皆さん久しぶりです。ささえつです。

 

お正月は名古屋に二週間帰省していました。

12月から引っ越しし、幼稚園に転園し、14時には帰宅してくるため、

少し作業時間の捻出が難しくなってきました。

4月になれば預かり保育ができるのですが、今はプレクラスだから、預かってくれません。

4月まで少し、ペースを落として仕事をしようと思います。

 

したいとは思っても、実際に時間を捻出できなければ、信用問題になってしまいます。

今は、キャリアをほそぼそと続けていけることに感謝して、

小さなことに忠実に頑張っていくしか無い、と思い直した正月でした。

 

ボリュームとしては大きくないですが、

先日また日本語から中国語への翻訳を任せてもらえました。

今回のは証明書関連だったので、とってもやりやすく、

前回のメニュー表よりもサクサクできました。

今のところ、赤ペンチェックもありません。

問題なかったってことかな?

 

少しずつ新しいジャンルも頑張っていけるといいなぁと思っています。

 

 

皆さんこんにちは。ぼちぼち翻訳をこなしているささえつです。

 

今年は暖冬ですが、昨日は雪が降ったときもあったそうですね。

あまりにも温かいと、何だが気持ちが悪い気がしてくるのは私だけでしょうか?

 

さて、今日、元同僚から、前職(ビジネスニュース配信会社)の編集作業在宅アルバイトに応募しないかとお誘いがありました。

午前中だけの業務だけど、月~金がフィックスされます。

 

やりたいはやりたいのです。

前職は好きだったし、商品もよく知っているし、顔ぶれもよく分かる。

やりやすいといえばやりやすいです。

午前中は幼稚園があるのですが、平日をすべてフィックスしてしまうことがいいのかどうかまだわからないのです。

娘まだ三歳半ば。今は満三歳児プレクラスで、年少さんにも満たない。

実家も義実家も県外だし、頼れる親戚もいない。

夫は土曜日も祝日も仕事で、朝5時~夜8時まで不在。

 

もし、春休み、夏休みとかになったときに、休みが取れるかどうかもわかりません。

今日はすごく悩んでいた一日でした。

 

頑張りたいような、子供との時間を犠牲にするのが心苦しいような。

 

今日も翻訳の仕事が入っていたので、夜8時には娘を寝かしつけたのですが、

夜10時過ぎに、娘がギャンなきして起きてきました。

「お母さんがいないと怖い怖い!!涙」

何をしても寝てくれず、今は起こしてサザエさん録画を見せています。

もう私も寝ますが、

こんな状態じゃ、やっぱり、フィックス時間が多い仕事はまだ難しいかなぁと思っています。

 

私も子供の頃そうだったからわかるよ。お母さんが近くにいないと、不安で不安で堪らないんだよね。

お父さんじゃだめなんだよね。

最近特に輪をかけてひどくなってきて、私がトイレに行くにも、「お母さんがいないと怖いから早く戻ってきて!」と怒られます。

脱衣所で洗濯セットするだけでも、泣きます。

 

はぁ。

ようやくの投稿です。

クリスマスあたりから、幼稚園が休園になり、

二週間ほど、名古屋に帰省していました。

ちょうどその期間は仕事も来ていなかったので、

気分良くお休みを満喫。

 

去年の売上は、一昨年の半分にも満たず、

非常に焦っています。

どうしようかなぁ。実力がないのかなぁ。

 

とは言いつつ、育児と家事を完全ワンオペでしながら、
ある程度の量をこなしていくのもすごくしんどいし。

 

先日、メニューの中訳をしまして、

結局赤ペンがたっぷりで返却されたのですが、

何故かもう一度、中訳の依頼が。

 

今度は公証文書の翻訳なのですが、

前回よりもサクサクできます。

 

さぁ、がんばるぞ!今日は寝る!おやすみ!

こんにちは、ささえつです。

 

はじめての中国語訳、一応提出したんですが、やっぱり赤ペンが多かった(~_~;)

どちらかと言うと、文法のチェックが多いかな。

 

校正側の訳も?って言うのはありました。

原文で意匠を凝らしたネーミングをしているのに、

その意味が反映されていないのです。

例でいうと、、、

 

あくまで例えです。

飛び出し盛り(料理が飛び出すようにたくさん盛り付けされている。海から飛び出したとばかりの鮮魚を彷彿とさせる)

→校正訳 巨无霸拼盘

 

私は言語に忠実に、相当に考え抜いて中文を探し出し訳したんですが、

多分中国人的にはNGだったようです、

わかりやすく巨無霸もいいけどさ、

ビッグマックじゃ無いんだし、、、。

ここんところもっと現文の意味に忠実にした方がいいでしょと思った。

 

でも、やっぱり訂正多かったので、もう日中訳依頼来ないかも。

まぁ、依頼者もネイティブじゃ無いって十分わかっているし、

今回は腕試しだったと思います。あまり気負わず行こう。

 

最近日中校正依頼の仕事が多くて、中日依頼が少ないのは、

そういう案件は少ないとのこと。

翻訳会社もそう簡単に合格しないし、合格してもすぐ仕事来るとは言えないし。

やっぱり、サラリーマン時代実業で翻訳していないと、壁は高いのか。

 

私の場合、会社員時代は比較的中国語取材が多かったので、通訳の幅を伸ばすべきなのか、、、。悩み中。

 

 

皆さんこんにちは!ささえつです!

最近娘に、面白い話をしろ!と言われるので、いろいろ昔経験したことを話しているのですが、

その中で、一つ思い出したことがありました。

 

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あれは2001年ころ。私は初めての海外をフィリピンのホームステイで経験したのですが、

普通に超庶民の家だったので、日本との生活のギャップが印象的でした。

 

もちろんG君の巨大さにもびっくりしますし、
(日本の三倍ぐらいある!台湾のよりでかい!広州のよりでかかった)

ヤモリ君の大合唱の麗しさに感動もしました。

ヤモリ君の鳴き声ってすごいかわいいんですよ!

しかもヤモリ君は蚊も食べてくれるので、私は可愛がっていました。

 

家主は、日本から来てくれた少女の私を特別に思い、

17歳の長女の部屋を私に3週間貸してくれ、

長女はお兄ちゃんの部屋で寝泊まりしておりました。

年が近いのでその長女とはとても仲良くなりました。

 

しかし!!!

環境の変化で、私はすさまじい便秘に。

一週間近くお通じがなかったのです。

トイレは、もちろん洋式ではないし、水洗でもない。
暗くじめじめとしたトイレに、自分の心を開放することはできず、
私の大腸はいつまでも動くことがなかったのです。

 

ステイ先はマニラから車で4時間以上の郊外の小さな町だったのですが、

この街には病院がなく、この便秘いったいどうしようと、ほとほと困っていたところ、

ホームステイ先の母に、巡回病院が来るということを教えてもらい、

二週間に一度の巡回病院に連れて行ってもらいました。

初めて、炎天下地元の人と教会の空き部屋の前に並びました。

 

こうして、なんとか、座薬をもらうことに成功。

問題は、私は自分で座薬を使ったことがなかったのです!!

私はそれまでに便秘になると、内服薬で対応しており、座薬は未経験でした。

しかも、その座薬は開封すると瞬時に溶け始めてしまうという代物で、

もたもたしていると、ドロドロになってしまうのでした。

 

そうして、一粒が溶けてしまい・・・・二粒が溶けてしまい・・・どうしようと、一人部屋で焦っていたところ、

フィリピン母「ササエツ~、薬は入れられた??」

ささえつ「えっ、えっ、、、、実は、まだなの。薬が難しくて・・・どうしよう」

フィリピン母「見せてみなさい!!」

 

ここで私ハッとした。

 

「え、、、見せるって、どういうこと?あ、薬を見せればいいんだ」

と薬を見せたのですが、

 

フィリピン母「あ、ほんとすぐ溶けちゃうね。、これじゃ自分で入れるのは難しいね。私がやってあげる!!」

 

ささえつ「えっっっっっ!!え、それはちょっと、恥ずかしいよ。、自分でするよ!!」

フィリピン母「そんなこと言わないで!私はフィリピンの母親なのよ!実の母だと思っていいんだから!」

 

とここからこういう、いかにも東南アジアのファミリー的な熱い愛情を感じる押し問答が続くが、私はフィリピン母にお願いすることができず、結局また座薬を一つ溶かしてしまい、

残りが少なくなってしまいました。

 

そして、もう背に腹は代えられまい!!と私は腹と尻をくくって、

フィリピンの母に座薬の投入をお願いしたのでしたっ!・・・

 

金輪際、他人に自分の尻に座薬を入れることをお願いすることはないだろう!!と思った19の夏。

 

フィリピン母、こんな私のために、見ず知らずの日本人娘のために、

ここまでしてくれて本当にありがとう!

実の母には逆にお願いできなかったかもしれない、

このフィリピン母の温かさに、恥ずかしさを感じながらも、感謝でいっぱいになったのでした。

 

数年前からフェイスブックでフィリピンのファミリーとは連絡が取れるようになりました。

こういう時にSNSがあってよかった!と思うんですよね。

 

 

 

 

 

 

こんにちは。ささえつです。ってもう真夜中です。

7年ほど前になるんですが、上海駐在時に日本人の人と付き合っていました。

お互いすごくはまってしまって、この世の春かというくらい、

ラブラブな生活を送っていた一年だったのですが、

日本の「お義母さま」と「お義姉さま」に陰湿に結婚を大反対されたり、

ほかにもいろいろすったもんだの問題に巻き込まれて、げっそり痩せるまでに別れました。

あの時何も食べられなかったもんなぁ。

そんな前の彼氏ですが、別れて二日後に今の夫と出会い、

なんと、夫は彼と同じ名前で、同じような仕事をしていたという縁でした。

 

と、そんな前置きはどうでもよくて。

その当時元カレは寿司屋を展開するプロジェクトを任されており、

いろんな地域に行っては、地元の回転寿司に入って、調査をしておりました。

 

そんなある日のこと・・・彼が広東省に出張に行っていた時のある夜。

いつものように電話をしていると「なんか顔がかゆいんだよね。顔が腫れてきている。」

と言うのです。

30分も経つと、

「俺の顔、真っ赤にパンパンに腫れてるよ!かゆいし熱いし、もう別人だよ!」と面白おかしく話しているので、写真を撮って送ってもらうと、

本当にフランケンシュタインでした!!写真見たら、みんな恐れると思うほどの別人ぶり。

私は本当にびっくりして、息をのんだのです。

すぐに調べてみると、どうやらアナフィラキシーショックらしい!!ヤバいじゃないか!!

 

その夜は東莞の回転寿司に行ったという。

そして、、、「明日も現地調査で回転寿司に行こうと思う」

 

だめーーーー!!!ぜったいだめーーーー!今すぐ車で救急病棟行く!!!

 

説得を試みるも「大丈夫」の一点張り。

その後説得を30分続け、ようやくタクシーで近くの外国人が行ける病院に行ってくれることになった。

「でも、薬もらったから、明日は仕事で寿司屋行くわ」という彼の声を電話越しで聞きながら、

号泣する私がいました。

 

寿司に何が入っていたのか?それとも、添加物と言えばガリも可能性高い。

 

結局次の日は寿司屋にはいかずに、予定通りの便で上海に戻ってきてくれたのですが、

余りの顔の腫れように、息をのんだのでした。

 

その後薬を飲んで、数日でフランケンシュタインは落ち着き、あれはいったい何だったのだとまるで夢のようした。

血液検査しても反応は出ないし怖いなぁ・・・なんて思っていたところ・・・

 

一か月後、またフランケンシュタインになった彼なのでした。

何を食べた?と聞くと「オレンジの生絞りジュースの自販機でジュース飲んでたら、顔がピリピリしてきた」とのこと。

 

そうなんです、家の近くに小さなモールがあり、そこにオレンジを生絞りでジュースにしてくれる自動販売機があったんです。缶ジュースより安心かと思い、生絞りジュースを買ったはいいものの、なぜかそれにあたったのでしょうか??

オレンジに農薬たくさん使われていて、皮か何かがジュースに入っていたのか?

それともそれより前に食べた何かに当たったのか??

 

結局その彼の寿司プロジェクトはまもなく企画倒れとなり、彼は一旦日本に帰国することに。

今思えば、彼は中国では働かない方が良い存在だったのかもしれません。

彼氏が家でアナフィラキシーショックで急性発作で死んだりしたら、私もう一生生きていけなかったと思います。

それが防止できたのはよかった。天命に感謝するしかない。

 

中国、やはり食品問題は侮れないと思いました。
特にストレス抱えるとアレルギーがでやすくなるし、お腹壊すことも日本より多いです。
やはり、繊細過ぎる人にはあまり向く国ではないのではないかなと思うことがあります。

心も体も図太く健康、そうしてようやく、日本人はこの巨大な中国市場に立ち向かうことができるのかもしれません。。。

 

 

 

 

 

 

 

こんにちは!ささえつです。

 

さて、北京大に一か月だけショート留学していた時、

日本語通訳についてくれた北京大の男子と仲良くなって、

いい感じになってしまったことがありました。

本当に若い時も今もだけど、私は性格が悪いというか、人を大事にしなかったというか。

その時日本に彼氏がいるというのに、

一か月の長期旅行ですっかり浮かれてしまったんですよね。

 

結局、すぐ事情を話し別れたはものの、
その後も細々と遠距離で連絡を取り続けたのでした。

 

そして、数年後その彼は早稲田に留学することが決まり、

私は親にも説明し、留学時の身元保証人になることになり、

彼が日本に来る際に私はわざわざ成田まで迎えに行ったんですね。

 

あの時、彼は到着するや否や「すぐに銀行に行きたい」と真っ青な顔で言うんです。

「どうしたの?」と聞くと、

「今手元には日本円で16万ある。でも、これはお父さんの年収の半分なんだ。落としたりくすねられたりなんかできない!」

 

その時、私は16万のこの価値を初めて身に染みて感じ入りました。

そうだよね。必死だよね。親もきっと本当に希望を託して送り出しただろう。涙が出ました。

それですぐ口座開設しにいった(記憶がないが多分そうだよね。)

 

彼は東京に留学にきたものの、私はすれ違いのような形で、台湾に留学。

当時、中国人は日本経由でも台湾に来ることはできませんでしたので、

彼と再会することはもうないと思っていました。

たまにふと彼から「いつか台湾に行ってみたいなぁ」と連絡があったのを覚えています。

中国人にとって台湾はそんな簡単に土地を踏むことができない場所なので、興味があるのだとずっと言っていました。

 

そのまま彼は日本の上場企業に就職。

私は中国に駐在になり、中国で楽しく働いていました。

その間も年に1-2回メールか何かで連絡をする程度。

 

そんな折、私が彼氏と別れることになり、ひどく落ち込んでしまった時期があったのですが、

その時に飛行機に乗って、北京の彼は上海の私に会いに来てくれたのです。

 

彼「今はもう日本で働いているし、帰化しようと思ってる。

財産も少しばかりあるから、結婚できると思うんだ、一緒に日本に帰ろう

 

と、言われました。

でも、私はその言葉を蹴ってしまったのです。でもきっとそれでよかった。

 

私「でも、〇〇は一人っ子でしょ?

日本に帰化するつもりなら、お父さんやお母さんは大丈夫なの?

もう退職しているだろうし、長男だから戻ってほしいって言われるんじゃないの?」

 

彼「今は両親は不動産で生計立てているから大丈夫だよ」

 

私「え、不動産なんかあるの?

だって、お父さんは国営企業の普通のサラリーマンだって言ってたよね」

 

彼「もともとの朝陽区の団地が立ち退きに遭ってさ、

それで二件ぐらい家がもらえたんだよ。昔は田舎だったのにね」

 

ええええ!!!!!朝陽区に貸家が二件!!!

 

 

16万円が年収の半分だったのはいったい何だったのか!!

 

ちゃんちゃん。中国あるあるでした。これでよかったのか笑。

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さんこんにちは!眠れなくなった笹悦です!夜中二時過ぎの投稿。

 

大学のころ北京に行った時のことを思い出しました。あれは、サーズの前の年だったと思います。

大学卒業旅行で北京大学へのショート留学プログラムに参加しました。

 

まだそのころは中国語も初心者で、片言の中国語をようやく話せるぐらい。

台湾には2-3回行っていたし、北京にはその前の年に一度いっていたけれど、

少し長めにステイして、中国との違いをこの目で確かめたいという思いはずっとありました。

就職するともういけない!と思い、喜び勇んで参加しました。

 

あれは、王府井の帰り道。

メンバーとぶらぶらして、北京大学までバスで帰りたいねなんて話していた時、

寒い三月の初旬。もう夕方になりつつあり、そろそろバスに乗らないといけないのですが、

バス停がどこにあるかわからない。そしてバス路線もよくわからない。

でも北京大学に行くバスと言えば、わかるはずだということで、

2-3人で歩いている女性に聞いてみることにしました。

 

「バス停はどこですか?北京大学に帰りたいんです」

 

この言葉を反復して探すこと30分以上。

 

みんなごにょごにょなんかわからないことを言って、そのうち言葉が通じないとあきらめて去っていく。

指で指し示してくれるが・・・一向に何を言っているのかわからないしバス停も見えない。

何人かの女性はずっと「ニャオニャオニャオ」と謎の言葉を連発しているのです。

 

にゃーにゃにゃー???🐈🐈???

🐈を買えと?

 

一体何の宇宙語を話しているのか?

北京の方言はやっぱりきついから、私たちには聞き取れないのか?

留学組日本人はさっぱりちんぷんかんぷん。

 

結局タクシーに乗って帰ったという記憶なのですが、

寮に戻ると友達が一人、思い出したかのように言ったのです。

 

「わかった、そういえば授業で前聞いたことがあった。

数字の「1」って「ヤオ!」って発音もするんだよ!

だから、ニャオニャオニャオは、猫の鳴き声じゃなくて、

ヤオヤオヤオで、路線111のことじゃないかな!!

 

そうだったのか!!!そうだったのか!!これぞ目からうろこでした。

あの北京女性たちは、皆親切に路線番号を教えてくれていたんだね。

みんなありがとう!

 

私は台湾には長かったから、台湾ではあまり、「ヤオヤオヤオ」とは皆言わなくて、

電話番号の「1」も皆「イー」と話す傾向が強かったので、わからなかったのです。

ここで初めて中台の中国語慣用の違いを痛感したのでした。

 

余談ですが、私はこの三週間の留学で、北京大学のある男のことのことが好きになってしまって、

その後も10年近くいろいろゴチャゴチャありました。

元気にしてるかなぁ。

 

 

 

 

皆さんこんにちは!ささえつです。

引越しが落ち着き、風邪をひいたものの、少し快方してきました。

 

翻訳会社さんのトライアルを受けたりしているのですが、

受かったり落ちたり・・・やっぱり、実力が伴わないのか?と悩んでいます。

9月は仕事の依頼をたくさん受けましたが、

10月お休みをしてしまったからか、現在は仕事がありません。

どのようにお仕事をもらえるようになればいいのか、暗中模索です。

 

もしかしたら、自分は翻訳には向いていないのか?

それとも、翻訳でもジャンルが向いていないのか?

一旦在宅翻訳あきらめて、外勤にするかと頭をよぎるのですが、

外勤にしたときに、失うであろうたくさんの要素を考えると、まだまだ実行できません。

 

悩みながら今日もトライアルを受けている私です。

がんばれー!自分で自分を鼓舞するより他に無いのでした。

 

 

 

みなさんこんにちは!ささえつです!

先日アパートの退去立ち合いをしてきたときのことです。

 

担当者「もうお忘れ物などは無いでしょうか?」

私「無いはずです。ありません」

 

担当者「さっき下駄箱に包丁らしきものがあったのですがそれはどうしますか??」

私「え!!!!(記憶にない)」

 

このアパートの管理担当者、下駄箱開けたときに、包丁が目に飛び込んできたとき、すごいびっくりしただろうなぁ。

きっとこう思ったんではないか。

 

・・・・これって、自己防衛のための包丁なのか?

この家は、変な奴が家に着たら、防御のために包丁を向けるのか?

おっかない家だなぁ。俺、包丁向けられなくてよかったよ。ふー・・・

 

実際に下駄箱開けたらありました。包丁が。

しかも、中国の市場の肉屋さんで使われているような感じのでかい奈切包丁。

 

 

うちの夫ね、なんか、料理好きなんですよ。それで、中国の包丁を何本か日本に持ってきていて、そのうちの一つでした。

張小泉は結構名の知れたメーカーではあるんですが、

私は日常生活では使いこなせないので、箱に入れて四年間お蔵入りしていたはずだったのですが、

なぜアパートの玄関に!!!???

永遠の謎です。

 

夜な夜な、いつか妻の首をとろうと、包丁を研いでいたに違いない!苦笑