自分で整形外科を受診した時に、
子供の頃に放っておかれたことが原因で、
両膝の骨が剥離骨折していることを知りました。
「子供の頃の骨が固まっていない時期に、
適切な医療を受けていれば、
剥離骨折などせず、
ちゃんと治すことも出来たけれど、
大人になって骨がしっかり固まってしまった今は、
下手に手術をすると、
かえって動けなくなる可能性があるから、
痛みが出たら休むしかない」
そう医師に告げられた私は、
自分が子供の頃に受けたマルトリートメントの事実を、
客観的に見せつけられたようで、
自分の目から涙が溢れるのを、
止めることが出来ませんでした。
きちんと治療を受けて治った兄と、
治療は要らないと放っておかれて、
治らなくなった私。
その兄との格差が、
とてもとても悲しくて。
だから、その時テレビに出ていた、
心理カウンセラーさんが、
自分のクライアントに向かって、
「子供の頃に言えなかったことを親に言ったらいい」
と言っているのを聞いて、
私も母親にこの事実を伝えてみよう、
と思ったのです。
ただ私が、
母親にこの事実を伝えようと思ったのは、
決して母親を責めようと思った訳ではなく、
兄よりも軽い症状だからと言って、
私に痛いという言葉を口にさせてくれなかった、
私に我慢をさせたその行為に対して、
「ごめんね」
という、
謝罪の言葉を聞きたいと思ったからでした。
だから私は、
実家に里帰りした時に、
なるべく母親の気持ちを刺激しないよう、
気を遣いながら切り出したのです。
「子供の頃に病院で治療を受けなかったために、
私の両膝は剥離骨折していたよ」
って。
医師の診断と、実際に変形している脛骨。
この2つの客観的事実があれば、
私の他の子供の頃のエピソードとは違い、
さすがに私自身が変わった子供だったから、
(母親は私が自分を発達障害ではないかと疑って精神科を受診し、
という診断を受けたことは一切知りません)
こんなことになったのだとは言われないだろう、
私に対する対応が間違っていたと、
思ってくれるだろうと、
そんな期待を込めて母親に話したのですが。
結果は、私の期待通りにはなりませんでした。
「病院には連れていったでしょ」
それが、母親の第一声でした。
私は母親のその言葉では満足出来なくて、
さらに母親に、
整形外科の医師から言われた内容を伝えました。
「ちゃんと治療をしてもらっていたら、
治っていたと言われたよ」
私のこの言葉は、
母親の機嫌を損ねてしまったようでした。
「医者が治療は要らないって言ったんだよ」
不機嫌な母親の言葉に、
私は悲しくなりました。
私も母親が連れていった病院の医師が、
私の症状は兄より軽いから、
放っておけば治ると言っていたのは覚えていました。
でも、その医師の言葉があったために、
私が膝が痛いというたびに、
「お前はお兄ちゃんより症状が軽いだろう」
と、
痛みを訴える私の言葉を奪ってしまったのは、
母親だと私は思っていました。
私も本当に膝が痛かったんだよ。
私はただ、
そんな子供の頃の私の気持ちを、
母親に認めて欲しかっただけなのです。
けれど私のそんな思いは、
母親に届くことはありませんでした。
「私の両膝は、もう剥離骨折したまま治らないんだよ」
私の子供の頃の、
辛かった気持ちを伝えたくて、
勇気を出して始めたこの会話は。
「悪かったよ!」
私から顔を背けながら、
吐き捨てるように母親から言われたこの言葉で、
終わりとなりました。
言わなければ良かった、、、
後味が悪く、
更に自分の心の傷を抉ったような形になった、
母親とのこの会話に、
私はとても後悔し、
この出来事を母親の前で口にすることは、
2度とありませんでした。
けれど、この出来事から7年後の、
亡くなった父の初盆の時に。
実家にお坊さんを招いて、
お経を上げてもらった後に、
親戚一同で会食をしたのですが。
その会食の時に、
お経を上げてもらっている間、
仏間で正座をしているのが辛かったと、
伯母さんが私に言ってきたので、
「私も成長期に膝が痛くなる病気になって、
両膝の骨が剥離骨折しているので正座は辛いです」
と返したところ、
伯母さんは私より自分の方が、
正座が大変だと主張したかったのか、
「お前のお父さんも伯父さん達も、みんなそうだった。
それはうちの家系では当たり前のことだ」
と、全く出たら目なことを言い出しました。
もちろん、親戚皆んな、
両膝が剥離骨折しているなどという、
そんな事実は無かったため、
伯母さんの娘さんは、
「またいい加減なこと言って」
といった表情で顔をしかめていて、
私は伯母さんの戯言だと思って、
「そうですね〜」
などと言いながら、
その言葉を軽く受け流していました。
私は言葉の正確さに拘る、
ASD(自閉症スペクトラム)ではありましたが、
20年以上に及ぶ社会人経験から、
このような事実無根な戯言に、
以前のように、
正面から反論したりすることなく、
受け流すスキルを体得していたのでした。
ただ、その時に。
伯母さんと伯母さんの娘さんの間に、
座っていた私の母が、
立って忙しく給仕をしていた私を、
上目遣いに見ながら、
「もう治らないのか?」
と、ボソッと聞いてきたのです。
私は母の、
その突然の質問に動揺しながら、
決してその動揺を悟られないように、
「そうだよ〜もう治らないよ〜」
と明るく軽く、
何でもないことのように言いました。
私の返事を聞いた母は、
それ以上何も言わず、
私から目を背けただけだったのですが。
私は母のその姿を見て、
やはり涙がこみ上げてきてしまいました。
7年前に同じ会話をした時も、
母は私から目を背けていたけれど。
今の伯母さんとの会話には、
一切でてこなかった、
「もう治らない」
という以前の会話で私が告げた内容を、
母が私に質問してきたことで、
あの時の会話から、
母がずっと心の片隅で、
私の膝のことを、
気に病んでくれていたのだと、
察することが出来たからでした。
私の望んだ、
母からの謝罪の言葉は聞けなかったけれど。
母が私に悪いことをしたと思ってくれているのは、
私の顔から目を背けた時の、
母のやるせなさそうな顔で分かりました。
母のこの言葉と表情で、
私の心の中に蟠っていたしこりはスッと、
消えていきました。
7年越しで、
いえ、中学生の頃からカウントしたら、
20年越しで、
私は母から、
オスグッド・シュラッター病になった、
自分の膝を心配してもらうという、
願いを叶えることが出来たのでした。