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A Day In The Boy's Life

とあるエンジニアのとある1日のつぶやき。

私の場合、エンジニアとして働き出したそのときから、専門技術でわからないことがあると、すぐにネットで調べて解決策を探したりしてきました。

入社当時(2000年)は、そこまで多くの技術情報っていうのはネットには無かったのですが、色々検索ワードを変えたりしてみて何とかヒントとなるような情報を見つけ、試行錯誤を繰り返していました。


当時は、今ほど便利なツールと言うものも少なかったですし、技術自体が不安定なところも多かったので、これだというピンポイントな解決方法が示されたサイトというのはとても少なかった記憶があります。

一方で、今のブログのような簡易的に文章を表現することができるWebサービスも無かったので、自ら情報を発信するには、専門的な知識を持っている人に限られたりもしてました。

なので、当時はある技術の知識を得るために、専門書に頼るしかないという場合も多々ありました。


これは、今でも変わらないところがありますが、ブログとかそれほどIT技術の知識を持たずとも、専門技術に関する情報を公開することは、現在では容易にできるようになっています。

ただ、それゆえに思うことがあったり。



本で得られること


ある情報を体系的に吸収したいのであれば、本を読むのが一番だと思います。

本屋にいって、立ち読みして自分が思うのに近い本を選んで読み進め、時にはその中身を自分なりに検証していけば、まとまった知識を得ることができます。


ただ、「○×に関してもっと詳しく知りたい」とか漠然とした要望をかなえるのに本(特に専門書)は向いていますが、ある特定の疑問を解決するのには向いてなかったりします。

1つは、そのとき自分が欲しいのはその疑問に対する解であるのに、あれこれ肉付けされた余剰な情報が多いと言うところがあります。

もちろんそれらは無駄だとは思いませんが、仕事で今日にでも解決したいという要望に対して、長い時間をかけて本を読み進めるのは、あまりにもコストがかかります。

また、本を読み進めていってもそのたった1つの解が書かれているかどうかもわかりません。

運良く本屋で立ち読みして、それが書かれたページを見つけたなら、それを読むだけで解決できてしまうでしょう。


また、本はなるべく多くの環境に当てはまるようにと、具体性にかけるときもあるので、方向性は合致するけど自分の環境には合わない、と言う場合もあります。

それらをあわせるために、複数の本を選ぶこともできますが、そこから情報を得るためのコストがそれに応じて倍増していきます。



ブログで得られること


一方で、現在では簡易的に情報を発信できるブログでも専門技術を拾うことはできたりします。

様々なフィールドの人が日々情報を発信しているので、ネットを探せば見つからない情報は早々に無いだろう、という状態にまでなっています。


ただ、ブログから専門的な技術を拾うには、検索技術と検索エンジンの性能に大きく依存することと、ブログに書かれている情報の質が大きな問題になってきます。

検索ワードだけでも検索結果は大きく異なってきますし、サイトの影響力によって結果が大きくゆがめられる場合もあったりします。


ただ一方で、総表現者となった今、自分の起きている疑問に答える環境に合致する人を探すことができる可能性というのは、本よりも高いでしょう。

エンジニアとして抱える様々なIT環境における問題でも、その環境で起きた問題を発信するブログがあったりするので、そこから解決の糸口を見つけることができる可能性があります。

これは、専門的な技術を取り扱う本でも、自分とまったく環境が当てはまらないものから得られる知識よりも有効である場合があります。


ただ、もう一つの問題となるのが、同じ環境で同じ問題を抱え込む人が発した情報を見つけることができたとしても、必ずしもそこから十分な解決策を導き出せるほどの情報量がないという場合があります。

ブログで情報を発信する側は、そのブログの訪問者の問題点を解決する責務を負っているわけでもないですし、言ってみれば趣味でやっているところもあるので、情報の質は表現者に依存します。

本であれば、質の悪い情報しか載せてなかったら売れないのは目に見えているので、筆者も質を高めようと言う努力をしようとしますが、ブログの場合は全ての表現者にそれをやるほどのメリットが無いと感じていれば、やるはずも無いことだと思います。


※ 自分としては、そのニッチな部分を表現することが、ブログの価値を高める1つの方法だと思ったりはしますが。



本とブログ、その間にあるもの


本ほど体系的に専門的な知識をまとめていなくても、ブログでも十分な情報をまとめているところもあります。

ただ、ブログの特性上、そこにある情報を引き出すためには、求める側に依存するところもありますので、質の高いまさに求めている解が書かれている場所を探し当てられるとは限りません。

そして、今のような形態がずっと続くのであれば、本と言うのは引き続き需要のあるものだと感じます。


長々と書いてきましたが、何を言いたかったかというと、本とブログの中間にあるものがあったらいいな、というものです。

以前に、


編集でブログ記事が生まれ変わった @ Geekなぺーじ


という記事を読んで、ふとそんなことを思ったりしました。

こう書くと、ブログというものが質の低いものであるかのような表現になってしまいますが、もっと書き手のメリットを助長してあげて、質の高い記事をまとめ上げたものをまとめるものがあればいいのではないかなと。

メリットと言うのは特に金銭的なものだけでなく、そのエントリを書いた人を取り上げてくれたり、自分のブログに誘導してくれるというだけでも良いと思います。


それが最終的に本になると言うのでもいいと思いますし(ブログ記事の元ネタの権利をどう吸収するかが課題かもしれませんが)、Webサイト上でそれを見るのはある程度限界もあるので、最終的には本の需要と言うものにもそれほど影響は無いのではないかと思ったりします。

こういうことは、専門サイトでやってたりもします。

ですが、その情報と言うのは長く更新されなかったりしますし、ある人があることを語ってしまったら、それで終わり、と言う場合もあるので、技術の進化に追いつかない場合があります。


話が最初に戻るかもしれませんが、こういうことを検索エンジンがやるべきなんでしょうが、今ではそれが実現できていないので、そういったものの需要もあるのかなと。

一方で、検索エンジンに求められるのは、ネットを横断してAmazonのような「このエントリを読んでる人は、こちらのエントリも読んでますよ」と言うような仕組みなのではないかな、と思ったりもします。


要は、疑問のタネがあり、それを解決するためにネット上に転がっている情報があるわけで、それを如何に効率的に吸収できるようにするかと言うところで、その最終ゴールが体系的に情報得るための本であっても良いわけですが、その中間にある溝が今でもあまりにも広いと思います。

それがスムーズに、探し手の希望に沿って深く探し進めていく仕組みが欲しいな、と感じました。




って、最近良く思ったりします。

一人でつぶやくのもいいんですが、やっぱり誰かからreplyがもらえたら余計にうれしいものです。

リアルタイムストリームの中では、よりその向こうの人というものが感じられます。

前回の「[Twitter] つぶやくか、つながるか 」に書いた相槌を打つ感覚と言うのは、相手をすごく身近に感じられるTwitter独特の感覚だな、と思います。



ブログを書くタイミング、読むタイミング


こうしてブログを書いていて、これが公開されて幾人かの人に読んでもらえるのだと思いますが、それは結構時間が経った後のことであって、今この瞬間に書いている自分と、この記事に出会う人っていうのは、ネットの世界の時間の流れから見れば結構な開きがあるな、と実感しています。


ですが、Twitterではそれがほとんど無い。

もちろん、Twitter上での発言とこうしてブログに文章をまとめて相手に伝えるとでは、伝わる質や捉えかたというのは結構違ってきます。

このブログの内容を幾つかに分けてTwitterにPOSTした結果と、こうやってブログにまとめて伝えた場合とでは、読む人の受け取り方も随分と変わってくるでしょう。


リアルタイム故に部分的にしか見えないところもあり、総じて何を伝えようとしたかわかりにくかったり、流されたりもします。

どこかの教室でセミナーを開き、時間を調整して最初から参加する人と、時間の合間合間に教室に顔を出して話を聞いてみるとでは、受け取る情報量から理解のしやすさや全然違います。

前者はブログ型で、後者がTwitter型だな、と言うのが自分の感覚です。

その代わり、時間の制約が無くっていつでも顔を出せる気軽さがTwitterにはあるかなと。


ブログは後で読む、と言うことが簡単にできますが、Twitterは後から追いかけると言うのが少し難しかったりもします。

その人が一定の時間集中してPOSTしてくれてたり、タグをつけてたりしてくれれば見やすかったりもしますが、間間に他の会話や、POSTしていくうちに他の人からreplyもらってそれに対する返事をしていたら、TLに余計な情報が入り乱れて読みづらくなってきます。

まぁ、頭にあるものをポンポンと吐き出すTwitterと、頭の中を整理して吐き出すブログとでは、同じ文字を書くと言っても用途が全然違うものだな、と感じます。



タイミングの大事さ


時間の制約も無く、何かをつぶやくコストがブログに比べて極端に小さいTwitterにおいて、それに対して何らかの反応をするのは、タイミングが重要になってきます。

ブログは後から読むということが簡単にできますし、ブロゴスフィアでも鮮度が大事だとは言え、1日や2日遅れて自分なりのエントリを起こすことも全然問題ありません。


しかし、Twitterでは一瞬で消える泡のように、そのつぶやきに対してreplyする(できる)時間と言うのは、極端に短いと感じます。

先に言ったような相槌を打つ感覚と言うのは、まさに相手が言ったことに対する瞬時の反応です。

誰かが「おはよう」というつぶやいたことに対して、「おはよう」と返すのはその相槌が許される範囲の時間帯だけだだなと。

誰かが言ったことに対して「うん。うん。」と相槌を打つのに数秒の時間も要らないでしょう。


なので、自分がTwitterを開いたその瞬間にTL上に流れている発言ぐらいが許容量になって(もちろんフォローしている人の数によるでしょけど)、それより過去の発言に対して返事するのは、会話がかみ合わなくなりますし、そのころには、次のことをPOSTしていたりして、どれに対する返事なのかがイマイチわかりづらいところがあります。


その相槌がわかる範囲で反応しようとしますし、古い発言に対しては「もう解決しただろう」とか、「もう別のことしてるだろう」とか、「もう寝てるだろう」というリアルの世界の行動にリンクして発言しようとするのではないでしょうか。


逆に言えば、相手のつぶやきに反応するのは、そのタイミングを見計らうって事が大事かもと思ったりします。

まぁ、そんな待ち構えてPOSTするものでもないでしょうし、堅苦しさもいらないと思いますが。


そんな、タイミングを推し量るってところが、単にでデータをリアルタイムに流し合うっていうもの以上の面白さを感じさせてくれるのかなと感じたりします。




Twitterユーザーは羊ばかり? 8割は10人以下のフォロワーしかないと判明 @ TechCrunch JAPAN


私も一人目のフォローをするときはかなりどきどきだった記憶があります。

Twitterの教科書的なものが無い状況では、フォローすることで何がおきるか、相手からはどういう印象を受けるのか、ってことが見えづらいんですよね。

例えば、勝手にフォローしたら相手に悪い印象を与えるんじゃないかな、とか。

1人目のフォローへの敷居が高い、という感じがします。


※ 答えとしては、フォローされることに抵抗をもってる人は少なく、うれしく思ってる人の方が多いと思いますが。



フォローに至る動機と経緯


私の場合は、ブログ経由でフォローしだすことが多いです。

良エントリを書いている人のブログを読んでて、そのブログにTwitterのリンクが張られていると、ブログの中の人はどんな人なんだろうと、興味を持ってフォローしだします。

結構、ブログではまじめなことを書いてても、Twitter上ではおちゃらけ発言が多くて、面白かったりします。

ギャップを楽しむと言うか、その人とつながりたい、と思うよりは人間観察的な意味でフォローすることもしばしばあったりします。


もう一つは、タイムライン上を流れる発言でRetweeting(RT)されたものを見て、「あぁ。なるほど。おもしろいな」と思った発信者をフォローするとかです。

Twitterはどちらかというと、中の人の生の声が集まりやすい場所だと感じます。

ブログだと体裁整えてPOSTする感じですが、Twitterはもっとストレートな感じ。

飾らない発言が気持ちよく感じたりもします。



フォローする意味、つぶやく意味


この辺は、「Twitterのタイムラインはオリジナルのニュースソース 」にも書いたことですが、フォローすることでタイムラインが自分オリジナルにカスタマイズされていき、関心ごとが勝手に集まってくるところが面白かったりします。

その辺を意識してかどうかはわかりませんけど、フォローする人を限定している人もいるような気もします。

ただ、Twitterってフォローした/されたが中心にあるわけじゃないので、自分の興味ある人をフォローしてタイムラインに彩を添えていく感じが面白いのではないかなと。


フォローすればするほど、自分が目にできる別の世界でも時間は動いているんだ、ということを実感できたりもします。

まぁ、当たり前のことなんですが、本当にその向こうに人がいるんだ、という感覚をじかに味わえると言うか。


あと、Twitterは一人でつぶやいてても十分楽しいのですが、何気ないつぶやきに対して返事をもらうのは、相槌をもらったように心地よかったりします。

以前にどこかのブログで「おはよう」とか「腹減った」とかをTwitterでPOSTすることは意味が無い、見たいなことを書いてたのを見たことありますけど、そういうのって相槌を打ちやすいので意味があるんじゃないかな、と思ったりしてます。


相槌を打ちやすい、というのはそのPOSTに対して返事をしやすいと言うことです。
隙を作るというか、発信者もそういう意識でしているわけではないでしょうけど、誰かへ発言するわけでなく「おはよ」とかつぶやいてると、それに反応する人が出てくることにうれしさを感じたりします。

一方で、そういう誰へも宛てない発言って飛びつきやすいので、気分を楽にして返事を返せたりします。


なので、Twitterってつぶやくこととつながること、双方に大きな意味をもつツールなんだなと、実感してます。

つぶやくことも楽しいし、つながってみることも楽しいし。

でも、どうせなら両方楽しんだほうがお得だと思いますけどね。