのか。或いは、企画当初から土屋 アンナ主演の映画化が計画されていたのか。私が編集者だったら当然、後者で当然、在籍している出版社の利益を先ず考える。それがプロ。(笑)

 ①、②、③にはそれぞれの媒体特性が有る。

 先ず、何と云っても①と②は人が描いた〝絵〟がメインだが、③は人が演じる〝実像〟になる。また②と③は絵や画像が動いて音もする。何よりも登場人物達が実際に喋るから、いちいちページをめくったり、文字を読んだりするテマが省ける。更に親兄弟、恋人、配偶者等と共に観賞出来る利点もある。

 ①は、未だパソコンやスマホ、家庭のAV機器をイジれない児童でも手軽に楽しめる。今でも愛読している名作『巨人の星』や『あしたのジョー』は、①を理解する年齢には早過ぎて②から入ったが、やがて(当時は)唯1回しか観られなかった②よりも、何度でも読み返せた①が重宝して現在に至っていたりスル。

 ②〝化〟は制作の都合上、或いは商業戦略上、多少の画風の変化が生じても、絵そのものはあまり変わらない。否、変えられないため、①→②は割とすんなり受け容れられた読者や視聴者が多いのでは?
 至って個人的な例外で、私にはTVでしょっちゅう放映されているアニメ映画版の『ルパンⅢ世』が『ルパンⅢ世』に観えなくて仕方がない。それは初めて観たモンキー・パンチの汚らしくて粗雑な絵に、不健康な大人のマンガを強烈に感じていたからだ。それは少なくても、親と一緒に楽しめる子供向きではなかった。

 一眼観て根本的なヴィジュアルが異なる③〝化〟こそ最大の難関で、まあ大体はコケている。(笑) それもまた個人的な例外なのかも知れないが、『あしたのジョー』くらいか。あれほど泣けた映画はなかった。それは長年に渡って親しみ続けてきた作品を、実写で創り上げてくれた出演者や制作者達の仕事に対しての賞賛だ。

 次に実写化を期待したいのは、何と云っても『みなしごハッチ』だろう! ミツバチの生態映像を沢山集めてきて、CG加工を加えて編集すれば、決して不可能ではないと思われるが、あのテのストーリーは好きじゃないので、私は観ナイ。(笑)


※本文中敬称略
※1.:アニメ版『らんま1/2』の女らんま役
※2.:出版業界に勤めていたため、私は立ち読みはしないのではなく、出来ない。



 


 
【材料:1人前】
★みなさまのお墨付き〝ちぢれ細生麺〟:2袋計360g
★みなさまのお墨付き〝液体とんこつスープ〟:2袋
☆伊藤ハム〝山頭火監修チャーシュー〟:2切れ入り1袋
★きざみ九条ねぎ:1パック
・煎り白胡麻:大さじ4杯くらい
・すき家〝紅生姜〟:1袋
  
 前回、2022年12月3日に創作した、名付けて〝とんこつ味デラックス〟は、あろうことか1人前2袋の〝液体とんこつスープ〟の半分・・、即ち1袋分の袋ではなく中身のスープ原液を全部、誤って冷凍生ゴミ袋に注入・・。
 我が家では、生ゴミを生ゴミ袋にまとめて冷凍保管している。冷蔵庫の電気代が余分にかかり、冬場の燃えるゴミ捨ての際にゴミ袋が脚にあたると激冷たいが、生ゴミ臭に煩わされず、また飼い猫に妙なもんを喰わせない利点も有る。
 
 ともあれ、1袋あたり250cc、2袋分で500ccの湯を鍋で沸騰させて、1袋分のスープ原液は既に入れてしまっていたから、今更1袋分250ccの湯を捨て去ることもできず、濃度1/2のスープを余儀なくされる羽目に。
 
 前回は〝デラックス〟だったので、〝スタンダード〟には含めない〝ニラもやし〟のバター、塩、黒コショウ炒めの特に塩加減を多めにして、更に喰う直前及び喰いながら、S&Bの〝生おろしニンニク〟を約1/4チューブほどぶち込んで、濃度1/2をカヴァー。
 それで何とか喰えることは喰えたが、それで〝みなさまのお墨付き〟ブランドの麺 & スープを評価するのは暴挙だろう。
 
 そこで、今回は敢えて素ラーメンに近い〝スタンダード〟を目論んだ。
 
 伊藤ハムの〝山頭火監修チャーシュー〟は脂身の割合が高く、これまでに喰った市販のチャーシューの中では極めて理想的だが、若干染み込ませてある味が、如何せんとんこつラーメンに合わない。従って、今回はとんこつ味ではなく醤油スタンダードをこさえるつもりだったが、何と!土日だったせいか、みなさまのお墨付き〝液体醤油スープ〟がない!完売!何やってんだっ!?西友浦安店!
 以降、とんこつ味を極めるなら、かつて経堂に在って、生涯最高のラーメン店だった〝ぼんぞラーメン〟に肖って、豚の角煮を試してみるか。
 
 伊藤ハムの〝山頭火監修チャーシュー〟と液体スープ×2袋は予め、沸騰したお湯に浸けて温めておく。出来上がったラーメンに冷たいチャーシューや煮玉子や生野菜を入れるラーメン屋が多いけど、ラーメンが冷めてしまって文字通り興醒め。
 液体スープはカップ・ラーメンの添付スープのように温めて、中身の特にラードをよく溶かしておく。後述の〝きざみ九条ねぎ〟や、すき家でタダで貰ってきた紅生姜もガスコンロの上に置いて、少なくても冷蔵庫から出したままの状態にはしておかない。

 次回は麺を茹でた湯で、丼も温めるかな。
 
 液体スープ×2袋はちゃんと500ccの熱湯に溶いた。中身のスープ原液を2袋分、鍋に入れたのを確認してから、空き袋は敢えて流しに放ったらかしにしておいた。生ゴミの冷凍保管袋さえ冷蔵庫から取り出さなければ、前回の如き失敗はないからな!
 
 前回よりもほんの少し凝ってみたのは煎り白胡麻で、フライパンで更に煎ってみた。確かに、今では¥100 LAWSONで¥108で販売している〝煎り白胡麻〟のビニール袋でさえ、開封後に密閉できるチャックが付いている。しかも我が家では煎り胡麻も擂り胡麻も冷蔵庫で保管しているが、その密封されたビニール袋の中に存在している僅かな空気の水分が0%なわけねーだろ?
 
 未だチャックなんぞ普及されていなかったガキの時分、母がよく赤飯等にかける黒ごまをフライパンで煎っていた。「充分に煎れたかどうかは胡麻粒同士がぶつかり合う音で判る。」と云っていたので、やってみたら確かに! チッ、チッ、チッ、チッと、まるでハイハットのような。(笑)
 
 これが大正解!本日の大収穫!
 
 とんこつラーメンに必須の煎り白胡麻の存在感が大いに増した。〝ぼんぞラーメン〟には程遠くても、一時は年間100食以上喰っていた〝博多天神〟には一歩近付けたか。因みに〝博多天神〟の白胡麻は、密閉された容器ではなく、ボウルからスプーンですくってトッピングする。あれならいつでも煎り直しが可能だろう。どう?(笑)
 
 ネギはやはり刻んだら直ぐに喰わないと、ネギ本来の辛みが消え失せてしまって意味がない。前回は¥100 LAWSONの〝刻みネギ〟で失敗したので、今回は〝みなさまのお墨付き〟の表記はなかったが、西友ストアの〝きざみ九条ねぎ〟にして正解!
〝スタンダード〟の野菜類は、このネギと紅生姜だけなので、その青臭さとパリパリ感が極めて重要な存在感になった。
 
 尚、麺はスープによく絡むよう、前回の〝中太麺〟から〝ちぢれ細麺〟に変更してみたが、これは今のところ可も無く不可も無く。
 
 って云うか!
 
 前回の2倍の濃さ、即ち通常通りのスープの水加減でも、まだまだまだまだ物足りない。塩やコショウではない。ニンニクでもない。何か動物系のガツンとくる刺激がほしい。ラードか?バターか? 或いは生クリームでも入れてみるか?
 それと前回、インターネットでわざわざ調べたのに、キクラゲを買ってくるのを忘れていた。とんこつラーメンにキクラゲは必須だろう!
 
 研究や実験は更なる興味を巻き起こして人生を楽しくしていく。教員生活40年の父の教えだ。
 目指せ!ぼんぞラーメン!打倒!博多天神!
 
 皆んなもガンバレ。(笑)
 
 
 
※文中敬称略

 

 

 その前に今回の課題に戻ろう。

 

 それが地下水であれ何であれ、元々は天から降ってきた雨だ。ところが、坂本町に降った雨=坂本町の水とは限らない。正確には、坂本町ではなかったとしても坂本町を取り囲む分水嶺の内側に降った雨と、地中に染み込んだ地域が何処であっても、坂本町内で湧き出した水が坂本町の水になる。

 

 どーだっ!? >父!(笑)

 

 横須賀のような〝山国〟には、山の頂(いただき)から尾根を繋げた分水嶺という自然の境界がある。太古の昔から、所有している土地に於ける稲作に必要な水を確保するための境界だったと思われるが、それがそのまま現在の町界や市郡境、都府県境にまで継続していることが少なくない。

 坂本町も隣接している汐入町、東逸見町、沢山町、池上、金谷等との町界が分水嶺と一致している箇所が多々見受けられるが、ここからだ!

 これ↓は知ってたよね!?当然! >父

 

 坂本町を取り囲む分水嶺は、実は大きな〝の〟の字形を描いている。

 

 坂本町は一見、主に通勤や買いもの等の生活圏として、最も山深い5丁目や6丁目から北東の汐入駅や横須賀駅方向に拓かれているが、地形的には南東側の平地・・、即ち、不入斗平野を含む平作川流域の衣笠方面だけにしか開かれていない、実は〝盆地〟なのだ。

 そりゃあ、集中するわな! 水が。

 

 ここで俄然、興味が湧くのがこの分水嶺だ。特に本稿の発端である坂本町5丁目33番地は、小径を隔てて南隣の金谷1丁目と隣接している坂本町のどん詰まりだが(※〝現在〟は!)、分水嶺はその金谷1丁目6番の外側を通っているので、33番地の下の辺りの藪の中の澱み川と云うか水溜まりには、実は坂本町ではなく、金谷に降った雨が混じっているワケだ。少なからず。

 

 地表を流れる雨水だけではない。特に33番地の下の辺りの藪の中の澱み川と云うか水溜まりの水源を、地上に溢れ出した地下水脈と断定すれば、金谷1丁目6番の地下に浸透した雨水も含まれよう。それがそのまま地球の引力に従って、そのまま真下に浸透して、そこにそのまま〝均等に〟地下水脈を形成していればのハナシだが、そうは簡単に問屋が卸さないのが地質そのものの構造では?

 私は坂本町を含む大きな〝の〟の字形の分水嶺は、文字通り、他に水を漏らさない頑強なお椀の縁を想定している。

 

 その根拠に坂本の坂が在る。北隣の汐入町から5段変速の自転車で最も軽いギアにして汗だくになって漕いで登るくらいなら、自転車を降りて押して歩いて登ったほうがよっぽどマシ、という急坂を何でまた〝わざわざ造成した〟のか? 明治38年(:1905年)の完成らしいが。

 坂は実は単なる登り坂でなく〝峠〟で、登り切って坂本町内に入ると、それまでが急坂だったが故に判り難いが、緩やかな下り勾配となる。だったら切り通しを拓けば、坂はもっとラクな傾斜に出来ていた筈である。

 2つ憶測出来る。

1つは切り通しを拓けないくらい、頑強な岩盤から成り立っている。もう1つは切り通しを拓く訳にはいかない何かが、そこに埋設されている。

 な?おもしろくなってきただろ? 全然、関係ないけど、推理小説作家と云うか、大家の東野 圭吾氏もまた坂本4丁目に住んでいたことがあるんだぞ?(笑)

 

 残念ながら、先ず地学の知識が全くない。6年間も通っていて、その大半はタイクツ極まりなかった坂本小学校には、校庭を拡張するために切り崩した崖の岩肌に〝砂岩〟とか〝○○岩〟と手描きのレタリングが施された大きな札が掲げられた、地層そのものの現物標本が在り、正門の脇には数々の岩石標本が常設展示されていたにも関わらず!

 ってことは・・、だぜ? 地層や地質に詳しく、趣味にしていたような先人が居たってことだべ? 調べる手立ては有ったのだ。無論、期間限定ながら。

 

 唯、素人眼で観て、5丁目17番地辺りのドブ川の東側の山肌と、不入斗の山肌は同じ地質かと思われる。どちらも太古からの天然の川を形成していた様相で、名称は不明だが、雨が降ると、つるつる滑る・・、要するに雨水を浸透させ難い粘土質の地層だ。何て云うの?横須賀市内の特に東北部のあちこちで見受けられるが。

 この地質こそ、頑強な坂本〝盆地〟を形成している基本かと。

 

 地質のみならず、水質まで判れば更におもしろい。

 

 はっきし云って、千葉県U市の水道水はげろ不味い。東京都内は万人向けに洗練された中庸な感じだが、横須賀水道と同じ水源(※城山湖だったか?)の横浜の歯医者に行って、治療前に一口、口を濯ぐと、口の中がシャキッとする。

 

 前述の山口 百恵さんや水上 善雄選手だけではない。記し忘れて迂闊だったが、東京五輪(無論、前々回1964年の)男子柔道重量級の金メダリスト、故猪熊 功氏も不入斗中学校のご出身だ。また、元X-JAPANの故Hideが通っていて、私も数ヶ月間通った挙げ句、退園処分を喰らった聖佳幼稚園もまた、旧陸軍銃砲兵連隊の練兵場の跡地の一角に在る。

 まさかとは思うものの、音楽やスポーツの業績に坂本町の水が何らかの影響が有ったとしたら、益々おもしろくね?

 

 元西鉄→巨人の秋本 祐作投手は佐野町。俳優の石立 鉄男氏は公郷町で、娘さんだかお孫さんを父が担任していたことがある。(笑) 元サン・ミュージックの社長、故相澤 秀禎氏は上町で、三浦中学で父の1学年上。アナウンサーの高島 秀武氏は諏訪小学校。渡辺 真知子さんは汐入駅の真上に在る女子高。小泉 純一郎先生と同 進次郎は安浦と、横須賀出身の著名人はスポーツ選手と芸能人ばっかしだろ?(笑)

 

 更に、分水嶺が社会科学的に最も興味深いのは、横須賀市と三浦郡の市郡境は元より、横須賀市の産業的な発展にも大きく関与していることだ。

 

 5丁目26番地には〝衣笠村字西金谷○○号〟という金属製の札が付いた、東京電力の木製の電柱が少なくても1本、私が中学を卒業する頃までは現役だった。つまり、電気が通じた昨今でさえ〝衣笠村金谷〟だったワケで。26番地は42番地の辺りで丁目内を横切る分水嶺の坂本町側(※〝現在〟は!)なのに、何故!?

 

 研究たぁ、深めることに依って、更に新たな興味を次々と発見していくことでは!? >父!

 

 ここから先、〝課題〟をより正確により精密に解明していくには、やはり先ず地学の知識が必須だな。坂本町とその周辺の何処にどんな地層が形成されているのか? その地質はどんな水質の地下水脈を育むのか? そして、その水質にはどんな効果が有る成分を含むのか? 尽きねー。

 それから、父が好きだった歴史。郷土史。横須賀市史。三浦郡史。帝国陸軍史は横須賀市内なのに海軍史ではないところがミソだな。(笑)

 更に土木技術史や、電気や水道の敷設史もおもしろそうだな。

 

 また、父は全く興味を持たなかったが故に、それが結局、父自身が興味を持っていた数々の〝研究〟の行き詰まりにもなってしまった、カネの動き・・。即ち、経済学! それが明かされない限り、真実が浮き彫りにされ難い〝課題〟は他にも沢山、有るだろ? THE BEATLES史とか。DEEP PURPLE史とか。(笑)

 

 この〝課題〟を3人の兄妹姉弟のうちの誰かが地学、誰かが歴史、誰かが経済のように分担して専門的に研究していたら、父が結局、生まれてから死ぬまで90年間も暮らした町の歴史が、一部なりとも多少なりとも解明出来ていたのかも知れないな。

 

「つまんなかった」どころじゃなかったな。果たして、私の存命中にどこまで解明出来るのか? 取り敢えず、地学と経済学を勉強して・・、否々、それはかなり面倒臭いので、それ等に詳しいやつを誰か探して。(笑)

 

 加えて、葬儀の際に私は「父はこの坂本町で生まれて・・」と弔辞してしまったが、1930年8月11日に前述の26番地の辺りで生誕したと生前の本人が語っていて、祖父が出生届を提出した父の原戸籍に記載されていた住所は〝衣笠村金谷702番地〟とある。

 

 すみませんでした!!! >父!

 

 

※文中敬称略(の箇所も有)

※参考:『ふるさと横須賀』石井 昭著 http://s2s.jp/furusato/furusato_p145.html

※画像:彼の脳裏にも坂本町1丁目の風景が僅かでも残っていなかった筈はなく、それに同郷の親近感が湧く。山口 百恵さんにしても水上 善雄選手にしても小泉 純一郎先生にしても、皆んなそう。

 

※分水嶺に関しては、鎌倉時代まで遡ります故、また今度! >父(笑)

 

 

 

 

 

 

 小学校5年次の私の初めての自由研究は、それでも結局、父の推挙に抗し切れず、存命していた父の父・・、つまり、祖父にロング・インタビューを試みた『坂本町の今昔』にした。新聞屋で配られた青い世帯地図の上に、厚手のトレーシング・ペーパーを重ねて、祖父が転居してきたばかりの昭和初期の坂本町の地図を再現して、今昔の比較を容易に確認出来るアイディアもまた父からの伝授だった。

 

 坂本町の基本的な地形は北東から南西に向かう谷状で、そこに連なる集落を貫くバス通りを挟んで、北西側が2、4、6丁目、南東側が1、3、5丁目に区分されている。バス通りの開通は早くても昭和初期で、それ以前のメイン・ストリートは西側の山に沿った〝八坂道〟と呼ばれた、三浦半島の東岸と西岸を結ぶ主要街道だったらしい。

 川は東側の山裾に沿って・・、と云うか、その大半が暗渠化している現在でも、その経路は殆ど変わっていない。

 現在のバス通りや商店が点在している狭い平地の殆どは水田だったと訊くが・・、となると、坂本町の丁目区分は、バス通りが開通した以降になるワケだな? >父 

 

 祖父、及び郷土史マニアの父に依れば、坂本町には当初、家が僅か6軒しかなく、6軒とも飯塚姓で、6軒とも造り酒屋だったとか。〝坂本〟という地名も元々は〝酒元〟で、街道を行き交う人々向けの立ち飲み酒屋が何軒も繁盛していたとか。確かに全長僅か1.5km程度の町にしては酒屋が多く、2丁目の飯塚酒店には土蔵が有り、6丁目の岩崎酒店はぶっ太い材木を梁にした昔ながらの豪奢な造りだった。因みにこの2軒は、北東から坂本町に入って最初の1軒と最後の1軒であり、また2軒とも東南方向を向いた偶数丁目の〝八坂道〟沿いに在ったが、現在は2軒とも廃業している。

 くそっ! ヒントは既に貰ってたんじゃねーかよっ! 造り酒屋に良水は必須だ。

 

 全町内的にも井戸が多い。確かに多い。同じ5丁目に在って祖父母や叔父叔母が暮らしていて、実家からせいぜい200mの鈴木家の旧総本家にも在ったし、1丁目に住んでいて、私も入団した坂本5丁目子供会ソフトボール部がさんざ世話になったヘッドコーチ宅にも在った。同コーチ宅も東側に〝ごはん山〟を背負い、豪雨の際に人が飲み込まれたら、先ず間違いなく死ぬだろうと思われる川縁に在った。

 水道が敷設される以前の給水施設として、井戸は別に珍しくなかったのかも知れないが、坂本町は昔から良質で豊富な地下水脈に恵まれていた、ってことでは? >父

 

 謎は尽きない。だからおもしろい。(笑)

 

 特に、父の存命中に解明出来ていなかった〝謎〟の1つに、坂本町1丁目の坂本公園から不入斗中学校の正門の脇に到る、長さ500m近い戦前製の暗渠・・、即ち、地下水路が在る。

 

 ンなもん当然、天然の筈がなく、先述の小中学校群や青少年の家が点在している、その町内最大の広大な平野に、かつて何が在ったのかと云えば、大日本帝国陸軍銃砲兵連隊の練兵場だ。そのレンガ造りの門柱は、現在もそのまま坂本中学校の正門に流用されている。

 地下水路の坂本側の取水口は、私の小中学生時分にはまだ剥き出しになっていて、如何にも前時代的な、玉砂利が多くて荒めのコンクリート造りだった。何故か2口あって、1本は豪雨時等の非常用の排水溝だったのか、常に涸れたままだった。何べんも実際に中に入って探索してみようかと思ったものの、その度に躊躇したのは、不入斗側の出水口には厳重な鉄格子が嵌まっていたからだ。ゴルゴ13だったら潜入していたのかも知れないけど。

 

 坂本中学校の屋外バスケット・コートには、点検用の縦坑だったのか、この地下水路に通じる(と思われる)四角いマンホールが在って、常に水が流れる音がしていた。そこに地下水路への入口が在り、出口には鉄格子・・、ってことは、軍隊の〝鍛錬〟施設なんだぜ? ゴルゴ13他、外部からの侵入よりも内部からの脱走を防止した策であり柵ではなかったか?

 坂本中学校の南側に隣接していた旧桜台中学校を囲む山には通称〝首吊り松〟と呼ばれていた不気味な枝振りの松の木が唯1本、ぽつんと在って、その昔、兵役に苦しんだ兵隊が・・、なんちゅう云い伝えがあった。軍隊なんぞ、所詮イジメの温床に他ならないんだからな。横須賀も坂本も、至る処にそんな影を背負った街だった。

 

 東側に隣接している不入斗中学校には、元アイドル歌手で現在は普通の主婦の山口 百恵が2年生まで通っていたらしいが、その1学年上に元ロッテ・オリオンズの水上 善雄選手が在校していたことを是非、お気に留めておいて戴きたい。横須賀市出身のプロ野球選手で1度でも3割を打ったのは、この水上選手だけではなかったか? NPB歴代通算死球数第2位の竹之内 雅史選手が、少し離れた隣の池上中学校のご卒業だが。

 

 地下水路は、正確にはその不入斗中学校と青少年の家の間の幅広い道路の地下を通って、同中学校の正門の脇から地上に出る。

 練兵場の開設以前は水田だったのかも知れないが、地下水路化される以前の太古からのオリジナルの川は一体、何処をどのように流れていたのか? これが全く判らない。何度、問い掛けても明確な回答がなく、敢えて正解を伏している様子にも観られなかったので、恐らく父でさえ未解決・・、否、否、否、否、わざわざ私達に遺しておいてくれた〝課題〟なのだろう。(笑)

 

 いいでしょう。よっぽどヒマが有ったら取り組んでみます。>父

 

 

※文中敬称略

※参考:『ふるさと横須賀』石井 昭著 http://s2s.jp/furusato/furusato_p145.html

※画像:「としごろ」山口 百恵:1973 このジャケットが撮影された当時、未だ14歳だった百恵さんの脳裏にも不入斗の景色が?

 

 

 

 

 

 

 

 

 50過ぎてから気が付いたり、思い出したりもした。既に千葉県民歴の長さが神奈川県民歴を遥かに超えているのに。
 
 妹を引き連れて・・、否、殆ど無理矢理、付き従わせて何度も実施したドブ川行軍は、まあ大体いつも33番地のYさん宅の下の小径沿いで終了していた。そこが小径に上陸し易かったからだが、その先まで脚を踏み入れたことが無かったのは何故か?
 
 5丁目のドブ川は、ほぼ全域に渡って両岸ともコンクリートで補強された石積みの護岸工事が施されていた。
 その高さは岸に依ってまちまちで、積んである直径4〜50cmの石の個数で2つ3つくらいが平均的だったが、〝うちの前の石段を降りて突き当たる〟辺りは非常に高くて、7つくらい。そこから対岸の2つ3つしか積まれていない低地の畑まで、ドブ川を飛び越せるか否かは、近隣の幼きガキ共にとって、先ず最初に得られるか否かのステイタス・ポイントだった。「○○ちゃんは、とべるようになった!」みたいな。妹等は何度か失敗して・・。(笑)
 
 ところが、34番地の下の辺りの藪の中の東側の山側は、天然の草木がうっそうと生い茂った土手で、石積みの高ささえ確認出来ず。対岸は民家が川縁ぎりぎりまで建っていたため、上陸可能な陸地も見当たらず。
 しかも、その辺り一帯は東側のみならず南側にも山を背負っているため、昼間でも薄暗く、常に水気に満ちていて、ドブ川の流れは緩やかで、澱み川と云うか水溜まりのようでもあった。不気味な。
 水深も不明。その汚いドブ川に足の甲まで浸して運動靴を汚せば、母にこっぴどく叱られる・・、否、母の手を煩わせることになるから、敢えて行軍の続行を断念せざるを得なかったワケだな。毎度の如く。えらいだろ?(笑)
 
 行軍は常に爪先で水深を確かめつつ、浅瀬は元より、ドブの中に落ちている石や木や草や、当時でも洗濯洗剤のポリ容器くらいは日常的に捨てられていたので、それ等を足場にしながら、何としても運動靴の中にまで水が入ってしまう水没だけは避けて、1歩1歩慎重に着実に進めていた。
 もっとも、運動靴を水没させなかったとしても、このような私の奇行自体、母にこっぴどく叱られる対象外である筈もなく、母は当然、現役のプロの教育者だった父に何度も諫言を申し入れていたことだろう。
 父の方針は恐らく「放っとけ。」だったと思われるが故に。
 
 何故なら、父が語る自由とは「人に迷惑をかけず、すべて自分の責任に於いて遂行されること」で、ドブの中をざぶざぶ歩いたところで、誰に迷惑を掛けるワケでもなく、借りに世間体等が有ったとしても、それは母や世間の人々の至って個人的な価値観に過ぎないからだ。
 それ故に私は当然、汚れた・・、否、汚した運動靴は、小学校低学年の頃から既に自分で洗わされていたような・・。(笑)
 
 閑話休題。その辺りのドブ川は東側に山を背負っていて、実家もその段々に刻まれた山肌に建っている。実家にはなかったが、そこいらに建つ、特にドブ川に近い何軒かの家々には井戸が在った。知る限り、僅か100m以内に少なくても3本は在った。すべてフタで閉じられているものの、井戸そのものは現存している。それもまた2021年11月6日に確認済みだ。
 
 井戸が在るってこたぁ、地下水脈が在るワケで。34番地の下の辺りの藪の中の澱み川と云うか水溜まりの水源は、地上に溢れ出した地下水か。
 しかも、太古の昔から?となると、ややおもしろくなって来なくもナイ。(笑)
 
 ドブ川は5丁目17番地の辺りで、5丁目とはバス通りを隔てて向かい側の6丁目の谷戸から流れて来た別のドブ川と合流する。
 その谷戸には、小学生時代には特撮、野球、ゲーム、バケダマ(※ヒキガエルのオタマジャクシ)等、後年にはロック友達に発展したTが住んでいて、彼の家には5丁目とは水脈が異なるのか、やたら深い井戸が在った。それは後述の旧総本家やヘッドコーチ宅よりも殊更深く、覗いて観ると、水面が遥か遠くて真っ暗闇で、地獄の入口のように観えた。Tは同期のKISSファンで、リアルタイムで購入した『地獄の全貌』を事も無げに貸してくれたりしたが、流石に関係ないか。(笑)
 彼ともまた徒歩で、6丁目のドブ川の水源を探索したことがある。そこは宅地造成中の丘陵地(※たぶん、現在の逸見が丘の一角)で、草っ原の中の草から滴り落ちる湧き水が、やがてドブ川を形成しているのを確認している。
 
 どーだっ!? >父!・・と、エバりたいところだが、まだまだまだまだ。(笑)
 
 6丁目のドブ川と合流して水量を増したドブ川には、やがて5丁目4番地の辺りで、長さ約100m前後に渡って、豪雨の際に人が飲み込まれたら死ぬかも知れず、また平常時でも落ちたらハシゴがなければ脱出不可能な、深さ2〜3m程の凹型のコンクリート製の護岸工事が施されていた。底まで真っ平らにコンクリート舗装されている箇所も在り、現在はすべて完成している暗渠の部分的な先行段階だったのではないかと思われる。
 
 小学生時分にその川縁を自転車で爆走していて、その4番地の辺りのS字カーブを曲がりきれず、自転車は鉄柵に引っ掛かったものの、私自身はドブの中に放り出されたことがある。何しろ2〜3mの高さから徐に転落しているので、身体中あちこち痛くて堪らなかったものの、川縁は通学路になっていた上に、買いものの主婦等の往来も頻繁で、そんな状況に陥っていること自体、先ず何と云っても格好悪い! 護岸工事が未設だった川上の土手まで、ドブの中をびちゃびちゃ遡って、生い茂っていた草木に掴まってよじ登って、何とか脱出した。
 一体、何故、そこまで深い川にしておく必要があるのか?
 
 5丁目から3丁目に入って、旧O先生の書道塾の前を過ぎると、ほんの数10mの距離に過ぎなかったものの、ドブ川は民家がない天然の山裾を辿る天然の川となり、こと大袈裟に美化すれば、そこだけはまるで箱根や伊豆のような渓谷美を形成していた。「時は今、雨が下しる五月かな」の時期等は、まさに習字で書いた〝深山幽谷〟ってなカンジで。(笑)
 
 3丁目では、現〝八百虎〟のウラ辺りで4丁目から流れて来たドブ川、旧壬生医院の辺りで3丁目から流れて来たドブ川と合流して1丁目に入る。この3丁目や4丁目のドブ川の水源も辿ったことがあるが、やはり6丁目と同じような草っ原の湧き水だった。実家から目と鼻の先の距離ではないため、涸れたことの有無は不明だが、恐らくないだろう。
 1丁目の現在はセブン & ホールディングスに買収されてしまった(?笑)旧〝スーパーみねを〟のウラ辺りでは、豪雨の際に人が飲み込まれたら、先ず間違いなく死ぬだろうと思われる程、深くて、且つ幅もある川になっていた。しかも、その先には・・。(後述)
 
 恐らく最も遠い水源となる、5丁目34番地の下の辺りの藪の中の澱み川と云うか水溜まりからそこまでの距離は、僅か1km程度でしかない。 
 坂本町なんぞ、そんなに広大な面積を占める町でも何でもなく、最北東端から最南西端までせいぜい1.5km有るかどうか。そんな小さな町なのに、豪雨になれば人が間違いなく死ぬ危険性を及ぼす水量を有していたとは!
 
 この辺りからだろう。父が我々3兄妹姉弟に〝疑問に思ってほしかった〟のは。
 
 
※文中敬称略
※画像:小学校低学年の頃に私が履いていた運動靴(と同製品)。
 
 
 

 
 
 長男の私の夏休みの宿題に〝自由研究〟が付加された小学校5年次(:1972年)から、恐らく弟のそれが免除されたであろう彼の中学3年次(:1982年)辺りまで、現役の小学校教諭だった父は、毎年、上記の課題を私や、妹や、弟に押し付け・・、おっと!提案しては、毎年毎年、尽く却下されていたらしい。
 私が却下してきた理由は、既に答えが眼に観えているようで、「つまんなかった」からだった。
 
 因みに、課題の正確な名称は「うち(:実家)の前の石段を降りて突き当たるドブ川の水はどこから流れて来て、どこへ流れて行くのか?」だったが。
 
 いいですかい? Farther In The Sky?>父
 
 その〝うちの前の石段を降りて突き当たるドブ川〟に実際に浸って、川上に向かって歩いていくと、先ず31番地の美容院のウラを通って、33番地のYさん宅の下の小径に沿った後、34番地の下の辺りの藪の中に消える。せいぜい5〜60mの歩行距離か。その先には32番地の辺りに在った妹と同学年のK子ちゃん家(ち)の脇の、雨天時だけ水が流れるU字溝くらいしか見当たらないので、水源はその藪の中になる。
 そこもまた川の形態ではあったが、山側は天然の草木が生い茂る藪で、反対側は宅地だったため、実地検分からは除外せざるを得なかったが・・。
 
 ドブ中行軍は幼稚園から小学校低学年くらいだったか。妹を引き連れて・・、否、無理矢理、付き従わせて、何度か実施しているので間違いない。
 当時は文字通り生活排水溝で、特に午前中は何処かのお宅で洗濯をしていて、石鹸が混じった乳白色の水が泡を立てていたり、また何処かのお宅では風呂の湯を落としていて、バスクリンの香りがする緑色のお湯が湯気を上げていたこともあった。当然、何処かのお宅では赤ん坊のオムツを洗って・・。(笑)
 
 ドブ川はその藪の中から殆ど東側の山裾に沿うように北上して、17番地の辺りからは北東に向かう。3丁目を通過して1丁目の坂本公園からは暗渠となり、旧青葉小学校、現桜小学校、坂本中学校、不入斗(いりやまず)中学校等の敷地の地下を脱けて、不入斗中学校の正門の脇で再び地上に出る。
 その先は不入斗のテニス・コート、軟式野球場、陸上競技場、鶴久保小学校等の北側の小高い山裾を流れて、鎌倉時代からその名を遺す不入斗橋から佐野町に到ると、今度は真南に進路を変えて、公郷町で三浦半島一の大河、平作川に合流して、嘉永6年(1853年)、マシュー・ペリーが黒船の艦底に生きたままのウシを沢山積んで来港した久里浜湾に注ぐ・・。で、おしまい。それだけだ。
 
 な?つまんねーだろ?(笑)
 
 こんなもん、研究でも何でもなく、実家の〝ディベート大会〟でも遥か昔から何度も何度も繰り返し繰り返し取り上げられていて、中途がより詳しくなったり省かれていたりしても、妹や弟もまあ大体、同程度の知識で、「また、そのハナシ?」みたいな。
 
 ところが、出題者の教師は「そうかなあ?」・・。もっと年嵩がいってからは「お前達、3人揃って、その程度かよ?」みたいな。
 
 確かに愚かだったな。兄妹姉弟揃って。
 
 先ず〝課題〟は、ドブ川の〝水〟が〝どこ〟から流れて来て、どこへ流れて行くのか?であって、既に敷かれていた〝水路〟のハナシだけではない。

〝うちの前の石段を降りて突き当たるドブ川〟が涸れていたことはない。それ処か、生活排水は無論、雨水まで下水道化されている現在でさえ、流石にさらさらではなく、ちょろちょろ程度ではあるが、常に一定の水量を保ちながら流れ続けている。最近では2021年11月6日に確認した。

 その理由として、愚かな3兄妹姉弟は「それはいつも、どこかの家で手を洗ったり、お皿を洗ったりしてるからだよー」で無理矢理、結論・・、否、納得しようとしていたが、現代と違って、殆どの住民が朝起きて夜は寝ていた当時の夜間でさえ、水はさらさらさらさらと常に一定の水量を保って流れ続けていた・・、否、現時点でも流れ続けているのだ。
 
 何故だ? その水は一体、どこから〝発生して〟いるんだ?
 
 
※文中敬称略
 
 
 

 

 事実のみを記す。酷い。
 
 長年に渡って、秋口から翌年の初夏にかけて、殆ど毎日のように着ていた成人ソフトボール・チーム、横須賀レイダースのウインド・ブレイカーが破れた。縫製が解れたとかではなく、生地そのものが裂けてしまっているため、些かみっともなく、裂け目が更に拡がる可能性も極めて高い。
 お役目御免の夏の間に2軒の補修屋にあたってみたものの、2軒ともDifficult to Cure・・。修理不可で返送される重傷だ。
 
 最近の日本には秋がなく、いきなし冬になるため、直ちに代わりを用意しなければならなかったが、生憎、コロナ禍に依る緊縮財務で、贅沢な我が儘はそうそう云ってられん。
 
 用途は春秋。TシャツやYシャツだけじゃ寒い、みっともない、貧乏臭い時期に必要で、もう少し寒くなれば、山羊の頭のスープではなく、山羊の皮のコートや横浜銀蝿モデルのダブルの革ジャン、THE ROLLING STONESのロング・コート等々、流石に長く生きてるだけあって、まあ多少はある。
 だが、横須賀レイダースのウインド・プレイカーは、Yシャツの上にニットを着込めば真冬でも順応して、まさに1年間の3/4を1着でOK!の超優れモノだった。
 
 代替候補は3点。
 
 1点目はソフトボールと同じようなスポーツ、野球のウインド・プレイカーで、美津野の読売巨人軍モデル。阪神ふぁんではあるものの、流石にそう毎日毎日〝Tigers〟を背負って歩くには既に抵抗がある年齢に成長している。同製品に〝GIANTS〟のロゴはなく、橙色を避けて白いストライプを選べば、むしろ読売巨人軍のイメージからは程遠い。難点は通販でしか購入出来ず、試着が困難過ぎること。
 価格は約1万4,000円。
 
 2点目は恐らく生涯で最期となるスカジャンだ。TVドラマ等で乱用されている、背中に〝Japan〟が入った安物のバチモンではなく、大将ミシン店の〝Yokosuka〟の刺繍が入ったモノホンとなると、横須賀まで数回の往復交通費を入れて、軽く4万を超えてしまう。また〝Tigers〟同様、流石に毎日毎日、それを背負って歩ける〝としごろ〟か?
 
 3点目はウニクロで大失敗した後に思い付いて、現在進行中・・。
何てこたぁない。今まで着ていた品物と同じ品物に買い換えれば済むのだが、今年の正月に、現在もチームの主戦投手を務めている義弟に尋ねたら、既に製造していないとのこと。
 インターネットで調べてみたら、メーカーそのものは健在どころか、こと野球衣料に関しては現在でもトップ・クラスの専門企業の模様。何よりもウレシイのは、ほぼ100%〝日本製〟。
 衣服に限らず〝MADE IN C.〟は出来る限り避けたい。
 
 それもまたインターネットで、今まで着ていた品物と同類のラインナップ・・、特に同じ繊維で構成されている2021年度版を探して、市内の野球用品専門店を訪ねたら、懇切丁寧に対応してくれて、現在、その〝試着品〟を取り寄せ中・・。
 しかも価格は税込で9,130円と、こちらは〝おてごろ〟だ。
 
 で、(無論、小馬鹿にして)ウニクロだが、皆んな、よくあんなもんに金なんか支払えるなよな? よっぽど金が有り余っているんだな。ウラヤマシーナあんど、ざ、ろけっつ。(笑)
 
 かつて、銀座店の大型ショウ・ウインドウにズラリと並べられたマネキンを中央通りの反対側の舗道から見上げて、「何だ?これ。」と驚嘆した。
 細君が一時期、パートで勤めていたファースト・リテイリング社にも良い印象がない。他に使いもしないWindowsマシンを自費で買わされるわ、上司だった20代の女性正社員は、僅かな期間に全国規模でトバされまくるわ。
 
 とは云え、背に腹は代えられず、取り敢えず市内の同ブランド店に赴き、3,000円のパーカと6,000円のジャケットを買ってみた。2着とも当然〝MADE IN C.〟・・。
 
 けど、なあ?「安い」って何だ?
 
 外出する時は殆ど先ず必ず、1983年からずっと同じウエスタン・ブーツを履いている。無論1足ではなく、3年から5年で履き潰す度に同じ製品を買い換えて。当初は5千円くらいだったが最新は1万5,000円。38年間で換算すれば、年間僅か1,875円で〝100%望み通り〟が〝約束〟されるんだから、激安の極致だべ?
 1,875円のクツを年中買い換えて楽しまれたい方もいらっしゃることだろうが、生憎、私はたかがクツ如きで一喜一憂するようなツマラナイ人生には縁がない。
 
 このブーツが文字通り足枷になる。どこからどう観たってウエスタン・ブーツなんだから、極端な話、夏季のステテコとかは当然、合わん。ボトムはデニムしかないに等しく、上衣の選択範囲も狭められるが、反対に云えば選択肢が絞れて、むしろラク。(笑)
 繰り返すが、服なんか何だっていい。屋外でケツの穴を晒して歩いてたら犬や猫と同じ。パンツ(※オムツらしいが。)しか履いていなければ、極々一部の限られたサルと同じだが、着合わせなんぞに思考を巡らす時間がもったいない。
 今回の場合なら、先ず初秋の寒さから身を守れれば、唯、それだけで済んだものを・・。
 
 とにかく寒い!
 
 既に60年も生きていて、一応、美大等にも通って、アパレル関係にうるさいというか、その道のプロが周囲にごろごろ居る。しかもネット通販ではなく、店舗で約1時間、何度も着たり脱いだりした上で購入したのに、実際に屋外を歩いて風を受ければ寒い。歩いて暖まった身体が保温されなくて寒い。地下鉄の冷房をもろに受けて激寒い!
 特に、襟巻きには未だ早過ぎる時期のクビの後ろ辺りは、上着(の襟)で防寒するしかないのに。
 
 おまけに造りが酷い。
パーカは余分なフードが激重たくて、歩いているうちに肩がずりずりと後ろに下がって落ち着かないことこの上ない。内側に縫製上の小さな布きれが宛がわれていて、貧乏臭いことこの上ない。よく大手を振って商売出来るよな?こんな商品で。
 ジャケットは何故か、なかなか真っ直ぐに吊り下がらない。そんな状態を観れば観るほどみすぼらしい。何だよ?これ・・。内ポケットは長財布が半分しか入らないような布きれのケチりようで、貧乏臭いことこの上ない!
 
 そして何よりも「安いものを着ている」という不満足感だ。I Can't Get No Satisfactionだ。2着で計9千円を1年どころか僅か2日で失った。年間に換算すれば164万2,500円の大損害だぜ? 一体、どこが「安い」んだっ!?

 ガキの時分、母親に連れられて服を買いに行って「これがいい。」と選んだものは、先ず他の品物よりも高価だった。現在も同。
 1995年だったか、やはり冬物を買いに出掛けて、5万円くらいの革ジャンを購入したが、その前に観ていたY'sのTHE ROLLING STONESのロング・コートをどうしても諦め切れず、帰宅途中の地下鉄を下車して戻って追加購入した。その後、革ジャンは殆ど着ていないが、THE ROLLING STONESは既に一生もんだ。9万円でも30年着てれば年間僅か3千円なんだぜ?「安い」たあ、こーいうことじゃね?
 
 決して個人的な指向や嗜好だけではないが、私にはいらないブランドだった、としておこう。
 
 
※本文中敬称略
※画像:購入した品物と同タイプのジャケット。¥5,590税込也。但、このモデルの男は身長183cmでLサイズ着用の白人男性だ。
 
 
 

 
 


 事実のみを記す。
 
■2021年10月08日(金) 10:00頃
 
 通常6日連続の仕事を10日連続に延ばして、体力的にやや不安があったため、約3か月半、机の上に置きっ放しにしておきながら服用を停止していたセサミンEX錠を、滋養強壮の目的で4粒ほど服用してみた。
 
 何たって、120粒で¥5,940も支払って購入した高額商品だからな! 1粒49.5円! この度、また値上げされたタバコ1本よりも高い! 1回4粒なら198円! 安い販売機で買えるRedBull1本よりも高い!
 それがまだ84粒、即ち4,158円分も残っていたんだからな!
 
 使わないテはないと、セコく考えたのは確かに己のミスだった。
 
 効果はやはりテキ面で、仕事はそれなりに出来た。久方振りの服用で、僅か4粒だけでも集中力を高めるような効果は、たぶんもう絶対に間違いない。
 だが・・。
 
 
 
■2021年10月09日(土)
 
 前回の大打撃があるからな。この日は服用せず、1日、間を開けて様子をみたが、特に異常は認識出来なかった。この日は、な。
 
 
 
■2021年10月10日(日) 10:00頃
 
 チョーシこいて、また4粒ほど服用。効果はやはりテキ面で、仕事はそれなり以上に出来た。因みに〝1日4粒を毎日〟が推奨量だから、その50%で試してみたワケだ。
 
 だが!
 
 
 
■2021年10月11日(月) 16:00頃
 
 寝て起きたら・・、腰廻りの大激痛!!!
 
 至って寝相が悪く、その時も映画『BACK TO THE FUTURE』のマーティー・マクフライのようなアクロバティックな体勢で寝ていたため、当初は腰部の整形外科的な痛みかと高を括っていた。
 だが痛い。激痛い。23歳の時に虫垂炎をこじらせた際には、ギターを弾いたり海で泳いだりもしたが、それどころではない。立っても座っても寝てもいられない。まさに七転八倒!
 
 更に強烈な便意に苛まされ、幾度となくトイレに駆け込むものの、出ない以前に排便の感覚がまったくなく、便器の底を向いたケツはシーンとしている・・。
 かつてない異常な感覚。
 
 腸閉塞ってヤツか?と、勝手に素人推測。
 
 そして最大の異常として、晩めしを喰う気さえ起こらず、結局、喰わず、睡眠不足もあって21:15頃また寝てしまったが、眠ることが出来たのは、むしろ不幸中の幸いだった。
 
 
 
■2021年10月12日(火) 1:30頃
 
 相変わらず、えせ便意に苛まされ続けるが、シカトしてパソコンに向かっていると、案外、気が紛れることを発見。
 だが、えせ便意は情け容赦なく、時間差攻撃で襲ってくる。仕方なく無駄なトイレに行って戻れば、痛い!痛い!痛えええっ!!!
 
 痛みには激弱い。ちょっとやそっとでも痛い!痛い!と大袈裟に騒ぐ。
胃がんの検診で胃カメラを飲まされた際は、喉に局所麻酔を打っているのに、騒ぐどころかバタバタ暴れまくるので、病院中から男性の医師やスタッフが呼び寄せられて、確か全部で6人に押さえ込まれて、ようやく飲み込まされた。
 ンな大迷惑千万は無論、百も承知しているが、生まれつき搭載されているオートマチック防御機能が勝手に動作してしまうのだ。
 つまり、防御本能が極めて高い。
自転車や単車には乗りたいとさえ思わず、電車やバスは進行方向に向かって左側に立ったり座ったりする。2000年3月に中目黒駅の広尾寄りで起きた事故で亡くなられた方々は、電車と電車の間に挟まれて身体を引きちぎられたそうだからな。
 
 
 
□同日 4:15頃
 
 遂に自ら119番して救急車を呼び、ンな時間に近所で大騒ぎになるのは極めて恰好悪いので、到着した救急車には自らこそこそと徒歩で向かい、市内のよく知らない病院に搬送されて、CTスキャンの結果、尿管結石と判明。
 
 何だよ?それ・・。
 
 
 
□同日 6:00頃
 
 タクシーで帰宅すると、病院で座薬(:これがまた大嫌い!)の痛み止めを受けたせいか、痛みは治まったものの、便意!便意!便意!便意!の大連続! この日は結局、計13回も便所に通い、私の場合は便が出ようが出まいが必ずウォシュレットを使用するため、トイレット・ペーパーを1日で丸々1本、1人で芯だけにした。
 
 
 
□同日 15:00頃
 
 便意が治まったので、大学時代のボクシング部のOB会の毎年恒例の懇親会のコロナに依る延期の連絡などに従事。そーいうことやブログの改訂等々、パソコン作業に限っては、何故か特に滞りもなく順調に進む。
 根っからのデスク・ワーカーで、根っからのパソコン居士なんだな、たぶん。
 
 また当然、自身にとっては全くの未知というか、全くの無関係だった尿管結石という病気について調べまくる。
 
「いち早く石を落とす(:体外に放出する)には縄跳びが効果的」なる泌尿器科医の推薦から、ボクシングの練習で使うWinningのスキッピング・ロープを購入しようと楽天まで観たが、1本6,000円もするので却下。ンなもん、大学のボクシング部には部員の数よりも沢山在ったんで、次回出向いた際に1本ガメて来ようと思ったものの、スキッピングは素手ではなく、長さ4mものバンテージをいちいち巻かなければならず、超〜面倒臭いから止メ止メ止メ止メ・・。
 
 
 
■2021年10月13日(水) 15:45頃
 
 救急搬送された際には肝心の小便が全く出なかったため、膀胱検査を含む精密検査を受けに再度、病院に行く。大事をとって、僅か3停留所程の距離をバスで予定していたものの、1時間に3本しかなく、時刻表を調べるのも面倒臭いので、雨の中を徒歩で。
 
 結果は「やっぱし」だった。
 
 整形外科と歯科以外の医者に行くと、あ、たまに整形外科でも、だが、医師には先ず大抵「何でこの程度で来るんだよ?」みたいな顔をされる。これも防御本能の表れか。
 前日のCTスキャンで確認されていた石は僅か2mm程度で、医師の机上のパソコンのモニタで原寸大にした程度では全く映らず、映っている腰の骨の大きさから2倍以上に拡大してようやく視認出来た程度。しかも当日撮影されたX線の映像では、全く確認出来ない程の小ささだった。
 
「これは違うんですか?」
 
 同じくらいの大きさの石、というか白い点を腎臓の中にもう1つ見付けて、そっちのほうが大事(おおごと)なんじゃね?と思いきや、イシを観るイシの表情は醒めていた。
 
 素人なりの乱暴な邪推に過ぎないが、ひょっとすると尿管結石なんぞ、よくあることなんじゃねーの? たまたま私は患ったことがなかっただけで。1廻りも歳下なのに、この20年間で4回も石を排出しているエキスパートも身近にいる。
 
 そこで、カマをかけてみた。
 
「石が出る時は判るもんなんですか?」
「判らずに、いつの間にか出てしまっていることもあります。特にこの程度の大きさでしたら。」
 
 だろうな。
 
 判った。つまり尿管結石・・、否、腎臓に石が出来るなんちゅうことは、ニキビや口内炎みたいに極々自然に度々発生していて、健康体であればあるほど自然に治癒してしまう。ガンなんかもそうなんじゃないの? がん検診たぁ、がんの有無ではなく、進行の度合いを見計らう検診かと。
 
 極めて健康体で且つ高性能な私の肉体は、これまで腎臓に石が出来ても極々小さなうちに体外に排出する機能が常にオートマチックに作動していた。
 それが〝急に〟狂った。していなかったことを〝急に〟したせいで。
 
 もう1つ気になったのは、度重なっていた、えせ便意だ。ネット上では特に見付けられなかったので、特別な個別症状だったのか?
 医師に尋ねたら、「有り得るかも知れません。」
 
 そう云えば前回、同サプリに依る大打撃を喰らった際に調べまくったら、セサミンEX錠の服用者にお腹を壊す・・、即ち、便意を催す人が5割近くもいた。私自身も服用を停止したら便意が若干悪くなったと、前回のブログに記してある。
 
 つまりだ。
私の腎臓内で珠に発生していた結石は、いつも通り直径2mm程に成長した段階で腎臓を出て、その日もいつも通り楽しく尿管を伝って膀胱を目指していたが、いつもとは異なるセサミンEXがやたらと便意を刺激して、尿管内の結石の進行を著しく阻害した。
 こんなところだったんじゃねーの?
 
 更に・・。
 
 
 
□同日 16:30頃
 
 泌尿器科の精密検査と診断が思っていたよりも早く終わったため、9月に別の医院で受診しておきながら、その診断結果を保留にしておいた、市のがん検診の結果を伺いにその医院をハシゴすると・・、
 肺がん、前立腺がん、大腸がんは特に異常なし!
 
 
 
■現在(:結論)
 
・自分は確かに既に高齢者ではあるが、ンなもん、すぐにいきなしなれるものではない
・肺がん、前立腺がん、大腸がんを患っている可能性は極めて低い
・投薬やサプリメントの習慣がほぼ全くないため、何か服用すればすぐに効く
・ここ数日間で〝急に〟やってみたことは、セサミンEXの服用のみ
・同サプリには今年の6月に大打撃を被っている
 
・この度の医療費 :約¥13,000也 ※交通費を含む
・この度の休業損害:約¥25,000也
        計:約¥38,000也
 
 
 決して愁訴だけではないが、私には合わないサプリメントだった、としておこう。
 
 
※画像:購入したセサミンEXの終焉だが、まだ76粒、3,762円分も残っていたんだから、だれか実験動物になられたい方に差し上げれば良かった哉・・。(笑)
 
 
 

 



 たまには、世の中で少しでも役に立ちそうな実験結果を記しておこう。

【実験動物のデータ】
・国産種、オス、主に室内飼い、(かなりいい加減な)血統書付、59歳、肉体労働従事者、BMI:22.0、血圧:70〜110、2021年2月15日に受診した(かなりいい加減な)健康診断の結果:特に異常なし、お腹:壊し易ひ、水分:あまり摂らなひ、運動:まったくしなひ、喫煙癖有

【実施データ】
・服用期間:89日/2021年3月24日〜6月20日 ※服用しなかった日も有
・服用粒数:276粒
・投資総額:¥11,880

 1万分の1の確率で試供品が当たるアンケートに応募してみたのは、TVで有名な林 修先生(:1965年生/東大法学部卒)や、年齢も近い齋藤 孝教授(:1960年生/東大法学部卒)というご歴々が推薦していたからだ。いつまでも元気な三浦 カズ(:1967年生/現横浜FC)もまた当然、肖りたい著名人だが、執拗に送付されるパンフレットには、頭や肉体で活躍中の人達の推薦は有っても、創造や感覚を生業としている方が歌手の由紀 さおりさんしか見受けられなかったのは、ちとお門違いだったのかも。

 かくして1万分の1の確率で当選した(?笑)試供品を2日間、8粒ほど試用してみると、かなりヤバひ。一言で云えば、頭が異様に冴へる。その冴へ方とは、例へば、風呂に入って、水栓を開くとか、サラックスに石鹸を垂らすとか、リンスの口を洗ひ流すとか、普段、無意識のうちに繰り返している判断と動作が速くなっているのか、常に1時間15分ほど費やしていた入浴時間が、一気に1時間5分まで短縮。地下鉄で惰眠を貪れば、睡眠がより深く、眼醒めが快適。常に抱えてる持病の頸椎の疲労や痛みに煩わされることもなく、爽やかな充実感を満喫できたことは確かだ。即効性が高く、服用後1時間以内には効き始めて、約15〜6時間は持続する。約15〜6時間の間、通常の約1.15倍程度のパフォーマンスの向上は先ず間違ひなかった。

 1日4粒で30日分、120粒の税込価格は¥5,940なので、月収が¥5,940増えるなら取り敢えず損はない。月額が更に10%割引される定期購入も考へよう。もっとも、その僅か2日間で4か月分近く、即ち2万4千円以上、普段よりも稼げちゃったんだけどな。コレは買いだぜ!と思うだろ?そのままいけば。

 だが、そこはV9を達成した故川上 哲治監督世代。石橋を叩いても渡らナイ・・、否、渡れナイ。業者からの一方的なパンフやメールは尽く無視して、購買者の見解、即ち、クチコミを100件ほど読んでみたら、お腹を壊す方が多かった。実験に使用した動物の場合、普段から便通は〝異常に良い〟ほうだが、更に便所で過ごした時間が増えていた。因みに、実験動物はMacintoshを導入した1993年以降、1日24時間を15分ごとに区切ったDiaryを毎日欠かさず記録し続けていて、何時間寝たか、何分で入浴を済ませたか、何時間、便所に入っていたか、更に直近7日間の平均睡眠時間が常に判るやうにしてある。Microsoft Excelの自作データで。

 また、無意識に買って飲んでいた缶コーヒーの本数が約3倍に増量。これもまた自作のMicrosoft Excelデータで日々の入出金を管理しているため、その増減もまた常に一目瞭然。どうやら、それもまた無意識のうちに水分補給が促されていたやうだな。更に味覚や嗅覚まで研ぎ澄まされるのか、煙草が矢鱈と美味く、本数と出費が異常に増えていた。(笑) ここまでだったら全然悪くナイ・・。服用し始めて1か月間は結局、総額10万以上の増収也。

 と・こ・ろ・が・だ。

 約1.15倍のパフォーマンスの向上とは、それだけの負担を無意識のうちに身体に課していることにならないか? レース用にカスタマイズされたエンジンならともかく、一般車のエンジンにニトロ・グリセリンなんぞ注入し続けたらどうなるか? やらねーだろ?普通・・。壊れるから。

 先ず、効用が持続する約15〜6時間を過ぎると、ダルひことハンパない。パフォーマンスの向上が未体験ゾーンなら、ぶり返しもまた未体験ゾーン。毎朝、同じ時刻の溜飲が推奨されているが、1日は24時間で、6時間寝ていたとしても、残りの2〜3時間はそのハンパなくダルひゾーンで過越さなければならない。そうね、一般的なら帰宅から就寝まで、家族と過越せる時間帯ね。更にもう1つ、超恐ろしい現象を付け加えれば、実験動物特有の結果だったのかも知れないが、この負の未体験ゾーンで観たTVドラマの内容、記したFacebook記事、コメント、全然、覚えてないの! 僅か1〜2か月前のことなのに!!! それこそが真の未体験ゾーンの極致だな、今、思えば。

 服用は3月24日から6月20日まで計89日間だが、飲み忘れた日や、ブツを容器ごと会社のロッカーに置き忘れてきた日や、敢えて飲まない実験を課した日が計20日ある。それ等の日々は、上記の負の未体験ゾーンが2〜3時間どころか1日、24時間単位で情け容赦なく襲われていた。もっとも悲惨な例としては、それもまた未体験、過去最大で交通事故直後を上廻る頸椎から脳にかけての激痛で、5月、6月は仕事をサボった・・、っちゅうか、業務遂行不能な日や時間が少なからず生じて、総額10万を超える大損害! 飲み忘れたり、飲まなかった影響だったとしたら、毎月¥5,940、生涯、否が応でも支払い続けなければならん。パンフやメールには「15年後を考えよう!」なんちゅうコピーも頻繁だが、15年間に支払う総額は107万6,400円也! ハイ・リスク過ぎないか?
 15年後なんぞ、誰にも判る筈なひのにさ。

 ¥5,940支払って購入した2本目をまだ半分以上、84粒残したまま、6月20日、服用を停止。少なくても業務遂行不能レベルの首痛からは解放された。便通が多少悪くなったのは、却って正常に戻ったのか?(笑)

 林さんや齋藤さんのような〝タレント〟は、その仕事の1つとして宣伝媒体に顔を貸しているが、毎日欠かさず4粒ずつ10年以上服用し続けてきた事実なんて、一体、誰が証明できる? 所詮、広告に過ぎないんだよね。高名、有名でなくても、SNS等を介して周囲に居る〝頭がいいやつ〟数名に尋ねてみた処、誰1人として常用していなかった。
 って事ぁ・・、これもまた、頭が悪いやつを狙った?(笑)

 あくまでも或る1匹の実験動物に依る愁訴です。悪しからず。


※文中敬称略