皆さんこんにちは!ささえつです!
最近娘に、面白い話をしろ!と言われるので、いろいろ昔経験したことを話しているのですが、
その中で、一つ思い出したことがありました。
-----------------------------------
あれは2001年ころ。私は初めての海外をフィリピンのホームステイで経験したのですが、
普通に超庶民の家だったので、日本との生活のギャップが印象的でした。
もちろんG君の巨大さにもびっくりしますし、
(日本の三倍ぐらいある!台湾のよりでかい!広州のよりでかかった)
ヤモリ君の大合唱の麗しさに感動もしました。
ヤモリ君の鳴き声ってすごいかわいいんですよ!
しかもヤモリ君は蚊も食べてくれるので、私は可愛がっていました。
家主は、日本から来てくれた少女の私を特別に思い、
17歳の長女の部屋を私に3週間貸してくれ、
長女はお兄ちゃんの部屋で寝泊まりしておりました。
年が近いのでその長女とはとても仲良くなりました。
しかし!!!
環境の変化で、私はすさまじい便秘に。
一週間近くお通じがなかったのです。
トイレは、もちろん洋式ではないし、水洗でもない。
暗くじめじめとしたトイレに、自分の心を開放することはできず、
私の大腸はいつまでも動くことがなかったのです。
ステイ先はマニラから車で4時間以上の郊外の小さな町だったのですが、
この街には病院がなく、この便秘いったいどうしようと、ほとほと困っていたところ、
ホームステイ先の母に、巡回病院が来るということを教えてもらい、
二週間に一度の巡回病院に連れて行ってもらいました。
初めて、炎天下地元の人と教会の空き部屋の前に並びました。
こうして、なんとか、座薬をもらうことに成功。
問題は、私は自分で座薬を使ったことがなかったのです!!
私はそれまでに便秘になると、内服薬で対応しており、座薬は未経験でした。
しかも、その座薬は開封すると瞬時に溶け始めてしまうという代物で、
もたもたしていると、ドロドロになってしまうのでした。
そうして、一粒が溶けてしまい・・・・二粒が溶けてしまい・・・どうしようと、一人部屋で焦っていたところ、
フィリピン母「ササエツ~、薬は入れられた??」
ささえつ「えっ、えっ、、、、実は、まだなの。薬が難しくて・・・どうしよう」
フィリピン母「見せてみなさい!!」
ここで私ハッとした。
「え、、、見せるって、どういうこと?あ、薬を見せればいいんだ」
と薬を見せたのですが、
フィリピン母「あ、ほんとすぐ溶けちゃうね。、これじゃ自分で入れるのは難しいね。私がやってあげる!!」
ささえつ「えっっっっっ!!え、それはちょっと、恥ずかしいよ。、自分でするよ!!」
フィリピン母「そんなこと言わないで!私はフィリピンの母親なのよ!実の母だと思っていいんだから!」
とここからこういう、いかにも東南アジアのファミリー的な熱い愛情を感じる押し問答が続くが、私はフィリピン母にお願いすることができず、結局また座薬を一つ溶かしてしまい、
残りが少なくなってしまいました。
そして、もう背に腹は代えられまい!!と私は腹と尻をくくって、
フィリピンの母に座薬の投入をお願いしたのでしたっ!・・・
金輪際、他人に自分の尻に座薬を入れることをお願いすることはないだろう!!と思った19の夏。
フィリピン母、こんな私のために、見ず知らずの日本人娘のために、
ここまでしてくれて本当にありがとう!
実の母には逆にお願いできなかったかもしれない、
このフィリピン母の温かさに、恥ずかしさを感じながらも、感謝でいっぱいになったのでした。
数年前からフェイスブックでフィリピンのファミリーとは連絡が取れるようになりました。
こういう時にSNSがあってよかった!と思うんですよね。