子供の頃に辛い思いをした人の方が幸せになれる理由 | ASD【自閉症スペクトラム】女係長 鹿島じゅんの日常生活はサバイバル!

ASD【自閉症スペクトラム】女係長 鹿島じゅんの日常生活はサバイバル!

25年以上1つの会社に健常者として勤務し、係長として人の上に立つようになった私が、
どのようにASD(自閉症スペクトラム)の特性と折り合いをつけて生活しているか、
その方法をお伝えしていきたいと思います。

ブログにお越しいただきありがとうございます^^

 

ASD(自閉症スペクトラム)当事者

女係長 鹿島じゅんです。

 

私の発達障害に関する診断結果

コチラです。

 

専門家でも見分けるのは難しいと言われる、

発達障害と愛着障害。

 

自分は本当は発達障害ではなく、

愛着障害なのではないかと思い振り返った、

私の愛着障害に関する生育歴

コチラです。

 
*******************
 
私は幼い頃に父から言われていた、
 
「お前のせいで母さんは死にかけた」
 
という言葉を信じて、
そのために自分の存在を責め続けて、
生きてきました。
 
そんな父の言葉が、
 
 
だったと分かったのは、
父の死後10ヶ月ほど経ってから。
 
私が自分を責めながら生きるようになって、
 
40年
 
という歳月が流れていました。
このような経験があってから私は、
他にも父から、
騙されていたことがないか確認するために、
機会をみて母から、
昔の話を聞き出すようになっていました。
 
その日も私は、
母の昔の話をききながら、
自分が父から言われていた言葉が、
母の話す内容と相違していないかどうか、
チェックしていました。
 
母の膝に水が溜まるようになったのは、
お前が母さんの膝の上に乗っていたからだ。
(父から私が責められたのは、この女の子がしている行為)
 
子供の頃に父から繰り返し言われていて、
すっかり信じ込んでいたこの言葉も、
大人になって実際に母に確認したところ、
 
母の膝に水が溜まるようになった本当の理由は、
若い頃に実家の農作業を手伝って、
体に無理をさせてしまったから
 
だったということが分かって、
私はアラフィフの年齢でありながら、
どうして悪くなったのかと言うことに、
話が及んでいました。
 
母の体が悪くなったのは、
農作業のせいだけではなくて、
もともと体が弱かったのだと母は言いました。
 
1番悪かったのは耳で、
母は中学生の頃には学校を早退して、
隣り町にある耳鼻科に、
毎日電車で通っていたと話してくれました。
 
「学校を早退させてまで、
病院に行かしてくれるなんて、
いいお父さんとお母さんだね」
 
私がそう言って母の父と母を褒めると、
母は少し口元をいびつに歪め、
 
お前は何も分かっていない
 
とでも言いたげな口調で、
不満を漂わせながら私にこう言いました。
 
「お金が無いのに毎日病院に通わせてくれるから、
お母さんは悪い気がして辛かったのよ」
 
この言葉を聞いて、
私は表面上は母の気持ちを汲み取るように、
 
「そうだったんだね」
 
と、
同情的な声色で相槌を打ちましたが、
心の中はショックで荒れ狂っていました。
 
なぜなら。
 
私の両膝は、
子供の頃に病院に通わせてもらえなかったせいで、
オスグッド・シュラッター病を悪化させ、
剥離骨折を起こしたまま、
一生治ることはなくなっていたからです。
 
私を病気のまま放置したことに対する、
母からの謝罪を期待して、
もう治らない自分の膝の病気を母に告げた時、
母から私に返ってきた返事は、
吐き捨てるような、
 
「悪かったよ!」という言葉でした。
 
自分の子供の頃と、
母の子供の頃の、
境遇のあまりの違いに、
私は複雑な気持ちでいっぱいで、
それ以上の言葉を、
発することが出来ませんでした。
 
しばらく無言になってしまった私の態度を、
母はどんな風に感じたのか、
まるで辛い過去を、
吹っ切ろうとでもするかのように、
 
「お母さんも色々あったのよ」
 
そう勢いづけて私に言うと、
母はこの話題を切り上げてしまいました。
 
母のそんな言動が、
私にはもったいなく感じてたまりませんでした。
 
なぜなら母の語る子供時代の辛い経験は、
 
私には両親に愛された幸せな子供の話
 
にしか聞こえないから。
 
(子供なら皆んなきっと、親に愛されたいと願うよね)
 
お金が無いのに、
毎日病院に通わせてもらって、
辛かったという母の経験は、
病院に通わせてもらえなくて、
一生残る病気の後遺症を抱えてしまった私には、
羨ましくさえ感じます。
 
私はこの両膝の剥離骨折の他にも、
小学校の図工の時間に誤って、
小刀で骨が見える程の傷を、
左手の人差し指に負った時にも、
病院には連れていってもらっておらず、
絆創膏を張って自然治癒したため、
その傷口は縫われた跡もなく、
今でも残ったままになっています。
 
(もともとは、もっと大きな傷でした)
 
物心ついた時から、
私の右足の脛は一部が窪んでいて、
上から触ると骨まで窪みが感じられました。
これも骨が柔らかい時に受けた子供時代の傷が、
そのまま固まってしまったため、
今さら治療を受けようもありませんが、
父からも母からも、
このような傷が何でついたのか、
説明は無かったので、
病院には連れて行かれていないと思われます。
 
(子供の頃はもっと酷く凹んでいました)
 
数え上げたら、
他にもこのような、
病院に連れていってもらえなかったエピソードは、
多々あるのですが、
私はこのような小さな怪我や病気に関しては、
 
うちにはお金が無かったから、
病院に行けなかったのだ。
 
と、
自分の怪我や体調の悪さを告げても、
病院に連れて行ってくれない両親の行動を、
好意的に捉えていました。
 
だからこそ。
 
お金が無い中、
毎日通院させてくれたという母の両親の話は、
私に母への愛を感じさせてくれて、
とても羨ましく思ったのです。
 
母が辛かったというのは、
きっと本心なのでしょう。
 
自分が健康であればかからなかった費用を、
決して裕福ではない家計から捻出してもらったら、
家族に対して申し訳なさを感じる気持ちは、
私にも理解できます。
 
それでも、
両親から病院に連れていってもらえない、
哀しみを知っている私からしたら、
 
お金が無いからこそ余計に、
親に感謝する出来事
 
に感じられました。
 
ここで、私が思ったこと。
 
同じ出来事に対する物事の見え方が、
親に愛されて育った母と、
親から"要らない""理解出来ない"
と言われて育った私では全く違う。
私が父親から"要らない"と言われた話はコチラ
母親から"理解出来ない"と言われた話はコチラになります)
 
(あなたはこの出来事、辛く感じる?幸せに感じる?)

 

 
そのことに気づいた時に。
 
私の子供時代の辛かった出来事は、
全て私が大人になって幸せになるための、
 
幸せ貯金
 
だったんだなぁ、って、
思うことが出来たのです^^
 
なぜなら。
 
他の子供が当たり前に親から享受できたことを、
受け取ってこなかった愛着障害の私は、
人に何かしてもらった時の嬉しさと感謝の気持ちが、
普通に育ってきた人達より大きい
 
から。
 
それって、言い方を変えると。
 
幸せを感じる感度が高い♡
 
ということ。
 
(職場で人に話しかけられるだけで、とっても嬉しい♡)
 
だからね。
 
子供の頃に辛い思いをしていた人の方が、
大人になってから幸せになれる
 
のだと私は思います。
 
今、昔の私のように、
子供の頃の辛い経験で苦しんでいる人へ。
 
きっとあなたはこれから、
幸せになっていくことが出来るよ。
 
辛い子供時代を過ごした人は幸せの感度が高い
 
んだから。
 
自分の身の回りにある幸せに、
少しずつ、目を向けていってみませんか?^^