私が「発達障害になりたかった理由」 | ASD【自閉症スペクトラム】女係長 鹿島じゅんの日常生活はサバイバル!

ASD【自閉症スペクトラム】女係長 鹿島じゅんの日常生活はサバイバル!

25年以上1つの会社に健常者として勤務し、係長として人の上に立つようになった私が、
どのようにASD(自閉症スペクトラム)の特性と折り合いをつけて生活しているか、
その方法をお伝えしていきたいと思います。

ブログにお越しいただきありがとうございます^^
 
ASD(自閉症スペクトラム)
愛着障害当事者から
"幸せになるための心理セラピスト"
鹿島じゅんです。
 
私の発達障害に関する診断結果
コチラです。
 
私の愛着障害に関する生育歴
コチラです。
 
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いつも拝読させていただいている方が、
ブログで紹介していて、
タイトルに惹かれて購入した本。

(ご紹介くださり、ありがとうございます^^)

この本の帯に書いてある、

「この生きづらさの原因が知りたい!」

って、
まさに私が精神科を受診した理由そのもの、
でした。

小学校に上がるまで知らなかったのですが、
私は

団体行動が取れない子供

でした。
(保育園、幼稚園では先生から問題視されなかったため、気付きませんでした)

そんな私は小学校で問題児扱いされ、
担任の先生から存在を無視されるという、
(今でも、あの先生の対応は間違っていたと思います。
昭和の時代の、しかも小学校低学年の担任の先生は教室の絶対的権力者だったため、
子供1人の心を追い詰めることなど簡単に出来ました。
私が家庭でマルトリートメント(虐待)を受けていなければ、
私は不登校になって、家に引きこもっていたかもしれません。
幸いにも家にも居場所がなかった私は、不登校になることは免れました)

そんな私は、
誰もいない小学校の女子トイレの中に籠もって、

「どうして私は皆んなと同じように出来ないんだろう」

と独りで泣いたこともありました。
と言われたことも大きく影響していました)


自分の人生がこんなに辛いのは、
自分の人間性に問題があるからだと考えた私は、
中学生の頃、雑誌の広告に載っていた性格を変える通信講座を、
お小遣いをはたいて申し込んだこともありました。


だからね。

私はこの本の中に書かれている、

発達障害と言いたがる人達

の気持ちが、よく分かるのです。

だって、自分を殺して友達のマネをしても、
私の生きづらさは変わらなかったから。

自分の周囲の子供達を見ていると、
死にたがっている子なんていなくって、
自分と皆んなとの違いをずっと感じていました。
(父が夜な夜な私にしていた行為が、そんな私の思いに拍車をかけました)


この生きづらさには、
何らかの理由があるに違いない

そう思って、
がむしゃらに救いを求めていた私の前に現れた、

発達障害

という言葉。

一縷の望みをかけて受診した精神科で、

「ASD(自閉症スペクトラム)の中の、
アスペルガー症候群と言われていたものに、
該当すると思います」

と精神科医から言われた時には、
暗く長いトンネルを抜け出たかのような気持ちに、
なったものでした。


でも、それから、
発達障害の情報を集める中で私は。

発達障害当事者間で、
諍いがあることを知りました。

医師から発達障害の診断を受けた人が、
精神科医師を受診していない、
あるいは受診したけれど、
発達障害であるとまでは診断されなかった、
いわゆるグレーゾーン と言われる人に対して、

医師の診断を受けていない人は、
発達障害と言わないで欲しい

といったものでした。

その思いの底にあるのは、
【生きづらさの重さの違い】だと思うし、
重さが違うと思うからこそ、
同じ発達障害だと言って欲しくない、
と感じるのだと思うのだけれど。

でもね、
ここで知っていて欲しいことがあるのです。

この【発達障害と言いたがる人達】という、
本の中にも書いてあるけれど、
オトナの発達障害には丁寧に診断をされるケースと、
簡単に診断をされるケースが存在します。

実は私は、
2019年に医師から受けた診断を、
自分の発達障害に関する診断結果として、
このブログの冒頭に載せていますが、
実はこれより前に、
オトナの発達障害を診断出来るという、
別な精神科医を受診したことがあります。

そこの医師はただ私の話を聞いただけで、

「話を聞く限り発達障害でしょう。
ですがあなたよりも大変な人がもっといるのだから、
あなたはまだ良い方なんですよ」

と言われ、
何の検査もされないまま、
終わったことがありました。

「こんな診断のされ方では、
本当に私が発達障害なのか分からない!!」
(私が発達障害の検査をされなかったのは、
受診時に医師が、
「検査や診断書はお金と時間がかかるし、あなたは社会に適応出来ているから」
と言っていたこともあり、私に発達障害の診断は不要だと考えて、
検査しなかったかもしれませんが、
当時の私はそんな医師の考えに思考を巡らすことは出来ませんでした)

そう考えた私は、
2019年にもう一度、
今度はAQテスト(自閉症スペクトラム指数)や、
発達障害を診断するのによく実施されている、
WAIS-III(ウェクスラー成人知能検査)を受けさせてくれる、
精神科医を受診して、
冒頭に載せている診断結果をもらったのでした。



世界中の精神科医が診断の時に利用している、
アメリカ精神医学会が発行している、
DSM(精神障害の診断と統計マニュアル)が、
IVから5に更新された時に、
広汎性発達障害(アスペルガー症候群もこれに含まれます)が廃止され、
自閉症スペクトラム(ASD)という診断名が採用されました。
(【発達障害と言いたがる人達】から一部引用)


現在も発達障害の原因は分かっておらず、
その診断基準も時代によって変更される、
曖昧なものなのです。

そんなものに振り回されて、
一般の社会から外れてしまう発達障害者と、
そのグレーゾーン と言われる人間が、
相手に狭量になってしまうのはどうなのか、
と思うのです。

だって発達障害者も、
発達障害グレーゾーン の人も、
自分の障害の程度を自慢したい訳では、
無いですよね?

ここで一度立ち止まって、
振り返って考えてみて欲しいこと。

あなたが発達障害になりたかった理由は何ですか?

そこにあるのは、

生きづらさ

ではなかったでしょうか?

なら、同じ生きづらさを抱える者同士。

医師の診断が"ある""ない"では無くて。

障害の程度が"重い""軽い"では無くて。

自分が相手の抱えている生きづらさを、
認めてあげませんか?

まず生きづらさを抱える者同士が、
お互いの生きづらさを認め合うことで、
定型発達者と呼ばれる人達に対しても、
その生きづらさを知ってもらうことが、
出来るのではないか、
と思うのです^^