「坂本町の水はどこから流れて来て、どこへ流れて行くのか?」その4/4 | 元祖!ジェイク鈴木回想録

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 その前に今回の課題に戻ろう。

 

 それが地下水であれ何であれ、元々は天から降ってきた雨だ。ところが、坂本町に降った雨=坂本町の水とは限らない。正確には、坂本町ではなかったとしても坂本町を取り囲む分水嶺の内側に降った雨と、地中に染み込んだ地域が何処であっても、坂本町内で湧き出した水が坂本町の水になる。

 

 どーだっ!? >父!(笑)

 

 横須賀のような〝山国〟には、山の頂(いただき)から尾根を繋げた分水嶺という自然の境界がある。太古の昔から、所有している土地に於ける稲作に必要な水を確保するための境界だったと思われるが、それがそのまま現在の町界や市郡境、都府県境にまで継続していることが少なくない。

 坂本町も隣接している汐入町、東逸見町、沢山町、池上、金谷等との町界が分水嶺と一致している箇所が多々見受けられるが、ここからだ!

 これ↓は知ってたよね!?当然! >父

 

 坂本町を取り囲む分水嶺は、実は大きな〝の〟の字形を描いている。

 

 坂本町は一見、主に通勤や買いもの等の生活圏として、最も山深い5丁目や6丁目から北東の汐入駅や横須賀駅方向に拓かれているが、地形的には南東側の平地・・、即ち、不入斗平野を含む平作川流域の衣笠方面だけにしか開かれていない、実は〝盆地〟なのだ。

 そりゃあ、集中するわな! 水が。

 

 ここで俄然、興味が湧くのがこの分水嶺だ。特に本稿の発端である坂本町5丁目33番地は、小径を隔てて南隣の金谷1丁目と隣接している坂本町のどん詰まりだが(※〝現在〟は!)、分水嶺はその金谷1丁目6番の外側を通っているので、33番地の下の辺りの藪の中の澱み川と云うか水溜まりには、実は坂本町ではなく、金谷に降った雨が混じっているワケだ。少なからず。

 

 地表を流れる雨水だけではない。特に33番地の下の辺りの藪の中の澱み川と云うか水溜まりの水源を、地上に溢れ出した地下水脈と断定すれば、金谷1丁目6番の地下に浸透した雨水も含まれよう。それがそのまま地球の引力に従って、そのまま真下に浸透して、そこにそのまま〝均等に〟地下水脈を形成していればのハナシだが、そうは簡単に問屋が卸さないのが地質そのものの構造では?

 私は坂本町を含む大きな〝の〟の字形の分水嶺は、文字通り、他に水を漏らさない頑強なお椀の縁を想定している。

 

 その根拠に坂本の坂が在る。北隣の汐入町から5段変速の自転車で最も軽いギアにして汗だくになって漕いで登るくらいなら、自転車を降りて押して歩いて登ったほうがよっぽどマシ、という急坂を何でまた〝わざわざ造成した〟のか? 明治38年(:1905年)の完成らしいが。

 坂は実は単なる登り坂でなく〝峠〟で、登り切って坂本町内に入ると、それまでが急坂だったが故に判り難いが、緩やかな下り勾配となる。だったら切り通しを拓けば、坂はもっとラクな傾斜に出来ていた筈である。

 2つ憶測出来る。

1つは切り通しを拓けないくらい、頑強な岩盤から成り立っている。もう1つは切り通しを拓く訳にはいかない何かが、そこに埋設されている。

 な?おもしろくなってきただろ? 全然、関係ないけど、推理小説作家と云うか、大家の東野 圭吾氏もまた坂本4丁目に住んでいたことがあるんだぞ?(笑)

 

 残念ながら、先ず地学の知識が全くない。6年間も通っていて、その大半はタイクツ極まりなかった坂本小学校には、校庭を拡張するために切り崩した崖の岩肌に〝砂岩〟とか〝○○岩〟と手描きのレタリングが施された大きな札が掲げられた、地層そのものの現物標本が在り、正門の脇には数々の岩石標本が常設展示されていたにも関わらず!

 ってことは・・、だぜ? 地層や地質に詳しく、趣味にしていたような先人が居たってことだべ? 調べる手立ては有ったのだ。無論、期間限定ながら。

 

 唯、素人眼で観て、5丁目17番地辺りのドブ川の東側の山肌と、不入斗の山肌は同じ地質かと思われる。どちらも太古からの天然の川を形成していた様相で、名称は不明だが、雨が降ると、つるつる滑る・・、要するに雨水を浸透させ難い粘土質の地層だ。何て云うの?横須賀市内の特に東北部のあちこちで見受けられるが。

 この地質こそ、頑強な坂本〝盆地〟を形成している基本かと。

 

 地質のみならず、水質まで判れば更におもしろい。

 

 はっきし云って、千葉県U市の水道水はげろ不味い。東京都内は万人向けに洗練された中庸な感じだが、横須賀水道と同じ水源(※城山湖だったか?)の横浜の歯医者に行って、治療前に一口、口を濯ぐと、口の中がシャキッとする。

 

 前述の山口 百恵さんや水上 善雄選手だけではない。記し忘れて迂闊だったが、東京五輪(無論、前々回1964年の)男子柔道重量級の金メダリスト、故猪熊 功氏も不入斗中学校のご出身だ。また、元X-JAPANの故Hideが通っていて、私も数ヶ月間通った挙げ句、退園処分を喰らった聖佳幼稚園もまた、旧陸軍銃砲兵連隊の練兵場の跡地の一角に在る。

 まさかとは思うものの、音楽やスポーツの業績に坂本町の水が何らかの影響が有ったとしたら、益々おもしろくね?

 

 元西鉄→巨人の秋本 祐作投手は佐野町。俳優の石立 鉄男氏は公郷町で、娘さんだかお孫さんを父が担任していたことがある。(笑) 元サン・ミュージックの社長、故相澤 秀禎氏は上町で、三浦中学で父の1学年上。アナウンサーの高島 秀武氏は諏訪小学校。渡辺 真知子さんは汐入駅の真上に在る女子高。小泉 純一郎先生と同 進次郎は安浦と、横須賀出身の著名人はスポーツ選手と芸能人ばっかしだろ?(笑)

 

 更に、分水嶺が社会科学的に最も興味深いのは、横須賀市と三浦郡の市郡境は元より、横須賀市の産業的な発展にも大きく関与していることだ。

 

 5丁目26番地には〝衣笠村字西金谷○○号〟という金属製の札が付いた、東京電力の木製の電柱が少なくても1本、私が中学を卒業する頃までは現役だった。つまり、電気が通じた昨今でさえ〝衣笠村金谷〟だったワケで。26番地は42番地の辺りで丁目内を横切る分水嶺の坂本町側(※〝現在〟は!)なのに、何故!?

 

 研究たぁ、深めることに依って、更に新たな興味を次々と発見していくことでは!? >父!

 

 ここから先、〝課題〟をより正確により精密に解明していくには、やはり先ず地学の知識が必須だな。坂本町とその周辺の何処にどんな地層が形成されているのか? その地質はどんな水質の地下水脈を育むのか? そして、その水質にはどんな効果が有る成分を含むのか? 尽きねー。

 それから、父が好きだった歴史。郷土史。横須賀市史。三浦郡史。帝国陸軍史は横須賀市内なのに海軍史ではないところがミソだな。(笑)

 更に土木技術史や、電気や水道の敷設史もおもしろそうだな。

 

 また、父は全く興味を持たなかったが故に、それが結局、父自身が興味を持っていた数々の〝研究〟の行き詰まりにもなってしまった、カネの動き・・。即ち、経済学! それが明かされない限り、真実が浮き彫りにされ難い〝課題〟は他にも沢山、有るだろ? THE BEATLES史とか。DEEP PURPLE史とか。(笑)

 

 この〝課題〟を3人の兄妹姉弟のうちの誰かが地学、誰かが歴史、誰かが経済のように分担して専門的に研究していたら、父が結局、生まれてから死ぬまで90年間も暮らした町の歴史が、一部なりとも多少なりとも解明出来ていたのかも知れないな。

 

「つまんなかった」どころじゃなかったな。果たして、私の存命中にどこまで解明出来るのか? 取り敢えず、地学と経済学を勉強して・・、否々、それはかなり面倒臭いので、それ等に詳しいやつを誰か探して。(笑)

 

 加えて、葬儀の際に私は「父はこの坂本町で生まれて・・」と弔辞してしまったが、1930年8月11日に前述の26番地の辺りで生誕したと生前の本人が語っていて、祖父が出生届を提出した父の原戸籍に記載されていた住所は〝衣笠村金谷702番地〟とある。

 

 すみませんでした!!! >父!

 

 

※文中敬称略(の箇所も有)

※参考:『ふるさと横須賀』石井 昭著 http://s2s.jp/furusato/furusato_p145.html

※画像:彼の脳裏にも坂本町1丁目の風景が僅かでも残っていなかった筈はなく、それに同郷の親近感が湧く。山口 百恵さんにしても水上 善雄選手にしても小泉 純一郎先生にしても、皆んなそう。

 

※分水嶺に関しては、鎌倉時代まで遡ります故、また今度! >父(笑)