マルトリートメントと私61後日譚.病気を望んだ私のその後 | ASD【自閉症スペクトラム】女係長 鹿島じゅんの日常生活はサバイバル!

ASD【自閉症スペクトラム】女係長 鹿島じゅんの日常生活はサバイバル!

25年以上1つの会社に健常者として勤務し、係長として人の上に立つようになった私が、
どのようにASD(自閉症スペクトラム)の特性と折り合いをつけて生活しているか、
その方法をお伝えしていきたいと思います。

中学生の頃、

親に構って欲しくて、


兄と同じ膝の病気(オスグッド・シュラッター病)


になることを望みました。


本当に兄と同じ膝の病気になった時には、

これで親に心配してもらえると、

とても嬉しかったのだけど、

いざ病院に行ってみると、

私はレントゲンも撮られないまま、

放っておけば治ると先生に言われ、

兄だけが通院をすることになり、

私が膝を痛がると母からは、


「お兄ちゃんより軽いんだから」


と言われ、

私は痛さを口に出すことも出来ないまま、

放置され、

膝の痛みに耐える日々を送りました。


大人になって、
職場で肉体労働をしていた時に、
膝が痛くなり、
整形外科でレントゲンを撮ったところ、
オスグッド・シュラッター病により、
両膝の軟骨が飛び出したままの部分が、
剥離骨折していることが分かりました。


お見苦しいですが、私の膝の写真です。
丸の部分が剥離骨折している箇所です。

正常に成長してきた人の脛骨は、
こんな風に飛び出てはいません。

ウィキペディア様の、
オスグッド・シュラッター病を紹介している写真に、
まさに私の膝のレントゲンとほぼ同じものが、
掲載されていたので、引用させていただきます。


『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(URL: https://ja.m.wikipedia.org/wiki/オスグッド・シュラッター病

私の膝の写真の赤マルのところが、
下のウィキペディア様のレントゲン写真の、
赤マルのようになっています。

脛骨から骨が剥がれていることが、
分かるでしょうか?

オスグッド・シュラッター病を患った人が必ず、
剥離骨折になる訳ではなく、
剥離骨折になるのはかなり酷い状態とネットで読んで、
放って置かれた自分が悲しくて、
少しだけ泣きました。

大人になって膝が痛くなり、
自分でかかった整形外科で、

「現在、動けているなら、
下手に手術した方が、動けなくなる可能性があるから、
痛くても手術はやめた方がいい。
痛くなったら休むようにしてください」

と言われました。

私は運動がそんなに好きでも得意でもなかったため、
その点ではラッキーだったと思っています。
(運動が得意だったり好きだったりしたら、
子供の頃に病院でレントゲンも撮ってもらえず、
痛いとも口に出来ず無理するしか無かった環境のせいで、
自分の膝がこんな状態になってしまったのだと、
親を恨んでいたかもしれません)

どの位膝の骨が出ているかというと、
これくらい、です。


分かるかな?
大きな段ボールを畳もうと、
全体重を乗せて段ボールの上に載ったら、
膝の骨が当たる部分の、
段ボールが破れます。

子供の頃に、
親に心配されたくて望んでかかった、
オスグッド・シュラッター病。

けれど結果は、
特に心配されることもなく、
ただ大人になっても後遺症が残るという、
悲しい結果になりました。

毎週、通院させてもらっていた、
兄はちゃんと完治していて、
後遺症も無いところが余計悲しくなります。

もし、このブログを、
読んでくれているあなたが。

親の愛情を得たいがために、
自分の体を病ませたり、
傷つけたりしたとしても。

決して望んだものが得られるとは、
限らないことを知っていてね。

そして、
例え望んだ愛情を得られなかったとしても、
そのような行為の代償だけは、
ちゃんと自分に降りかかってくるのだということも、
覚えておいて欲しい。

そして、出来ることなら。

そんな一過性の愛情など求めずに、
ちゃんと自分を愛してくれる人を、
探せる心の強さを、
持つことが出来たらいいね^^