剥離骨折を母親に伝えた結果 | ASD【自閉症スペクトラム】女係長 鹿島じゅんの日常生活はサバイバル!

ASD【自閉症スペクトラム】女係長 鹿島じゅんの日常生活はサバイバル!

25年以上1つの会社に健常者として勤務し、係長として人の上に立つようになった私が、
どのようにASD(自閉症スペクトラム)の特性と折り合いをつけて生活しているか、
その方法をお伝えしていきたいと思います。

私は大人になって、
自分で整形外科を受診した時に、
両膝の骨が剥離骨折していることを知りました。

「子供の頃の骨が固まっていない時期に、
適切な医療を受けていれば、
剥離骨折などせず、
ちゃんと治すことも出来たけれど、
大人になって骨がしっかり固まってしまった今は、
下手に手術をすると、
かえって動けなくなる可能性があるから、
痛みが出たら休むしかない」

そう医師に告げられた私は、
自分が子供の頃に受けたマルトリートメントの事実を、
客観的に見せつけられたようで、
自分の目から涙が溢れるのを、
止めることが出来ませんでした。

きちんと治療を受けて治った兄と、
治療は要らないと放っておかれて、
治らなくなった私。

その兄との格差が、
とてもとても悲しくて。

だから、その時テレビに出ていた、
心理カウンセラーさんが、
自分のクライアントに向かって、

「子供の頃に言えなかったことを親に言ったらいい」

と言っているのを聞いて、
私も母親にこの事実を伝えてみよう、
と思ったのです。

ただ私が、
母親にこの事実を伝えようと思ったのは、
決して母親を責めようと思った訳ではなく、
兄よりも軽い症状だからと言って、
私に痛いという言葉を口にさせてくれなかった、
私に我慢をさせたその行為に対して、

「ごめんね」

という、
謝罪の言葉を聞きたいと思ったからでした。

だから私は、
実家に里帰りした時に、
なるべく母親の気持ちを刺激しないよう、
気を遣いながら切り出したのです。

「子供の頃に病院で治療を受けなかったために、
私の両膝は剥離骨折していたよ」

って。

医師の診断と、実際に変形している脛骨。

この2つの客観的事実があれば、
私の他の子供の頃のエピソードとは違い、
さすがに私自身が変わった子供だったから、
(母親は私が自分を発達障害ではないかと疑って精神科を受診し、
という診断を受けたことは一切知りません)
こんなことになったのだとは言われないだろう、
私に対する対応が間違っていたと、
思ってくれるだろうと、
そんな期待を込めて母親に話したのですが。

結果は、私の期待通りにはなりませんでした。

「病院には連れていったでしょ」

それが、母親の第一声でした。

私は母親のその言葉では満足出来なくて、
さらに母親に、
整形外科の医師から言われた内容を伝えました。

「ちゃんと治療をしてもらっていたら、
治っていたと言われたよ」

私のこの言葉は、
母親の機嫌を損ねてしまったようでした。

「医者が治療は要らないって言ったんだよ」

不機嫌な母親の言葉に、
私は悲しくなりました。

私も母親が連れていった病院の医師が、
私の症状は兄より軽いから、
放っておけば治ると言っていたのは覚えていました。

でも、その医師の言葉があったために、
私が膝が痛いというたびに、

「お前はお兄ちゃんより症状が軽いだろう」

と、
痛みを訴える私の言葉を奪ってしまったのは、
母親だと私は思っていました。

私も本当に膝が痛かったんだよ。

私はただ、
そんな子供の頃の私の気持ちを、
母親に認めて欲しかっただけなのです。

けれど私のそんな思いは、
母親に届くことはありませんでした。

「私の両膝は、もう剥離骨折したまま治らないんだよ」

私の子供の頃の、
辛かった気持ちを伝えたくて、
勇気を出して始めたこの会話は。

「悪かったよ!」

私から顔を背けながら、
吐き捨てるように母親から言われたこの言葉で、
終わりとなりました。

言わなければ良かった、、、

後味が悪く、
更に自分の心の傷を抉ったような形になった、
母親とのこの会話に、
私はとても後悔し、
この出来事を母親の前で口にすることは、
2度とありませんでした。

けれど、この出来事から7年後の、
亡くなった父の初盆の時に。

実家にお坊さんを招いて、
お経を上げてもらった後に、
親戚一同で会食をしたのですが。

その会食の時に、
お経を上げてもらっている間、
仏間で正座をしているのが辛かったと、
伯母さんが私に言ってきたので、

「私も成長期に膝が痛くなる病気になって、
両膝の骨が剥離骨折しているので正座は辛いです」

と返したところ、
伯母さんは私より自分の方が、
正座が大変だと主張したかったのか、

「お前のお父さんも伯父さん達も、みんなそうだった。
それはうちの家系では当たり前のことだ」

と、全く出たら目なことを言い出しました。

もちろん、親戚皆んな、
両膝が剥離骨折しているなどという、
そんな事実は無かったため、
伯母さんの娘さんは、

「またいい加減なこと言って」

といった表情で顔をしかめていて、
私は伯母さんの戯言だと思って、

「そうですね〜」

などと言いながら、
その言葉を軽く受け流していました。

私は言葉の正確さに拘る、
ASD(自閉症スペクトラム)ではありましたが、
20年以上に及ぶ社会人経験から、
このような事実無根な戯言に、
以前のように、
正面から反論したりすることなく、
受け流すスキルを体得していたのでした。

ただ、その時に。

伯母さんと伯母さんの娘さんの間に、
座っていた私の母が、
立って忙しく給仕をしていた私を、
上目遣いに見ながら、

「もう治らないのか?」

と、ボソッと聞いてきたのです。

私は母の、
その突然の質問に動揺しながら、
決してその動揺を悟られないように、

「そうだよ〜もう治らないよ〜」

と明るく軽く、
何でもないことのように言いました。

私の返事を聞いた母は、
それ以上何も言わず、
私から目を背けただけだったのですが。

私は母のその姿を見て、
やはり涙がこみ上げてきてしまいました。

7年前に同じ会話をした時も、
母は私から目を背けていたけれど。

今の伯母さんとの会話には、
一切でてこなかった、

「もう治らない」

という以前の会話で私が告げた内容を、
母が私に質問してきたことで、
あの時の会話から、
母がずっと心の片隅で、
私の膝のことを、
気に病んでくれていたのだと、
察することが出来たからでした。

私の望んだ、
母からの謝罪の言葉は聞けなかったけれど。

母が私に悪いことをしたと思ってくれているのは、
私の顔から目を背けた時の、
母のやるせなさそうな顔で分かりました。

母のこの言葉と表情で、
私の心の中に蟠っていたしこりはスッと、
消えていきました。

7年越しで、
いえ、中学生の頃からカウントしたら、
20年越しで、
私は母から、
オスグッド・シュラッター病になった、
自分の膝を心配してもらうという、
願いを叶えることが出来たのでした。