親の子供に対する無意識の差別は子供に伝わっていることを知ってください | ASD【自閉症スペクトラム】女係長 鹿島じゅんの日常生活はサバイバル!

ASD【自閉症スペクトラム】女係長 鹿島じゅんの日常生活はサバイバル!

25年以上1つの会社に健常者として勤務し、係長として人の上に立つようになった私が、
どのようにASD(自閉症スペクトラム)の特性と折り合いをつけて生活しているか、
その方法をお伝えしていきたいと思います。

ブログにお越しいただきありがとうございます^^

 

ASD(自閉症スペクトラム)当事者

女係長 鹿島じゅんです。

 

私の発達障害に関する診断結果

コチラです。

 

専門家でも見分けるのは難しいと言われる、

発達障害と愛着障害。

 

自分は本当は発達障害ではなく、

愛着障害なのではないかと思い振り返った、

私の愛着障害に関する生育歴

コチラです。

 

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私は小学生の頃にはもう、

自分の家族のことを、


自分の生存を脅かす敵


だと認識していた子供でした。

(なぜそう思うようになったのかは、

私の愛着障害に関する生育歴をご覧ください)


そのため、

唯一自分が持っていた刃物である、

小学校の図工で使うカッターを、

自衛のためにいつもポケットに忍ばせて

周囲の様子を伺いながら生きていました。


家族の中にも学校の中にも、
自分の味方になってくれる人の、
いなかった私にとって、
その小さな刃物は、

自分の身を守る御守り

だったのです。


そんな家庭環境の子供だったため、
私の母親に対する愛情は、
小学生の頃にはすでに冷めていました。

いえ、むしろ、
それまで母親のことが大好きだった分、
母親から見放され

私が母親を憎むのに、
充分すぎる理由となりました。

自分の原家族(自分の生まれ育った家族)を、
敵視するあまり、
自分の弱っているところなど、
この家族には見せられないと、
高熱を出しても黙っていて

点滴を打つ羽目になったこともありました。

そんな子供だった私が、
40歳を過ぎた今、
母親に対して、
優しく接することが出来ているのは、
自分を幸せにするために、
叶わない願いを諦めたことで、
私の心は、
穏やかに過ごすことが出来ていました。

けれど。

先日のゴールデンウィークに。

私の心を波立たせる出来事が起こりました。

今回のゴールデンウィークには、
娘が孫を連れて帰省してきたため、
私はイチゴが好きな孫と娘を喜ばせようと、
イチゴ狩りに連れて行きました。

そして、
私ばかりが、
娘と孫と遊んだら寂しく感じるかと思い、
私は普段、
腰が痛いからと出歩かない母も、
イチゴ狩りに誘ってみることにしました。

本当は、
母を誘うことに相当悩みました。

なぜなら、
一緒にイチゴ狩りに行く娘は妊婦のため、
必然的に、
2歳になる元気の良い孫の面倒は、
私が見ることになると思っていたので、
そこにさらに、
腰が痛くてあまり歩けない、
母の面倒まで見なくてはいけなくなるのは、
私にかかる負担が大きすぎると感じたからです。

それでも、
悩みに悩んだ末に、
私は母をイチゴ狩りに誘いました。

家族の中で、
1人仲間外れにされる寂しさは、
子供の頃に嫌というほど、
母親を含めた自分の原家族から、
味合わされていたからです。

あんな悲しい思いを、
自分が関わる人に、
感じて欲しくはありませんでした。

だから結局、私は、
イチゴ狩りに行く時も、
公園に遊びに行く時も、
孫と遊びに行く時は全て、
母を誘いました。

母は普段、
体が痛くて外に出かける元気もないと、
私に言い続けていたため、
遊びの誘いの幾つかは断るのではないか、
と考えていたのですが、
驚いたことに、
母は私からの遊びの誘いを全て受け、
全ての遊びについてきました。

そのため私は、
孫の様子と娘の体調に気を遣いながら、
すぐに疲れて遊びについて来れなくなる母が、
寂しさを感じないように、
気を配っていました。

正直、心身ともにとても疲れました。

そんな私の奮闘ぶりは、
娘や母にも伝わっていたらしく、
娘や母からは絶えず、

「疲れたでしょう、大丈夫?」

と気遣いの言葉をかけられました。

その気遣いの言葉をかけられただけで、
私は嬉しくて、
本当にとても疲れていたけれど、
2泊3日の帰省中の娘と孫のおもてなしと、
孫(母にとってはひ孫)と一緒に遊びたいという、
母の望みを叶えるべく、
頑張ることが出来たのです。


でも、
その母の私への気遣いの言葉への喜びが、
あっという間に崩れ去る出来事が、
起こってしまいました。

実は、
娘と孫とイチゴ狩りに行った後の帰り道、
私の車に同乗していた母から、
兄もその日の夜に、
実家に帰省してくることを聞かされて、

「お兄ちゃんのためのビールを買いに行って欲しい」

と言われたのです。

兄が帰省してくることを、
その時まで知らなかった私は、
母からの突然の申し出に、
正直、断りたい気持ちが湧きました。

孫の面倒を見ながらイチゴ狩りをするのは、
本当に大変でクタクタだったし、
車で帰ってくる兄は、
自分で飲むビールなど、
途中で自分でお店に寄って、
買ってこれるからです。

でも母は、
せっかく帰ってきてくれる兄のために、
どうしても、
ビールを用意しておきたいようでした。

そのため私は疲れた体に鞭打って、
車を運転して母をスーパーに連れて行き、
兄のために6缶入りのビールと、
つまみのお刺身を購入した母の、
荷物を持ってあげました。

母はやっぱり、

「疲れているのにごめんね」

と言って、
お駄賃だとでも思ったのか、
私に千円札を渡してこようとしました。

私は年金暮らしの母親から、
駄賃をもらわなければならないほど、
お金に困っている訳でもなく、
むしろ善意でやってあげたことに対して、
お金を出されるのが嫌だったため、

「そんなのいいよ」

と言って、受け取りませんでした。


結局、
孫と遊んだ後に行った兄のための買い出しで、
疲労がピークに達していた私は、
母を実家に送り届けた後、
兄が帰省してくるのを待たずに、
自分の家に帰りました。

次の日も、
孫と娘と母を、
遊びに連れて行く約束をしていたため、
明日のために少しでも、
体力を回復しておきたかったのです。

そして次の日、
朝の10時ごろに実家に行くと、
すでに実家に帰省してきていたはずの、
兄の姿はありませんでした。

母の話によると、
兄は昨日の夜7時くらいに帰ってきて、
仕事があるからと、
朝の9時には実家を出たようでした。

その日も私は、
孫と娘と母を連れて公園に遊びに行き、
腰の痛い母と、
妊婦である娘を休ませながら、
孫が遊びたいという遊具に付き合っていました。

それはとても楽しかったのですが、
やはり体はクタクタに疲れていました。

その日もやはり、
そんな姿を見た母や娘から、

「疲れたでしょう?大丈夫?」

と声をかけられていました。

何事にも全力でぶつかるASD気質のため、
疲れていても手の抜き方が分からず、
顔に疲れがでていたのだと思います(^◇^;)

それでも、
母と私と娘という3人のなかで、
車を運転出来るのは私しかいなかったため、
公園からの帰り道の運転も、
私がしていました。
(車で行かなければいけない、
遠くの広い公園に遊びに行っていました)

母を実家に送り届け、
さぁ、自分の家に帰ろうとした時、
母親が私に声をかけてきました。

「本当に疲れてるとこ悪いんだけど、
タバコ買ってきてくれない?」


その言葉に、私は驚きました。

ずっと私に、

「疲れたでしょう?大丈夫?」

と声をかけてきた人と、
同じ人が言った言葉とは思えなかったからです。

タバコなど、
公園からの帰り道で、
たくさん通り過ぎたコンビニで、
いくらでも買う機会がありました。

なのに実家に帰り着いてから、
わざわざタバコを買ってきてという母親に、
私は一瞬、
返す言葉が見つかりませんでした。

そんな私の態度が、
拒絶しているように思えたのか、
母親はなおも言葉を続けました。

「夕べからタバコが切れそうだと思ってたのよ」

この言葉が、
かえって私の気持ちを逆撫でしてしまいました。

母は車を持っていません。

だから、夜になってタバコが欲しいと思っても、
買いに行けなかったのは分かります。

でも、昨日の夜には兄が帰省していました。

夜になって、
タバコが切れそうで欲しいと思ったら、
兄に買ってきて欲しいと頼めば良かったのです。

もし、
兄がビールを飲んでしまって、
車を運転出来なくなっていたとしても、
健康な大人なら往復出来る程度の距離に、
タバコを売っているコンビニはありました。

もし、兄が酔っ払って、
早く寝てしまったというのなら、
次の日の朝、
兄に買いに行ってもらえば良かったのです。

クタクタに疲れている私に、
タバコのお使いは頼めても、
帰省してきた兄に、
タバコのお使いは頼めませんか?

クタクタに疲れている私に、
兄のビールの買い出しは頼めても、
帰省してくる兄に、
途中でお店に寄って、
自分が飲むビールを買ってくるよう、
頼むことは出来ませんか?

私は喉元まででかかったこれらの言葉を、
グッと喉の奥へ押し込むと、
母親から差し出された数枚の千円札を、
ひったくるように掴み取り、

「行ってくる」

とだけ言うと、
自分の車に乗り込みました。

車を運転しながら、
私はなんだか、
泣きたい気持ちを堪えるのに必死でした。

買ってきたタバコと釣り銭を、
突き出すように母に渡すと、
母は、

「ありがとうね」

と言いながら、

私に千円札を渡してきました。

私は母のそんな態度に、

本当に腹が立ちました。


このゴールデンウィークの間、
私が母親に対して何かしてあげるたびに、
母はたびたび、
私に千円札を渡そうとしてきました。

けれど、私は子供ではありません。
年金暮らしの母親よりも、
数倍の収入がある社会人です。

私が母のために使っている時間は、
私の月給を時給に換算すれば、
千円以上の金額になります。

私はお金が欲しくて、
母のために時間を使っているのでは無いし、
千円札を渡しているから、
母が私をアゴで使っていいわけでも無いのです。

私は親に自分が愛されることは、
諦めがついたけれど。

母が兄を大切にするために、
使われるのはゴメンでした。

そう気付かされたのは、
母が私にこんな一言を言ったからでした。

「昨日のイチゴ狩りのイチゴね、
お兄ちゃんに持たせてあげたのよ」


嬉しそうに語る母親の言葉を、
私は虚しい気持ちで聞いていました。

私の親は、
私が子供の頃から何も変わらない。

私があなた達、親のことを考えて、
何かをしてあげたとしても、
そこで作ってあげた生活の余裕を、
あなた達、親は、
兄を喜ばせるために使ってしまう。

私がお金で苦労していた母を喜ばせたくて、
結納金が欲しくて結婚した時、

私の結納金は兄の大学の学費に消えました。

私が両親に、
子供の保育園のお迎えを頼んでいた頃、
お世話になっていたお礼に、
実家に数万円を渡していたら、
そのお金は兄の奨学金返済に使われていました。
(シングルマザーだった私にとって、
その数万円は手取り給料の6分の1という、
かなり頑張って渡していた額でした)

私があなた(母親)を喜ばすために、
クタクタになって行ったイチゴ狩りのイチゴを、
あなたはただ帰省してきてビールを飲んで寝ただけの、
兄に渡してしまうんだね。


兄には何の用事も頼まずに、
ただ、喜ばすことだけをしてあげたい母。

そのために疲れている私を使っても、
千円くらい渡しておけば、
いいだろうと思っている母。
(疲れ過ぎて、この後私は運転ミスし、
車を擦ってしまいます)

きっとこれは、
母の無意識の中にある、
子供に対する差別なのだと思います。

親は子供に対して平等ではありません。

そこは親も人間だし、
そのことに対して責めるつもりはありません。

自分が好かれたい子供、
自分が使っていいと思っている子供、
色々いるでしょう。

でもね、これだけは覚えておいて欲しい。

親の無意識の子供に対する差別を、
子供は敏感に感じ取ります。

例え無意識だったとしても、
兄妹で扱いに格差をつけられてしまったら、
いくら口で、

「子供には平等に接している」

と言ったところで、
何の信憑性もありません。

むしろ、そんな言葉を使えば使うほど、

子供の心は親から離れていきます。


ゴールデンウィーク以降、
高齢で1人暮らしのため、
ちょこちょこと、
様子を見に行っていた母親のところに、
私はまだ顔を出していません。

母親に軽く扱われるのが、
嫌だったから。

私の母親を思いやる気持ちや行動に対して、
千円渡しておけば、
こき使っていいなどと、
思って欲しくはなかったから。

子供は親を助ける、
便利な道具ではありません。

そして親に尽くす子供が欲しいのは、
お駄賃ではありません。

このゴールデンウィークで、
私がクタクタになるまで母親に尽くして、
大変だと分かっていたけれど、
全ての遊びに母を誘ったのは。

ただ、喜んで欲しかったから。

母親がこのゴールデンウィークの間、
私に何度も千円札を渡そうとしたのは、
私にばかり負担をかけていることを、
気にしていたからだと思います。

でも、それは。

お金で解決していいことではありません。


もし、本当に、
私にばかり負担をかけて悪いと、
母親が思ってくれていたのなら。

兄にもタバコの買い出しを頼むといった、


兄妹に対する扱いを平等にする

態度が必要でした。


でも、私の母親は、

「疲れているでしょう?大丈夫?」

という言葉を私にかけてくれながら、
ただひたすら私だけに、
自分の用事を言い続けました。

そんな態度を見ていると。

私のことを思い遣ってはいないよね?

と私は感じて、
親に会いたくなくなってしまうのです。

今回のゴールデンウィークで、
兄を大切にして私をこき使う母親の態度に、
心が傷ついてしまった私は、
自分の心の整理がつくまで、
母親に会いに行ったりはしないでしょう。

親の無意識の子供に対する差別は、
子供の心を傷つけます。

だから。

このブログを読んでくれている皆さんには、
くどくなるけれど、
知っておいて欲しいのです。

親の子供に対する無意識の差別を、
子供はちゃんと感じ取っています。


親に尽くしてくれる子供は、
親にとって、
用事を頼みやすい存在なのかもしれません。

でも、それに甘えて、
ぞんざいな扱いばかりしていたら、
その子供もいつか、
離れていってしまうかもしれません。

子供が親から離れるのには理由があります。

そのことを、
どうか頭の片隅にでも、
留めておいてください。

あなた(親)に尽くしてくれる子供は。

あなたが心から感謝する、
それだけで満足出来るのです。

どうか、そんな子供の心を、
お金で解決出来るなんて思わないでください。

その行為こそが。

子供の心を、
逆に傷つけてしまうことになるのです。